「北林あずみ」のblog

2022年08月

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 Twitterからしばらく遠ざかることを宣言した。
 ブログから遠ざかることは宣言していない。物書きとして、そして作家として、ブログが生きていることの証であり、このブログで小説を連載の形で発表し、終了した時点でKindleから電子書籍として出版しているからだ。
 正式な出版社から作家デビューし、紙の本として出版されるのを夢見ていたが、その寸前になって、出版社と喧嘩(自分では喧嘩のつもりは毛頭無い。大義を貫いたつもりなのだが、出版社の逆鱗に触れたようだ)して、夢はついえ去った。大手の出版社には、どうも約束事があるようだ。出版社と喧嘩したような者はブラックリストに入れられ、徹底的にパージされる。
 Kindleから出版している小説『風よ、安曇野に吹け』は、情報が漏洩されネットで大騒ぎになって、「ぶっ飛び」と名付けられた小説だ。信じるか、信じないかは自由だ。妄想癖がある「北林あずみ」の妄想だと思われても一向に構わない。真実を知っているのは、当該する騒動に関わったポプラ社と講談社の編集者たちだ。その編集者に訊けば、嘘か誠かハッキリとするはずだ。が、良心があればの話だ。
 その後に書いた小説『僕の夏よ、さようなら』も曰く付きの小説だ。が、こちらは自分でも確証はない。「文藝賞」の騒動を引き起こした小説に違いないと、わたし自身は思っているのだが、これが嘘か誠か知っているのは、河出書房新社の編集者と、当該する騒動の時に「文藝賞」の審査に当たった選者たちだ。覚えているのは、高橋源一郎、斉藤美奈子、田中康夫だ。こちらも良心があるとしたら、わたしの疑惑が嘘か誠か、証言してくれるだろう。が、何らかの形で大手出版社と関わって生きているのだから、大手出版社と喧嘩した不届き者の妄想だとして闇に葬るのは火を見るよりも明らかだ。永久に闇の中なのだろう。
 わたし自身はもう出版社から小説を出してもらうのなど諦めている。Kindle作家として生を終えると覚悟を決めている。
 だったら今更愚痴をこぼすのなど見苦しい。そう思われる読者がほとんどだろう。
 愚痴をこぼしたくなる心境に追い込まれているのだ。
 統一教会問題で、この国に嫌気がさしたのと、愚痴をこぼしたくなる心境とは繋がっているのは確かだ。
 この心境が、物書きの心に火を点けた。
 この国に嫌気がさした原因を書けとそそのかしている。その誘惑に負けて、筆を執っているというのが、正直なところだ。標題が、この国に嫌気をさした核となる原因だ。
 それでは、思いのままを、嫌気に牽引されながら、怒りとともに、書き殴ろうと思う。

 闇に隠れていた統一教会問題を白日の下に引きずり出したのは、安倍晋三の暗殺事件だ。
 生々しい映像として事件の一部始終が残っており、テレビとネットで、その映像が流れ国民の目に焼き付いただけに、衝撃は計り知れない。この衝撃の大きさがなかったら、統一教会問題は浮上してこなかったに違いない。
 事件直後の政府自民党の対応が象徴的だ。
 民主主義への挑戦であり、言論の自由への圧殺行為であり、政治テロだ、という主張をNHKなどのテレビを使って拡散し、安倍晋三は政治テロに倒れた「英雄」として情報操作し、印象操作して、国民の意識に刷り込もうとしたのだ。
 この目的は、テレビと新聞を使って国民の意識に植え付け、洗脳してきた、「安倍晋三の虚像」をそのまま生き続けさせ、日本の偉大な英雄的政治家として、国葬という名の祭りで国民の心を鷲づかみにし、悲劇の英雄・安倍晋三の遺志を実現させるという感情に火を点けて、一気に改憲へと雪崩れ込み、ナチスの全権委任法に当たる緊急事態条項の奪取へと突っ走ろうというシナリオを描いていたに違いない。
 が、安倍晋三を暗殺した山上徹也の母親が統一教会の信者であり、統一教会に騙されて多額の献金をし、家庭崩壊に至っていたことが明るみになってくると、政府自民党が描いたシナリオが音を立てて崩れ去った。統一教会による家庭崩壊が、父親と兄との自殺までを引き起こしていたのが暴露されると、政府自民党の民主主義を圧殺する政治テロという主張は成り立たなくなった。
 そして山上徹也が、家庭崩壊を招いた統一教会へのあからさまな殺意を、統一教会の広告塔的存在だった安倍晋三に向けたことを自白しては、「日本の偉大な英雄的政治家の悲劇」として安倍晋三の暗殺を飾り立てるという目論見も崩れ去ったのだった。
 この過程で、政府自民党のシナリオを破壊することに貢献したのが、統一教会の霊感商法問題に携わり、被害者の救済に当たってきた紀藤正樹弁護士だった。
 そしてもう一人、ジャーナリストの嗅覚で、統一教会と政治家の関係を追い続けてきた鈴木エイト氏だった。
 紀藤弁護士と鈴木エイト氏の立ち位置は微妙に違う。
 紀藤弁護士は弁護士であり、弁護士として統一教会の霊感商法被害者の救済を目的としてきたのであり、統一教会をカルト「宗教」として捉え、カルト「宗教」による霊感商法被害を問題にしている。従って紀藤弁護士が目的とするのは、統一教会による霊感商法をこの国から一掃するだけでなく、統一教会のようなカルト「宗教」による被害を日本社会から一掃するための、フランスのカルト規制法のような法的縛りを作ることと、実際問題として、統一教会に騙されて多額の献金をしたり、それによって家庭崩壊をおこしたり、路頭に迷っていたり、拉致被害者に等しい合同結婚式によって行方不明になっていたり、見知らぬ外国で不幸を背負わされていたりする被害者を、どうやって具体的に救済するか、その対策と立法化なのだ。
 紀藤弁護士にも統一教会問題を「政治問題」として捉える側面があると、わたしを批判することも可能だろう。実際に、統一教会と政治家との癒着を問題にする発言をしている。が、その発言の意図するものは、政治家が広告塔の役割をして、統一教会の霊感商法を正当化し、霊感商法をこの国に根付かせ、霊感商法被害と、人権侵害である合同結婚式の被害を拡大させていることだ。広告塔の役割だけでなく、統一教会の「政策」に加担しているという点も指摘している。
 政策を「」で括ったのは、これは言葉の厳密な意味としての「政治」としてのものではないのを強調したかったからだ。
 整理すれば、紀藤弁護士の視点と目的は、統一教会を宗教としてみるか、みないかは別にして、統一教会のカルト性と、そのカルト性が引き起こす社会的問題と被害という視点であり、それをどうやって社会から取り除いていくか、そのためのあるべき法律と法整備とはどのようなものか、という目的意識なのだ。
 優れて法律的視点と目的であり、政治的視点ではない。客観的に、紀藤弁護士がテレビに出演しての発言によって国民の意識に与える影響をみていくときに、この前提は重要になる。
 紀藤弁護士が主張し始めた、国会議員の統一教会との関わり合い方の濃淡で線引きするという「線引き論」を考える上でも、この前提を通してみることは重要だろう。そうでないと「線引き論」の危険性と、欺瞞性がみえてはこない。

 余談になるが、わたしは作家なので「正義」という言葉を使うときには、ためらいがあり、恥ずかしさというか、後ろめたいというか、そんな感情を抱く。「正義」という言葉が抱え込む、胡散臭さと欺瞞性と作為性と自己正当化のようなものを感じてしまうからだ。わたしが統一教会問題で、Twitterで「大義」とか「義」とか「誠」とか使っているが、この言葉には政治的戦略性と政治的作為とが込められている。ストレートにそんなものを信じてはいない。信じたいとは思うが、人の心の不可解さと闇をさまよい歩く作家ならば、そんな言葉を信じたくとも信じられるはずがない。それが哀しい作家の性(さが)だ。
 紀藤弁護士は、テレビで橋下徹に向かって、弁護士になったのは社会「正義」を実現するためだと即答で言い切ったらしい。Twitterの動画でみた。本物の弁護士だから言える言葉なのだろう。作家のわたしには言えない。何をもって「正義」といえるのか。何が正義で、何が正義でないのか。自分の心に降りてきて、わたしの心は正義か、正義でないか、などと問うても意味がない。正義に向かおうとするときもあれば、敢えて正義に刃向かおうとする露悪な心もある。正義を口にしながら、正義を方便にしている自分をみている、もう一人の自分がおり、悪事をなしているときに、それを押さえ込もうとする、もう一人の自分がいたりする。押さえ込もうとするのは理性だ、などというのは幼稚園児と、日本共産党の志位和夫が考えることだ。ナチスが医学的治験を得るために、ユダヤ人を生体実験に使ったが、そこに働いていたのは紛れもなく理性だ。理性の恐ろしさと、理性の底にあるニヒリズムを分かっていない。ニーチェは、理性が神として君臨してしまったニヒリズムを暴いたのだ。
 紀藤弁護士は社会「正義」を掲げる。法律の専門家であり、法律家であるから、法律で社会「正義」を実現できるという信念があるのだろう。
 いってみれば、法律とは「線引き」である。特に民法や刑法はそうしたものだろう。人の心は曖昧模糊としたものだが、法律とは敢えてその心に「線引き」を設けるものだ。そして、どうとでも転び得る人の心を「線引き」で縛り付けるものだ。しかし、法律は必要だ。そうでないと社会秩序は保たれない。
 心を丸ごと乗っ取る洗脳と、それと繋がる道徳観と倫理観については、とりあえずここでは論じない。標題を論じる上では邪魔になるからだ。
 わたしが強調したいのは、国会議員の統一教会との関わりの「濃淡」を見分け、白と黒との境を設けて「線引き」できるという発想は、法律家の発想であって、人の心に大きく関わる政治を考える場合に、大きな社会的悪影響を与え、政治を混乱させ、政治的な社会悪を法律の「線引き」で有耶無耶にすることに繋がると強く断罪したい。この点については、後で詳しく論じる。

 さて、鈴木エイト氏だが、こちらは統一教会と政治家の繋がりと癒着とを、ジャーナリストとして執拗に追いかけてきた。頭が下がる。鈴木エイト氏のこれまでの苦労がなければ、政府自民党と統一教会の闇はここまで暴けなかったことだろう。鈴木エイト氏が存在がなかったらと思うと、恐ろしさを覚える。
 鈴木エイト氏は、政治家と統一教会の癒着の問題を追いかけてきただけに、鈴木エイト氏が投げかける統一教会問題は、優れて「政治的」なものであり、統一教会の政治的問題の急所を捉えたものかといえば、わたしは違うと思う。
 鈴木エイト氏は、紀藤弁護士とは違って、政治的視点に軸足を置いてはいるが、カルト「宗教」としての統一教会の霊感商法被害と、この国のあり方と未来とを左右する統一教会問題の核となるべき、政治的問題とがごちゃ混ぜになっている。
 反論する読者が多いだろうが、わたしからみると有田芳生氏も鈴木エイト氏と五十歩百歩だ。
 どうしてこうしたごちゃ混ぜの現象を起こすのかというと、ほとんど日本だけで、統一教会の霊感商法被害が深刻化しているからだ。
 外国では、統一教会は「宗教」か、「宗教」でないかの問いが成り立たないほどに、統一教会の政治的野望と目的とが暴露されてしまっている。そして、政治的野望と目的とが、経済活動としっかりとリンクしていることも暴露されてしまっている。だから「宗教」として成り立ちようがないのだ。あまりにも政治的だからだ。
 統一教会の教義から読み取れるのは、宗教の装いをした、政治的組織だと明確に分かる。それだけではない。教祖の文鮮明が政治的野望を明言している。宗教は隠れ蓑に過ぎない。そして、政治的野望を実現するための資金集めのための仮面でしかない。それが揺るがしようがない事実だ。
 統一教会が設立した「世界勝共連合」とは「反共」を旗印に掲げた、優れて政治的な組織だ。ここに、この国の右翼と保守と極右がすべて飲み込まれていることから、目を逸らすのなど許されはしないはずだ。
 統一教会が作り上げた「世界勝共連合」がこの国をどれほど蝕んでいるのか、統一教会がこの国の政治にどれほどの影響を与えているのか、という視点は重要なはずなのに、紀藤弁護士にはこうした視点はない。
 
 統一教会問題の核心は、優れて政治的なものであり、この国の根幹に関わるものだという主張は早くからあった。
 Twitterで精力的に発信してくれている海外在住の知識人がいた。
 統一教会を宗教としてみるという視点を持たず、統一教会の政治的野望と目的とを知っているだけに、日本の統一教会問題の核心が余すことなく見えるのだろう。
 海外からの発信だけではない。国内からも心ある知識人が精力的に発信していた。一人や二人ではない。
 統一教会問題の核心部分がみえているから、核心から逸れている紀藤弁護士の方向へと世論が誘導されていくことに警鐘を鳴らしていたのだ。
わたしはそうした知識人に触発されて、Twitterで執拗に連続ツイートを始めたのだ。
 その過程で、紀藤弁護士と江川紹子氏と有田芳生氏あたりが、国会議員が統一教会と関わっていた濃淡で線引きする必要性を口にし始め、濃淡による「線引き論」がテレビで前面に出てきたのだった。世論に強い影響を与え始めたのだ。
 わたしは唖然とした。
 本人は無自覚なのだろうが、わたしからみると紀藤弁護士は、世論を取り返しが付かない方向へと誘導しているようにみえる。
 その結果、濃淡による「線引き論」で、政府自民党は少しの傷を負っただけで逃げ延びてしまうだろう。紀藤弁護士の愚かさは、統一教会問題は、議員それぞれの関わりの濃淡などを判定するレベルを超えて、自民党ごとが乗っ取られているという視点がないことだ。自民党組織が乗っ取られているのに、その組織を構成する議員一人一人の濃淡を調べ挙げて、白か黒か判定することにどれほどの意味があるというのか。
 調べるべきは、どうして閣僚のほとんどが統一教会と関係があり、総理である岸田文雄までが統一教会と関係しているのか、どうしてほとんどの自民党議員が何らかの形で統一教会と関わりがあるのか、という点だろう。
 この事実を踏まえれば、自民党ごと統一教会に乗っ取られていると考えるのが自然であり、それを前提にして、何をなすべきか考えるのが当たり前だ。
 紀藤弁護士が政府機関の諮問委員に選ばれたのは、政府自民党にとって、紀藤弁護士が強く主張する濃淡による「線引き論」が好都合だからではないか、と疑っている。つまり、濃淡による「線引き論」が政府自民党の逃げ道を作ることになるからだ。
 政府自民党が統一教会に乗っ取られているという事実からみると、政府自民党を逃すということは、統一教会を逃すことを意味している。野党第一党の立憲民主党にとっても、濃淡による「線引き論」は格好の逃げ道だ。

 紀藤弁護士が統一教会の霊感商法問題に命を賭け、霊感商法被害を日本社会から撲滅する法律を作り、被害者を救済するための対策を諮問し、また立法化することに尽力するのに異論はない。統一教会による殺害を匂わせた脅しに屈せずに、奮闘してきた姿には頭が下がるし、敬服する。が、統一教会問題を、カルト「宗教」による霊感商法被害の側面と、日本乗っ取り計画を実行していた政治的野望と目的をもったカルト組織という側面と、この二つを分離することを強く求める。
 紀藤弁護士がすべきは一つ目の側面であり、無自覚のまま二つをごちゃ混ぜにして、二つ目の側面まで取り仕切るような発言には注意すべきではないのか。
 この国のあり方と未来をも左右する重大な問題だからだ。この問題は、弁護士の発想でどうこうできる問題ではなく、またできると考えることの傲慢さに思い至るべきだ。
 関係の濃淡で「線引き」するなどという傲慢な考えを即刻捨てて欲しい。
 統一教会による霊感商法被害に携わってきた第一人者であり、社会悪と命を賭して闘う弁護士姿勢は、誰が見ても一級品だし、わたしも敬服しているが、だからこそ紀藤弁護士の発言が世論に与える影響は計り知れない。濃淡による「線引き論」が、テレビの態勢を占めるようになっている気がする。
 わたしの焦りと苛立ちは、そこからきている。政府自民党が崖っぷちに追い込まれているのに、本人の意志とは無関係に、政府自民党の援護射撃をしているとしか思えない。あってはならない方向へと、世論誘導をしていることに気づいてほしい。
 もっと悪し様に言えば、濃淡による「線引き論」を主張する紀藤弁護士は、政府自民党に利用され、だからテレビに引っ張りだこなのではないのか。言いたくはなかったが、この亡国的危機にあっては、言わざるを得ない。
 もう一度念を押す。
 二つの問題を明確に分けずに一緒くたにしては、本質を見誤る。
 二つ目の政治的側面は、紀藤弁護士の視点では百害あって一利もない。政治音痴としかいえない。
 以下、何故に二つ目の統一教会問題がこの国のあり方と未来とを左右するほどの大問題なのか、論じて終わりにしたい。

 紀藤弁護士の最大の欠点は、白と黒を分ける法律は、「政治的力」によって生み出されるという視点が皆無なことだ。
 安保法制は、政府自民党による強行採決で成立したものだ。正しくこれは数の暴力で、審議もままならない状況で強引に成立させられたものだ。重要なのは、それまでの自民党の政府見解と違うものであり、いわば憲法の抜け穴を見つけて、奇想天外な解釈をして正当化した、明らかな憲法違反によって成立したものだ。安倍晋三の政権でないとここまでの強引さはなかったはずだ。「政治的力」で反対する国民の声をねじ伏せたといえる。
 この強引さはどこからきたものか。
 安倍晋三と統一教会との親密さと一体化とが暴かれたからには、この強引さに統一教会の意志が潜んでいなかったと言い切れるだろうか。
 議員の統一教会との関係の濃淡で線引きするという「線引き論」が、いかにいい加減なのもであり、事の本質から逸れているばかりか、本質的問題を解決せずに、そのまま延命させるのを手助けすることになるという危険性に気づけなくするものだ。
 何を言いたいかというと、統一教会によって作られたこの国の未来をも左右しかねない法律が、そのままになるということだ。
 政治的側面からみたら、統一教会問題がいかに重大か分かろうというものだ。これを問題にしないで、何を問題にするのか。
 安倍晋三の長期政権になってから、この国のあり方は大きく様変わりした。安保法制はその変化の一つに過ぎない。
 国の基幹統計までが、改竄、捏造、隠蔽、破棄される先進国などどこにもない。前代未聞だ。こうした手法に、統一教会の権謀術数のノウハウが入り込んではいなかったのか。それを疑う必要性があり、また検証する必要があるのではないのか。
 NHKが政府広報化し、国民を洗脳する情報操作機関にまで堕落しているが、そこに統一教会の意志が働いていないか。
 政治的に重要な疑問を挙げていけば切りがない。それほどに安倍晋三が長期政権でやってきたことは、それまでの自民党からは逸脱したものであり、それだけに、安倍晋三の長期政権でこの国のあり方が根底から変えられたといるだろう。それに反論はないはずだ。安倍晋三が自らでこの国のあり方を根本的に変えると明言しているのだから間違いはない。
 その安倍晋三が統一教会と一心同体に近い関係が発覚しているのだから、この国を変えたのは、統一教会の意志でもあったといえないか。
 陰謀論だとは言えないはずだ。
 何故ならば、統一教会の主張と安倍晋三のやってきたこととが見事なほどに符合しているからだ。
 天に向かって両腕を広げて演説する姿までが、文鮮明の真似なのではないかと、わたしは本気で思っている。
 安倍晋三の長期政権で、この国のあり方を変えたことは確かだが、変えたことに統一教会の意志と力とが関係はしていないのか、という疑問は成り立つものだろう。仮に、統一教会の意志だったなら、大問題だろう。これは過去と現在の問題だ。
 未来の問題もある。
 統一教会の憲法草案と自民党の改憲案とが、驚く程の符合を見せている。防衛費の急激な増大も統一教会が表明している考えと、自民党の動きとが連動しているようにもみえる。教育行政と政策に至っては、統一教会が指示しているのではないかと思えるほど、統一教会の教育観に沿ったものになっている。
 憲法の改悪を急いでいるのも統一教会だ。自民党が改憲に前のめりなのも統一教会の意志が入り込んでいるとみた方が打倒だろう。何故ならば、これまでに自民党と統一教会の癒着と一体化を通してみれば、そうみるのが打倒だからだ。
 かつて自民党の重鎮で、引退した政治家たちが口をそろえていうのは、安倍晋三の長期政権で自民党はかつての自民党ではなくなったということだ。これをとっても、自民党が統一教会に乗っ取られたとみるのが自然ではないか。
 紀藤弁護士の関係の濃淡で線引きするという「線引き論」の視点には、こうしたことがまったく無視されている。個々の議員が、統一教会とどういう関わりをしてきたか、その濃淡はどれほどのもので、どこまでが許されるものなのか、その線引きをして、白と黒の議員を分けて、白の議員は無罪放免にするという驚くべき発想のものだ。上に述べたことを踏まえれば、あまりにも幼稚な発想であり、あなた頭大丈夫ですかという発想なのだ。
 個々の議員を白と黒に分けたとして、上述した本質的な問題の解決にはならない。何故ならば、統一教会によってこの国が根本的に変えられたという疑惑に蓋をし、それを無視して、黒になった議員をトカゲの尻尾切りして、変えられたまま同じようにして歩いて行こうとしているのだ。
 変えられたままで、変えられる前に戻さないで、このまま歩いて行けば、その先には統一教会の憲法草案とそっくりにこの国の憲法が改悪され、ナチスの全権委任法にあたる緊急事態条項を与えてしまうというのにだ。
 わたしからみると、紀藤弁護士は法律家としてみれば一流かもしれないが、政治に関しては丸っきりの素人で、だから統一教会問題の核心である政治的側面の重大性に気づけないのだろう。
 今や、紀藤弁護士の「濃淡論」、もしくは「線引き論」が勢いを増しつつある。当然の成り行きだ。「濃淡論」は政府自民党の逃げ道を与えるものであり、政府自民党は統一教会に乗っ取られているに等しいのだから、政府自民党がマンマと逃げるのに成功したなら、それはつまり統一教会を逃がしたことになる。それが紀藤弁護士にはまったく分かっていない。
 紀藤弁護士は反論するはずだ。
 政府自民党を逃がしたとしても、統一教会が生き延びられないような法律的縛りを作ると。
 これもお目出度い発想だ。
 政府自民党が逃げ切れば、改憲へと突っ込んで行き、ナチスの全権委任法にあたる緊急事態条項を手にするだろう。そうなれば、統一教会を縛り付ける法律など意味をなさなくなる。政府自民党と一体の統一教会なのだから、そんな法律などあってないに等しくなる。
 政府自民党を逃がせば、統一教会を逃がすという意味が分かったと思う。それだけでなく、この国が改憲によって息の根を止められるのだ。
 立憲民主党が木っ端微塵になろうが、真っ先にやらねばならないのは、改憲阻止であり、緊急事態条項の成立阻止のはずだ。その改憲が目前に迫っていたが、統一教会問題でそれを阻止できる千載一遇のチャンスだというのに、バカ野郎の立憲民主党は国会議員という利権にしがみついて、「濃淡論」に喜んでいる始末だ。
 今の立憲民主党には、何の力も無い。憲法改悪を止める力がないばかりか。その気も無い。そんな名ばかりの野党第一党の立憲民主党を援護する、これまたバカな政治学者がいたり、思考能力を失った立憲民主党信者と支持者がいるのだから、この国は救いようがないではないか!
 わたしは「濃淡論」を「ノータリン論」と呼んでいる。
 この国ごと乗っ取られようとしているのに、何を寝言を言っているのか。寝言は布団の中でしろ。公共の電波を使ったテレビで寝言を言うな!

 また時間を無駄にした。
 不朽の名作になるはずの長編小説『三月十一日の心』の執筆の時間を返せ!
 無自覚で、この国の破壊に加担する者ほど怖い者はいない。 
 

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 統一教会問題について、数日に渡って連続ツイートをしている。
 正直に吐露すると、自分でも病気だと思う。どうしてわたしを、こうした連続ツイートに向かわせるのか、哀しい物書きの性(さが)なのかもしれない。
 いや、物書きの性なら、Twitterなどに出入りしてないで、書きかけの長編小説『三月十一日の心』に専念すればいいはずだ。が、それができない。恩師である橋川文三の祟りなのかもしれないと、本気で思ったりしている。橋川文三は小説ではなく、わたしに日本政治思想史のようなものを書かせたいのだろうか。そんなことを思ったりもしているが、もう68才だ。先がない。長編小説『三月十一日の心』に専念するしかないのだろう。この小説に、橋川文三から伝授された政治思想史を盛り込むしかない、と覚悟した。
 昨日(8月25日)に、性懲りもなく連続ツイートをした。
 安倍晋三と今井尚哉と統一教会について、わたしの中にやってきた直感を絡めてツイートしたものだが、核となるのは立憲民主党の愚かさへの批判であり、野党第一党の矜持があるなら、今何をなすべきか、立憲民主党がとるべき政治的行動を具体的に提案したものになっている。
 信じない人がいるかもしれないが、下書きは一切ない。即興的に一気呵成に書き殴ったものだ。途中で中断するのは、愛妻に用事を言いつけられたり、子供のように早く朝飯を食べろとせっつかれたりするからで、下書きをしているからではない。
 これくらいの速さで小説を執筆できないものかともどかしさを感じるのだが、小説を書き始めた頃は、連続ツイートに勝るとも劣らない速さだった。それがドンドンと遅くなり、今や亀の歩みよりものろい。
 前置きはこのくらいにして、以下、当該する連続ツイートを掲載する。可能な限りそのまま掲載するつもりだが、少し手直しが入ると思う。ご容赦願いたい。


 昨日(8月24日)、立憲民主党が公表した統一教会と何らかの関係を持った議員に捨て石になり、この国を腐敗させ、衰退させ、国民の暮らしの土台を破壊してきた、自民党政治をこの国から排除し、統一教会に乗っ取られつつあるこの国を救出せよ、との檄を飛ばした。  予想外に反響があった。その意図をもう少し詳細に述べたい欲求が出てきた。そこで今日も、連続ツイートしたい。
  野党に決定的に欠けているのは戦略がないことだ。選挙にその弱点がはっきりと現れている。  安倍晋三は選挙に強いと言われているが、安倍晋三の「政治は力」との思いがそうさせているのだろう。「政治は力」を言い換えると「政治は数」になる。圧倒的な数の優位で、批判を封じ込め、数の優位でやりたい放題をやる。独裁的政治こそが安倍晋三の欲する政治だ。だから選挙が何よりも重要であり、選挙で圧倒的な数を得なくてはならない。そして圧倒的な数の優位を勝ち取ると、間を置かずにやったのは、自民党内の反対勢力の一掃であり、国会の破壊であり、官僚と司法と警察の掌握であり、飴と鞭とを使い分けて、マスコミに圧力を加え、籠絡して世論誘導を図ったのだった。
 冷静にみると、理にかなった、巧妙な戦略性がみてとれる。
 この戦略の肝は、その戦略が成り立つために絶対条件となる選挙での勝利だ。だから選挙そのものが、戦略性を強く帯びたものになる。選挙に権謀術数を張り巡らせた薄汚い手段までが入り込む。  幼稚園児の知性と理性の安倍晋三にこうした戦略を
練る能力はない。私は最初、安倍晋三を総理大臣に祭り上げ、安倍晋三を背後で操る日本会議による戦略なのだろうと考えていた。  が、どうも解せなかった。その点でついては既に連続ツイートしているから重複は避けるが、どうして解せないのか、ずっともやもやしていたのだが、そのもやもやを吹き飛ばすヒントになるものに突き当たったのだった。そのヒントとは、第一次安倍政権と第二次安倍政権との間の断層だ。
 第一次安倍政権
はあまりにも脆かった。  それと比較して、第二次安倍政権のしたたかさが言われる。私からみても、別人の政権のような印象さえ受ける。
 こうした印象を連れてくるほどの変貌はどこからくるものなのか。  安倍晋三が挫折をへて鍛えられたからだという解釈がなされているが、安倍晋三が挫折したからといって、こうれほどの豹変できる学習能力もないし、知性と理性もない。
 そこで思い至ったのが、第一次安倍政権下の戦略は、日本会議を影で操る勢力(菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書)によるもので、第二次安倍政権下では、安倍晋三を影で操る勢力が、日本会議から、統一教会に変わったからだと思うようになった。
 数日前の連続ツイートでも書いたように、統一教会問題が浮上するまでは、日本会議に代わって安倍晋三を背後で操っていたのは、
化け物の今井尚哉だと思い込んでいたのだ。
 今井尚哉については、ブログでも何度となく書いている。新しいものは、『安倍晋三と今井尚哉の権力の二重構造とその本質……新型コロナが暴きだした闇と破滅性(前編・後編)』というものだ。(http://kitabayasiazumi-syousetu.blog.jp/archives/5752322.html)
 しかし、統一教会問題が発覚してからは、安倍晋三を影で操り、戦略を練っていたのは、今井尚哉ではなく統一教会だと確信した。  確信にまで至ったのは、第一次安倍内閣が瓦解し、失意の安倍晋三を伴って高尾山登山に同行した、今井尚哉と統一教会幹部の写真と記事を数日前に目にしたからだ。確信は、
揺るぎないとなった。
 話が立憲民主党の壺議員を捨て石にする戦略から逸れてしまった。
 私が強調したいのは、統一教会のKCIA仕込みの権謀術数を駆使した巧妙な戦略が、安倍晋三の長期政権を生み出していたことだ。先に述べたように、絶対条件である選挙に勝つための戦略も練りに練られた
ものであり、だから選挙に統一教会が深く関わって組織的に動いていただろうことは、想像に難くない。  一方の野党はどうか。  戦略などまったくない。野党共闘こそが戦略だと信じ込み、何度となく敗れても学習しないのだから、統一教会にしてみたら赤子の首をひねるようなものだったはずだ。
 もう一度言う。  安倍晋三の長期政権を生み出したのは、統一教会のおぞましい権謀術数を張り巡らせた戦略だった。  その戦略に統一教会は、どういう「別の意図」を忍ばせていたのか。  冷静に考えてみるべきだ。  アメリカのコリアゲートで、統一教会の驚くべき政治的野心と目的が暴露させた。そのときに、日本も警戒すべきだったのに、あろうことか、日本の国家権力は統一教会の救出に走ったのだった。  多くの日本人は、日本人を騙して金を巻き上げる霊感商法に目を奪われ、また性的邪宗としての奇怪な合同結婚式に目を奪われて、統一教会の政治的野心と目的を軽んじ、大した問題とは思わなかった。恥ずかしながら、私もその一人だった。
 が、統一教会問題が発覚し、現実に南米では統一教会に乗っ取られた国家まであると知って、空恐ろしさを感じたのだ。  日本のメディアは、まだアメリカのコリアゲートの時の日本の反応の延長線上にいる。  何故ならば、統一教会をここにおいても「宗教」としてみなし、「宗教」として論じているからだ。だから「信教の自由」とか「宗教弾圧」とかの寝言を言っている。
 統一教会と政府自民党は、そちらの方向にもっていって統一教会が国家乗っ取りを計画し、南米では国家乗っ取りに成功した実績を持つ、おぞましくも許しがたい政治的組織だという側面をみえなくしようとしている。  テレビの幇間コメンテーターを
みてみれば明らかだ。「信教の自由」の侵害だとか、「宗教弾圧」とかを盛んに口にしている。問題は、Twitterなどをみても、フォロワーが数万人もいる知識人とか、落語家とか、政治評論家とかの発言だ。統一教会を「宗教」としてみなし、「信教の自由」の問題に絡めて論じているのだから、呆れてしまう。
 目は節穴か、と言いたい。  安倍晋三の長期政権を生み出したのは、KCIA仕込みの統一教会の巧妙な戦略にあり、その戦略は、日本乗っ取り計画に則ったものだった、と私は確信している。  安倍政権の遺産を自民党は引き継いでいる。いや、引き継がざるをえない。何故なら、独裁的な安倍政権下でまるごと自民党が統一教会に乗っ取られてしまったからだ。その自民党乗っ取りも、日本乗っ取り計画の過程における事実にすぎない。  冷静に考えてほしい。  統一教会の日本乗っ取り計画は、既に完了に近づいていたということを。  安倍晋三が暗殺されなかったら、統一教会は影に姿をくらましたままで日本乗っ取り計画を成就していたはずだ。  日本乗っ取り計画がほぼ達成されていたとすれば、この日本という国の政治的土台が、既に統一教会に乗っ取られ、統一教会の思うように換えられているといえないか。  安倍政権の日本破壊の本当の意味とは、統一教会による日本乗っ取り計画の工程図に沿って、この国のあり方が換えられてきたものといえないか。  統一教会の教義をみてほしい。
 統一教会にとっての日本とは、徹底的に破壊し、奴隷化し、日本国民から搾り取るものだ。だから、日本国民の命と暮らしが破壊されたのだといえないか。  背後から統一教会に操られて、政府自民党がそれを行ってきたのだ。
 正に売国政党だといえる。
 それだけではない。統一教会の潤沢な資金が投入され、極右と右翼と保守が籠絡され、たらし込まれ、統一教会の手先となって日本破壊を推し進めてきたのだ。愛国者の仮面を被った、売国奴でしかない。
 さて、長くなったが、ここからが本題だ(笑)  何故に長々と論じたかというと、立憲民主党と立憲民主党の
支持者が、この国の亡国的現実をまったく分かっていないからだ。
 分かろうともしないし、知ろうともしない。  そして立憲民主党のことしか考えられなくなっている。何でもいいから、どうにかして立憲民主党を守り抜くことしか考えていない。浅ましいというか、愚かというか、この亡国の危機を前に
して立憲民主党の看板にしがみつき、立憲民主党という看板を中心にしてしか考えられなくなっている。なんと愚かで、なんと恥知らずなことか。  だから、立憲民主党の壺議員が発覚しても、自民党と自民党の支持者と同じ発想と行動をとっているのだ。本人達は、自分達がやっていることは自民党と違うと思っているのだから救いようがない。  言いたくはないが、敢えていおう。  この亡国的危機にあっては、立憲民主党だろうが、日本共産党だろうが、れいわ新選組であろうが、どうでもいい。  この日本という国が乗っ取られ滅ぼうとしているときに、政党などどうでいいのだ。立憲民主党と心中する選択肢などあり得ない。  考えてもみよ。
 今の立憲民主党に何ができるというのか。  はっきりと言う。何もできない。出来れば、既に動いている。やっていること
といえば、臨時国会の召集要請と、野党ヒアリングの復活だけだ。これは平常運転ではないか。亡国の危機にとる行動でもなければ戦略でもない。  いや、私からみると、まったくやる気がないとしかみえない。だから泉健太のような能なしが、未だに党首に居座り続けているのだし、あろうことか壺議員で新執行部を作ろうという暴挙にでているのだろう。
 そして、統一教会と壺議員との関係の濃淡で白か黒かの線引きをするという「線引き論」を持ち出して、どうにかして生き残ろうと必死だ。「線引き論」は法律バカの発想だ。この国が乗っ取られようとしている亡国的危機の真っ最中だ。「政治的」な緊急的対応が待ったなしで求められている時に、法律を万能視するなどもっての外だ。政治的理性があるなら、こんな浅はかな愚策を持ち込めるはずがない。政治の素人だ。怒りさえ覚える。「線引き論」は事後処理の問題だ。緊急対応であるはずがないではないか。それに、自民党と統一教会の逃げ道を作ることになる。
 統一教会の日本乗っ取り計画に則った戦略に思いを巡らすべきだ。  統一教会の日本乗っ取り計画は、政府自民党を表の顔にして、裏で操るから威力を発揮できたが、安倍晋三の暗殺で、図らずも、政府自民党を影で操っていることが暴露されてしまった。だから
威力は半減している。  このときに、指を咥えて傍観しているに等しい、野党第一党の立憲民主党は大馬鹿野郎だし、能なしだといえないか。  立憲民主党には国民の命と暮らしがどうなってもいいのか。  この国が乗っ取られようとしているのに、どうしてそれを阻止し、そのためのありとあらゆることを考え、行動しようとしないのか。  犯罪的行為だ。  本物の政治家なら立憲民主党を守るより前に、国民の命と暮らしを死守するために起つのが当然のはずだ。それが、立憲民主党至上主義ばかりか、永田町の政治屋として生き延びようという浅ましい根性丸出しなのだ。腐りきっている。政治家に値しない。  先ずは党派を捨てろ!  そして何ができるか考え、戦略を練るべきだ。  統一教会の国家乗っ取り計画を転覆できる行動と戦略だ。  党派を捨て、更に我が身を捨てる覚悟が無くては、そんな行動と戦略など成り立つはずはないではないか!  私が提唱した、立憲民主党の壺議員が捨て石になれ、というのは、統一教会の日本乗っ取り計画を根底から覆し、それだけでなく、この国の元凶であるおぞましい自民党政治を一掃し、安倍晋三によって、嘘と、言い訳と、改竄と、捏造と、隠蔽に塗れた腐敗し切った社会に、「大義」と「誠」とを復権させられるからだ。  想像するがいい。  立憲民主党の壺議員がメディアを集めて辞職会見をする光景を。 「大義」と「誠」を旗印にするのだ。  そして、安倍政治がどれほどの嘘と不実で日本社会を破壊してきたか、統一教会の本性とはどういうもので、どれほどの害毒を日本社会にまき散らしてきたか、自民党と一体になり、日本のあり方と国の姿を変えてしまったか、統一教会の国家観と絶対的家父長制的道徳観とはどういうものであり、その国家観と道徳観が自民党の憲法改悪案とどう似通っているか、統一教会の日本をサタンとする教義はどういう内容か、記者会見で明らかにしたらどうなるか。
 NHKだって報道しないわけにはいかなくなる。
 国民がほとんど知らないことを記者会見で暴露するのだ。国民の衝撃はどれほどのものかしれない。
 テレビと新聞を使っての情報操作と印象操作で洗脳されていた国民が、一気に覚醒するはずだ。そして自民党政治のおぞましい本性を知り、自民党政治を憎み、自民党打倒へと雪崩れ込むはずだ。
 その記者会見の場で、統一教会との関わりに濃淡があり、ほとんど無罪に近い議員もいるが、それを盾にして、国会議員として
しがみつくつもりはない。この国が亡国的危機にあるときに、政治家がすることは、この国を救うことであり、嘘と言い訳と不実に塗れた日本の政治に「大義」と「誠」とを取り戻すために決断し、議員辞職する。私はこの国の政治家だ。この国の政治家としての「義」と「誠」を貫く覚悟だ。そして命を賭ける意志がある。その第一歩としての議員辞職だ。議員辞職しても、この国を救い、この国の再建に命を賭け、この国の国民の命と暮らしを死守する意志と覚悟とがある。そのために捨て石になる。と言ったらどうなるか。  国民は涙を流すことだろう。  統一教会の戦略は、権謀術数に満ちた薄汚いものだ。だからそれに対抗するには「大義」と「誠」しかないではないか。
 それに
安倍晋三を操って統一教会がしてきたことは、この国の大義と誠の破壊そのものだった。 「大義」とは何ぞや!  平和憲法である。  憲法を恣意的に破壊した自民党に憲法改悪を唱える大義はない。  憲法を遵守して、その先での話だ。  以上一気呵成に即興で書いたので、改めてブログにしたい。  感想を待つ。

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 今朝よせばいいのに、いつものように、性懲りも無く、統一教会の問題の本質について連続ツイートした。
 今朝の連続ツイートは、統一教会の教義(=「思想」)と、日本の右翼と保守と、そして日本会議の「思想」に焦点を当て、そこから浮かび上がってきた問題点を指摘した。この思想にまつわる問題点は、統一教会の本質的問題に通じた重要なものであり、合わせてこの国が統一教会によってどのように破壊され、乗っ取られているか、論じたつもりだ。
 国粋主義と日本主義を標榜するこの国の右翼と保守と日本会議は、本来ならば、右翼と保守と日本会議の「思想」の核である国体論と真っ向から対立し、この国をサタン国と侮蔑し、天皇を文鮮明に跪かせる儀式をとり行う統一教会のような反日的、そして国辱的教団の危険性にいち早く警鐘を鳴らし、統一教会と戦陣を切って闘うはずのものだ。
 が、統一教会の反日的本性が発覚しても沈黙しているだけでなく、あろうことか統一教会を擁護し、宗教弾圧であり、信教の自由を侵害するものだというに及んでは、驚きを通り越して、笑いさえ禁じ得ない。
 以下、折角だから、今朝の連続ツイートを手直しして、ブログで転載したい。
 
 統一教会と日本の右翼と保守の「思想」が似通って、ほとんど同じだから厄介であり、問題が複雑になっている、と寝ぼけたことを言ってる知識人面した輩が、Twitterに湧いてるが、こうしたアホが一番質が悪い。  こうした輩は、統一教会と政府自民党に逃げ道を与えているといえる。  以下、この論拠を連続してツイートする。
 日本の右翼と保守から、そして日本主義と国粋主義から、国体論を取り除いたら何が残るというのか。寝ぼけるのもほどほどにしろと言いたい。統一教会と同様に、閣僚のほとんどが日本会議の議員で占められているが、日本会議は極右思想の牙城的存在で、一神教的国家神道を信奉している政治団体だ。
 特筆すべきは、統一教会と関係する壺閣僚と、日本会議の閣僚とがほぼ重なり合うことだ。  この奇怪な現象の理由を、統一教会と日本会議の「思想」(「」に括ったのは思想と呼べるものではないから)が似ていることに求めるのなど、日本の右翼と保守が柱とする思想を無視しているに等しい行為だ。
 上っ面しかみていない盆暗といえないか。こうした輩が往々にして知識人ぶっているから、ややこしくなるのだ。  もう一度いうが、日本の右翼と保守から、特に日本会議から国体論をとったら何が残るというのか?  日本会議の一神教的国家神道から国体論をとったら何が残るというのか?   日本主義と国粋主義から国体論をとったら何が残るというのか?  確かに、統一教会と一神教的国家神道の国家像と道徳観と価値観は似ている。キリスト教的一神教と儒教の家父長制を更に絶対化したようなものであり、その絶対的家父長制的国家観に八紘一宇の「世界は一家、人類は皆兄弟」という大アジア主義が合体したようなものだ。世界のあり方を絶対的家父長制としてみているのだ。  が、日本の右翼と保守、そして日本会議の思想の核にあるはずの国体論としてみれば、統一教会の教義は、敵対すべきものであり、国体論を侮辱しする国辱的教義となるはずだ。  何故なら、国体論とは日本は神の国であり、天皇こそが神の直系であり、国民は父である天皇の赤子であり、天皇の下において平等な臣民だというものだ。  一方の統一教会は、文鮮明は神の生まれ変わりで、唯一絶対だというのだ。そればかりではない、日本はサタンの国であり、韓国に貢ぐことで救われる運命を背負った汚れた国であり、その「思想」を具現化した、天皇に扮した幹部を文鮮明に跪かせる儀式まで行っている教団だ。  明らかに日本の国体論を侮辱するものであり、否定するものだ。  これでどうして日本の右翼と保守と日本会議が、統一教会と呉越同舟になり得るのか?  核にある国体論がぶっ飛んでしまうのに、呉越同舟はあり得ないではないか?  自殺的行為だ。  が、この国の右翼と保守と日本会議は、統一教会と呉越同舟どころか、ほとんど一体化している。信じられない事実であり、無節操極まりない事実だ。  これは、日本の右翼と保守と日本会議が、国体論を捨て去ったばかりか、統一教会の国辱的儀式で、国体論ばかりか、天皇を踏みつけたに等しい行為といえないか?  こうなると自殺行為などではなく、日本への裏切り行為であり、日本を侮辱するものであり、反日そのものであり、売国そのものだといえないか?  これで愛国などとよくも口にできると、呆れかえる。  その上、あろうことか嫌韓を煽りに煽ってナショナリズムの火を点けようとしているのだから、倒錯も甚だしい。  いや倒錯であろうはずがない。これが国民の目を欺き、国民を騙して統一教会の想い描く方向へこの国を誘導するための「演技」でしかないと分かる。  嫌韓を、自分たちが日本を裏切った反日の分子であり、売国奴である事実を隠すための隠れ蓑に使っているのだ。言葉を換えるとナシュナリズムを煽ることで、反日と売国である自分たちの本性をみえなくし、国民を騙しているといえないか。  象徴的な存在が、櫻井よしこだ。櫻井よしこは日本会議のマドンナといわれ、右翼と保守の論客として位置づけられている。が、統一教会とズブズブのびしょびしょの濡れ濡れの関係(統一教会の始まりが「性的」邪宗であったからこうした表現にした)ばかりか、韓国国家情報院の関係まで浮上している。  自民党の閣僚をみよ。  日本会議と統一教会と二股をかけているのだ。愛国と国体論と一神教的国家神道を信奉するナショナリストの仮面を被っているが、仮面をとれば、反日であり、売国奴であるおぞましい貌が現れてくるのだ。  では、どちらが本当の貌(おぞましい化け物だから顔ではない)で、どちらが仮面なのか?  問うまでもないだろう。統一教会の貌が本当でなかったら、反日と売国の仮面などつけられはしない。  ネトウヨの出所も、いわゆる右翼と保守の自称評論家と自称論客らが集う魔窟のような雑誌が存在するが、その雑誌が存続できる真の意味と、資金の出所も容易に想像がつくというものだ。  こうした事実は、国民はまったく知らない。この国のテレビと新聞が、政府自民党の広報宣伝機関と化しているからだ。  しかし、考えてみると空恐ろしいことだ。  愛国と国体論と、そしてナショナリストの仮面を被って国民を欺き、仮面の下でせっせと反日と売国の行為をし、国民を騙して巻き上げた金を韓国の統一教会本部に流している。その金は環流して日本に舞い戻り、日本の政界工作とテレビと新聞を操る資金となり、この国の民主主義と、この国のあり方と、この国の国民の命と暮らしの破壊の資金になっているというのだから、この国は救いようがないではないか。  この事実をまったく国民は知らないのだ。国民はこの国の主権者だ。知る権利があるはずだ。が、政府自民党に操られたテレビと新聞は、その事実を意図的に隠している。そして、仮面をつけた偽りの自民党という反日であり売国である政党に、国民が投票するように仕向けている。  これを問題にしないで、何を問題にするというのか?  公正で公平なはずの選挙制度まで破壊されているといえないか?
 仮面によって国民が騙され、洗脳されて
いるからであり、これこそが、統一教会の『日本乗っ取り計画』のおぞましい側面だといえないか?  これでも、統一教会の問題を『霊感商法被害』としてみていていいのか?  もっと根深い問題ではないのか?  何故ならば、この国のあり方そのものと関わり、この国のあり方そのものが破壊されているからだ。
 現に閣僚が統一教会の関係議員で占拠されているのだ。これは動かしようがない事実だ。
 最後に統一教会が
浮かび上がらせた、この国の右翼と保守と日本会議の問題について触れたい。  上述したように、日本の右翼と保守と日本会議の思想が、思想として成り立つためには、国体論が核になければならないはずだ。この国体論こそが日本主義と国粋主義を生み出すエネルギであり、これこそが日本精神であり、日本の伝統と文化の源だとする思想だからだ。  が、この国体論を統一教会に丸め込まれて、足蹴にしたのだ。こうなると日本主義も国粋主義もナショナリズムもあったものではない。そんなものは嘘偽りであり、国民を騙すための仮面であり、方便でしかなくなる。  では、日本の右翼と保守と日本会議の残った「思想」とは何か?  親米従属と反共ではないのか?  これが土台であり、これが全てなのだ。
 何故なら、あるべきはずの国体論が嘘でしかなかったからだ。  三島由紀夫はこの事実を看破していた。右翼の民族派の思想とはこうした日本の右翼と保守(と日本会議)の嘘と堕落と汚辱を批判し、克服しようとした思想ではないのか?
 だから国体論を核とし、米国従属からの脱却と自主独立国家への脱皮を掲げたのだろう。
 わたしは民族派の思想は「反共」ではないと思う。「反共」がこの国の思想を根本から堕落させている元凶だと直観していると思う。この国の思想を堕落させている元凶という意味は、日本共産党のいう意味ではない。
 日本共産党もこの「反共」に毒されて堕落していると思っている。
「反共」には思想的実体はない。
 あるのは、漠然とした資本主義体制の維持と、国家権力の護持という雰囲気でしかない。だから、統一教会はこの「反共」をこの国の国家権力を乗っ取る計画に最大限に利用したのだ。
 その前段階として、国家権力と癒着し、寄生している存在であるこの国の右翼と保守と日本会議に接近し、
癒着し、抱き込み、そして謀略と諜報と、ハニートラップまで仕掛けて籠絡し、実質的に乗っ取ったのだろう。「反共」とは、この国の右翼と保守を吸引する壺だったことになる。壺を潤沢な資金でじゃぶじゃぶ満たせば、イチコロのなのだ。国体論を否定する統一教会とズブズブになったことが何よりの証拠だ。  どうして民族派が言葉の厳密な意味での「反共」ではないかというと、極左と手を結んだ過去があるからだ。「反共」とは単なる体制の護持の合い言葉であり、呪文でしかないのを知り抜いているからこうしたことになる。  日本の右翼と保守と日本会議は体制死守の烏合の集団でしかない。だから「反共」を掲げれば、極端な話が暴力団や、体制の用心棒をする商売が、右翼と保守の看板を掲げられることになる。暴力を商売にするのか、言論を商売にするのかの違いだけだ。櫻井よしこなどは、商売極右の見本だろう。  毎日、毎日、飽きずに連続ツイートしているが、わたしにとっては時間の無駄であり、ブログで連載し、中断している長編小説『三月十一日の心』(上はKindle電子書籍として出版済み)の続きが書けなくなる元凶でもある。得るものは何もない。  が、あまりにも統一教会問題についての論点がトンチンカンな方向へと流れて行こうとしているから、頭に血が上って、連続ツイートをしなければならない羽目に陥っているのだ。  いい加減に目を覚ませよ!  何度騙されれば気づけるのか!  テレビに出ているコメンテーターに感情移入したり、ファンになったりするな!  今のテレビなんか、常に疑って見ていた方が間違いがない。玉川さん素敵……。やっぱり、わたしたち国民の味方なんだ(ほろっ……涙)とか、橋下徹がコテンパンに論破された、ざまあみやがれ、とか色眼鏡でみて喜んでいると、テレビの巧妙な世論誘導にコロッと騙されることに、ソロソロ気づいたらどうなんだっ!  橋下徹はしたたかだ。第三者の目でみていたわたしには、橋下徹の役割が分かったし、その役割をきっちりと果たしていたことも分かる。第三者の目とは、ワイドショーを愉しみにしていつもみている者の目のことだ。こいつらの目を覚まさせなけりゃ意味がねえことくらい、もう気づけよ。  既に気づいている少数者の目からみて、紀藤弁護士の圧倒的勝利なんてほざいていても何の足しにもならない。  要は目覚めていない圧倒的多数を、そのままお目覚めにならないで、おねんねさせておこうと、あの手この手で必死こいてるのがテレビと新聞なんだよっ!  必死なの!  統一教会問題は下手したら、鼻提灯出しておねんねしてる圧倒的多数の国民を目覚めさせてしまう恐れがあっからだっ!  だから必死なのよ、分かる?
 だが、統一教会問題の本質を見間違えて、明後日の方向へ話をもっていかれたら、また元の木阿弥なんだよっ!  それをテレビは狙ってんだっつうのっ!  もう既に目覚めて喚いているやつなんか、どうでもいいんだ。おねんねしてる圧倒的多数をどうするか、テレビは悪知恵を絞ってんの!  俺に言わせんな!  疲れたよ、まったく……。


 「反共」が日本共産党を思想的に堕落させているという意味は、思想的実体がない、単なる雰囲気としての体制護持でしかない「反共」を、日本共産党の「思想的正当化」に使っていると言う意味です。  思想的実体のないもので、「思想的」正当化はできません。こうなると単なる裏と表の関係で、どちらも思想的実体がないことになります。

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 暗い心を引きずっている。
 日本人のお目出度さと、日本人の物をみる目の甘さに打ちのめされている。
 目先を変えられたら、コロッと騙されるその性質はどこからきているのだろうか。物を見る目は、論理では磨けない。感性が重要だ、とわたしは信じている。日本人の感性が酷く摩耗してしまったのだろう。論理は一つのようでいて、いくつものの道筋がある。行く着く答えは一緒ではない。それを論理だから、行き着く先は真実であり、一つだというのは思い込みでしかない。西欧近代主義の洗脳にやられているのだ。だから本質から逸脱する。わたしは直観こそ、本質をつかむ肝だと信じている。
 NHKがやっと重い腰を上げて、統一教会と政治家の関係を取り上げたと、小躍りしている人たちがいるが、甘ちゃんだと思う。むしろ、何故に今になって報道しているのか、その意図は何か、と疑った方がいい。TwitterでNHK批判の火の手が上がり、受信料の支払い拒否の動きがあり、その声に危機感を覚えて報道し始めたのも事実だろう。が、重い腰を上げたのは、このままでは政府自民党の権力基盤が危うくなるという焦りにも似た危機感から、国民の目を巧妙に誘導しようという意図が働いているのではないのか。
 統一教会と政治家との癒着と腐れ縁とを報道することだけに目を奪われていると、敵の思う壺だと警鐘を鳴らしたい。
 問題はどういう方向性で報道しているのかという点であり、それを見極めるべきだ。本質的問題に焦点を当てて、そこからこの国のあり方が、統一教会によってどれほど蝕まれ、歪められ、破壊されているか、徹底的に追及し、その全貌を明らかにすることなしに、統一教会の問題は解決されないだろう。 
 その全貌の解明がなされれば、では統一教会をどうするか、政府自民党をどうするか、自ずとその答えがみえてくるはずだ。そればかりではない。統一教会によって蝕まれ、歪められ、破壊されたこの国の再生の道筋がみえてくるはずだ。
 着目すべきは、もう既にこの国は真っ当な民主主義という国のあり方が、統一教会によって蝕まれ、歪められ、破壊されてしまっているという事実だ。この点を無視し、これを放置したままでは、統一教会の意図した方向へとこの国が流されていくことになる。
 こうした視点でみると、統一教会の本質的問題へと迫ろうとしているのは、TBSの『報道特集』だけのような気がする。
 リベラルと左翼といわゆる知識人は、TBSの『サンデーモーニング』を評価しているが、今朝の統一教会問題の報道は、意図的に国民の目を本質から逸らしていると思えてならなかった。
 憤ったわたしは、いつものように思いつくままに即興で、連続してツイートしたのだった。
 即興でもあり、整理されていなかったので、少し手直しを入れて、改めてブログにまとめることにする。

 統一教会の本質は既に、アメリカのコリアゲートで暴かれている。
 つまり『アメリカ乗っ取り計画』こそ、統一教会の恐るべき本質だ。  安倍晋三の暗殺事件が炙り絵として浮かび上がらせたのは、統一教会による醜悪な『日本乗っ取り計画』だった。そして、統一教会の「日本乗っ取り計画」において重要な役回りを演じたのが、誰あろう安倍晋三だった。その事実が浮かび上がったのだ。
 どうして安倍晋三だったのか。
 安倍晋三が誰よりも『日本乗っ取り計画』において適任者だったからだ。
 それを論じる前に、わたしが想像する、統一教会の『日本乗っ取り計画』の道筋をフローチャートで披瀝したい。
 
 【想像としての『日本乗っ取り計画』】

 ●性的邪宗として文鮮明が誕生させる
   ↓
 ●朴正煕軍事独裁政権下で、性的邪宗から極右カルト宗教へ「変身」
  朴正煕は岸信介の満州人脈……日本の傀儡政権
  謀略と諜報のプロのKCIAが関与 ※背後にアメリカのCIA
  岸の満州人脈の里見甫(満州国で麻薬密売と謀略工作をした電通の生みの親)も関与?
   ①反共産主義
   ②一神教的国家神道と教育勅語とそっくりな教義と国家観=儒教的絶対的家父長制
   
③天皇を文鮮明に置き換え
   ④八紘一宇(大アジア主義)的世界観
   ↓
 ●国際反共連合を創設→岸信介・右翼のボス児玉誉士夫と笹川良一が深く関与
  日本の右翼、保守、資本家が結集→統一教会と癒着→工作資金で籠絡と取り込み
   ①反共産主義
   ②
資本主義体制の護持=体制護持
   ③
親米従属
   ↓
 ●安倍晋太郎を総理に担ぎ政界工作を加速化させようとするが頓挫=晋太郎の急死 
  安倍晋太郎とズブズブの相互依存関係  
   ↓   
 ●日本会議の設立に関与→日本会議の目的が安倍晋三を総理に祭り上げての改憲
  日本会議を利用するのが『日本乗っ取り計画』の近道との戦略的判断
  ※日本会議が何故に安倍晋三に的を絞ったかは、菅野完『日本会議の研究』参照
   ↓
 ●日本会議を乗っ取る→潤沢な工作資金で籠絡し、フロント組織同然に
  日本会議のマドンナ・櫻井よしこが二股信者に
  稲田朋美、高市早苗らを次々と籠絡
   ↓
 ●安倍晋三を総理大臣に
   ↓
 ●安倍晋三の自民党内の独裁的権力基盤の構築=『自民党乗っ取り』
   ↓
 ●安倍晋三を操り複合的、そして構造的な日本乗っ取りに着手
  国会の形骸化、司法、警察、公安、NHK、マスコミの掌握
   ↓
 ●『日本乗っ取り』のための法案の立法化と強行採決
   ↓
 ●改憲の道筋を作るための露払い役として維新に肩入れ
   ↓
 ●無党派層と若者の心を吸引する「れいわ新選組」潰し
  参政党等々
   ↓
 ●改憲に必要な2/3以上の議席獲得 ⇐今ココ
   ↓
 ●改憲=ナチスの全権委任法にあたる緊急事態条項奪取
   ↓
 ●緊急事態条項を発令し『日本乗っ取り計画』の完成=統一教会王国

 上のフローチャートは想像であり、正しいかどうかはともかく、統一教会問題の本質が『日本乗っ取り計画』だという視点がなければ、事の深刻さは見えてはこないだろう。
 そして既にこの国が、政府自民党が乗っ取られただけでなく、複合的、そして構造的に乗っ取りをされている、という信じられないような現実が見えてはこないだろう。
 陰謀論で片付けられはしない。何故ならば、アメリカのコリアゲートの調査書が、『アメリカ乗っ取り計画』を暴いているからだ。それの日本版が、現在進行形の『日本乗っ取り計画』なのだ。
 この本質から目を逸らしていいわけはない。わたしは声を大にして、この本質から目を逸らすなと言いたい。
 今朝の
#サンデーモーニング では、アメリカのコリアゲート=『アメリカ乗っ取り計画』と同じ根をもつ、統一教会の『日本乗っ取り計画』という視点が全くない。
 意図的に視点と論点をずらしているのだと思えてならない。  自民党が既に、統一教会に乗っ取られているという事実から目を逸らせば、由々しき現状は何も変わらない。自民党が生き残れば、統一教会も生き残る。自民党は統一教会と一心同体だからだ。乗っ取られたということの意味はそうしたものだ。
 自民党が統一教会に乗っ取られていたという視点の重要性は政界工作だけに止まらない。その結果としてこの国が複合的に、そして構造的に統一教会に蝕まれ、乗っ取られていることを意味する。国会、司法、警察、公安、NHK、マスコミ等々だ。
 上のフローチャートでしめしたように、これらの乗っ取りの先には改憲という目論見がある。政府自民党が改憲をどうして執拗に拘るかの理由と、その問題性までが手に取るようにみえてくる。が、統一教会問題の本質が『日本乗っ取り計画』だという視点がなければ、それが見えなくなってしまう。
 統一教会の『日本乗っ取り』計画とその遂行過程という視点がなければ、この国を蝕んでいる「安倍晋三的なるもの(=負の遺産)」の深刻さに気づけずに、そのままずるずると改憲され、全体主義国家になってしまうのが目に見えている。「安倍晋三的なるもの」とは、統一教会的なるものであり、『日本乗っ取り計画』の過程で蝕まれた結果であり、汚物なのだ
 民放のテレビが統一教会と自民党の腐れ縁を報じ始めた。NHKもやっと重い腰を上げた、などと喜んでいると痛い目に合う。 #サンデーモーニング の論点ずらしと、視点ずらしの目的は、統一教会の『日本乗っ取り計画』とその過程での『自民党乗っ取り計画』を見えなくするものではないだろうか。自民党=統一教会が現実なのだ
 自民党が既に乗っ取られて「自民党=統一教会」ならば、自民党の個々の議員の統一教会との腐れ縁を問題にしても、根本的な解決策にはなるはずがない。乗っ取られた自民党そのものの構造的な問題を解明すべきなのだ。その解明とは、自民党の乗っ取りがどういう手順で行われたか、その中心人物は誰だったのか、その最終的な目的は何かの分析だ。
 その分析で浮かび上がってくるのは、統一教会の『日本乗っ取り計画』に加担した中心的人物は安倍晋三であり、安倍晋三の長期政権だったという事実だろう。これを徹底的に暴いて証明すべきだ。  それと同時に、安倍晋三の長期政権が行ってきたことも徹底的に検証されなければならない。何故ならば、統一教会が安倍晋三の背後にいて操っていたからだ。
 だとすれば、安倍晋三が強権的に立法化し、また政策化したものは、統一教会の意志だったといえないか。  私のいうこの国の複合的、そして構造的な統一教会によって蝕まれた歪み(=日本乗っ取り計画の結果)とは、こうしたものだ。 #サンデーモーニング にはこうした視点がない。上っ面をなぞっているだけだった。
 テレビの上っ面をなぞるだけの報道で、統一教会による本質的な問題である『日本乗っ取り計画』から国民の目を逸らす目論見に騙されたら、実質的に統一教会に乗っ取られている自民党は、尻尾切りをして延命し、それはつまりは統一教会に乗っ取られたままの自民党を延命させることになる。その意味するものは、これまで安倍晋三を操って乗っ取ってきた複合的、そして構造的なこの国の歪みはそのままで、その行き着く先に待っているのは憲法の改悪と、ナチスの全権委任法にあたる緊急事態条項を統一教会に与えることになる。
#サンデーモーニング は統一教会の『日本乗っ取り計画』の視点を意図的に逸らしているから、ゴリゴリの日本会議の稲田朋美や高市早苗が、どうして統一教会とズブズブなのかの謎の解明もできないはずだ。統一教会の『日本乗っ取り計画』に反共が利用され、日本の右翼と保守が乗っ取られたという事実が永遠にみえなくなるだろう。

 最後に反共産主義に触れたい。
 反共産主義の看板を掲げた「国際勝共連合」の土壺の中に、日本の保守と右翼と極右とがごちゃまぜになって混在していた。
 これが統一教会を野放しにした元凶だと思う。
 なぜならば、統一教会の本質をみえなくし、保守と右翼と資本家を抱き込んでしまったからだ。
 実質的には反共産主義は思想ではない。今の世界情勢においては、だたの雰囲気と思い込みのレベルでしかないだろう。
 それなのに反共というと、反共を接着剤にして保守と右翼と極右とが繋がってしまう。呪文みたいなものなのだろうが、この呪文が未だに効果があることが驚きであり、この国の救いようがない現状なのだろう。
 現在では共産主義など世界に存在しない。だから反共産主義など意味がない。それが分からない国が日本なのだ。
 日本共産党の大きな罪は、ありもしない共産主義にしがみついて「反共産主義」を批判することだ。意味の無い反共産主義がないと、そもそもが日本共産党は存在し得ないのではないだろうか。
 国際勝共連合の掲げる反共産主義の看板と、日本共産党の掲げる共産主義の看板は、裏表の関係でしかないのではないか。だからいつまでもありもしない共産主義に惑わされて、反共産主義の詐欺牲と欺瞞性とが覆い隠され、それが諸悪の根源になっているのに気づけないでいるのだ。
 地方分権を徹底的に推し進めた、内橋克人の『FEC自給圏』と、宇沢弘文の社会的共通資本の方が、はるかに共産主義の社会に近い。それを共産主義社会と呼ぶ意味などない。勘違いされるだけだ。名前に拘るのなど愚の骨頂だ。

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 最近連日、Twitterで連続ツイートをしている。
 とにかく長いから、見向きもされない。ほとんど反響はない。「また、あのバカが性懲りも無く連続ツイートなんかしてる。ほとんど病気だ」と思われているに違いない
 自分でも病気だと思う。が、わたしを病気にしたのは安倍晋三だ。まさか、統一教会にこの国が乗っ取られるとは思いもしなかった。安倍晋三の暗殺事件がなかったら、この事実は背後の闇に隠れたまま、憲法が改悪され、ナチスの全権委任法にあたる緊急事態条項を与えてしまい、完全にこの国は乗っ取られて、統一教会王国へと雪崩れ込んでいたはずだ。この驚愕すべき事実が、わたしを病気にしたのだ。
 作家とは炭鉱のカナリアだと言われたりする。社会の空気が何ものかによって汚染され、危険水位に達すると、作家の鋭い感性で真っ先に警鐘を鳴らすからだ
 明治時代の末期に『時代閉塞の現状』と『硝子窓』を書いた石川啄木は、正しくカナリアだったのだろう。昭和維新に連なる時代の空気を鋭く読み取ったといえる。
 わたしは自分で作家だと思っている。が、カナリアだというほど自惚れてはいない。せいぜいが、ゴミ箱を漁り、見境なくガアガア喚いているカラスだろう。迷惑この上ないカラスこそが、わたしなのだろう。「ちぇっ、また鳴いてやがる。うるせえ野郎だ。それでなくったって焼けそうなくらい熱いのに、さっさと消えろ」と思われているに違いない。
 統一教会と政府自民党の腐れ縁が発覚してから、ここ数日の間に、自分でも分からないくらい連続ツイートをしてきた。
 昨日の連続ツイートは、カラスの感性と直感が働いたものだが、もう一度ガアガア喚かないと気が済まなくなった。カラスの感性と直感がそうそそのかすからだ。
 どうもこの国のリベラルと左翼と知識人は、甘ちゃんであり、何度痛い目に遭っても懲りないばかりか、学習能力が極端に足りないのではないかと、本気で思うようになった。統一教会と政府自民党の腐れ縁の問題を、これまでと同じに捉えているからだ。この国が崖っぷちにまで追い込まれていることに気づけないのだ。
 以下、昨日思いつくままに連続ツイートしたものを、手直しする形で、ブログとしてまとめることにしたい。わたしは重要な視点だと思っている。
 わたしが連続ツイートを思い立ったのは、
わたしと同じ視点を共有していた「fruitfulなブースカちゃん」氏の下記のツイートに刺激されたからだ。そして、より突っ込んで思うことを述べたくなったからだ。

「fruitfulなブースカちゃん」氏のツイート
 統一教会が政治家に取り入る目的について、テレビで紀藤弁護士が述べている理解は、表層的に過ぎると思います。「霊感商法被害」の視点で見て、そこに注目するのだと思いますが、「政治家を広告塔に使う」のは、事実ですが本質ではないです。あくまで「政策を左右する」ことが本質です。

 以下、わたしの連続ツイートになる(手直しが入っている)。


 同感です。  紀藤弁護士が重視する「霊感商法被害」という側面だけに焦点を当てると、事の本質がぼやけてしまいます。
 統一教会の問題はアメリカでもありました。1970年代に統一教会とKCIAが連携して、アメリカ合衆国の下院議員への買収工作をしたコリアゲートです。アメリカでは日本と違って、統一教会による
「霊感商法被害」はありません。ですから、これは統一教会による「霊感商法被害」という組織的な違法行為としての「法律的」な側面での問題ではなく、優れて「政治的」な問題として浮上したのです。このコリアゲートの背後には、統一教会の『アメリカ乗っ取り計画』の影までがうっすらと浮び上がったというのですから驚きです。
 この統一教会による『アメリカ乗っ取り計画』は、今回の安倍晋三の暗殺事件が浮かび上がらせた、統一教会による『日本乗っ取り計画』と重なり合うものです。
 アメリカでは、統一教会の『アメリカ乗っ取り計画』が政治的、そして社会的な大問題となり、ジャーナリズムによって徹底的に闇が暴かれ、統一教会による『アメリカ乗っ取り計画』は阻止されたのです。
 安倍晋三の暗殺事件は、統一教会に関わる二つの問題を浮かび上がらせました。
 一つは
「霊感商法被害」であり、マインドコントロールされた信者の心の破壊と、それに伴う信者の家族と家庭の破壊という問題です。
 もう一つは、上述した『日本乗っ取り計画』です。
 どちらが本質的問題といえるのか。
 もちろん
「霊感商法被害」の問題は重要です。が、わたしは統一教会による『日本乗っ取り計画』こそ本質的な問題であり、これを追及し、徹底的に計画を破壊し阻止しない限り、統一教会の問題は根本的に解決はしないと思います。それどころか、統一教会の『日本乗っ取り計画』はそのまま進行し、憲法が改悪され、ナチスの全権委任法にあたる緊急事態条項を奪取され、この国が統一教会王国へと転がり落ちていくと確信します。  だから『日本乗っ取り計画』こそが大問題であり、統一教会問題の本質だと見なすのです。  この視点がなく、これまでの自民党がしてきた数々の違法行為と同じ視点で自民党を追及し、説明責任を要求したり、反省と謝罪と政治責任を求めるレベルに終始したら、また自民党に逃げられるだけでなく、自民党を逃がすということは、自民党を乗っ取ってしまった統一教会を逃がすことであり、更に統一教会の『日本乗っ取り計画』を野放しにすることになるのです。
 この件について、より詳しく論じることにします。(文体が変わるがご容赦)
 
紀藤弁護士らの主眼であり目的をざっくりと言えば、
 ①統一教会の霊感商法に騙され、本人ばかりか家族崩壊にまで至った被害者の救出と補償
 ②マインドコントロールによってほとんど北朝鮮の拉致被害者に等しい合同結婚を強いられ、行方が分からなくなっている被害者の救出
 ③こうした統一教会の犯罪行為を許し、犯罪行為を助長させる法的環境を整えた政府自民党の追及と糾弾
 ④広告塔になったりした政治家の共犯関係に等しい行為の追及と糾弾
 ⑤以上によって、多方面にわたる統一教会の被害が拡大するのを防止し、統一教会の「違法行為」をこの国から一掃する
 ということになるのだろう。
 わたしはTwitterで、立憲民主党が立ち上げた「被害対策本部」を徹底的に批判している。それは「被害対策本部」が、上述した紀藤弁護士らの視点と目的に沿ったものだからだ。
 紀藤弁護士らの視点と目的は、法律的な側面から統一教会の問題を追及し糾弾するものであり、当然に被害者の救出と救済、そして補償と連動したものになる。
 が、立憲民主党がすべきは、これではないはずだ。何故なら弁護士ではなく政治家であり、この国が統一教会に乗っ取られるかどうかの切羽詰まった瀬戸際に、この国と国民とが立たされているからだ。やるべきは、統一教会と政府自民党の腐れ縁と、安倍晋三の長期政権で進行した国家権力の中枢部への統一教会の潜入と、政権との癒着、そして更に統一教会に背後から操られていた事実の追及と糾弾であり、最終的には統一教会はこの国をどうしようとし、どういう計画をし、それを実行し、実際にどこまで進んでいたのか、それを暴いて国民に知らせることのはずだ。
 その過程で、政府自民党がいう改憲の真の目論見と目的も浮かび上がってくるはずだ。
 が、立憲民主党にはこの視点が、故意にか、愚かだからか判然とはしないが、ごっそりと抜け落ちている。だから批判しているのだ。立憲民主党の視点からは、『日本乗っ取り計画』という恐ろしい本質が見えなくなってしまう。
 そればかりではない。サンデーモーニングの谷口真由美のような論調が主流になってしまう環境を整えているといえないか。 
 本質を見えなくするばかりか、政府自民党と統一教会の逃げ道を作っているようなものだ。甘っちょろいというか、目が節穴というか、谷口真由美でもこんな情けない状態なのだ。  谷口真由美の統一教会問題における自民党批判は、これまでと変わらないのだ。説明責任と政治家としてのケジメとしての政治責任に落ち着いてしまう。  極論すれば「もうこれからは、統一教会と手を切ります。知らなかったとはいえ、被害者に深くお詫び申しあげます」という口先だけの「格好」で、逃げ道を与えてしまうことになる。  統一教会問題の核心にある『日本乗っ取り計画』という視点があれば、これでは何の問題の解決にもならない。そもそもが、政府自民党の議員たちが説明責任を果たしたり、一部の議員をスケープゴートにして政治責任を果たしたなどと装っても、統一教会による構造的な政治汚染と政界工作の問題はそのまま温存され、『日本乗っ取り計画』は進行するということだ。  立憲民主党は、自らの党の統一教会汚染が深刻なのを自覚しているから、紀藤弁護士らの方向でお茶を濁す腹づもりなのだろう。だから本気さがないし、政治の素人でも考えつく「肉を切らして骨を断つ」という当たり前の政治的戦術に打って出られないのだ。「被害者対策本部」という看板はそうした表明だ。だから、わたしは断固として許せないし、徹底的に批判しているのだ。
 どうもいわゆるリベラルと左翼と知識人は、人が良いというか、マヌケというか、そうした
立憲民主党の世渡り上手で、ずる賢く、ここぞというときに必ず国民を裏切り、永田町の政治の論理の鳥籠の中に逃げ込んで、あかんべーするのを許しているのだ。政治学者で立憲民主党のブレーンのような存在の山口二郎は意図的にそれをけしかけているとしか思えない。  ハッキリと言う。  立憲民主党には覚悟がない。やる気がない。  火の粉が飛んでくるからだ。本音は政府自民党をある程度痛めつけて、やってる風を装って国民を騙し、支持率を回復しようという算段なのだ。この国が乗っ取られようとしている亡国的危機を前にしてこの様だ。山口二郎がそれを後押ししている。  本人は無自覚なのだろうが谷口真由美の指摘は、立憲民主党の思惑へと絡め取られてしまうものだ。この谷口真由美のようなリベラルが雨後の竹の子のように湧いてくるだろう。それが怖い。  そうなると統一教会問題の本質である『日本乗っ取り計画』は、少しくらいは痛手をこうむるだろうが、致命傷とほど遠く、そのまま進行してしまう。  統一教会問題の本質は法的な問題を超えている。優れて政治的な問題であり、構造的であり、この国のあり方そのものにまで関わってしまっている。だから『日本乗っ取り』計画なのだ。  そこを見誤ると、根本的な解決にならないばかりか、統一教会による『日本乗っ取り計画』は成就されてしまうだろう。  安倍晋三の長期政権で、統一教会は国家権力の中枢部にまで潜り込んだばかりか、ほとんど乗っ取られているに等しい状況であることが分かる事実が、次々と発覚している。生々しい証言まである。
 発覚した事実と証言とを繋げ合わせれば、統一教会の『日本乗っ取り計画』は陰謀論でも、妄想でもなく、実際にこの国で進行していたことが分かる。
 こうなるともう政府自民党
そのものが統一教会だと見なした方がいい。いや、見なすべきだろう。  だから、自民党の自浄作用だの説明責任だの、トカゲの尻尾切りで問題が解消されるレベルではないと言うのだ。  構造的というのは、乗っ取られたのは政府自民党だけでなく、公共放送のNHKがそうであり、テレビと新聞も同様だ。安倍晋三の長期政権が、統一教会の構造的乗っ取りの下地を作り、着々と乗っ取りを進めた結果が、小選挙区制で官邸に権力が集中することを利用して、自民党を乗っ取り、内閣人事局を通じて官僚機構を乗っ取り、任命権を利用して司法まで乗っ取られてしまったといえないか。そして警察と公安も乗っ取られたのだ。
 安倍晋三が長期政権でやってきたことはそうしたものではなかったのか?  笑い話ではないが、国粋主義と日本主義を標榜する日本会議と右翼と保守までが乗っ取られているのだから、この国は救いようがない。櫻井よしこはその象徴的存在だ。  統一教会の『日本乗っ取り計画』の仕上げが「改憲」であり、真の改憲の目的はナチスの全権委任法にあたる緊急事態条項の奪取だ。そうなれば、選挙もなくなり、完全な全体主義国家の完成であり、その国家は統一教会王国といえないか。  紀藤弁護士らの方向へと流れて行けば、政府自民党の逃げ道を与えることになるだろう。自民党=統一教会なのだから、統一教会の政治的野心=日本乗っ取り計画は息の根を断たれずにそのまま生き延びることを意味する。  自民党を消滅させる以外に、統一教会問題の本質である『日本乗っ取り計画』をこの国から一掃することは不可能だろう。  なぜなら、上述したようにこの国の構造までも蝕んでいるからだ。「安倍晋三の長期政権=統一教会政権」で作り上げた構造的歪みを正常なものに戻すには、統一教会に乗っ取られてしまっている政府自民党をぶっ壊すしか道はないはずだ。  わたしが袂を分かった日本共産党が立ち上げた「追及チーム」の方が、統一教会問題の本質に目を向けたものといえるのだろう。  わたしがいうこの国の屋台骨を蝕んでいる構造的問題とは安倍晋三の10年近い長期政権で出来上がったものであり、それは「安倍晋三的なるもの」と置き換えられ、安倍晋三の負の遺産だといえる。言葉を換えれば、安倍晋三を影で操っていた統一教会的なるものともいえるのだろう。  大仰だと笑えば笑え!  しかし、アメリカでは、実際に、統一教会による
『アメリカ乗っ取り計画』が発覚し、その計画が潰された事実がある。コリアゲートと呼ばれているものだ。その手口も公表されている。  このアメリカの事件は、統一教会自身が青写真として描く教団の政治的目的と合致する。  統一教会は、アメリカで失敗したことをこの国でやっているのだ。そして安倍晋三を乗っ取ることで、ほぼ完成しつつあるという現実がある。安倍晋三暗殺事件が炙り出したのは、この国の亡国的危機の現実ではないのか?!  そんな安倍晋三の国葬をやるというが、その国葬は、統一教会の『日本乗っ取り計画』の推進者であった安倍晋三という売国奴を讃える祭りではないのか。
 8月2日に立憲民主党の党首である泉健太が、情けなくなるツイートをしている。
 次のようなツイートだ。

 
立憲民主党所属国会議員について調査した結果、旧統一教会から  ■運動員の派遣  ■選挙活動への支援  ■政治献金  を受けた国会議員は立憲民主党には存在しませんでした。  まず現時点の調査結果を報告いたします

 恥ずかしくないのだろうか。野党第一党の党首がこんな状態だ。やってることは自民党と変わらない。立憲民主党にも統一教会と関係を持つ議員がいるのは、最早周知の事実だ。その上で、よくもまあ、こんなツイートができるものと呆れかえる。
 当然にわたしは批判のツイート二つをした。
 
 わたしの批判ツイート

 どういう調査方法だったのでしょうか?  まさか、自己申告なんてことはないでしょうね。  統一教会に致命傷になるくらいの法案を野党が一致協力して作り、それに署名させるくらいのことをしないと信じられません。署名しなかった議員は限りなく黒。  密室でなく国民に可視化できるように!

 こんなの誰が信じられますか!  恥を知れといいたい。  立憲民主党の支持者の良識と良心が試されています。こんなんで白だ、なんて言うならこの国、ご臨終になりますよ。  この国が統一教会に乗っ取られつつある亡国的危機に、野党第一党の党首のこの無能さと脳天気さ!  呆れるばかり!  
 こんな体たらくでは自民党を追い詰められはしないだろう。
 こればかりではない。臨時国会の会期をたった3日で手打ちしたのだから、立憲民主党には闘う気概がまったくない。あんな執行部が未だに存続できるのだから、闘う以前の問題だ。そして戦略性がまったくない。戦略性がないのは、統一教会問題の本質を分かっていないのだから当然といえば当然だ。
 わたしは臨時国会の開催についてもいくつか批判のツイートをした。立憲民主党だけではない。野党の闘い方への批判だ。
 以下、それを引用して、終わりにしたい。
 この国は正念場だ。崖っぷちに立たされている。それにしても野党は脳天気というか、ノータリンというか、救いようがない。
 自民党が溺れかけてアップアップしてるのに、立憲民主党は浮き輪を投げてやっている。

 臨時国会で徹底追及とか言ってるが、たった3日で何を徹底追及する気なんだ?! それにNHKをみろよ! 国会中継なんか単なる儀式になっており、アリバイ作り。ニュースでやるのは編集した捏造国会。 国会が形骸化してるのに、野党は何を考えてるんだ! まったく分からない。今の野党に国会で何ができる!

この国が乗っ取られているというのに、国会は乗っ取られていないといえるのか?! 統一教会に操られた安倍晋三が真っ先にやったのは、国会の幼稚園化と、嘘の機関銃で破壊し尽くした、国会乗っ取りだ。 国民不在で、国会で何をしようというのか?! 野党議員よ、自惚れもいい加減にしろ! 危機感が皆無

今の野党が、形骸化し、統一教会に乗っ取られた「国会」でできることいったら、統一教会のシナリオに沿って操られ、踊らせられるくらいが関の山だ。 国権の最高機関である国会がこの様だ。国民主権が乗っ取られたのだ。 だったらやることは、国民を巻き込んだ乗っ取り阻止運動でしかない! バカか?!


 重要なことを忘れてました。
 一神教的国家神道と対をなす「教育勅語」の洗脳「教育」の重要性です。
 子供の頭に臣民としての心構えと、上の者への絶対服従を叩き込む役割を「教育」に求めた歴史です。安倍政権は特に「教育」を重視し、「教育」行政と現場に強権的に介入してきました。日本会議は教育勅語の復活まで口にしていますが、こうした動きと方向性は、統一教会の意志でもあったと思います。霊感商法とは、いってみれば「教育勅語」的洗脳ですから。

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