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 前回の続きを始めたい。
 その前に断っておくが、前回でも書いたように、これは作家としての直観と想像によるものであり、取材などによって事実を追いかけ、その事実を踏まえて書かれるものではない。悪しからず。

 内閣人事局の本来の目的は、官僚主導の行政の歪みを改めて、政府主導(=政治主導)の行政を取り戻そうとしたものなのだろう。
 その表向きの目的が一人歩きし、内閣人事局によって人事権を握られた官僚組織は内閣の言いなりになったと思われがちだが、果たしてそうだろうか。事は単純ではない。
 内閣人事局が出来る前の官僚組織は、ある程度、政治からの独立性を担保されていたのだろう。民主党政権の時を思い起こせば明瞭だ。
 が、官僚組織全体をみればどうだろうか。
 各省庁を隔てる垣根が高く、決して一枚岩だったとは思えない。政府との距離にも差があり、派閥政治を抱きかかえていたかつての自民党のような様相を呈していただろうことは想像できる。
 内閣人事局によって官邸が人事権を行使できるわけだが、この人事は誰の主導でやられるのだろうか。蛇の道は蛇というが、官僚組織について熟知しているのは今井尚哉らの官邸官僚だろう。官僚の誰が安倍政権寄りで、誰が従順で操縦しやすく、何処の部署のどの役職を握れば各省庁を掌握できるか、今井尚哉ら官邸官僚なら分かっている。わたしは助言という形で、官僚の人事に深く関わっているのは今井尚哉らの官邸官僚だと思っている。
 権謀術数家の今井尚哉だから、先々を見越して、自分の息がかかった者を推薦するだろうし、官僚組織の至る所にスパイを忍ばせているのではないかと想像している。スパイになる見返りは将来の人事的出世だ。
 政府主導と政治主導を謳い上げたはずの内閣人事局だが、ほんとうにそうだろうか。人事権を握っているのは官邸であるが、安倍晋三でも管官房長官でもなく、実質的には今井尚哉らの官邸官僚ではないのか。
 そうだとすれば、出世欲の権化となった官僚なら、誰をみて職務を遂行するだろうか。もちろん、安倍晋三と管官房長官に逆らうなどもっての外だが、実質的な人事権を掌握している今井尚哉らの官邸官僚になるのは自然だろう。
 こうなると内閣人事局とは闇でしかない。

 自民党における派閥政治の弊害は枚挙に暇がないほど指摘されてきたが、弊害だけに目を奪われると、強大な政権与党の中に権力の一極集中を防ぐ防波堤であり、またブレーキ役になっていた事実を見過ごすことになる。
 強行採決するときの単なる一票であるに過ぎず、安倍晋三の下僕にまで堕落した今の自民党議員をみると、はるかに派閥政治の方が健全だったと思わずにはいられない。
 極論すれば自民党という大きな器に、派閥という小さな器が存在し、互いを牽制し合っていたのだろう。小さな器を政党と呼ぶことにわたしは躊躇いはない。かつては自民党の中に派閥という政党が幾つも存在していたのだ。
 その派閥政治が小選挙区制の導入によって根底から崩れ去ったのだ。
 小選挙区制の仕組みは、「公認権をはじめとする党内の人事権を執行部が独占する」(『日本会議の研究』扶桑社新書)ものだ。
 自民党内に権力基盤をもたない安倍晋三にとっては、この小選挙区制の仕組みを最大限に活用することでしか政権を維持するのは不可能だ。日本会議の息のかかった議員はいるが、だからといって自民党の派閥政治のしがらみを打ち破るのには無理がある。
 小選挙区制の仕組みを利用できるのは選挙でしかない。
 だからこそ安倍晋三と官邸にとって、政権を維持し、権力基盤を強固にするには、選挙がすべてになる。選挙がすべてだから、選挙に戦略性と戦術性を導入したのだろうが、この戦略と戦術に、権謀術数に長けた今井尚哉が大きく関わっていた、とわたしは睨んでいる。
 もちろん選挙であり、公認などで自民党の執行部や派閥の領袖との折衝や駆け引きが必要であるから、官僚でしかない今井尚哉が主導権を握れるはずはなく、また狡猾な今井尚哉であるから、自分の役割を自覚して表には出ずに、影に姿を紛れ込ませて黒子に徹したに違いない。
 主導権を握って選挙を牛耳り、暗躍したのは菅官房長官であり、日本会議の指示を受けた日本会議と一心同体の議員たちなのだろう。
 安倍晋三ほどえげつなく、そして露骨に解散権を利用した総理大臣はいないのではないか。選挙を有利に戦うためだけに解散権を利用したのではない。野党を攪乱したり分断したりするのは当たり前だが、自民党の内部を揺さぶり、脅しつけ、批判を封じ込むのに利用したからしたたかだ。
 猜疑心が異常に強く、狡猾であることについては安倍晋三は超の形容詞がつくほど一級品だが、思考回路がお粗末極まりない安倍晋三に、こうした高等な戦略と戦術を練り上げるなど不可能なのは言うまでもない。安倍晋三ほど思考回路がお粗末ではないが、菅官房長官にも無理だろう。世耕弘成あたりが深く関わっていたのは間違いないとは思うが、わたしは今井尚哉らの官邸官僚によって戦略と戦術が練られたのではないかと想像している。
 安倍晋三は選挙の主導権を握るために解散権を乱用しただけではない。
 選挙をキャッチコピーにまで矮小化した張本人は小泉純一郎であり、「自民党をぶっ壊す」は有名だが、安倍晋三も小泉純一郎を踏襲して、選挙を内実のないイメージにまで貶めている。キャッチコピーとイメージにテレビとマスコミは不可欠だが、だからこそ飴と鞭を使ってマスコミを懐柔し、選挙をイメージと情報戦で塗り潰している。
 わたしは忘れもしない。思い出すと、今でもマスコミへの憤りが蘇ってくる。
 2017年の暮れに、安倍晋三が解散権を使って仕掛けた総選挙だ。あろうことか安倍晋三は解散総選挙で消費税を上げない是非を問うというのだから詐欺に等しい。
 わたしが憤るのは安倍晋三の詐欺的な選挙目的ではない。マスコミが選挙戦前に一斉にぶち上げた世論調査だ。あろうことか、自民党が300議席以上を獲得すると一面で大々的に報じたのだ。この報道で選挙は終わったといえる。わたしの姉は愚かにもこの報道に接して、政治を諦めて、自らの権利を投げ捨てている。マスコミの罪は重いだろう。

 安倍晋三は選挙に強い。
 当たり前といえば、当たり前だ。安倍晋三にとって選挙がすべてだからだ。だから戦略と戦術を練りに練り上げてシナリオを作り、そのシナリオに沿ってマスコミに情報操作をさせるのだから負ける訳がない。一方の野党は戦略と戦術が皆無である。その上にマスコミは安倍晋三によって牛耳られているのだから、野党が共闘しただけで勝てるはずがない。
 わたしは何度となく野党共闘に戦略と戦術を求めているのだが、小沢一郎の幻想にしがみついて、大きな塊になれば勝てると信じているのだから呆れる。野党共闘は不可欠だが、それだけでは勝てないことに気づいていない。相手が戦略と戦術を練り上げて情報戦とイメージ戦で仕掛けてきているのに、自覚する市民によるSNSでの情報戦で勝てるはずがないではないか。
 わたしはブログで「れいわ新選組」について何度か書いているが、戦略と戦術という点からみれば、「れいわ新選組」しか、安倍陣営が主導する選挙戦を破壊できる可能性は、現時点ではないと確信している。
 小選挙区制の生みの親である小沢一郎は、アメリカとイギリスの二大政党制を夢見たのだろうが、産み落としたのは二大政党制ではなく、天然のファシストである安倍晋三を総理大臣に戴く独裁的政権だったというのは笑い話にもならない。そもそもが、民意を二つの党に集約させるという発想が間違いであり、歴史的転換点であれば尚更である。新しい潮流の芽を摘み取ってしまうからだ。 

 選挙を重ねる度に勝利した安倍晋三は、自分に忠実な下僕でしかない安倍チルドレンを大量に当選させる離れ業をやった。
 それだけではない。自民党内で刃向かう者には、選挙で煮え湯を飲ませ、冷酷にも刺客まで送り込むという徹底振りだ。
 自民党内にはまだ派閥が残っているが、実質的にはないに等しいだろう。あまりにも安倍晋三が選挙に勝ちすぎたから、官邸の力が強大になり、安倍晋三と官邸に表立っては逆らえない空気が充満している。
 映画『新聞記者』は衝撃的だった。
 内閣情報調査室の闇が余すところなく描かれていたからだ。
 映画『新聞記者』を観たわたしの心には、今井尚哉の顔が浮かび上がってきた。内閣情報調査室の存在こそが今井尚哉の本質だと直観した。去年の7月である。
 安倍晋三は猜疑心が異常なほど強く、敵と味方との二分法の思考回路に貫かれ、敵に対しては冷酷非道だ。権謀術数家の今井尚哉は安倍晋三ほど単純ではない。
 安倍晋三の口癖が「政治は結果だ」であり、その正確な意味は「政治は力だ」であって、黒を白にしてしまう力こそが政治だという思い込みがある。黒という事実を白にしてしまうのだから、この力には法律的縛りも、良心と倫理の欠片もなく非情であり、その意味では政治的マキャベリズムになるのだろうが、安倍晋三のお粗末な思考回路では、用意周到な謀略と駆け引きなど望むべくもない。直ぐに政争に敗れてしまうだろう。
 が、安倍晋三には今井尚哉がいる。
 今井尚哉と安倍晋三との決定的な違いは、今井尚哉には敵と味方との二分法という発想がないことだろう。今井尚哉の恐ろしさは、敵はもちろん味方も信じていないことだ。真の政治的マキャベリズムとはそうしたものだ。
 敵は永遠に敵であるのではなく、謀略によっては力強い味方になるし、味方も永遠に味方であるのではなく何時寝返って寝首をかかれるかもしれない。つまり、今井尚哉は人間を信じていないのだ。安倍晋三のニヒリズムをより徹底させたものなのである。
 今井尚哉にとっての内閣情報調査室とは、謀略を使って敵を味方にし、敵の情報を仕入れるだけでなく、敵の陣営を分断する工作員へと変えるための装置であり、いつ裏切るか分からない味方を絶えず監視し、その兆候があれば、意図的に週刊誌に醜聞をリークし社会的抹殺を企てる装置なのだ。それだけではない。ありとあらゆる情報手段を使って、情報操作し、国民を洗脳し、思い通りの世論形成を企てるための装置なのである。だから恐ろしいのだ。
 安倍晋三と官邸は公安をも配下に収めている。公安が握っている情報は、敵を寝返らせたり、社会的に抹殺したり、また反乱を起こしそうな味方を脅したり、敵と同様に社会的に抹殺したりするのに格好の情報なのだ。
 安倍晋三が窮地に陥ると、何故か芸能人が麻薬で逮捕されたりして、テレビとマスコミの報道は芸能人の逮捕一色になったりする摩訶不思議な現象があるが、公安が蓄えている情報を小出しにしているのではないかと勘ぐりたくなる(笑)。
 ついでだから触れておくと、安倍晋三の下駄の雪である公明党であるが、どうしてあれほどまでに堕落したのか、その答えも公安と内閣情報調査室にあるはずだ。
 公安と内閣情報調査室の対象は政治家だけではない。官僚も同様であり、検察官も例外では内だろう。黒川検事長の定年延長問題があるが、おそらく黒川検事長はしっかりと首根っこを掴まれていると思う。安倍晋三に逆らったらどうなるか、恐ろしい末路しかない。だから、操り易い存在なのだ。
 安倍晋三ではここまで頭が回らない。破壊された思考回路では権謀術数家になれるはずはない。今井尚哉だからこそのなせる技だ。政治的マキャベリストであり、底なしのニヒリストであり、権謀術数家の今井尚哉という男が、安倍晋三という天然のファシストに寄生してしまったのだから、ことは重大なのである。
 が、野党はこうした闇に思いが至っていない。こんな政治的マキャベリストの寄生虫に緊急事態宣言の強権を与えたらどうなるか、考えも及ばないのである。お目出度すぎる。

 寄生虫であった今井尚哉が、どうやって宿主である安倍晋三の独裁的権力を乗っ取って、安倍晋三を操り、権勢を欲しいままにできるまでに至ったのか。
 結論からいえば、安倍晋三の総理大臣としての任期が迫り、ポスト安倍の動きが芽生えてきた中で、菅官房長官が次期総理総裁に色めき出したことが切っ掛けだったように推測している。二階幹事長辺りが、管官房長官をその気にさせたのだろうか。安倍晋三にとっては寝耳に水であり、安倍晋三の二分法的発想と異常な猜疑心では、菅官房長官に疑いの目を向けるのは頷けよう。
 検察がその気になれば、安倍晋三は犯罪者となる。「桜を見る会」前夜祭での安倍晋三の公職選挙法違反と政治資金規正法の収支報告義務違反は確定的だ。検察がホテルニューオータニにガサ入れすれば、安倍晋三とホテルニューオータニとの贈収賄事件として立件される可能性は高い。「桜を見る会」だけではない。独裁的な権力を失えば、安倍晋三の数限りない犯罪が明るみに出るだろう。安倍にとって権力を失うとは身の破滅を意味している。
 安倍が描いたシナリオは、4選へと雪崩れ込むか、さもなくば傀儡政権を誕生させて裏で自由自在に操るかのどちらかだったのだろう。当然にそのシナリオを作ったのは今井尚哉だ。今井尚哉にとっても、安倍晋三が独裁的な権力を失うことは身の破滅を意味する。これまでの謀略で犠牲となった敵と味方が無数にいるだろうからだ。
 菅官房長官と二階幹事長のコンビは、猜疑心が旺盛な安倍晋三にとっては脅威であり、身の破滅と映ったことだろう。
 安倍晋三が頼るべきは運命共同体である今井尚哉しかいない。
 今井尚哉にとっても危機であるが、見方を換えると、独裁的な国家権力を欲しいままにできる千載一遇のチャンスでもある。
 何故ならば、官邸を牛耳っていた菅官房長官と安倍晋三の間に楔を打ち込み、結びつきを弱めることで、安倍晋三という宿主を完全に乗っ取ることができるからだ。
 この所、週刊誌が矢継ぎ早に自民党議員の様々な疑惑と醜聞を浮かび上がらせている。わたしは、安倍晋三vs菅官房長官・二階幹事長の権力闘争の結果だと睨んでいる。意図的に脅しの意味で週刊誌にリークしているのだ。この中心にいるのは今井尚哉だろう。
 この対立構造は官邸官僚をもまきこんだものだ。菅官房長官の側近である和泉洋人補佐官の醜聞のリークには、おそらく今井尚哉が関与しているはずだ。
 が、権力闘争といっても決定的に分裂し対立したりすれば、同じ穴の狢であるから、お互いに身の破滅を招くことになる。国会議員の地位を失うどころか刑務所行きとなる犯罪の共犯者だからだ。内閣情報調査室と公安を掌握している安倍晋三と今井尚哉が主導権を握ってはいるのだろうが、タヌキと狐の化かし合いの様相なのではないだろうか。
 しかし、権力闘争によって明らかに安倍晋三の権力基盤は変質したのだと思う。どのように変質したかというと、安倍晋三と今井尚哉の二重の権力構造の完成だ。そして、安倍晋三の影に隠れて意図的に姿を隠していた今井尚哉が、表舞台へと姿を現したといえる。官邸を牛耳っているのは最早、菅官房長官ではなく、官邸官僚の頂点に立ち、宿主である安倍晋三の独裁的な権力を盾にした今井尚哉だろう。
 当然に、菅官房長官にすれば面白くないに違いない。その上、「桜を見る会」の尻拭いをさせられるとなれば尚更だ。菅官房長官は「桜を見る会」で崖っぷちに追い込まれた安倍晋三を守ろうとする必死さが足りない、という批判があったというが、今井尚哉から発信されたものなのではないだろうか。
 安倍晋三にとって、野党による「桜を見る会」の追究の中で、今井尚哉の存在ほど心強いものはなかったのではないだろうか。今井尚哉なくして、自分が総理大臣として権力の座にいることはできないと自覚したに違いない。

 今井尚哉は政治の表舞台に立ってしまった。
 寄生虫は姿を隠して宿主に寄生しているから生きていけるのであるが、宿主の身体を乗っ取ってしまっては、最早寄生虫であることはできない。問題は、これまでは安倍晋三という宿主の中に姿を隠していたが、外からはっきりと今井尚哉の姿が見えてしまったことだ。
 今井尚哉の姿が見えるとはどういう意味があるか。
 政治主導の行政を目的として内閣人事局を作ったはずが、内閣官僚の今井尚哉によって政治が乗っ取られたばかりか、自民党までが内閣官僚の今井尚哉によって乗っ取られていたという事実が見えてしまったのである。
 独裁的な権力基盤を構築できたはずが、今井尚哉が政治の表舞台へと姿を現すと同時に、二重の権力構造だという絡繰りが暴かれたといえる。笑い話にもならない。
 自民党の中から今井尚哉への反発が出るのは当然である。が、今井尚哉は安倍晋三でもある。
 ストレートな批判ができるはずはない。
 自民党はこの現実とどう折り合いをつけるつもりなのだろうか。
 そして、野党はこの二重の権力構造にどう対峙するつもりなのか。いや、そもそもが野党に二重の権力構造が見えているのだろうか。
 ともあれ、今井尚哉が政治の表舞台に立った瞬間に、絡繰りが暴かれてしまったのだから、権力基盤が揺るがないはずはない。そして、「桜を見る会」で宿主だった安倍晋三は崖っぷちに立たされている。わたしは今度こそは、安倍晋三は終わりだと確信したのだった。
 しかし、安倍晋三は悪運が強い。
 新型コロナウィルスで「桜を見る会」は消し飛んでしまった。
 自民党議員が新型コロナウィルスを「神風邪」と呼んだようだが、その通りになってしまったといえる。が、安倍晋三が崖っぷちであるのは変わりはない。
 新型コロナウィルスが、安倍晋三と今井尚哉の独裁的な権力の二重構造の本質と闇を、余すことなく暴き出してしまうからだ。

 独裁的な二重の権力構造の本質と闇とは何か。
 天然のファシストである安倍晋三の本質を前回のブログで論じたが、思い出してほしい。
 ドイツロマン派のロマンティック・イロニーよろしく、A地点にいたかと思えば、まったく脈絡も整合性もないB地点へと嘘という橋を架けて乗り移り、その瞬間にA地点にいた時の言動はご破算になって、責任の所在はもちろんのこと、すべてが無かったことになってしまうのだ。
 こうした安倍晋三だから、一貫した政策などあり得ない。A地点で思いついたことを政策として掲げ、いつの間にかA地点の政策を放り投げて、B地点に移った安倍は、得意げに真逆の政策を発信しているという具合だ。
 安倍晋三はよく野党の提案した政策の中で国民受けする一部だけをパクって、あたかも自分の独自な政策のように吹聴しマスコミを使って宣伝するが、こうした傾向は、ロマンティック・イロニー的なぶっ飛び方だろう。脈絡と整合のない細切れになったAの政策から、まったく異なるBの政策へと飛び移るのだ。経済政策や政治的政策には目的があり、その目的に向かって一貫した整合性と脈絡性をもった細部の政策の積み重ねがあって実現が可能となるのだろうが、安倍晋三のように脈絡性と整合性がない政策から政策に飛び移っていれば実現などできるはずがない。
 が、安倍晋三にとっては実現する必要などないのだ。要は国民受けし、国民を騙し、支持率を高く維持し続けて、独裁的権力を手にするのが唯一の目的だからだ。

 二重の権力構造の一方である今井尚哉はどうだろうか。
 今井尚哉は権謀術数家であって、政策立案家ではない。今井尚哉の新自由主義に沿った経済政策は経団連の受け売りだろう。利権優先でしかない。利権がらみだから権謀術数が力を振るうのだ。
 安倍晋三の政策で実を結んだものはあるだろうか。
 何もない。実がないのに、マスコミを使って実があるかのように宣伝し、国民を騙しているだけなのである。だから統計データの改竄や捏造などやりたい放題になる。政治は力であり、黒を白にし、犯罪を犯しても力でもみ消してしまうのが政治なのだ。一方の今井尚哉の真骨頂は、情報操作と世論誘導とマスコミの操縦だろう。
 こうした安倍晋三と今井尚哉に、国家存亡の危機である新型コロナウィルスの対策などできるはずがないではないか。
 黒という現実をねじ曲げて白としてきた二人だが、新型コロナウィルスの現実をねじ曲げることは不可能である。現実を隠蔽し、データを捏造したとしても、新型コロナウィルスの破滅的な現実が雪崩となって国民に襲いかかるだろう。
 論じるまでもないのだが、国家存亡の危機である新型コロナウィルスと真正面から闘うなら、真っ先に安倍晋三と今井尚哉を政権の座から引きずり下ろすしかないのである。

 しかし、野党は暢気である、
 本気なのは日本共産党と福島瑞穂くらいだ。
 安倍晋三と今井尚哉に緊急事態宣言の強権を献上し、二人に協力するというのだから唖然とする。
 議席が圧倒的に少ないから仕方がないと言い訳し、小沢一郎に至っては選挙で安倍政権を倒せとバカの一つ覚えを言っている始末だ。選挙だけが民主主義ではない。それに選挙まで待てない。国家存亡の危機なのだ。
 かつての小沢一郎を思い起こしてほしい。
 選挙などと暢気なことを言っている間もなく、自民党を揺さぶって、自民党を割っているだろう。それが出来た小沢一郎だったが、その面影も政治的力もなく、未だに二大政党制に妄執するだけで、この危機的局面で選挙での勝利を叫んでいるのだ。
 もしかしたら、安倍晋三と今井尚哉の二重の権力構造が自壊するまで、選挙が行われなくなる可能性も否定できないのにだ。
 立憲民主党と国民民主等が献上した改正特措法の緊急事態宣言の強権を、ナチスの全権委任法へと換えてしまえば、独裁政権の樹立は可能となる。
 天然のファシストの安倍晋三と、底なしのニヒリストであり、政治的マキャベリストの今井尚哉なのだ。常軌を逸した二人だから、常識など通じないし、あり得ないことを平気でやってしまう。
 安倍晋三と今井尚哉に委ねていては、新型コロナウィルスの対策は悲惨な結果になるだろう。
 それだけではない。新型コロナウィルスは経済的破局と社会的破局を連れてくる可能性が大きい。日銀と年金で膨れ上がらせてきた張りぼての株価が大暴落したらどうなるか。
 安倍晋三と今井尚哉に逃げ道はない。国民から袋叩きに遭うだろう。
 わたしが安倍晋三と今井尚哉だったら、緊急事態宣言の強権をナチスの全権委任法へと強引に誘導していく。そして、民主主義と言論の自由を恐怖政治に換えて、独裁国家へと雪崩れて行く。それしか逃げ道がないからだ。逆にいうと、新型コロナウィルスが、安倍晋三と今井尚哉の国家の私物化と国家的犯罪と、国民を欺いてきたすべてを暴いてしまうのである。国家的大罪者として裁かれるか、独裁者となって逃げ切るかの岐路なのだ。

 わたしは悲観論者なのかもしれない。
 が、新型コロナウィルスの対策と同じで、最悪の事態を想定しないと、言葉の厳密な意味での危機管理はできないはずだ。
 自死した赤木俊夫さんの遺書と手記が、俊夫さんの妻の勇気ある覚悟と決意で明らかになった。燻っていた森友問題に再び火の手が上がった。
 新型コロナウィルスの対策か、それとも森友問題か、という問いは根本的に間違っている。
 安倍晋三と今井尚哉を倒すことなしに、新型コロナウィルスの対策などあり得ない。二人に対策を任せていれば国民は地獄を見ることになるだろう。

※小説をKindle電子書籍として出版しています。