社会主義と違って、共産主義は思想と呼べる実体はない。共産主義という言葉がもつイメージで成り立っている。そして、そのイメージと結びついた感情で出来上がっている。
日本共産党という看板にも実体はない。イメージとしての看板だけが一人歩きし、そのイメージと繋がった感情が一人歩きしている。
だから「反共」にも思想としての実体はない。イメージと感情の集合体が「反共」だ。このイメージと感情の中に、日本共産党という看板が作り上げているイメージと感情とが入り込んでいる。実体がなく、イメージと感情だけで出来上がってる幽霊のようなものだけに厄介であり、奇怪であり、その影響が計り知れないのだ。
前編で長々と書いたように、言葉の厳密さを期せば、「反共」とは、反共産主義ではなく反社会主義、もしくは反マルクス・レーニン主義というべきなのだろう。が、共産主義が一人歩きを始め、元々が曖昧模糊とした、あってないような定義の言葉だから、その中にいろいろな思い込みと感情とが容易に入り込み、互いにくっつき合って、共産主義という化け物のイメージを作り上げてしまったのだろう。
イメージは一方方向だけで作られるものではない。
共産主義に恐怖し、そして憎悪し、あってはならない絶対悪とみなす勢力が作り上げたイメージと感情があり、これとは反対に、共産主義に夢と希望を託し、絶対正義としてみる勢力が作り上げたイメージとがある。
前者が作り上げたイメージと感情が「反共」であり、後者が作り上げたのがマルクス主義なのだ。
どちらもイメージによる思い込みでしかないから、ほとんど宗教に近い。
連合の芳野会長が両手足を巻き付けて抱きついている「反共」は、わたしからみると得体の知れない宗教としかみえない。だから、何を言っても無駄だ。論理とか、歴史的事実とか、知識とか、寄せ付けない。当然に、理性が入り込む余地などまったくない。「反共」という宗教的妄想に絡まりついて陶然としているのだ。さしずめ、芳野会長が「反共」を語るときの顔は性的絶頂の顔といったところなのだろう。
これが日本最大の労働組合の会長なのだ。これ一つをみても、労働者階級が、歴史の歯車を進歩へと回す原動力であり、歴史的使命をもっているなどと考えるのが間違いだと分かる。連合そのものが労働貴族化して堕落したからだという反論も、ここまでくると空しい。
労働者が自らの階級性に目覚めて、歴史を正しい方向へと導いていく歴史的使命と歴史的責任を背負っていると自覚し、自己変革を遂げて日々研鑽しながら、階級意識をより崇高な「プロレタリアート」としての意識の高みへと昇華させようとした、マルクスの夢は木っ端微塵に吹き飛んだといえないか。
マルクスは、資本主義社会が人を画一化させ、均一化させる必然性をもつ社会だと見抜いていた。その社会を群衆社会(大衆というと良いイメージがあるが、大衆と群衆は同じものだ)と看破していた(今西仁司『群衆ーモンスターの誕生』ちくま新書)。社会の群衆化を回避させるものとして、マルクスはプロレタリアートという概念を作り上げたのだ。労働者階級=プロレタリアートではない。西欧近代主義批判が根底にあった、マルクスのはかない夢だったといえる。
言葉の厳密な意味でのリベラリストである丸山真男は、良質な西欧近代的理性と自我を体現した、民主主義的にして自由人としての市民像を夢見ていたが、丸山真男もまた西欧近代社会が必然的に向かう群衆社会を回避しようとしていたのだろう。が、現代社会をみれば、マルクスの夢も、丸山真男の夢も、群衆社会に呆気なく飲み込まれてしまったといえるのだろう。
何故に西欧近代社会が群衆社会へと向かう必然性を抱えているかといえば、テレビのCMをみただけで納得するだろう。大量消費がなければ、資本主義の宿命である拡大再生産は不可能だ。大量消費がなければ、大量生産は成り立たない。大量生産と大量消費とを淀みなく繋げるには、その間に破壊がなくてはならない。ハンナ・アレントが『人間の条件』で看破したように、資本主義の本質は破壊にある。
破壊とは戦争による破壊もあれば、価値の破壊もあるし、モードとしての破壊もある。戦争による破壊は直接的だから分かりやすいが、価値としての破壊とモードとしての破壊は、意図的に作られるものであり、情報操作と印象操作によるものだ。テレビの影響は計り知れない。大量消費と結びついた情報だけに、画一化と均一化は免れ得ない。多様性が喧しく言われているが、多様性という言葉の使われ方も情報操作としてでしかなく、現実は多様性の社会と真逆だ。
多様性について触れると、それでなくとも既に脇道に入っているのに、更に路地に迷い込むことになってしまうから止めるが、前編で論じた、西欧近代主義が土台としてもっている機械論が、必然的に多様性を殺すのだ。
機械論的な思考回路に迷い込んだ理性は始末が負えない。良い例が日本共産党の志位和夫の理性だ。
前編で、日本共産党がホームページに掲げている「理想社会」について述べたが、そうした「理想社会」に至るには、西欧近代主義が土台としてもつ機械論と、機械論と結びついた理性信仰と科学万能主義を乗り越えないとあり得ないはずだ。それが志位和夫には分からない。機械論的発想を濃厚に持っている社会主義で乗り越えられるはずがないではないか。そして、群衆社会という視点がないから、ホームページに書かれていた志位和夫の理想としての社会主義社会は、だだの何の根拠もない妄想として終わる。「理想」になり得ないのだ。それが分からないから、未だに社会主義にしがみついているのだ。
話を戻すと、日本共産党という看板のもつイメージも、マルクス主義信仰としっかりと結びついたものだ。
また志位和夫を引き合いに出して恐縮するが、ウクライナ戦争でゼレンスキーが国民に強要した、国家総動員体制での徹底抗戦を「正義の戦争」と断言してしまった志位和夫は、その根拠を、マルクスがロシアの覇権主義を批判していた「歴史」に求めたのには、驚きを通り越して、心臓発作を起こしそうになった。さすがに、まさか志位和夫がここまで幼稚だと想像だにしなかったからだ。
マルクスが言っていたら、時代的状況と制約とを超えて、すべて真理になるのか。
わたしが学生の頃にも、絶対的なマルクス信者が存在した。何かというと「マルクス曰く、『資本論』に曰く」と大上段から刀を振り下ろすのだ。野球小僧だったわたしは、そんなもの読んでなかったから、刀などみえやしない。わたしがマルクス信者だったなら、はっはー、恐れ入りましたと、一刀両断になって跪き、議論で討ち死にしたことになるのだが、わたしはへっちゃらで議論をつづけるものだから、最後にしどろもどろになるのは、決まってマルクス信者だった。志位和夫の発想はまったくこのマルクス信者と同じレベルだ。
図らずも志位和夫はウクライナ戦争の対応で、信仰としてのマルクス主義信者であるのを自ら暴露してしまったといえないか。
「反共」信仰と、マルクス主義信仰は、そしてマルクス主義信仰と結びついた共産党信仰は、まったく正反対のようでいて、ネガとポジの関係であり、密接に結びついている。どちらか一方が存在しなくなれば、もう片方も存在できなくなるといえないか。
前編で書いた、日本共産党は「反共」に寄りかかっており、「反共」に加担しているという意味は、こうしたネガとポジの関係のことだ。「反共」があるから、日本共産党の「正義」のイメージが成立するのであり、「反共」が勢いを増せば、日本共産党の「正義」のイメージが光り輝くことになる。
先入観としてある、資本主義vs社会主義=マルクス主義という対立図式で考えるから見えなくなってしまうが、そうした先入観を捨て去って、資本主義を眺めれば、自由放任の経済か、それとも計画的、統制的経済か、という問題は資本主義それ自体にあることが見えてくる。社会主義という思想が生まれたから、この当たり前のことが見えなくなり、計画的、統制的経済を社会主義の専売特許のような錯覚に陥ってしまうのだ。
明治維新政府が脱亜入欧を急いで富国強兵政策を全面に掲げたが、その政策は国家主導の計画経済であり、統制経済だろう。軍備と結びついた基幹産業を育て上げるのを最優先し、巨大な国営企業を作り上げたのだ。出来上がった国営企業をタダ同然で民間に払い下げたのが、この国の財閥の誕生に結びついている。この歴史的事実だけをみても、資本主義それ自体に、自由放任経済か、それとも計画的、統制経済かの選択を絶えず裡に抱きかかえているのが分かるはずだ。
有名なソ連の五カ年計画と、明治維新政府がした経済政策とどこが違うのか。違いはない。
唯一の違いは、ソ連の国家権力が「プロレタリアート独裁政権」だと、されていることだけだ。そのプロレタリアート独裁政権からして、胡散臭いものであり、独裁政権を正当化するためのただの方便でしかなかった。
マルクス思想の階級闘争という進歩的歴史観と、資本論の剰余価値と搾取、そして歴史的使命を担ったプロレタリアートという概念を持ち込むから、資本主義vs社会主義=マルクス主義という対立図式でしかみえなくなるのだが、そうした概念による色眼鏡でみなければ、資本主義それ自体が、自由放任経済と計画的、統制経済という二要素を抱きかかえていることがみえるはずだ。
それを計画的、統制経済を社会主義として固定化してみたり、資本主義を自由主義経済としてみたりするから、訳が分からなくなるのだ。
わたしからみれば、社会主義と資本主義に明確な垣根はなく、社会主義とは資本主義が裡に抱きかかえている一つの選択肢でしかない。それを「社会主義」などと大仰なものを持ち出して、あたかも資本主義と真逆のように勘違いするから、本質がみえなくなる。
自由主義経済にしたって胡散臭い言葉だ。おぞましい似非経済学者のフリードマンに心酔する竹中平蔵が、新自由主義を掲げて登場し、自由放任の経済と声高に叫び、規制破壊と構造改革に着手したが、なんてことはない、国家権力による利権政治と一体化した利権経済でしかなく、これは形を変えた国家による計画的、統制的経済ではないのか。国家権力が計画的、統制的に経済を利権構造に変えてしまったといえないか。
リベラリストが言う、理想とすべきは自由主義経済だ、というのは間違いだ。それを言うのだったら、民主主義的経済と言うべきだろう。
資本主義vs社会主義という対立図式に対応した、自由主義経済vs社会主義経済という対立図式も本質を見えなくする悪しき先入観でしかない。
社会主義という胡散臭い概念が持ち込まれたことの弊害は計り知れないと思う。マルクスの思想の肝は社会主義にはない。西欧近代主義批判だ。
フランシス・フクヤマがベルリンの壁の崩壊をもってして、資本主義が社会主義に勝利したと『歴史の終わり』を宣言したが、浅薄な見方だ。ベルリンの壁の崩壊が告げたのは、資本主義と社会主義は西欧近代主義を母にもつ双子の関係だと言う事実であり、別の表現をすれば、資本主義が裡に隠し持つもう一つの顔が社会主義だったという事実だ。資本主義vs社会主義の対立図式が嘘っぱちであり、資本主義vs社会主義の対立図式の終焉を意味したに過ぎない。だから歴史は終わっていない。言葉の厳密ないみでの西欧近代主義の乗り越えが、これからの歴史の始まりだ。
今度こそ統一教会の「反共」を語り始める。
そうでないと、終わりそうもないからだ。
マルクスが「科学的」に社会主義を語る前から、「空想的」に社会主義は語られていた。だからエンゲルスは、『空想から科学へ』を書いたのだ。
資本主義の黎明期である、イギリスの産業革命後の社会をみれば、さながら地獄絵図だったことが分かる。子供が劣悪な労働環境で長時間肉体労働をさせられ、労働力しか売るものがない労働者が奴隷に等しい生活を強いられていたのだから、労働者の救済と団結という視点が出てくるのは当たり前だ。そして、労働者の暴動が起こるのには必然性があった。
資本家にとっての労働者の暴動と暴力は、あってはならないものだし、恐怖でしかなかったから、その反動で労働者の暴動と暴力に対する恐怖と憎悪は計り知れなかったはずだ。
資本主義革命の華々しい象徴がフランス革命(1789年7月14日)であり、実際に一方方向へと走り出した群衆の熱狂と暴力の恐ろしさを記憶に焼き付けたから、資本家が今度は自分達が断頭台に上がることになると震え上がるのは当たり前だ。群衆と化した民衆の暴動と暴力がどれほどの凄まじい破壊力をもっているか、歴史が「現実」として証明してみせてくれたといえる。
震え上がったのは資本家だけではない。資本家と結びついた国家権力も同じだ。その恐怖と憎悪が向かった先は、当然のように社会主義になる。社会主義が労働者の団結と暴動を煽る思想とみえたからだ。国家権力にしてみたら、社会を騒乱させ、国家を転覆させる恐ろしい思想と映ったに違いない。だから、徹底的な弾圧へと向かったのだろう。
その恐怖と憎悪が、1917年(大正6年)のロシア革命で沸点に達する。
現実のものとして社会主義革命が起こったからだ。そして、前編で述べたように、世界革命論が出現し、ソ連主導のコミンテルンが創設され、下部組織同然の「共産党」が雨後の竹の子のように、世界各国に誕生したのだから、世界の資本家階級と国家権力にとってみたら他人事ではない。世界革命論をひっくり返した世界反革命論のような空気が生まれ、社会主義革命を押さえ込もうという動きが出るのは自然だ。そして、国家権力による徹底的な弾圧と、国家権力主導による意図的な「反共」のイメージ作りが行われ、あらゆる手段で、国民の頭に共産主義の恐ろしさと共産主義への憎悪と拒絶の感情を植え付けることになる。
明治政府は、一神教的国家神道を国体として国の中心に据え、教育勅語で天皇への絶対的忠誠心と臣民としての心得を教育という名の洗脳で、子供の頃から頭に刷り込んでいたから、共産主義が絶対的神としての天皇への否定であり、神としての天皇を戴く神国への反逆だとして宣伝する効果は、今からでは想像できないほどの威力を発揮したと思う。共産主義=アカ=非国民=国家反逆=狂人等々、ありとあらゆる負のイメージと、負の感情とが共産主義に乗り移り、諸悪の根源が共産主義であるかのように、国民の意識に刷り込まれた歴史が、共産主義という言葉にはある。ここに思想が入り込む余地はない。また国家権力は、意図的に思想としての社会主義を排除して、負のイメージと負の感情として共産主義を作り上げ、それを全否定する意味で、絶対正義として「反共」に、正のイメージと正の感情とをもたせることに成功したといえる。
村の寄り合いに参加しなかったり、村の秩序に刃向かったりする者に対して投げつけられるのが、「あれはアカだから」という石つぶてなのだ。社会主義の「社」の字も知らない村人が、共産主義者と見なされる倒錯を考えると恐ろしい洗脳の国だと分かる。
満州事変が勃発し、太平洋戦争へと突入するにつれて、共産主義=アカは日本共産党の専売特許ではなくなり、自由主義者がアカとされ、軍部と政府の悪口を言った隣の爺さんまでがアカとされて投獄されたのだ。
戦前の「反共」とはこうしたものであり、国家権力と軍部に逆らう者はことごとく共産主義=アカとなった。この「反共」に思想があるのだろうか。あるはずがない。敢えて国家権力は「反共」から思想性を抜き取ったのだ。その方が国家権力にとって利用価値が高まり、思想という実体がないから、国民の感情を揺さぶれるのだし、国民の心をこの「反共」という言葉で自在に操れるからだ。
逆にいうと、共産主義者は、命を賭して国家権力の悪と闘う正義とみなされ、その心意気が尊敬の眼差しでみられることにもなる。が、圧倒的国民は共産主義者=アカと思い込まされ、絶対悪と信じて疑わず、「反共」こそが絶対正義だと信じて疑わなかったのだろう。
ここで脇道に逸れる。
わたしが明治大学の政経学部に入学したときには、日本ファシズムの権威者であった、二人の政治学者が教授としていた。一人は恩師である橋川文三であり、もう一人は『日本のファシズム』(国書刊行会)、『日本国家主義運動史Ⅰ・Ⅱ』(福村叢書)などの著書がある木下半治だ。
聴講生として木下ゼミに潜り込もうか、などと考えたりしたが、橋川文三ゼミと比べると、見るからに学究の徒という身なりと顔つきの者達ばかりで、髪を伸ばし放題で、薄汚い格好の橋川文三ゼミとは雰囲気が違った。先輩達にいわせると、わたしの学年のゼミ生が破天荒で、メチャクチャで、一つ前までは学究の徒然としていたようだ。が、橋川文三は三島由紀夫との華々しい論争があったりしたから、全共闘の爛熟期には、他大学の聴講生で溢れかえっていたという伝説もあったくらいだ。むしろわたしたちが、その血を受け継いでいたのかもしれない。
せっかくだから、木下半治に敬意を表して『日本のファシズム』から重要な視点となる箇所を引用したい。
「玄洋社から多くの国家主義団体が分岐し、幾多の国家主義者が育っていったが、日本国家主義運動の流れは分って二つとすることができた。いわば国家主義運動の横糸=緯であるが、一つは、日本主義派であり、他は国家社会主義派であった。これを観念右翼対革新右翼(あるいは組織右翼)と呼ぶものもあった。さらにいえば、中核組織論対大衆組織論、エリート論対大衆論の対立、反議会主義対議会主義の対立ともいえた。前者はより国粋主義的、復古的、封建的であるのに対し、後者はより革新的、近代的、社会的であった。後者こそは、近代的ファシズム観念に近い存在であった」
木下半治は『日本のファシズム』の中でナショナリズムに言及し、マルクス主義とナショナリズムとの関係の問題にまで言及しているが割愛する。興味がある読者は、『日本ファシズム』を読むことをお勧めする。
何故に『日本のファシズム』から引用したかというと、上述した資本主義は自らの中に、社会主義を抱きかかえているという指摘を、より深く説明したいからだ。
木下半治は国家主義に二通りあるとしているが、国家主義から「観念右翼」の要素を除き、マルクス主義から階級闘争史観と剰余価値と搾取という概念を取り除いたらどうなるか。
国家主義とマルクス主義=社会主義が、奇妙にも重なり合ってみえてこないか。
違うのは、国家独裁か、プロレタリアート独裁かの違いだ。
両方とも明確な機械論で組み立てられた国家だから、全体主義国家にならざるを得ない。経済は国家主導による計画的、統制経済だ。
戦前の極右革命のバイブル、『日本改造法案大綱』は北一輝によるものだが、北一輝は思想としての社会主義を潜り抜けている。5・15事件に関わった大川周明も思想としての社会主義を生きている。社会主義を国家主義的に読み破ったのだ。
これが可能なのは、国家独裁か、プロレタリアート独裁か、の違いでしかないからではないのか。
第一次世界大戦後の社会が産み落としたファシズムは、だからこそ戦争の申し子といわれているが、資本主義が危機的状況に陥り、社会を不安と閉塞観が覆い尽くし、生き残りを賭けた帝国主義戦争の足音が聞こえてくれば、どうしたって国家権力の中に、総力戦に備えた国家構想をもつ者が現れないのがおかしい。
革新官僚だった岸信介がその一人だ。
岸信介は国家社会主義者だった北一輝に強い影響を受けていた。岸信介が描いた国家は、間近に迫った帝国主義戦争で生き残るための総力戦体制の構築であり、それに相応しい国家の建設だった。そして作り上げたのが満州国だった。
岸信介は自分の作品だと豪語している。満州国は、実質的には関東軍による軍事独裁国家だった。政策を掌握していたのが岸信介だ。
岸信介がやったのは、ソ連が社会主義革命後に打ち出した5カ年計画の真似だ。総力戦体制を想定したものだったから、独裁的権力をもった国家が経済を計画的、統制的に運用するものだった。当然に基幹産業は国営になり、私有財産の制限まで打ち出している。この満州国の統制経済の中から、新興の財閥まで誕生している。
この国家を当てはめるとしたら、今の北朝鮮にならないか。
北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」であり、社会主義国家を標榜している。岸信介が作った国家は社会主義国家だった、とわたしは思っている。プロレタリアート独裁の国家ではないと言われようが、実際に社会主義国家を自認する北朝鮮だってプロレタリアート独裁などではなく、軍事独裁政権であり、歴史的にみれば北朝鮮に近い社会主義国家がほとんどだったのではないか。
岸信介は戦後になって、満州国人脈の一人だった朴正熙の軍事独裁政権に深く関わってもいる。朴正熙がやった経済政策は、岸信介の五カ年計画に倣ったものだ。現在の韓国の財閥は、この経済政策によって生まれたものだ。この朴正煕の軍事独裁国家は、満州国の模倣だといえないか。そして今の北朝鮮に近い国家だったといえないか。
満州国も、朴正煕軍事独裁国家も、北朝鮮も、今の中国よりも民主主義とはほど遠い全体主義国家だ。
文鮮明が始めた性的邪宗に過ぎなかったものを、統一教会に変身させたのは朴正煕軍事独裁政権だった。KCIAも深く関わっていたことが知られている。
何を言いたいのかというと、統一教会と岸信介のいう「反共」とは何を指しているのかということだ。これまで論じたことで分かると思うが、北朝鮮と満州国のような意味でいう「社会主義国家」は認めているのだ。
もっと正確を期せば、マルクス主義の階級闘争の歴史観と、資本論の剰余価値と搾取とプロレタリアート独裁の考えを除けば、国家独裁での社会主義は大賛成ということになる。この点を誰もが見落としている。そして「反共」を批判するときに、この視点がないから、「反共」の本質を見誤るのだ。
連合の芳野会長は、まったくの宗教としての「反共」でしかなく、共産主義=アカ=非国民のレベルなので、思想以前の問題であり、宗教なのだから何を言っても聴く耳を持たないし、こうなると救いようがないとしか言えないのだが、こんなのが連合という日本で最大の労働組合の会長をやっているのだから、連合という組織は腐りきっているし、使い物にならないのではないか。
こんなどうしようもない連合にしがみついている立憲民主党は、思考能力があるのかと問いたい。立憲民主党は連合教の信者としか思えなくなってきた。
それに、連合には「反共」を掲げる議員がいる。その議員に問いたいのは、岸信介のいう「反共」の本質的意味を知っているのかということと、岸信介の理想国家は、これまで長々と論じたように、社会主義とほとんど違わないという事実を知っているのかと問いたい。
「国際勝共連合」という「反共」組織を立ち上げた統一教会の文鮮明が、どうして北朝鮮と仲良しこよしなのか、矛盾していると思うのは、文鮮明と岸信介がいう「反共」の本質的意味に気づいていないからだ。文鮮明と岸信介が理想とする国家は北朝鮮のような国家なのだ。この点については、エピローグで論じたい。
日本の戦前の「反共」とはどういうものか、既に述べた。
戦後日本の「反共」も基本的には、戦前の「反共」の延長線上にある。戦前の「反共」の土台の上に新たに積み増しされたのは、戦後にハッキリと色分けされた冷戦体制を生きるアメリカの思惑だ。
アメリカvsソ連(=西側vs東側)という対立軸だが、アメリカはこの対立軸に自由主義経済vs社会主義経済、民主主義vs社会主義(=共産主義)、自由主義vs全体主義という対立図式を「反共」に持ち込んだのだ。そして更に「反共」に、社会主義(=共産主義)を防ぐ防波堤としての役割を担わせたことだ。
国民民主党と立憲民主党は、戦後のアメリカの思惑が色濃く反映された対立図式の中にいる。
自由主義経済、自由主義と民主主義に立ち位置を置き、社会主義を全体主義として見なし、社会主義と共産主義を掲げる日本共産党を全体主義の政党として見なしているのだろう。
その証拠が、1955年の六全協で日本共産党は暴力革命を放棄し、更にプロレタリアート独裁の放棄と議会制民主主義の堅持へと方向転換しているが、前編で論じたように、民主党政権は自民党と同様に「敵の出方論」を主張し、日本共産党は敵の出方次第では、暴力革命も辞さないとみていることだ。
国民民主党と立憲民主党の中には、戦前の負のイメージと負の感情で成り立つ、土台としての「反共」と深く結びついた議員が多い。
連合の旧同盟系の御用組合とつながっている議員であり、旧同盟を支持母体としてもつ旧民社党の歴史的延長を生きている議員だ。だから驚く勿れ、こうした議員の中には日本会議の会員議員までいる。旧同盟系には、国家社会主義を掲げて資本家側につき、スト破りを専門にした、戦前の御用組合の歴史が入り込んでいるから、右翼思想と同居できるのだ。連合の芳野会長は旧同盟系の組合出身だ。芳野会長の「反共」には、右翼思想までが混在して入っているはずだ。だから、余計にしっちゃかめっちゃかで、訳が分からなくなっている。
しかし、アメリカが持ち込んだ対立図式は根本的に矛盾している。
朴正煕軍事独裁国家を認め、援護までしていたのだから、自由主義経済とはいえないし、民主主義国家とは真逆だ。朴正煕軍事独裁政権が「反共」を全面に打ち出して、背後に岸信介や椎名悦三郎と、アメリカのCIAがいるからなのだろうが、経済体制をみても、自由主義経済ではない。計画的、統制経済だ。こうした側面があったことを、国民民主党と立憲民主党はどう説明するのだろうか。日本共産党=全体主義として澄ました顔でいられないはずだ。
戦後の「反共」に、厳密に言えば自由主義・民主主義vs社会主義・全体主義の対立図式は重ねあわせられはしない。剥き出しの対立図式をいうなら西側体制vs東側体制、もしくはアメリカvsソ連にしかならないのだろう。
が、剥き出しだと不味いから、上述したあり得ない対立図式を「反共」に持ち込んだのだろう。いわば、表向きの「反共」の顔だ。
日本国民からみれば、新しくアメリカの思惑が「反共」に付け加えられたからといって、「反共」に対して持つ負のイメージと負の感情は、戦前のまま生き続けていたのだろう。明治維新からの教育による洗脳は、一朝一夕で消えはしない。
1955年の第6回全国協議会(六全協)で、暴力革命を放棄する決議をするまでは、日本共産党も戦前の延長を生きていたのだから、日本共産党に対する負のイメージと負の感情が、国家権力によって意図的に拡大再生産されるのはいうまでもない。
日本共産党が、日本のアメリカの従属化を批判する急先鋒だったから尚更だ。国家権力は「反共」と日本共産党をより一層しっかりとリンクさせたのだ。
冷戦体制が崩壊してからは、当然に「反共」の意味が変わった。
戦前の負のイメージと負の感情は薄れつつあるが、それでも基本的には変わらずにある。観念右翼が、薄れないように街頭で拡声器で、戦前そのままの「反共」を宣伝し、雇われたネトウヨたちが、戦前そのままの「反共」をネットに拡散している。
その上で、「反共」の意味が変わったのは、アメリカの思惑があるからで、新たな対立図式は、アメリカvs中国=ロシアだ。アメリカの指令通り、日本は中国とロシアを仮想敵国とし、あろうことか最近では、露骨に中国との開戦前夜だと煽る自民党議員まで出てきた。
注目すべきは、国家権力が煽る、中国とロシアを仮想敵国とするナショナリズムに日本共産党が乗っかってしまっていることだ。中国とソ連の共産党と、日本共産党の違いを強調し、日本共産党の負のイメージと負の感情とを払拭させたいとの狙いがあるのだろうが、志位和夫の言動をみていると危なかっしくてならない。ホントに単純で幼稚だ。
やっと終わりまで漕ぎ着けた。
長かった。ほとんど船が沈没しかけている。乗り込んだはずの読者は見当たらない。途中で溺れ死んだのだろうか。
わたしは溺れ死にたくないから、尻切れトンボになろうと知ったこっちゃない。強引に終わりにしてしまう。
統一教会が日本に「世界勝共連合」を創設したのは1968年だ。
70年安保の直前だ。
「世界勝共連合」の創設には、右翼のドンである笹川良一と、児玉誉士夫が深く関与している。そして岸信介も関わっている。
どうして統一教会が、自ら「反共」の牙城とでもいうべきものを創設したのだろうか。
わたしは、統一教会の「日本乗っ取り計画」にとって不可欠だからだと思う。優れて戦略的意味が「反共」に込められているのだ。
木下半治が『日本のファシズム』の中で、戦前に国家主義運動に身を投じていた児玉誉士夫の、当時を回想した述懐を紹介している。
日本における右翼運動とはどういうものであり、その弱点と矛盾は何か、余すことなく述懐している。溺死はしたくないので、端折って引用する。
「建国会に大きな矛盾のあることを知った。これは建国会のみではなく、その頃国粋主義を標榜するすべての団体が一ようにもつ矛盾であり、弱点だった。それは、運動資金の問題であって、この資金は財閥、政党、その他中小資本家から貰っていた。財閥・政党から貰ってやる反共運動、これでは資本家に飼われている番犬的な運動になるのは当然であった。たとえ、一方で財閥とか政党とかの横暴を攻撃したとしても、その裏では財閥や政党からお札で頭をなでられていては、これはお笑いの猿芝居だし、道化の運動である」
「当時の右翼団体といえば一部の例外は別として大半は暴力団だった。それに比べると建国会は相とうに的確なる日本主義思想をもって行動していた団体であったが、しかし、労働争議などではやはり資本家がわにつくようになった。これも他の右翼団体と同じように運動資金の問題がその運動の純真正を奪うのであった。……反共派と称した団体がその裏で資本家の用心棒に堕ちたのも、いわば、時代の生んだ一つの腫物ではなかったかと思う」
この述懐は何を意味するか。
右翼を牛耳って操ろうとすれば、資金があれば容易だという事実だ。そして戦後は、政党の資金源であった財閥が解体されたから、政党をも資金力さえあれば操れるという事実だ。
上の児玉誉士夫の述懐は戦前のものだが、基本的に戦後になっても変わらない。生死をさまよい、地獄のような満州を生きた児玉誉士夫だ。辛酸をなめ尽くした果てに、児玉誉士夫の行き着いた境地は、だったら俺が、この国を影から操ってやる、というニヒリズムの色に染め上げられた野望だったのではないのか。
満州国の軍部と手を組んだ児玉誉士夫が「児玉機関」を作り、蓄えた膨大な金品を終戦の前にこっそりと日本に運んで、戦後にそれを右翼運動を操る資金にし、今の自民党に繋がる保守政党の結党資金にしていた事実が知られている。そして、右翼と保守政党を陰に隠れて操ったのだ。だから、影のフィクサーと言われていたのだ。
統一教会がこうしたこの国の絡繰りを知らないはずがない。
日本名をもち、日本の陸軍士官学校を卒業した朴正煕の、軍事独裁政権が作り上げたといっても過言ではない統一教会なのだ。KCIAが深く関与もしている。
この国を乗っ取ろうとすれば、児玉誉士夫に倣って資金で、右翼を籠絡し、たらし込み、飼い慣らして操り、自民党議員に接近し、潤沢な資金と信者を使って、自民党議員を籠絡し、たらし込み、飼い慣らし、操ることで、徐々に自民党を乗っ取り、国家権力まで乗っ取ろうという戦略の上で不可欠なのが、「反共」というトラップ=罠だったのではないだろうか。
何故ならば、「反共」の牙城を作れば、そこに右翼と保守と自民党議員が吸い寄せられてくるのを知っているからだ。「反共」の牙城をジャブジャブと金と女で満たせば、その匂いを嗅ぎつけて、商売右翼と商売保守と自民党議員が飛んでくるのは火を見るよりも明らかだ。
そして、これぞと思う自称保守論客とか、右翼の論客とかを一本釣りしていたのだろう。櫻井よしこなどはそうした輩だったに違いない。自民党議員も同様だ。
どうして統一教会が日本会議の創設に関わり、安倍晋三を神輿として担いだのかは、既にブログに書いたので重複を避ける。
こうした戦略的仕掛けが統一教会の「反共」には組み込まれている。
が、それは裏の顔であって、表の顔は日本国民がイメージと感情としてもっている「反共」になり、更にアメリカの思惑が二重に乗っかっている。
表の顔の「反共」が、おぞましい裏の顔である「日本乗っ取り計画」の戦略的仕掛けとしての「反共」を覆い隠してしまうのだ。
児玉誉士夫がロッキード事件で失脚してからは、統一教会の資金の威力が加速化したのではないか、とわたしは想像している。
吸い寄せられ、籠絡され、たらし込まれ、飼い慣らされて操られるのは自民党議員ばかりではない。維新の議員も、国民民主党の議員も、立憲民主党の議員もいる。
言い訳は、表の顔の「反共」なのだが、これまで論じた通り、表の顔の「反共」にさえも思想的な実体はなく、そればかりか、「反共」には満州国と朴正煕軍事独裁国家と北朝鮮の亡霊まで潜んでいるのにだ。それを分かろうともしない。だから、自己正当化する唯一の方法は、日本共産党を揶揄し、日本共産党を憎み、日本共産党とは絶対に手を組めないと、駄々をこねるのだ。まるで駄々っ子だ。
その日本共産党からして、看板と中身はまったく違う政党だ。政府自民党と維新と国民民主党と立憲民主党のいう日本共産党など、日本の何処を探してもいない。日本共産党の看板だけがあるに過ぎない。
実体を偽って、日本共産党の看板を掲げているのが真相だ。
が、その看板があるから、政府自民党と維新と国民民主党と立憲民主党の腐れ国会議員は、まったく実体のない「反共」にしがみついて、おぞましい自らの姿を自己正当化できるのだ。
NHKの日曜討論で自民党の茂木敏充が、日本共産党は過激暴力集団と関わっているとのデマ発言をして物議を醸しているが、わたしからみれば、どっちもどっちだ。1955年の六全協までは日本共産党が暴力革命を掲げる政党だった事実がある。戦前の日本共産党はソ連主導のコミンテルンの支配下にあった事実もある。それを承知で「日本共産党」の看板を掲げているのだから、敵にそこを突っ込まれるのは目に見えている。右翼と極右と保守は、決まってそこを突いてくる。1955年の六全協で方向転換し、それまでとは180度違った日本共産党になった、と言い張っても、だったらどうして180度も変わったのに、未だに日本共産党を名乗るのだ、と反論されるのは分かりきったことだ。
それだけではない。日本共産党が偽りの看板を掲げ続けるから、この国に実体がまったくない、イメージと感情で出来た幽霊でしかない「反共」が生き続けられるのだ。
お化けでしかない「反共」が生き続けられるから、統一教会のようなカルトにこの国が乗っ取られる切っ掛けを与えているのだし、裏の顔の「反共」に絡め取られたはずの自民党と維新と国民民主と立憲民主党の腐れ議員が、表の顔の「反共」で自己正当化し、国民を煙に巻いて、生き続けられるのだ。
ハッキリと言う。「反共」こそがこの国の政治を腐敗させている元凶だ。
その元凶に加担しているのが、看板でしかない日本共産党を名乗っている、偽りの日本共産党がこの国にあるからだ。
日本共産党は、偽りの看板を下ろせ。真実の政党の姿を国民にみせろ。その方が、どれだけ多くの日本国民にとって幸いであることか。やり方を間違えなければ、支持も急拡大するはずだ。志位和夫的なるものを徹底的に排除することだ。
日本共産党よ、もういい加減に、自虐趣味は止めにしないか!
ここで終わりにするつもりだったが、今突然に文学的直感がやってきた。
統一教会のいう「反共」の裏の顔についての文学的直感だ。
「反共」の表の顔には、戦前の国家権力が作り上げた国民を洗脳するための「共産主義=アカ=非国民=国家反逆」という絶対悪としてのイメージと感情が、先ずあり、それが土台となっている。戦後になって、その土台の上にアメリカの思惑が冷戦体制前と後とで違った意味の「反共」を積み重ねている。「反共」の表の顔は三重になった地層のようなものなのだろう。が、地層のように明確に分かれてはいないで、境界線がはっきりとせずに、境界線を越えて行き来しているようなものなのだろう。
文学的直感はこうした表の顔ではなく、裏の顔に関わるものだ。
どうして統一教会は「日本乗っ取り計画」をこれほどまでにやり遂げることができたのか。「日本乗っ取り計画」は成就直前だったといえる。ナチスの全権委任法にあたる緊急事態条項を手にする直前まで漕ぎ着けていたからだ。
統一教会が理想とする国家とはどうのようなものなのか。
宗教としてみるから統一教会の理想とする国家像が見えなくなるのだが、文鮮明を教祖として見ないで独裁者としてみたらどうなるか。
宗教の教義としてみないで、国家像としてみたらどうなるか。
国家社会主義が浮かび上がってはこないか。
統一教会には朴正煕軍事独裁政権が関わり、朴正煕は岸信介の満州国人脈の一人だ。岸信介自身が統一教会と「世界勝共連合」と深く関わってもいる。
統一教会が日本会議の創設に関与している事実が発覚しているが、日本会議の目指す国家像は、戦前の一神教的国家神道を中心に据えた日本ファシズムだ。
維新の会は、その名の通り、昭和維新と繋がるものだ。単純化してみれば、昭和維新には心情的なものと、岸信介に代表される革新官僚的なものがあり、心情的なものが、社会的空気をどんどんと日本ファシズムの方向へと導き、それを巧妙に利用して、岸信介らの革新官僚が実権を握って、日本ファシズム国家を作り上げたのだが、わたしは維新の会は、昭和維新に倣って、社会的空気をファシズムの方向へと導く露払いの役割を担わされていると思っている。
戦前の昭和維新の心情的なものが、やはり露払いの役割にされたのと、現象的には一緒だが、もっている思想と心情は真逆だと思う。
だから、我が恩師である橋川文三は昭和維新の思想と心情に心を揺り動かされたのだし、はるか西郷隆盛の謎につながるものをみていたのだろう。
維新の会にあるのは黒々としたニヒリズムだ。統一教会が維新の会を操っていた理由は、この辺りにある。
「反共」の裏の顔は、国家社会主義と超国家主義とをもっているのではないのか。日本資本主義の凋落が隠しようがなくなっただけに、日本の経済界が生き残りのために「反共」の裏の顔と繋がろうとするのは自然の成り行きだ。資本主義が袋小路に陥ったときの逃げ道がファシズムだからだ。
安倍晋三が統一教会と日本会議に担がれ、統一教会の資金と深く結びついたのは、岸信介の国家社会主義への妄執によるものなのだろうか。
安倍晋三は保守ではない。岸信介も保守ではない。国家「社会主義」を信奉するものだ。安倍晋三は無自覚だ。国家社会主義が何たるものか知らないからだ。日本会議も保守ではない。国家「社会主義」を掲げるカルトだ。
木下半治が言ったように、二つに分類される日本国家主義運動の国家「社会主義」に当たる。
安倍晋三は北朝鮮を何かというと罵倒したが、心の底では親近感を抱いていたのではないのか。何故ならば、安倍晋三が崇拝する祖父の岸信介が作った満州国は、北朝鮮だったからだ。そして、統一教会を生んだといえる朴正煕軍事独裁政権も、満州国の模倣だとしたら、敵対していたようであって、北朝鮮と同じ国家だったといえないか。
文鮮明は北朝鮮と仲良しこよしだ。安倍政権が苦境に陥ると、タイミング良く北朝鮮がミサイルをぶっ放したが、文鮮明が北朝鮮に多額の資金援助をしていた事実が明るみになっているのだから、文鮮明が安倍政権を助けるために、ミサイル発射を頼んだ、という奇想天外な想像も、充分にあり得るから驚くばかりだ。
安倍晋三のいう「美しい国、日本」とは、国家「社会主義」の国だとなるのだろう。果たしてその国家は誰のものなのか。日本国民のためのものでないのは確かだ。安倍晋三をヨイショして神輿に担ぐ、統一教会のための国だった、という事実が次々と発覚している。
極論すれば、資本家は誰のための国かなどどうでもいいのだ。誰のための国かなどどうでもいいから、国家権力によって庇護され、援助されて、自分たちが生き残り、私腹を肥やせればどうでもいいのだ。それが資本主義のおぞましい素顔だ。
売国奴にして、統一教会の操り人形のような存在だった安倍晋三の国葬が行われようとしている。どうみても、正気の国ではない。
日本を侮蔑し、日本を売り渡した売国奴を国葬にする、美しい国、日本。
世界の物笑いにされている。