「北林あずみ」のblog

2022年09月

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 社会主義と違って、共産主義は思想と呼べる実体はない。共産主義という言葉がもつイメージで成り立っている。そして、そのイメージと結びついた感情で出来上がっている。
 日本共産党という看板にも実体はない。イメージとしての看板だけが一人歩きし、そのイメージと繋がった感情が一人歩きしている。
 だから「反共」にも思想としての実体はない。イメージと感情の集合体が「反共」だ。このイメージと感情の中に、日本共産党という看板が作り上げているイメージと感情とが入り込んでいる。実体がなく、イメージと感情だけで出来上がってる幽霊のようなものだけに厄介であり、奇怪であり、その影響が計り知れないのだ。
 前編で長々と書いたように、言葉の厳密さを期せば、「反共」とは、反共産主義ではなく反社会主義、もしくは反マルクス・レーニン主義というべきなのだろう。が、共産主義が一人歩きを始め、元々が曖昧模糊とした、あってないような定義の言葉だから、その中にいろいろな思い込みと感情とが容易に入り込み、互いにくっつき合って、共産主義という化け物のイメージを作り上げてしまったのだろう。
 イメージは一方方向だけで作られるものではない。
 共産主義に恐怖し、そして憎悪し、あってはならない絶対悪とみなす勢力が作り上げたイメージと感情があり、これとは反対に、共産主義に夢と希望を託し、絶対正義としてみる勢力が作り上げたイメージとがある。
 前者が作り上げたイメージと感情が「反共」であり、後者が作り上げたのがマルクス主義なのだ。
 どちらもイメージによる思い込みでしかないから、ほとんど宗教に近い。
 連合の芳野会長が両手足を巻き付けて抱きついている「反共」は、わたしからみると得体の知れない宗教としかみえない。だから、何を言っても無駄だ。論理とか、歴史的事実とか、知識とか、寄せ付けない。当然に、理性が入り込む余地などまったくない。「反共」という宗教的妄想に絡まりついて陶然としているのだ。さしずめ、芳野会長が「反共」を語るときの顔は性的絶頂の顔といったところなのだろう。
 これが日本最大の労働組合の会長なのだ。これ一つをみても、労働者階級が、歴史の歯車を進歩へと回す原動力であり、歴史的使命をもっているなどと考えるのが間違いだと分かる。連合そのものが労働貴族化して堕落したからだという反論も、ここまでくると空しい。
 労働者が自らの階級性に目覚めて、歴史を正しい方向へと導いていく歴史的使命と歴史的責任を背負っていると自覚し、
自己変革を遂げて日々研鑽しながら、階級意識をより崇高な「プロレタリアート」としての意識の高みへと昇華させようとした、マルクスの夢は木っ端微塵に吹き飛んだといえないか。
 マルクスは、資本主義社会が人を画一化させ、均一化させる必然性をもつ社会だと見抜いていた。その社会を群衆社会(大衆というと良いイメージがあるが、大衆と群衆は同じものだ)と看破していた(今西仁司『群衆ーモンスターの誕生』ちくま新書)。社会の群衆化を回避させるものとして、マルクスはプロレタリアートという概念を作り上げたのだ。労働者階級=プロレタリアートではない。西欧近代主義批判が根底にあった、マルクスのはかない夢だったといえる。
 言葉の厳密な意味でのリベラリストである丸山真男は、良質な西欧近代的理性と自我を体現した、民主主義的にして自由人としての市民像を夢見ていたが、丸山真男もまた西欧近代社会が必然的に向かう群衆社会を回避しようとしていたのだろう。が、現代社会をみれば、マルクスの夢も、丸山真男の夢も、群衆社会に呆気なく飲み込まれてしまったといえるのだろう。
 何故に西欧近代社会が群衆社会へと向かう必然性を抱えているかといえば、テレビのCMをみただけで納得するだろう。大量消費がなければ、資本主義の宿命である拡大再生産は不可能だ。大量消費がなければ、大量生産は成り立たない。大量生産と大量消費とを淀みなく繋げるには、その間に破壊がなくてはならない。ハンナ・アレントが『人間の条件』で看破したように、資本主義の本質は破壊にある。
 破壊とは戦争による破壊もあれば、価値の破壊もあるし、モードとしての破壊もある。戦争による破壊は直接的だから分かりやすいが、価値としての破壊とモードとしての破壊は、意図的に作られるものであり、情報操作と印象操作によるものだ。テレビの影響は計り知れない。大量消費と結びついた情報だけに、画一化と均一化は免れ得ない。多様性が喧しく言われているが、多様性という言葉の使われ方も情報操作としてでしかなく、現実は多様性の社会と真逆だ。
 多様性について触れると、それでなくとも既に脇道に入っているのに、更に路地に迷い込むことになってしまうから止めるが、前編で論じた、西欧近代主義が土台としてもっている機械論が、必然的に多様性を殺すのだ。
 機械論的な思考回路に迷い込んだ理性は始末が負えない。良い例が日本共産党の志位和夫の理性だ。
 前編で、日本共産党がホームページに掲げている「理想社会」について述べたが、そうした「理想社会」に至るには、西欧近代主義が土台としてもつ機械論と、機械論と結びついた理性信仰と科学万能主義を乗り越えないとあり得ないはずだ。それが志位和夫には分からない。機械論的発想を濃厚に持っている社会主義で乗り越えられるはずがないではないか。そして、群衆社会という視点がないから、ホームページに書かれていた志位和夫の理想としての社会主義社会は、だだの何の根拠もない妄想として終わる。「理想」になり得ないのだ。それが分からないから、未だに社会主義にしがみついているのだ。

 話を戻すと、日本共産党
という看板のもつイメージも、マルクス主義信仰としっかりと結びついたものだ。
 また志位和夫を引き合いに出して恐縮するが、ウクライナ戦争でゼレンスキーが国民に強要した、国家総動員体制での徹底抗戦を「正義の戦争」と断言してしまった志位和夫は、その根拠を、マルクスがロシアの覇権主義を批判していた「歴史」に求めたのには、驚きを通り越して、心臓発作を起こしそうになった。さすがに、まさか志位和夫がここまで幼稚だと想像だにしなかったからだ。
 マルクスが言っていたら、時代的状況と制約とを超えて、すべて真理になるのか。
 わたしが学生の頃にも、絶対的なマルクス信者が存在した。何かというと「マルクス曰く、『資本論』に曰く」と大上段から刀を振り下ろすのだ。野球小僧だったわたしは、そんなもの読んでなかったから、刀などみえやしない。わたしがマルクス信者だったなら、はっはー、恐れ入りましたと、一刀両断になって跪き、議論で討ち死にしたことになるのだが、わたしはへっちゃらで議論をつづけるものだから、最後にしどろもどろになるのは、決まってマルクス信者だった。志位和夫の発想はまったくこのマルクス信者と同じレベルだ。
 図らずも志位和夫はウクライナ戦争の対応で、信仰としてのマルクス主義信者であるのを自ら暴露してしまったといえないか。
 「反共」信仰と、マルクス主義信仰は、そしてマルクス主義信仰と結びついた共産党信仰は、まったく正反対のようでいて、ネガとポジの関係であり、密接に結びついている。どちらか一方が存在しなくなれば、もう片方も存在できなくなるといえないか。
 前編で書いた、日本共産党は「反共」に寄りかかっており、「反共」に加担しているという意味は、こうしたネガとポジの関係のことだ。「反共」があるから、日本共産党の「正義」のイメージが成立するのであり、「反共」が勢いを増せば、日本共産党の「正義」のイメージが光り輝くことになる。

 先入観としてある、資本主義vs社会主義=マルクス主義という対立図式で考えるから見えなくなってしまうが、そうした先入観を捨て去って、資本主義を眺めれば、自由放任の経済か、それとも計画的、統制的経済か、という問題は資本主義それ自体にあることが見えてくる。社会主義という思想が生まれたから、この当たり前のことが見えなくなり、計画的、統制的経済を社会主義の専売特許のような錯覚に陥ってしまうのだ。
 明治維新政府が脱亜入欧を急いで富国強兵政策を全面に掲げたが、その政策は国家主導の計画経済であり、統制経済だろう。軍備と結びついた基幹産業を育て上げるのを最優先し、巨大な国営企業を作り上げたのだ。出来上がった国営企業をタダ
同然で民間に払い下げたのが、この国の財閥の誕生に結びついている。この歴史的事実だけをみても、資本主義それ自体に、自由放任経済か、それとも計画的、統制経済かの選択を絶えず裡に抱きかかえているのが分かるはずだ。
 有名なソ連の五カ年計画と、明治維新政府がした経済政策とどこが違うのか。違いはない。
 唯一の違いは、ソ連の国家権力が「プロレタリアート独裁政権」だと、されていることだけだ。そのプロレタリアート独裁政権からして、胡散臭いものであり、独裁政権を正当化するためのただの方便でしかなかった。
 マルクス思想の階級闘争という進歩的歴史観と、資本論の剰余価値と搾取、そして歴史的使命を担ったプロレタリアートという概念を持ち込むから、資本主義vs社会主義=マルクス主義という対立図式でしかみえなくなるのだが、そうした概念による色眼鏡でみなければ、資本主義それ自体が、自由放任経済と計画的、統制経済という二要素を抱きかかえていることがみえるはずだ。
 それを計画的、統制経済を社会主義として固定化してみたり、資本主義を自由主義経済としてみたりするから、訳が分からなくなるのだ。
 わたしからみれば、社会主義と資本主義に明確な垣根はなく、社会主義とは資本主義が裡に抱きかかえている一つの選択肢でしかない。それを「社会主義」などと大仰なものを持ち出して、あたかも資本主義と真逆のように勘違いするから、本質がみえなくなる。
 自由主義経済にしたって胡散臭い言葉だ。おぞましい似非経済学者のフリードマンに心酔する竹中平蔵が、新自由主義を掲げて登場し、自由放任の経済と声高に叫び、規制破壊と構造改革に着手したが、なんてことはない、国家権力による利権政治と一体化した利権経済でしかなく、これは形を変えた国家による計画的、統制的経済ではないのか。国家権力が計画的、統制的に経済を利権構造に変えてしまったといえないか。
 リベラリストが言う、理想とすべきは自由主義経済だ、というのは間違いだ。それを言うのだったら、民主主義的経済と言うべきだろう。
 資本主義vs社会主義という対立図式に対応した、自由主義経済vs社会主義経済という対立図式も本質を見えなくする悪しき先入観でしかない。
 社会主義という胡散臭い概念が持ち込まれたことの弊害は計り知れないと思う。マルクスの思想の肝は社会主義にはない。西欧近代主義批判だ。
 フランシス・フクヤマがベルリンの壁の崩壊をもってして、資本主義が社会主義に勝利したと『歴史の終わり』を宣言したが、浅薄な見方だ。ベルリンの壁の崩壊が告げたのは、資本主義と社会主義は西欧近代主義を母にもつ双子の関係だと言う事実であり、別の表現をすれば、資本主義が裡に隠し持つもう一つの顔が社会主義だったという事実だ。資本主義vs社会主義の対立図式が嘘っぱちであり、資本主義vs社会主義の対立図式の終焉を意味したに過ぎない。だから歴史は終わっていない。言葉の厳密ないみでの西欧近代主義の乗り越えが、これからの歴史の始まりだ。

 今度こそ統一教会の「反共」を語り始める。
 そうでないと、終わりそうもないからだ。
 マルクスが「科学的」に社会主義を語る前から、「空想的」に社会主義は語られていた。だからエンゲルスは、『空想から科学へ』を書いたのだ。
 資本主義の黎明期である、イギリスの産業革命後の社会をみれば、さながら地獄絵図だったことが分かる。子供が劣悪な労働環境で長時間肉体労働をさせられ、労働力しか売るものがない労働者が奴隷に等しい生活を強いられていたのだから、労働者の救済と団結という視点が出てくるのは当たり前だ。そして、労働者の暴動が起こるのには必然性があった。
 資本家にとっての労働者の暴動と暴力は、あってはならないものだし、恐怖でしかなかったから、その反動で労働者の暴動と暴力に対する恐怖と憎悪は計り知れなかったはずだ。
 資本主義革命の華々しい象徴がフランス革命(1789年7月14日)であり、実際に一方方向へと走り出した群衆の熱狂と暴力の恐ろしさを記憶に焼き付けたから、資本家が今度は自分達が断頭台に上がることになると震え上がるのは当たり前だ。
群衆と化した民衆の暴動と暴力がどれほどの凄まじい破壊力をもっているか、歴史が「現実」として証明してみせてくれたといえる。
 震え上がったのは資本家だけではない。資本家と結びついた国家権力も同じだ。その恐怖と憎悪が向かった先は、当然のように社会主義になる。社会主義が労働者の団結と暴動を煽る思想とみえたからだ。国家権力にしてみたら、社会を騒乱させ、国家を転覆させる恐ろしい思想と映ったに違いない。だから、徹底的な弾圧へと向かったのだろう。
 その恐怖と憎悪が、1917年(大正6年)のロシア革命で沸点に達する。
 現実のものとして社会主義革命が起こったからだ。そして、前編で述べたように、世界革命論が出現し、ソ連主導のコミンテルンが創設され、下部組織同然の「共産党」が雨後の竹の子のように、世界各国に誕生したのだから、世界の資本家階級と国家権力にとってみたら他人事ではない。世界革命論をひっくり返した世界反革命論のような空気が生まれ、社会主義革命を押さえ込もうという動きが出るのは自然だ。そして、国家権力による徹底的な弾圧と、国家権力主導による意図的な「反共」のイメージ作りが行われ、あらゆる手段で、国民の頭に共産主義の恐ろしさと共産主義への憎悪と拒絶の感情を植え付けることになる。
 明治政府は、一神教的国家神道を国体として国の中心に据え、教育勅語で天皇への絶対的忠誠心と臣民としての心得を教育という名の洗脳で、子供の頃から頭に刷り込んでいたから、共産主義が絶対的神としての天皇への否定であり、神としての天皇を戴く神国への反逆だとして宣伝する効果は、今からでは想像できないほどの威力を発揮したと思う。共産主義=アカ=非国民=国家反逆=狂人等々、ありとあらゆる負のイメージと、負の感情とが共産主義に乗り移り、諸悪の根源が共産主義であるかのように、国民の意識に刷り込まれた歴史が、共産主義という言葉にはある。ここに思想が入り込む余地はない。また国家権力は、意図的に思想としての社会主義を排除して、負のイメージと負の感情として共産主義を作り上げ、それを全否定する意味で、絶対正義として「反共」に、正のイメージと正の感情とをもたせることに成功したといえる。
 村の寄り合いに参加しなかったり、村の秩序に刃向かったりする者に対して投げつけられるのが、「あれはアカだから」という石つぶてなのだ。社会主義の「社」の字も知らない村人が、共産主義者と見なされる倒錯を考えると恐ろしい洗脳の国だと分かる。
 満州事変が勃発し、太平洋戦争へと突入するにつれて、共産主義=アカは日本共産党の専売特許ではなくなり、自由主義者がアカとされ、軍部と政府の悪口を言った隣の爺さんまでがアカとされて投獄されたのだ。
 戦前の「反共」とはこうしたものであり、国家権力と軍部に逆らう者はことごとく共産主義=アカとなった。この「反共」に思想があるのだろうか。あるはずがない。敢えて国家権力は「反共」から思想性を抜き取ったのだ。その方が国家権力にとって利用価値が高まり、思想という実体がないから、国民の感情を揺さぶれるのだし、国民の心をこの「反共」という言葉で自在に操れるからだ。
 逆にいうと、共産主義者は、命を賭して国家権力の悪と闘う正義とみなされ、その心意気が尊敬の眼差しでみられることにもなる。が、圧倒的国民は共産主義者=アカと思い込まされ、絶対悪と信じて疑わず、「反共」こそが絶対正義だと信じて疑わなかったのだろう。

 ここで脇道に逸れる。
 わたしが明治大学の政経学部に入学したときには、日本ファシズムの権威者であった、二人の政治学者が教授としていた。一人は恩師である橋川文三であり、もう一人は『日本のファシズム』(国書刊行会)、『日本国家主義運動史Ⅰ・Ⅱ』(福村叢書)などの著書がある木下半治だ。
 聴講生として木下ゼミに潜り込もうか、などと考えたりしたが、橋川文三ゼミと比べると、見るからに学究の徒という身なりと顔つきの者達ばかりで、髪を伸ばし放題で、薄汚い格好の橋川文三ゼミとは雰囲気が違った。先輩達にいわせると、わたしの学年のゼミ生が破天荒で、メチャクチャで、一つ前までは学究の徒然としていたようだ。が、橋川文三は三島由紀夫との華々しい論争があったりしたから、全共闘の爛熟期には、他大学の聴講生で溢れかえっていたという伝説もあったくらいだ。むしろわたしたちが、その血を受け継いでいたのかもしれない。
 せっかくだから、木下半治に敬意を表して『日本のファシズム』から重要な視点となる箇所を引用したい。

「玄洋社から多くの国家主義団体が分岐し、幾多の国家主義者が育っていったが、日本国家主義運動の流れは分って二つとすることができた。いわば国家主義運動の横糸=緯であるが、一つは、日本主義派であり、他は国家社会主義派であった。これを観念右翼対革新右翼(あるいは組織右翼)と呼ぶものもあった。さらにいえば、中核組織論対大衆組織論、エリート論対大衆論の対立、反議会主義対議会主義の対立ともいえた。前者はより国粋主義的、復古的、封建的であるのに対し、後者はより革新的、近代的、社会的であった。後者こそは、近代的ファシズム観念に近い存在であった」

 木下半治は『日本のファシズム』の中でナショナリズムに言及し、マルクス主義とナショナリズムとの関係の問題にまで言及しているが割愛する。興味がある読者は、『日本ファシズム』を読むことをお勧めする。
 何故に『日本のファシズム』から引用したかというと、上述した資本主義は自らの中に、社会主義を抱きかかえているという指摘を、より深く説明したいからだ。
 木下半治は国家主義に二通りあるとしているが、国家主義から「観念右翼」の要素を除き、マルクス主義から階級闘争史観と剰余価値と搾取という概念を取り除いたらどうなるか。
 国家主義とマルクス主義=社会主義が、奇妙にも重なり合ってみえてこないか。
 違うのは、国家独裁か、プロレタリアート独裁かの違いだ。
 両方とも明確な機械論で組み立てられた国家だから、全体主義国家にならざるを得ない。経済は国家主導による計画的、統制経済だ。
 戦前の極右革命のバイブル、『日本改造法案大綱』は北一輝によるものだが、北一輝は思想としての社会主義を潜り抜けている。5・15事件に関わった大川周明も思想としての社会主義を生きている。社会主義を国家主義的に読み破ったのだ。
 これが可能なのは、国家独裁か、プロレタリアート独裁か、の違いでしかないからではないのか。
 第一次世界大戦後の社会が産み落としたファシズムは、だからこそ戦争の申し子といわれているが、資本主義が危機的状況に陥り、社会を不安と閉塞観が覆い尽くし、生き残りを賭けた帝国主義戦争の足音が聞こえてくれば、どうしたって国家権力の中に、総力戦に備えた国家構想をもつ者が現れないのがおかしい。
 革新官僚だった岸信介がその一人だ。
 岸信介は国家社会主義者だった北一輝に強い影響を受けていた。岸信介が描いた国家は、間近に迫った帝国主義戦争で生き残るための総力戦体制の構築であり、それに相応しい国家の建設だった。そして作り上げたのが満州国だった。
 岸信介は自分の作品だと豪語している。満州国は、実質的には関東軍による軍事独裁国家だった。政策を掌握していたのが岸信介だ。
 岸信介がやったのは、ソ連が社会主義革命後に打ち出した5カ年計画の真似だ。総力戦体制を想定したものだったから、独裁的権力をもった国家が経済を計画的、統制的に運用するものだった。当然に基幹産業は国営になり、私有財産の制限まで打ち出している。この満州国の統制経済の中から、新興の財閥まで誕生している。
 この国家を当てはめるとしたら、今の北朝鮮にならないか。
 北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」であり、社会主義国家を標榜している。岸信介が作った国家は社会主義国家だった、とわたしは思っている。プロレタリアート独裁の国家ではないと言われようが、実際に社会主義国家を自認する北朝鮮だってプロレタリアート独裁などではなく、軍事独裁政権であり、歴史的にみれば北朝鮮に近い社会主義国家がほとんどだったのではないか。
 岸信介は戦後になって、満州国人脈の一人だった朴正熙の軍事独裁政権に深く関わってもいる。朴正熙がやった経済政策は、岸信介の五カ年計画に倣ったものだ。現在の韓国の財閥は、この経済政策によって生まれたものだ。この朴正煕の軍事独裁国家は、満州国の模倣だといえないか。そして今の北朝鮮に近い国家だったといえないか。
 満州国も、朴正煕軍事独裁国家も、北朝鮮も、今の中国よりも民主主義とはほど遠い全体主義国家だ。
 文鮮明が始めた性的邪宗に過ぎなかったものを、統一教会に変身させたのは朴正煕軍事独裁政権だった。KCIAも深く関わっていたことが知られている。
 何を言いたいのかというと、統一教会と岸信介のいう「反共」とは何を指しているのかということだ。これまで論じたことで分かると思うが、北朝鮮と満州国のような意味でいう「社会主義国家」は認めているのだ。
 もっと正確を期せば、マルクス主義の階級闘争の歴史観と、資本論の剰余価値と搾取とプロレタリアート独裁の考えを除けば、国家独裁での社会主義は大賛成ということになる。この点を誰もが見落としている。そして「反共」を批判するときに、この視点がないから、「反共」の本質を見誤るのだ。
 連合の芳野会長は、まったくの宗教としての「反共」でしかなく、共産主義=アカ=非国民のレベルなので、思想以前の問題であり、宗教なのだから何を言っても聴く耳を持たないし、こうなると救いようがないとしか言えないのだが、こんなのが連合という日本で最大の労働組合の会長をやっているのだから、連合という組織は腐りきっているし、使い物にならないのではないか。
 こんなどうしようもない連合にしがみついている立憲民主党は、思考能力があるのかと問いたい。立憲民主党は連合教の信者としか思えなくなってきた。
 それに、連合には「反共」を掲げる議員がいる。その議員に問いたいのは、岸信介のいう「反共」の本質的意味を知っているのかということと、岸信介の理想国家は、これまで長々と論じたように、社会主義とほとんど違わないという事実を知っているのかと問いたい。
 「国際勝共連合」という「反共」組織を立ち上げた統一教会の文鮮明が、どうして北朝鮮と仲良しこよしなのか、矛盾していると思うのは、文鮮明と岸信介がいう「反共」の本質的意味に気づいていないからだ。文鮮明と岸信介が理想とする国家は北朝鮮のような国家なのだ。この点については、エピローグで論じたい。

 日本の戦前の「反共」とはどういうものか、既に述べた。
 戦後日本の「反共」も基本的には、戦前の「反共」の延長線上にある。戦前の「反共」の土台の上に新たに積み増しされたのは、戦後にハッキリと色分けされた冷戦体制を生きるアメリカの思惑だ。
 アメリカvsソ連(=西側vs東側)という対立軸だが、アメリカはこの対立軸に自由主義経済vs社会主義経済、民主主義vs社会主義(=共産主義)、自由主義vs全体主義
という対立図式を「反共」に持ち込んだのだ。そして更に「反共」に、社会主義(=共産主義)を防ぐ防波堤としての役割を担わせたことだ。
 国民民主党と立憲民主党は、戦後のアメリカの思惑が色濃く反映された対立図式の中にいる。
 自由主義経済、自由主義と民主主義に立ち位置を置き、社会主義を全体主義として見なし、社会主義と共産主義を掲げる日本共産党を全体主義の政党として見なしているのだろう。
 その証拠が、1955年の六全協で日本共産党は暴力革命を放棄し、更にプロレタリアート独裁の放棄と議会制民主主義の堅持へと方向転換しているが、前編で論じたように、民主党政権は自民党と同様に「敵の出方論」を主張し、日本共産党は敵の出方次第では、暴力革命も辞さないとみていることだ。
 国民民主党と立憲民主党の中には、戦前の負のイメージと負の感情で成り立つ、土台としての「反共」と深く結びついた議員が多い。
 連合の旧同盟系の御用組合とつながっている議員であり、旧同盟を支持母体としてもつ旧民社党の歴史的延長を生きている議員だ。だから驚く勿れ、こうした議員の中には日本会議の会員議員までいる。旧同盟系には、国家社会主義を掲げて資本家側につき、スト破りを専門にした、戦前の御用組合の歴史が入り込んでいるから、右翼思想と同居できるのだ。連合の芳野会長は旧同盟系の組合出身だ。芳野会長の「反共」には、右翼思想までが混在して入っているはずだ。だから、余計にしっちゃかめっちゃかで、訳が分からなくなっている。
 しかし、アメリカが持ち込んだ対立図式は根本的に矛盾している。
 朴正煕軍事独裁国家を認め、援護までしていたのだから、自由主義経済とはいえないし、民主主義国家とは真逆だ。朴正煕軍事独裁政権が「反共」を全面に打ち出して、背後に岸信介や椎名悦三郎と、アメリカのCIAがいるからなのだろうが、経済体制をみても、自由主義経済ではない。計画的、統制経済だ。こうした側面があったことを、国民民主党と立憲民主党はどう説明するのだろうか。日本共産党=全体主義として澄ました顔でいられないはずだ。
 戦後の「反共」に、厳密に言えば自由主義・民主主義vs社会主義・全体主義の対立図式は重ねあわせられはしない。剥き出しの対立図式をいうなら西側体制vs東側体制、もしくはアメリカvsソ連にしかならないのだろう。
 が、剥き出しだと不味いから、上述したあり得ない対立図式を「反共」に持ち込んだのだろう。いわば、表向きの「反共」の顔だ。
 日本国民からみれば、新しくアメリカの思惑が「反共」に付け加えられたからといって、「反共」に対して持つ負のイメージと負の感情は、戦前のまま生き続けていたのだろう。明治維新からの教育による洗脳は、一朝一夕で消えはしない。
 1955年の第6回全国協議会(六全協)で、暴力革命を放棄する決議をするまでは、日本共産党も戦前の延長を生きていたのだから、日本共産党に対する負のイメージと負の感情が、国家権力によって意図的に拡大再生産されるのはいうまでもない。
 日本共産党が、日本のアメリカの従属化を批判する急先鋒だったから尚更だ。国家権力は「反共」と日本共産党をより一層しっかりとリンクさせたのだ。

 冷戦体制が崩壊してからは、当然に「反共」の意味が変わった。
 戦前の負のイメージと負の感情は薄れつつあるが、それでも基本的には変わらずにある。観念右翼が、薄れないように街頭で拡声器で、戦前そのままの「反共」を宣伝し、雇われたネトウヨたちが、戦前そのままの「反共」をネットに拡散している。
 その上で、「反共」の意味が変わったのは、アメリカの思惑があるからで、新たな対立図式は、アメリカvs中国=ロシアだ。アメリカの指令通り、日本は中国とロシアを仮想敵国とし、あろうことか最近では、露骨に中国との開戦前夜だと煽る自民党議員まで出てきた。
 注目すべきは、国家権力が煽る、中国とロシアを仮想敵国とするナショナリズムに日本共産党が乗っかってしまっていることだ。中国とソ連の共産党と、日本共産党の違いを強調し、日本共産党の負のイメージと負の感情とを払拭させたいとの狙いがあるのだろうが、志位和夫の言動をみていると危なかっしくてならない。ホントに単純で幼稚だ。
 
 やっと終わりまで漕ぎ着けた。
 長かった。ほとんど船が沈没しかけている。乗り込んだはずの読者は見当たらない。途中で溺れ死んだのだろうか。
 わたしは溺れ死にたくないから、尻切れトンボになろうと知ったこっちゃない。強引に終わりにしてしまう。
 統一教会が日本に「世界勝共連合」を創設したのは1968年だ。
 70年安保の直前だ。
 
「世界勝共連合」の創設には、右翼のドンである笹川良一と、児玉誉士夫が深く関与している。そして岸信介も関わっている。
 どうして統一教会が、自ら「反共」の牙城とでもいうべきものを創設したのだろうか。
 わたしは、統一教会の「日本乗っ取り計画」にとって不可欠だからだと思う。優れて戦略的意味が「反共」に込められているのだ。
 木下半治が『日本のファシズム』の中で、戦前に国家主義運動に身を投じていた児玉誉士夫の、当時を回想した述懐を紹介している。
 日本における右翼運動とはどういうものであり、その弱点と矛盾は何か、余すことなく述懐している。溺死はしたくないので、端折って引用する。

「建国会に大きな矛盾のあることを知った。これは建国会のみではなく、その頃国粋主義を標榜するすべての団体が一ようにもつ矛盾であり、弱点だった。それは、運動資金の問題であって、この資金は財閥、政党、その他中小資本家から貰っていた。財閥・政党から貰ってやる反共運動、これでは資本家に飼われている番犬的な運動になるのは当然であった。たとえ、一方で財閥とか政党とかの横暴を攻撃したとしても、その裏では財閥や政党からお札で頭をなでられていては、これはお笑いの猿芝居だし、道化の運動である」
「当時の右翼団体といえば一部の例外は別として大半は暴力団だった。それに比べると建国会は相とうに的確なる日本主義思想をもって行動していた団体であったが、しかし、労働争議などではやはり資本家がわにつくようになった。これも他の右翼団体と同じように運動資金の問題がその運動の純真正を奪うのであった。……反共派と称した団体がその裏で資本家の用心棒に堕ちたのも、いわば、時代の生んだ一つの腫物ではなかったかと思う」

 この述懐は何を意味するか。
 右翼を牛耳って操ろうとすれば、資金があれば容易だという事実だ。そして戦後は、政党の資金源であった財閥が解体されたから、政党をも資金力さえあれば操れるという事実だ。
 上の児玉誉士夫の述懐は戦前のものだが、基本的に戦後になっても変わらない。生死をさまよい、地獄のような満州を生きた児玉誉士夫だ。辛酸をなめ尽くした果てに、
児玉誉士夫の行き着いた境地は、だったら俺が、この国を影から操ってやる、というニヒリズムの色に染め上げられた野望だったのではないのか。
 満州国の軍部と手を組んだ児玉誉士夫が「児玉機関」を作り、蓄えた膨大な金品を終戦の前にこっそりと日本に運んで、戦後にそれを右翼運動を操る資金にし、今の自民党に繋がる保守政党の結党資金にしていた事実が知られている。そして、右翼と保守政党を陰に隠れて操ったのだ。だから、影のフィクサーと言われていたのだ。
 統一教会がこうしたこの国の絡繰りを知らないはずがない。
 日本名をもち、日本の陸軍士官学校を卒業した朴正煕の、軍事独裁政権が作り上げたといっても過言ではない統一教会なのだ。KCIAが深く関与もしている。
 この国を乗っ取ろうとすれば、
児玉誉士夫に倣って資金で、右翼を籠絡し、たらし込み、飼い慣らして操り、自民党議員に接近し、潤沢な資金と信者を使って、自民党議員を籠絡し、たらし込み、飼い慣らし、操ることで、徐々に自民党を乗っ取り、国家権力まで乗っ取ろうという戦略の上で不可欠なのが、「反共」というトラップ=罠だったのではないだろうか。
 何故ならば、「反共」の牙城を作れば、そこに右翼と保守と自民党議員が吸い寄せられてくるのを知っているからだ。「反共」の牙城をジャブジャブと金と女で満たせば、その匂いを嗅ぎつけて、商売右翼と商売保守と自民党議員が飛んでくるのは火を見るよりも明らかだ。
 そして、これぞと思う自称保守論客とか、右翼の論客とかを一本釣りしていたのだろう。櫻井よしこなどはそうした輩だったに違いない。自民党議員も同様だ。
 どうして統一教会が日本会議の創設に関わり、安倍晋三を神輿として担いだのかは、既にブログに書いたので重複を避ける。
 こうした戦略的仕掛けが統一教会の「反共」には組み込まれている。
 が、それは裏の顔であって、表の顔は日本国民がイメージと感情としてもっている「反共」になり、更にアメリカの思惑が二重に乗っかっている。
 表の顔の「反共」が、おぞましい裏の顔である「日本乗っ取り計画」の戦略的仕掛けとしての「反共」を覆い隠してしまうのだ。
 児玉誉士夫がロッキード事件で失脚してからは、統一教会の資金の威力が加速化したのではないか、とわたしは想像している。
 吸い寄せられ、籠絡され、たらし込まれ、飼い慣らされて操られるのは自民党議員ばかりではない。維新の議員も、国民民主党の議員も、立憲民主党の議員もいる。
 言い訳は、表の顔の「反共」なのだが、これまで論じた通り、表の顔の「反共」にさえも思想的な実体はなく、そればかりか、「反共」には満州国と朴正煕軍事独裁国家と北朝鮮の亡霊まで潜んでいるのにだ。それを分かろうともしない。だから、自己正当化する唯一の方法は、日本共産党を揶揄し、日本共産党を憎み、日本共産党とは絶対に手を組めないと、駄々をこねるのだ。まるで駄々っ子だ。
 その日本共産党からして、看板と中身はまったく違う政党だ。政府自民党と維新と国民民主党と立憲民主党のいう日本共産党など、日本の何処を探してもいない。日本共産党の看板だけがあるに過ぎない。
 実体を偽って、日本共産党の看板を掲げているのが真相だ。
 が、その看板があるから、政府自民党と維新と国民民主党と立憲民主党の腐れ国会議員は、まったく実体のない「反共」にしがみついて、おぞましい自らの姿を自己正当化できるのだ。
 NHKの日曜討論で自民党の茂木敏充が、日本共産党は過激暴力集団と関わっているとのデマ発言をして物議を醸しているが、わたしからみれば、どっちもどっちだ。1955年の六全協までは日本共産党が暴力革命を掲げる政党だった事実がある。戦前の日本共産党はソ連主導のコミンテルンの支配下にあった事実もある。それを承知で「日本共産党」の看板を掲げているのだから、敵にそこを突っ込まれるのは目に見えている。右翼と極右と保守は、決まってそこを突いてくる。
1955年の六全協で方向転換し、それまでとは180度違った日本共産党になった、と言い張っても、だったらどうして180度も変わったのに、未だに日本共産党を名乗るのだ、と反論されるのは分かりきったことだ。
 それだけではない。日本共産党が偽りの看板を掲げ続けるから、この国に実体がまったくない、イメージと感情で出来た幽霊でしかない「反共」が生き続けられるのだ。
 お化けでしかない「反共」が生き続けられるから、統一教会のようなカルトにこの国が乗っ取られる切っ掛けを与えているのだし、裏の顔の「反共」に絡め取られたはずの自民党と維新と国民民主と立憲民主党の腐れ議員が、表の顔の「反共」で自己正当化し、国民を煙に巻いて、生き続けられるのだ。
 ハッキリと言う。「反共」こそがこの国の政治を腐敗させている元凶だ。
 その元凶に加担しているのが、看板でしかない日本共産党を名乗っている、偽りの日本共産党がこの国にあるからだ。
 日本共産党は、偽りの看板を下ろせ。真実の政党の姿を国民にみせろ。その方が、どれだけ多くの日本国民にとって幸いであることか。やり方を間違えなければ、支持も急拡大するはずだ。志位和夫的なるものを徹底的に排除することだ。
 日本共産党よ、もういい加減に、自虐趣味は止めにしないか!

 ここで終わりにするつもりだったが、今突然に文学的直感がやってきた。
 統一教会のいう「反共」の裏の顔についての文学的直感だ。
「反共」の表の顔には、戦前の国家権力が作り上げた国民を洗脳するための「共産主義=アカ=非国民=国家反逆」という絶対悪としてのイメージと感情が、先ずあり、それが土台となっている。戦後になって、その土台の上にアメリカの思惑が冷戦体制前と後とで違った意味の「反共」を積み重ねている。「反共」の表の顔は三重になった地層のようなものなのだろう。が、地層のように明確に分かれてはいないで、境界線がはっきりとせずに、境界線を越えて行き来しているようなものなのだろう。
 文学的直感はこうした表の顔ではなく、裏の顔に関わるものだ。
 どうして統一教会は「日本乗っ取り計画」をこれほどまでにやり遂げることができたのか。「日本乗っ取り計画」は成就直前だったといえる。ナチスの全権委任法にあたる緊急事態条項を手にする直前まで漕ぎ着けていたからだ。
 統一教会が理想とする国家とはどうのようなものなのか。
 宗教としてみるから統一教会の理想とする国家像が見えなくなるのだが、文鮮明を教祖として見ないで独裁者としてみたらどうなるか。
 宗教の教義としてみないで、国家像としてみたらどうなるか。
 国家社会主義が浮かび上がってはこないか。
 統一教会には朴正煕軍事独裁政権が関わり、朴正煕は岸信介の満州国人脈の一人だ。岸信介自身が統一教会と「世界勝共連合」と深く関わってもいる。
 統一教会が日本会議の創設に関与している事実が発覚しているが、日本会議の目指す国家像は、戦前の一神教的国家神道を中心に据えた日本ファシズムだ。
 維新の会は、その名の通り、昭和維新と繋がるものだ。単純化してみれば、昭和維新には心情的なものと、岸信介に代表される革新官僚的なものがあり、心情的なものが、社会的空気をどんどんと日本ファシズムの方向へと導き、それを巧妙に利用して、岸信介らの革新官僚が実権を握って、日本ファシズム国家を作り上げたのだが、わたしは維新の会は、昭和維新に倣って、社会的空気をファシズムの方向へと導く露払いの役割を担わされていると思っている。
 戦前の昭和維新の心情的なものが、やはり露払いの役割にされたのと、現象的には一緒だが、もっている思想と心情は真逆だと思う。
 だから、我が恩師である橋川文三は昭和維新の思想と心情に心を揺り動かされたのだし、はるか西郷隆盛の謎につながるものをみていたのだろう。
 維新の会にあるのは黒々としたニヒリズムだ。統一教会が維新の会を操っていた理由は、この辺りにある。
「反共」の裏の顔は、国家社会主義と超国家主義とをもっているのではないのか。日本資本主義の凋落が隠しようがなくなっただけに、日本の経済界が生き残りのために「反共」の裏の顔と繋がろうとするのは自然の成り行きだ。資本主義が袋小路に陥ったときの逃げ道がファシズムだからだ。
 安倍晋三が統一教会と日本会議に担がれ、統一教会の資金と深く結びついたのは、岸信介の国家社会主義への妄執によるものなのだろうか。
 安倍晋三は保守ではない。岸信介も保守ではない。国家「社会主義」を信奉するものだ。安倍晋三は無自覚だ。国家社会主義が何たるものか知らないからだ。日本会議も保守ではない。国家「社会主義」を掲げるカルトだ。
 木下半治が言ったように、二つに分類される日本国家主義運動の国家「社会主義」に当たる。
 安倍晋三は北朝鮮を何かというと罵倒したが、心の底では親近感を抱いていたのではないのか。何故ならば、安倍晋三が崇拝する祖父の岸信介が作った満州国は、北朝鮮だったからだ。そして、統一教会を生んだといえる朴正煕軍事独裁政権も、満州国の模倣だとしたら、敵対していたようであって、北朝鮮と同じ国家だったといえないか。
 文鮮明は北朝鮮と仲良しこよしだ。安倍政権が苦境に陥ると、タイミング良く北朝鮮がミサイルをぶっ放したが、文鮮明が北朝鮮に多額の資金援助をしていた事実が明るみになっているのだから、文鮮明が安倍政権を助けるために、ミサイル発射を頼んだ、という奇想天外な想像も、充分にあり得るから驚くばかりだ。
 安倍晋三のいう「美しい国、日本」とは、国家「社会主義」の国だとなるのだろう。果たしてその国家は誰のものなのか。日本国民のためのものでないのは確かだ。安倍晋三をヨイショして神輿に担ぐ、統一教会のための国だった、という事実が次々と発覚している。
 極論すれば、資本家は誰のための国かなどどうでもいいのだ。誰のための国かなどどうでもいいから、国家権力によって庇護され、援助されて、自分たちが生き残り、私腹を肥やせればどうでもいいのだ。それが資本主義のおぞましい素顔だ。
 売国奴にして、統一教会の操り人形のような存在だった安倍晋三の国葬が行われようとしている。どうみても、正気の国ではない。
 日本を侮蔑し、日本を売り渡した売国奴を国葬にする、美しい国、日本。
 世界の物笑いにされている。

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 今回は長い前置きはなしにする。
 この記事の狙いは、統一教会のいう「反共」の政治的意味を丸裸にすることと、統一教会が「反共」に忍ばせている政治的野望と目的とを暴いて徹底的に批判し、右翼と極右と保守と、そして日本会議などが結集する「反共」という牙城が、日本の政治と社会にどれほどの悪影響を及ぼしているかを剔抉することにある。
 が、それを論じるには、共産主義の理解が前提になければ始まらない。そして、「反共」が目の敵にする日本共産党とは、どういう政党であり、日本共産党のいう共産主義とはどういうものか、その理解もまた不可欠となる。
 したがって、統一教会の「反共」を語る前に、共産主義と日本共産党について論じることにする。長くなるだろうが、辛抱して読んでいただきたい。
 
 共産主義と社会主義との違いをどれほどの人が知っているだろうか。
 ほとんどの人が共産主義と社会主義とをごちゃ混ぜにして使っている。
 ごちゃ混ぜになっている責任は、共産主義という概念自体の曖昧さにある。というか、共産主義という概念が、あってないようなものだからだ。
 エンゲルスは『空想から科学へ』を出版して、フーリエ、オーエン、サン=シモンなどの空想的社会主義を批判したが、共産主義こそまったくの空想であり、妄想だ。
 マルクスが論じたのは社会主義であって、共産主義ではない。共産主義社会は、社会主義社会の「はるか先に出現」するだろう理想的社会として「空想的」に、そして夢物語として、ほんの「さわりだけ」触れられたに過ぎない。マルクスが論じた社会は社会主義社会であり、共産主義社会は、社会主義社会がより高度に成熟した先に出現する「だろう」社会として「夢」見たものでしかない。
 マルクスの哲学(もしくは思想)と、マルクス主義とは違う。
 これもほとんど理解されてはいない。この件については後述する。
 共産主義という概念は、ほとんど語るに値しないものだ。夢でしかない社会であり、空想、もしくは妄想の世界の社会でしかない。
「共産主義」という言葉が一人歩きを始めのは、マルクスとエンゲルスによって書かれたとされる『共産党宣言』の影響があまりにも大きかったからだ。が、『共産党宣言』は共産主義者同盟の思惑が濃厚に入り込んだもので、厳密に言えば、マルクスによって書かれたものとは言えない。そして、共産主義という思想を具体的に語ったものでも、共産主義社会それ自体を語ったものでもない。社会主義を目指す政治的姿勢の宣言に過ぎない。
 が、その宣言が社会に与えた衝撃があまりにも大きかったから、共産主義が一人歩きを始めてしまったのだ。本来なら、『社会主義への道と宣言』とでもすべきものだ。

 一般にいわれているマルクス主義は、社会主義革命を初めて成し遂げたレーニンがマルクス哲学を独自にアレンジしたものだ。当然に、社会主義革命に至るまでの実践的革命論と、革命後に樹立した社会主義国家をいかに維持し発展させていくか、その実践的課題と克服とを中心にしたものになる。言葉の厳密な意味でのマルクスの思想とはいえない。だからマルクス・レーニン主義といわれている。
 ロシアの国内と国外のブルジョアジーによる反革命から、
革命後の脆弱な国家を死守していくために、強調されたのがプロレタリアート独裁だった。レーニンはその独裁国家を、「共産主義社会」へと移行するまでの過渡期の国家として位置づけ、社会主義国家とした。したがってその独裁国家は全体主義国家だといえる。階級のない社会へと止揚しながら発展していく、原動力であり、歴史的使命を背負ったプロレタリア―トによるものだから、独裁が正当化されたのだ。

「反共」を考えるときに重要となるのは世界革命論だ。
 世界革命論とは、ロシア一国にとどまらず、全世界に社会主義革命を広めて、社会主義国家を樹立していかなければ、究極的な目的である「共産主義社会」の実現は不可能だというものだ。インターナショナリズムとは世界革命論と結びついて生まれた思想だ。
 世界各国に「共産党」を名乗る政治結社と政党が生まれた理由と原因は、この世界革命論にあり、ソ連指導によるインターナショナル(コミンテルン)が結成された必然性も、この世界革命論にある。
 日本共産党もそうした党の一つだった。
 だから戦前の日本共産党は、コミンテルンの指導下にあった。戦前の日本共産党の歴史を紐解くと、有名な32テーゼにぶち当たる。この32テーゼとは、1932年にコミンテルンで決められたもので、正式な名称は『日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ』というものだ。日本資本主義がどういう現状にあるか分析し、その現状をどうやって社会主義革命へと導いていくか、その戦略論と革命論だ。日本共産党からは片山潜と野坂参三などが加わって議論したが、コミンテルン指導によるものだ。日本共産党はコミンテルンの下部組織のような存在でしかなかった。だから、32テーゼの他にも、コミンテルンによって日本共産党に下されたテーゼはある。
 この点も日本共産党を考える上で重要なものとなる。
 
 また得意の脇道に逸れる。
 恩師である橋川文三のゼミに入室して、最初にやらされたのは、『昭和思想集Ⅰ』(筑摩書房)だった。わたしが担当したのが、福本和夫の「『方向転換』はいかなる諸過程をとるか、我々はいまそれのいかなる過程を過程しつつあるか」だった。いわゆる『分離結合論』というものだが、国家権力の徹底的な弾圧にあって地下に潜った日本共産党の方向性を転換させる組織論になる。
 当然に福本和夫の『分離結合論』をゼミで報告するからには、戦前の日本共産党の予備知識が必要だ。ゼミの仲間が、日本共産党が発行した『日本共産党の50年史』と題した小冊子をコピーしてくれたので、その小冊子を核にして、あちらこちらに触手を伸ばしたのだった。因みに、このゼミ仲間は日本共産党員ではない。新左翼のセクトの周辺にいた者であり、高校時代から成田闘争に通い詰めていたという猛者だ。当然に日本共産党には、誰よりも批判的だった。概ね橋川ゼミは、新左翼のメンバー、もしくはシンパで占められていた。黒ヘルまでいた。わたしもどちらかというと、シンパの一人だった。
 何しろ憧れの橋川文三だ。ゼミの報告で失望されたら、一貫の終わりだ。野呂榮太郎の『日本資本主義発達史』(岩波文庫)を読んだり、日本資本主義の発達史を巡る、労農派と講座派との論争だのにまで手を突っ込んだりしたが、なにせ中学から高校一年までは野球漬けだったので、絶対的に読書体験と読書経験とが不足していたから、頭と知識がついていかなかった。正直なところ、当時はただ読んだだけで内容をかみ砕いて理解していたとは到底いえない。労農派と講座派の論争が起こらざるを得ない必然性は、どこにあったのか、という本質的なことが分かろうはずがない。
 日本資本主義発達史とは、現状分析のためのものだ。何故に現状分析が必要かというと、日本で社会主義革命を起こすための戦略論を練るために必要だからだ。日本の資本主義はどの段階にまで達しているか。資本主義の発達段階が革命前夜に達していないのに、闇雲に武力革命へと突っ走れば自滅する。政治的現実をいかにしたら革命前夜へと誘導していけるか、そのための党の政治的決断と行動はどうあるべきか、それに見合った組織論はどうあるべきか、というような現実にそくした戦略と戦術を練る上で、現状分析は不可欠なのだ。
 労農派と講座派の論争は、明治維新以降の日本資本主義発達史に絞られる。マルクス主義の理論では、経済的土台である下部構造が上部構造を決定するという考えがあるが、労農派はこの考えをストレートに日本資本主義発達史に応用し、経済的構造の分析を中心的に行い、権力構造とか政治構造と法律的構造とかの上部構造は無視して、下部構造としての経済的構造で、上部構造をそのまま規定してしまう傾向がある。だから、優れて日本的な天皇制という特殊性を軽んじてしまうことになる。
 経済分析では向かうところ敵なしの観のする労農派の弱点はそこになる。一方の講座派は、上部構造としての日本の特殊性を強調することになる。
 革命論としての戦略と戦術に直結する問題だけに、重大な意味をもつものだから、論争にまで発展するのだ。
 どうして、労農派と講座派の論争などに話をもっていったかというと、ソ連主導のコミンテルンの社会主義革命に至る戦略論と戦術論が、どこまで日本の政治的特殊性に見合ったものになり得るか、という問題と、ソ連主導のコミンテルンの戦略論と戦術論だけに、そこに巧妙にソ連の思惑が入り込む余地があるのではないかという問題だ。そうなると日本を社会主義革命に至らしめる戦略論ではなくなり、日本の共産党をどうやってソ連の利益に見合ったように操るか、という「指令論」、乃至は「命令論」としての色彩が強くなってくる。
 世界革命論とはソ連主導のコミンテルンだけに、誰のための世界革命論なのかという問題は避けて通れない。
 この点も日本共産党を考える上で重要な問題だ。

 戦後の日本共産党は、紆余曲折の道を歩くことになる。
 先ずは、戦後のアメリカvsソ連の冷戦体制にしっかりと組み込まれる。
 戦前の延長で、ソ連主導のコミンテルンの紐付きとして出発した日本共産党だったが、ソ連主導のコミンテルンとの戦略論からくる対立が生じ、平和革命論と暴力革命論との狭間で内部対立が生まれ、所感派と国際派の分裂を引き起こしたり、また再結集したりと、めまぐるしく揺れ動く。そして、
1955年に第6回全国協議会を開催した日本共産党が、革命論に深く関わる戦術転換をするに至り、決定的な分裂にまで発展する。
 この戦術転換が、労働運動の分裂と新左翼の誕生を促したのは間違いないし、日本共産党の指導下にあった全学連と日本共産党との対立を生んだのも間違いない。
 この
第6回全国協議会の戦術転換をもって、現在の日本共産党は、暴力革命の放棄を決議したものして主張している。
 が、政府自民党と公安は、暴力革命は捨ててはおらず、敵の出方次第では暴力革命も辞さない考えだ(敵の出方論)と、頑なに日本共産党を暴力革命を堅持する政党だとみなしている。
 このように、主張が真っ向から対立している現実がある。
 後で統一教会のいう「反共」の意味を論じる際に重要となるので、「敵の出方論」について補足しておくと、民主党政権でも、日本共産党は暴力革命を捨て去っていないという見解をしていた。
 詳しくは論じないが、第6回全国協議会以降の日本共産党の歴史を素描してみよう。
 1955年の
第6回全国協議会で実権を握った旧国際派の宮本顕治が、1958年の第7回党大会で書記長になるのだが、戦後からここまでの日本共産党の流れをみると、わたしには泥沼の権力闘争としか思えない。国際派だった宮本顕治の主張が180度変わり、所感派と国際派が入り乱れて、どっちがどっちか見分けがつかなくなり、思想が置いてきぼりを食らって、思想が単なる方便になっているといった様相だ。
 ともかくも、1958年の第7回党大会と1961年の第8回党大会で、戦後の日本共産党にあった軍事的路線は、所感派の徳田球一と野坂参三による分派的な極左冒険主義として切り捨てられ、総括されたのだ。
 そして、ソ連共産党とも、中国共産党とも違う自主独立路線を宣言し、今後いかなる外国からの干渉も受けないと宣言したのだ。すべての誤りを徳田球一と野坂参三に押しつけたと言われても反論はできないはずだ。何故なら、国際派だった宮本顕治は、コミンテルンと中国の批判を受け入れて、平和路線を主張する徳田球一と野坂参三の主流派だった所感派を批判し、暴力革命を主張していたからだ。醜い権力闘争とはこうしたものだ。大義の欠片もない。
 志位和夫が、ロシアが何かすると、条件反射的に先陣を切って、過激な批判を始めるのと、中国が何かすると、真っ先に批判のミサイルをぶっ放す理由は、ソ連と中国への怨嗟が染みついているのと、ソ連と中国の共産党との違いを強調することでしか、自分を正当化できないからだ。どうも志位和夫は、未だにロシアをソ連と重ね合わせてみているようだ。
 
自主独立路線とは、スターリンが唱えた一国社会主義に通じたものだ。日本共産党は、スターリニズムを全体主義として批判している。しかし、志位和夫がウクライナ戦争でみせた言動は、一国社会主義の危うさを垣間見せてくれている。志位和夫の中に宿っているナショナリズムの危険性だ。
 これまで論じてきた日本共産党の成り立ちからみても分かるとおり、日本共産党がよってたつ思想は、言葉の厳密な意味でのマルクスの思想ではなく、どう取り繕っても、マルクス・レーニン主義だ。
 マルクスの思想ではない証拠が、志位和夫のウクライナ戦争における言動だ。
 マルクスは徹底的なイデオロギー批判によって、国家を丸裸にしたのだ。イデオロギーとしての国家に命を捨てることが、どうしたら正当化できるというのか。ゼレンスキーは、国家総動員態勢での徹底抗戦を呼びかけた。ゼレンスキーの国会での演説に感情移入した志位和夫は、スタンディングオベーションしただけでなく、国家総動員による徹底抗戦の戦争を正義の戦争とまで言い切った。マルクス・レーニン主義ならあり得る。が、それにしたって、守るべき国家をプロレタリアート独裁国家という条件付きだ。マルクスの思想では、イデオロギーでしかない国家を守るために、無理強いされて命を落とす戦争を正義などとする発想とは真逆のものだ。根本的に違う。この件についても後述する。

 さて、現在の日本共産党の実態をみていこう。
 まだ読み続ける忍耐が残っていればの話だが、ここからが佳境だ。現在の日本共産党を丸裸にして、その矛盾を曝け出そうという魂胆だ。丸裸にされた矛盾をみれば、日本共産党は看板だけで、まったく違った政党に変わっていることに気づくと思う。
 そもそもが日本共産党のいう「共産主義」とは、上述したように、マルクス・レーニン主義であって、言葉の厳密な意味でのマルクスの思想ではなく、レーニンによる実践的な革命思想の色彩が濃い。
 みてきたように、暴力革命論を捨てて、議会制民主主義による社会主義社会への移行(平和革命論)へと戦術転換し、更にプロレタリアート独裁論まで捨て去ったのだから、これをマルクス・レーニン主義と呼ぶことはできないはずだ。戦前の日本共産党とはまったく違うし、戦後になっても、第6回全国協議会までの日本共産党ともまったく違う。同じなのは日本共産党という看板だけだ。
 2014年、年の瀬の総選挙だった。夕暮れ迫る京都、四条河原町で不破哲三は歴史的演説をした。自民党は極右勢力に乗っ取られた政党であり、かつての自民党ではない。看板だけの自民党だと、現実の自民党の真の姿を言い当てた演説だった。統一教会問題が次々と発覚するに及んで、不破哲三が言った極右勢力が、実は統一教会だと分かった。
 しかし、不破哲三の演説には感慨深いものがある。
 日本共産党もかつての日本共産党ではなく、看板だけの日本共産党で、実態はかつての日本共産党とまったく違う政党だ、という事実が明るみになったからだ。
 この事実は、第6回全国協議会での戦術転換を指していっているのではない。生々しい日本共産党の党員と支持者の実態を知った上での話だ。
 ウクライナ戦争をめぐっての日本共産党の対応について、わたしはTwitterで日本共産党員と支持者と、ちょっとした論争をした。その論争によって、日本共産党の変貌に度肝を抜かれた。
 薄々は気づいていたが、正直なところこれほどまでの変貌とは思いもしなかった。
 驚くことに、日本共産党がマルクス主義を掲げた政党だと理解していなかった党員までいた。社会主義が何たるものか知らないばかりか、日本共産党と社会主義とを結びつけて理解していない党員までいたのだ。支持者ではない。党員だ。わたしが反論すると、日本共産党はそうした政党ではないと頭ごなしに全否定した。挙げ句の果てに、そんな思想的なことはどうでもいい。わたしの日本共産党はそんな政党では断じてない、というに及んでは絶句した。
 これは現実としての日本共産党を理解する上で、重要な事実だと確信する。
 日本共産党の党員にこうした要素があるのを、わたしはいい意味でとっている。そして、注目すべき事実だと解釈している。
 日本共産党に対する負のイメージが薄れてきた証拠だし、日本共産党をマルクス主義の色眼鏡を通してみていないことの現れだろう。
 どうして党員にまでなったかというと、日本共産党の国会議員の言動に感銘を受けたからだとか、日本共産党の政策に共鳴したからだと、論争の過程で明らかになった。
 こうした現象を象徴する日本共産党の地方議員がいる。
 三重県津市の中野裕子議員だ。
 中野裕子議員は、
市議会選挙の前から精力的にTwitterで発信し続けていた。そして、当選して議員になってからもTwitterでつぶやいたりしていた。作家の直感で、この議員は現実としての日本共産党を丸裸にする存在だとピンときた。だから、注意深く追いかけ始めた。年甲斐もなく、中野裕子議員に心を奪われてストーカー行為をしていたのではない(笑)。
 わたしがそれまで抱いていた日本共産党の議員のイメージから、大きく逸脱する存在だったからだ。どうみてもマルクス主義を潜り抜けて日本共産党員になり、日本共産党の議員になったとは思えなかった。思った通り、マルクス主義とは無縁だった。日本共産党に入党した切っ掛けは、辰巳コータローの演説に直に接して感動したからだという。地方議員とはいえ、マルクス主義を通過しないで、日本共産党の候補者として立候補し、当選して地方議員となっている現実がある。
 この現実は、上述した党員と支持者と重なり合うものだ。
 日本共産党の現実はこうしたものなのだ。
 日本共産党には、ゴリゴリのマルクス主義の信奉者はいないのではないか。
 ゴリゴリのマルクス主義者(マルクス・レーニン主義者)は、第6回全国協議会で、日本共産党を飛び出しているはずだ。そうした純粋なマルクス主義者が、新左翼と呼ばれる者たちなのだろう。中には、こっちこそが正統の日本共産党だと主張する政治結社まで存在した。
 暴力革命を捨ててからは、日本共産党には、マルクス・レーニン主義者はいないのではないだろうか。いたとしても、一部の高齢者に過ぎないのだろう。革命論を捨て去ったに等しいのだから、日本共産党の独自の解釈の「マルクス」を学んでいるはずの民青にしても、かつての正統なマルクス主義ではないはずだ。政策的には、現状の日本共産党は純粋な社会主義ではなく、社会民主主義として位置づけるのが正確のはずだ。そればかりか、自民党よりもはるかに「保守的」色彩の濃い政策を打ち出してもいる。
 むしろ政府自民党が、社会主義に近い政策を打ち出しているのではないだろうか。その社会主義とは国家社会主義のことだが。


 こうして日本共産党をみてくると、どうして頑なに「日本共産党」の看板を掲げ続けるのか、理解に苦しむ。看板に偽りがある。詐欺に等しい看板でしかない。その点では自民党と一緒だ。
 日本共産党は、100周年を迎えたと胸を張るが、ソ連主導のコミンテルンの下部組織だった戦前の日本共産党とはまるっきり違うし、戦後の暴力革命論を主張していた日本共産党とも違い、現在に至っては党員と議員までが、マルクス主義と無縁だったりする。どうみても同じ政党ではない。実態と「日本共産党」の看板に嘘偽りがある。強く断罪したい。
 わたしが「日本共産党」という看板を使い続ける、似非「日本共産党」を断罪するのには理由がある。
 看板が「日本共産党」でなかったなら、問題にするつもりはない。
 が、「日本共産党」という実態のない、嘘偽りの看板を掲げているから、「反共」という胡散臭い言葉が、未だに生きていられるからだ。
 統一教会問題で、この「反共」という胡散臭いものが、いかに日本の政治と社会を歪めているか明らかとなった。看板に嘘偽りがあるのに、それでも「日本共産党」という看板を使い続けている日本共産党が、実態のないイメージとしての「反共」という言葉の存続に、加担していることを強く断罪したい。
 日本共産党という看板が存在していなかったら、そして看板を現実の実態に即した名前にしていたら、「反共」が日本の政治と社会をこれほどまでに歪めてはいなかったはずだ。日本共産党の存在があるから「反共」が成り立つのであり、胡散臭い「反共」という言葉の本質を覆い隠していられるのだ。
 日本共産党は、自らの政党がいかに歴史的意味と使命を背負った政党か、その政党としての存在の歴史的特権性を強調し、自己正当化し、宣伝するために「反共」を利用している。日本共産党が利用しているから、この国に「反共」が未だに存在し、影響力を保ち続けられている。そういったら、日本共産党から批判のミサイルが飛んでくるだろうか。
 志位和夫は8月24日のTwitterで、看過できないツイートをしている。下記のツイートだ。

 統一協会は2つの顔を持っている。  ●反社会的カルト集団。  ●反共・改憲の先兵。  その実態、自民党などとの癒着を、引き続き徹底的に糾明していくことを、今日の常任幹部会で確認しました。
 
 志位和夫がいう一つ目は、宗教の仮面を被って行ってきた、反社会的な霊感商法の側面をもつ統一教会の顔であり、二つ目の顔は、統一教会の政治的な顔なのだろうが、統一教会のいう「反共」を利用して、自らの政党が統一教会と真逆の「正義」の政党だという印象操作を狙ったものだと言えないだろうか。
 統一教会の政治的な顔における「反共」とは、戦術的な方便でしかなく、この国の右翼と極右と保守勢力を吸引し、手懐け、籠絡し、たらし込むための戦術的「装置」だ。重要な装置であるのは確かだが、これをすべてだとしたら、大きな過ちだろう。統一教会とは「日本乗っ取り」を計画し、実行する恐ろしい政治的カルト集団だという本質がみえなくなってしまう。現に南米においては乗っ取られた国まであるのだから、誇大妄想でも、陰謀論でもない。
 統一教会の政治的野望と目的という視点がないと、安倍晋三の長期政権で破壊された日本をそのまま放置することを意味し、安倍晋三の長期政権が統一教会によって操られ、日本の政治的構造が根本から変えられてしまっているという問題意識にまで辿り着けないことになる。
 政治的構造が根本から変えられ、憲法改悪の前夜にこの国があるのだ。それをそのまま放置していたら間違いなく、憲法は改悪され、ナチスの全権委任法にあたる緊急事態条項を自民党=統一教会にあたえることになる。
 志位和夫は統一教会を改憲の先兵と見なしているが、大きな間違いだ。先兵ではない。影に隠れて背後から政府自民党と維新を操っているのだ。
 統一教会問題における日本共産党の追及には、自民党そのものが統一教会に乗っ取られているという視点がなく、自民党議員それぞれの統一教会との癒着とその責任のレベルに止まっているのは、統一教会のもつ政治的な顔を「反共」だけに強引に結びつけようとしていることと無関係ではないだろう。
 日本共産党は「反共」なくして存続できない、と自らで宣言しているに等しい、とわたしにはみえる。日本共産党はこの国に未だに生き続けている「反共」という幽霊の存在に寄りかかっている政党ではないのか。

 やっと、統一教会のいう「反共」の意味を語る地点にまで辿り着いた。
 ここまで辿り着けた読者は、数人もいないだろう。あまりの冗長さに耐えきれず脱落していった読者が数限りなくいるはずだ。そんなことは知ったこっちゃない。書き続けるしかない。
 上述したように、「反共」を反共産主義とするのは誤りだ。
 反マルクス主義、もっと正確を期するなら反マルクス・レーニン主義というのが正しいのだろう。
 そもそもが、共産主義社会というものがどういうものか。
 生産手段の個人的な所有を社会的所有に移して、社会が維持管理して、計画的な生産運営をしていく、生産手段が社会化された社会というのだが、空想にしても夢がない。だから、能力に応じて働き、必要に応じて受け取るという夢を付け加えたりしている。が、どう考えたってこれではまったく具体性に欠ける。そればかりか、わたしにはこうした社会が理想社会とは思えない。共産主義社会とは、かくもおぼろげで、曖昧模糊としたものであり、お粗末なものなのだ。これで、共産主義社会を描いたなどとは到底いえないはずだ。そして、これをもって共産主義というのは妥当ではないだろう。
 わたしは、マルクスの思想の西欧近代主義批判の側面は受け継いでいるつもりだ。が、マルクス主義は否定している。
 そのわたしが最近まで、戦略的にだが、日本共産党を支持し、JCPサポーターまでやっていた。
 わたしは何度となく日本共産党に提案している。国民は、日本共産党がどういう社会を目指しているのか、まったく分かっていない。共産党という負のイメージを払拭するには、具体的に、どういう社会を目指しているのか、国民が分かるように描いて提示し、その社会に至るまでの工程図を示すべきだ。と提案したのだが、返事はなかった。
 それはそうだ。共産主義社会など描けるはずがない。マルクスが論じたのは社会主義であって、共産主義ではない。そして、未だかつて社会主義社会が止揚されてできた共産主義社会など、この世に存在しない。社会主義社会の現実をみれば、共産主義社会など夢物語でしかないのが痛いほど分かる。

 だから日本共産党に、共産主義社会とはどういう社会ですかと訊いても、具体的に共産主義社会を描けるはずがない。
 日本共産党にとっても、共産主義社会とは見果てぬ夢であり、「空想」と「妄想」の世界でしかない。
 日本共産党の若き論客である山添拓でさえがそうだ。
 Twitterで思わず共産主義社会を「理想」と吐露している。「理想」を「空想」と置き換え、「妄想」と置き換えることに、わたしは躊躇しない。
 共産主義社会という曖昧模糊とした言葉で、「理想社会」を描くから、「空想」になり、「妄想」になるのだ。
 共産主義社会という言葉に捕らわれずに、「理想社会」としてあるべき社会を描くとしたら、内橋克人の提唱する「FEC自給圏」と、宇沢弘文のいう社会的共通資本の考えを複合させた社会の方が、はるかに具体的であり、理想としての社会像だ。この社会を、無理して共産主義社会などと呼ぶ必要性もなければ、逆に、共産主義社会などと言えば誤解を招いてしまう。
 志位和夫は何かというと、理性と科学を口にし、理性と科学を自らの主張の正当化に使う理性至上主義者にして、科学万能主義者なのだが、こと共産主義社会になると、まったくの空想、もしくは妄想の域を出ないのだ。そして描く社会は、無味乾燥の妄想世界でしかない。

 日本共産党がホームページに、『党創立100周年の年にあなたの入党をよびかけます』というものを載せている。その呼びかけの中で、「4.社会主義・共産主義を掲げる党」という項目がある。わたしと論争した、日本共産党員と支持者は、そんなの聞いてないよ、と声を上げて驚くのではないだろうか。
 が、驚くことはない。これは巧妙な嘘だと直ぐに分かるからだ。
 思っていたよりも長くなってしまい恐縮しているのだが、この際だから、統一教会のいう「反共」の意味を考えるときに、実態としての現在の日本共産党の立ち位置を丸裸にしておくために、この
「4.社会主義・共産主義を掲げる党」という項目をそのまま引用し、その巧妙な嘘を徹底的に暴きたい。

 気候危機の深刻化や貧富の格差の異常な拡大など、地球的規模で資本主義の矛盾が噴出し、その存続が根本から問われているいま、「資本主義は人類の到達した最後の社会ではない。それを乗り越える新しい社会に進むことができる」という日本共産党の立場は、いよいよ重要になっています。
 私たちがめざす未来社会は、人間の自由で全面的な発達を可能にする社会です。それは、資本主義のもとでつくられた自由、民主主義、人権の諸制度を引き継ぎ、発展させ、花開かせる社会です。人間による人間の搾取がなくなり、労働時間をうんと短くすることによって、すべての人間が自由な時間を十分にもち、自分自身のなかに眠る能力を自由に全面的に発展させることが可能となる社会です。
 旧ソ連や中国で覇権主義や人権侵害が起こった背景には、指導者の誤りとともに、経済の発展の点でも、自由と民主主義の点でも、遅れた国からの革命という出発点の問題がありました。高度に発達した資本主義国である日本での変革では、このような誤りは決して起こり得ません。
 人類の歴史の中で、発達した資本主義国から社会主義の道へと踏み出した経験は、まだありません。それは、特別の困難とともに、豊かで壮大な可能性を持った新たな開拓と探究の事業です。
 日本共産党という党名を大切にしている理由も、ここにあります。


 ここのどこに、社会主義と共産主義について書かれてあるというのだろうか。
 上述したように、共産主義は夢想であり、妄想でしかないから書かれていないのは納得できるが、社会主義についても書かれていない。現実として、そして歴史的事実として、これまでに存在した社会主義国家の悪いイメージを払拭するために、社会主義そのものを説明せずに、巧妙に明るいイメージへと誘導する気満々だ。
 何故に、社会主義について書けないかというと、実態としての日本共産党の政策は、純粋な社会主義のものではなく、社会民主主義的な政策であり、家族的農業や沿岸漁業と林業の保護などの政策は保守主義的なものだ。
 社会民主主義とは、簡単にいうと、資本主義社会が抱える「悪い面」を、社会主義の思想と政策の「良い面」で補い、修正していくことで、資本主義社会の「悪い面」を除去して行こうとするものだ。
 社会主義と資本主義とがそれぞれにもっている良い面と悪い面を認めた上で、それぞれが抱える悪い面を相互補完しながら、より良い社会の建設を目指す思想となるのだろう。重要なのは、歴史的現実として、現存した社会主義国家が、多かれ少なかれ全体主義国家の様相を呈していた事実を踏まえているということだ。
 そして、資本主義国家も全体主義国家になり得る危険性を裡に抱きかかえているという視点があることも、忘れてはならない。全体主義国家にならないためには、永続的な民主主義の徹底が不可欠だとするものだ。引用した中で、日本共産党は、「
私たちがめざす未来社会は、人間の自由で全面的な発達を可能にする社会です。それは、資本主義のもとでつくられた自由、民主主義、人権の諸制度を引き継ぎ、発展させ、花開かせる社会です。人間による人間の搾取がなくなり、労働時間をうんと短くすることによって、すべての人間が自由な時間を十分にもち、自分自身のなかに眠る能力を自由に全面的に発展させることが可能となる社会です」と理想を語っているが、この理想をどうして「無理」に社会主義と結びつける必要があるのだろうか。現実に存在する社会主義国家とは真逆の理想だ。社会主義と結びつける根拠がない。いや、現存する社会主義国は似非社会主義国であり、こした社会が本当の社会主義社会ですといわれても説得力はない。信じろと言う方が無理がある。
 それに何らの具体性もない。ただの理想社会だ。こんな理想社会なら誰でも妄想できるし、口にすることができる。こうした社会を理想とするのは、日本共産党の専売特許ではない。社民党の福島瑞穂だって、立憲民主党の辻元清美だって、こんな理想社会でいいなら口にするだろう。何も日本共産党でしか描けない理想社会ではない。この理想社会に、社会主義である必然性はないし、日本共産党の看板を掲げる必然性もない。具体性に欠けた単なる理想社会であり、妄想の社会だからだ。
 問題は、この理想社会に至るまでの具体的な道筋と、具体的な政策と、その土台となる価値観と思想だ。西欧近代主義の価値観と思想を土台としている社会主義が、こうした理想社会を作り出せると考えているとしたら相当にお目出度い。志位和夫ならいざ知らず、そんなバカなことは妄想しない。
 ましてや、「日本共産党」という看板は「マルクス・レーニン主義」と結びついている。マルクス・レーニン主義とこの理想社会は結びつかないだろう。
 その証拠が、上述したわたしと日本共産党員と支持者との論争で発覚した事実だ。
 こうした理想社会を描いて入党の勧誘をしているのだから、この理想社会を夢見て入党した者もいるのだろうが、そうなると日本共産党の看板とは、まるっきり無関係での入党になる。こうした理想社会を描くのだったら、むしろ誤解がないように、日本共産党の看板を下ろして、まったく新しい政党としてスタートするのが本来のあり方であり、あるべき政党としての姿だろう。これでは看板に偽りがあると言われても反論できない。

 中国は言葉の厳密な意味での社会主義国家か。

 現実に、そして実態に即して、国家としての中国と、社会としての中国をみてみよう。
 中国が社会主義国家かというと、そうではない。明らかに資本主義国家だ。政治形態からみれば、中国共産党による独裁的国家であり、全体主義国家だ。民主主義が機能不全になっている。
 が、日本とどれほどの違いがあるかといえば、安倍晋三の長期政権はほとんど独裁的なもので、三権分立は機能しておらず、閣議決定で憲法破壊までする始末だ。安倍政権が倒れてからも、鳩派といわれてきた宏池派の岸田文雄は、国民の大多数が反対する安倍晋三の国葬を強行するつもりだ。法的根拠がなく、立法府である国会を無視した閣議決定がすべてのより所だ。そんな民主主義国家はあり得ないではないか。
 日本共産党の根本的な誤りは、資本主義と社会主義の違いを「本質として」捉えていることだ。
 本質として捉えているというのは、資本主義と社会主義をまったく異質のものとし、資本主義がより成熟し、進歩したものが社会主義とみているという意味だ。
 では、現存した社会主義国家は、資本主義国家がより発展し、進歩した国家なのかというと、それを全否定し、資本主義社会が高度に成熟し進歩する前に、無理矢理に社会主義革命によって打ち立てられた国家だから、全体主義国家となるのであって、社会主義を騙る偽物の国家だと断罪するのだ。
 だったら、爛熟し、限界に達したとも思える様相の資本主義社会を生きている欧米は、社会主義国家になったのか、と問えば、社会民主主義的な色彩を強くしている。それが新自由主義的な政策がもたらした社会的歪みと、貧困と、格差による社会的二極化で、全体主義へと振り子が揺り戻されようとしている。
 資本主義と社会主義とを本質的に違ったものとしてみる視点は、既に成り立ちようがないというのが厳粛な現実ではないのか。
 資本主義も社会主義も、西欧近代主義を母とする双子だ。日本共産党がどんなに詭弁を弄しようと、これが真実のはずだ。だから瓜二つなのだ。どちらも容易に全体主義になる。何故ならば、西欧近代主義の土台をなしている、理性信仰と科学至上主義と機械論が、全体主義国家を生み出す原動力になるからだ。機械論的に、論理と効率で国家を組み立て構想すれば、機械仕掛けの全体主義国家にならざるをえないではないか。社会主義の計画経済の発想は正しく機械論だ。
 引用した中で、「
気候危機の深刻化や貧富の格差の異常な拡大など、地球的規模で資本主義の矛盾が噴出し、その存続が根本から問われている」といっているが、それは資本主義の矛盾であり、社会主義の矛盾であって、根本的に問われなくてはならないのは西欧近代主義だということが、まったくもって分かっていない。いや、分かろうともしない。その事実を拒絶しているのだ。その理由は簡単だ。日本共産党の看板を掲げる正当性を失うからだ。
 日本共産党は、あたかも社会主義が、「
気候危機の深刻化や貧富の格差の異常な拡大など」を解決してくれるように書いているが、かつての東欧社会の環境汚染のもの凄さを知っているのかといいたい。
 志位和夫は理性信仰者にして、科学万能主義者だから、科学が発達すれば環境問題も気候変動の問題も解決できると考えているのだろうが、価値観としての西欧近代主義の生き方を変えない限り、気候危機など乗り越えられるはずがない。
 本質的に問わなければならないのは、資本主義と社会主義を生み出した西欧近代主義の乗り越えなのだ。
 それを社会主義によって、資本主義を乗り越えるなどあり得ないではないか。どちらも本質的には同じだからだ。中国が雄弁に物語ってくれている。
 それでも日本共産党は、厚顔無恥にも社会主義にしがみついているのだ。
 実態は、社会民主主義的な政策を掲げる政党であり、保守的色彩の濃い政策まで打ち出している。どうみても日本共産党の看板は偽りとしかみえない。決定的なのは、自ら描く理想社会が、社会主義である必然性もなく、日本共産党の看板を掲げる必然性もなく、むしろ現実の社会主義国家と、日本共産党の看板とは似ても似つかぬ社会だ。
 戦前に掲げた日本共産党という看板は「マルクス・レーニン主義」の意味だ。
 新左翼は、日本共産党が「マルクス・レーニン主義」の看板を裏切ったから、日本共産党を飛び出し、日本共産党を偽物だと揶揄し、徹底批判したのだ。日本共産党の看板が偽りだから、日本共産党とは呼ばずに、侮蔑を込めて「代々木」と呼んだのだ。
 その事実を物語っているのが、現実の党員と支持者の実態だ。マルクス主義とは無関係といえる。今ではそうした党員と支持者が大勢を占めているのだろう。JCPサポーターに至っては、ほとんどがそうではないのか。
 志位和夫と上層部がどんなに強弁しても、これが厳粛な事実だ。この事実からしたら、日本共産党の看板を掲げることは事実を誤認させるものであり、嘘偽りだ。
 志位和夫と上層部は、日本共産党という歴史に自惚れ、英雄的願望に溺れているのだろうが、上述した通り、現実の日本共産党はまったく違った政党だ。その事実を覆い隠そうとするから、名ばかりの社会主義にしがみつかざるを得ないのであり、日本共産党の看板を掲げて、自らの政党を、自らでいつわっているのだ。
 現実の政党を支えているのが、社会主義とも、日本共産党の看板とも無関係な者たちになりつつあるのに、それを無視し続ければ、党勢の拡大など覚束なく、じり貧に陥るのは間違いない。
 安倍晋三を批判して、この国はお前のオモチャかと、侮蔑したことがあるが、志位和夫にも贈りたい。党はお前のオモチャかと。

 ここまで書いてくると、この記事と、お前の目的は、日本共産党を罵ることにあるのだろ、と言われそうだ。
 志位和夫がこの記事を読んだら、怒り心頭で、血圧が200を優に超えてしまうのではないかと心配する。わたしと志位和夫と安倍晋三とは同い年だ。1954年(昭和29年)生まれだ。昭和29年生まれはロクなのがいないと言われても、わたしは否定しない。素直に頷く。確かユーミン(荒井由実)も昭和29年生まれだったと記憶する。なんでも昭和29年会とかいう得体の知れないものを作って安倍晋三を神格化していたような記憶がある。荒井由実は天才かと思っていたが、才能が枯渇したのだろう。最近はロクなものを作らないし、ロクなことをしない。年をとって才能が枯渇するのは、偽物なのだろう。
 と、また脱線しそうになったので、無理矢理に軌道修正する。
 日本共産党を揶揄し、侮蔑し、徹底批判するのは、統一教会の「反共」に加担しているという理由だ。言葉の厳密な意味での「反共」など、既にこの日本で存在する余地はないのにもかかわらず、日本共産党が、嘘偽りの「日本共産党」という看板を掲げているから、統一教会の「反共」がこの国に生き続け、この国を歪め、破壊する元凶にまでなっている。
 カラスなぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ、と志村けんが唄っていたが、日本共産党の場合は、日本共産党の嘘偽りの看板を掲げ続けるのを、勝手でしょ、と言わせてはならないのだ。統一教会の「反共」が、生き続けてしまうからだ。

 長くなってしまったし、疲れてきたので、この辺りで前編として区切ろうと思う。
 二日後、くらいまでには後編を書き上げるつもりだ。もちろん、後編は統一教会の「反共」を丸裸にして、徹底的に批判する。連合の芳野会長の「反共」のオツムの構造も丸裸にしたい。
 乞うご期待!
 

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