「北林あずみ」のblog

2018年03月

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 今朝、Twitterで発信したのだが、ブログで少し色をつけたい。
 これまで安倍晋三と官邸と自民党を見てきて、どうもしっくりとせず腑に落ちないことばかりだったのである。国会議事堂前や官邸前に行ってデモをしていて、「俺は一体、何と対峙し、何と闘っているのか……」とぼんやりと思うことが度々あった。眼の前にいるはずの敵の姿をつかんでいるようで、何か形があってなく、どうとでも姿形を変えられるブヨブヨとした薄気味悪いものに触れているのではないか、と思えてならなかったのである。そして、得体が知れない不気味なものだから、闘っているはずが、一向に敵にダメージを与えられないのはないか、と感じ始めていたのだ。
 今朝になって、直観がやってきて、疑問が晴れたのである。
 安倍晋三は民主主義国家である日本の根幹を破壊する、財務省の決裁文書の改竄と、厚労省のデータ捏造が発覚し、それが安倍晋三と官邸の主導であることが濃厚になっても、責任をとって内閣総辞職をする気がないのだ。
 この理由をわたしは、安倍晋三が幼少期から磨き上げてきた、嘘と詭弁と言い訳が人格とまでなってしまったからだと理解していたのである。この理解は間違いではないだろう。が、こうした理解だけでは、安倍晋三と安倍政治と対峙し、安倍晋三と安倍政治を打倒しようとするときに、根本的な誤りを犯すことになると、今朝やってきた直観が教えてくれたのである。

 2014年、年の暮れの総選挙の最終日に京都で演説した、不破哲三の言葉を胸に刻み込んできたつもりが、いつのまにか隅に押しやってしまっていたのだろう。この不破哲三の演説は、ブログに書いている。
 不破哲三は自民党は極右勢力に乗っ取られ、看板だけは自民党であるが、その実体は従来の自民党ではなく、自民党とは別人格の極右政党だと演説したのだ。
 わたしたちは、無意識に、戦後に誕生した自民党として、眼の前の自民党を見てしまいがちになるが、クーデターによって自民党の中枢部を乗っ取った極右勢力が、安倍晋三を神輿に担ぎ、徐々に自民党を極右勢力の政党へと改竄し続け、まったく別人格の自民党を捏造していたのだ。
 極右勢力とはカルト勢力である日本会議だ。
 自民党はいつの間にかカルト勢力である日本会議に乗っ取られていたのである。
 カルトであるから、国民が生きている世界とは別の世界を生きていることになる。オウム真理教を考えれば判るはずだ。オウム真理教には独自の世界を形成し、その世界で生きるとは、オウム真理教の教えに絶対的に帰依し、オウム真理教の世界の法体系と価値観と世界観を生きることになるのであり、オウム真理教の世界の善と悪を生きることになるのである。
 したがって、国民が生きている世界と違うのだから、国民の常識は非常識になり、国民が普通に身につけている倫理観と善悪の基準が当てはまらないことになる。

 この前提がなく、安倍晋三と官邸と自民党をみると判断を見誤ることになるだろう。つまり、安倍晋三と安倍政治の打倒のための戦術と戦略を見誤ることになるのだ。
 日本会議というカルト勢力は、自民党を乗っ取り、日本会議が神輿に担ぐ安倍晋三が政権を握っている。日本会議の自民党の乗っ取りとはクーデターのようなものであろう。
 当然に日本会議は自民党を乗っ取るだけで終わるはずはない。
 クーデターによって日本を乗っ取り、これまでの日本の国と社会のあり方を根底から破壊し、日本会議というカルト勢力の思い描く世界を日本国民に生きることを強いるつもりなのである。
 今朝の一連のツイートを以下に引用したい。

 安倍政権以前なら、財務省の決裁文書の改竄が発覚すれば、自民党は蜂の巣をつついた騒ぎになり、政権は瞬時に吹っ飛んでいた。大臣の不祥事が内閣総辞職に繋ったりもした。が、今の自民党は違う。「日本会議」党なのだ。カルトだから別世界を生き、従来の常識、倫理、法体系を破壊する! 日本破壊集団

 安倍晋三と日本会議に乗っ取られた看板だけの「自民党」は、日本という国を破壊して、日本会議というおぞましいカルトの世界に日本を改竄しようとしているから、民主主義日本の根幹を破壊する。財務省の決裁文書の改竄、厚労省のデータ捏造、憲法改悪、教育への介入等々。日本破壊の道程での事件発覚!

 市民連合と野党は、安倍晋三と官邸、そして自民党を、戦後日本の憲政史の文脈の中で見るべきではない。それでは戦略と戦術を見誤る。我々が対峙しているのは、カルトの世界を生きる「日本会議」であり、倫理観も価値観も違う異常なカルト集団だ。日本を乗っ取り、日本破壊を企てる集団との闘いなのだ!

 以上であるが、わたしは市民と野党は、戦術と戦略を練り直す必要性を痛感している。
 少なくとも、国民に訴えなければならないのは、自民党はクーデターで乗っ取られた日本会議というカルト勢力の党であって、以前の自民党ではないこと、そして次の段階として日本という国家を乗っ取り、日本会議というカルトの世界を生きることを国民に強いるために、現在進行形で日本を破壊し続けているというおぞましい事実である。
 オウム真理教がしようとした日本破壊の類推で、安倍晋三と官邸と自民党とをみるべきだ、と国民に訴えるべきだろう。
 日本会議というカルトの世界へと日本を改竄していく過程で発覚したのが、財務省の決裁文書の改竄であり、厚労省のデータ捏造である。
 そして、前川氏の講演への弾圧という形で表出した教育への介入である。
 日本会議というカルトの世界の価値観と善悪の基準と教えを子供たちの頭に植え付けるためである。日本のカルト勢力である日本会議への改竄の過程では、教育こそ重要な要素なのだ。子供を洗脳教育するためである。
 教育勅語を幼稚園児に暗唱させ、唱和させる森友学園に安倍晋三と日本会議が加担した理由はここにある。籠池氏は日本会議の関西地区における重要人物でもある。
 嘘と詭弁と言い訳が人格となり、倫理観と羞恥心と人としての情がなく、保身と自己正当化のためなら人の命など省みない冷酷非道な安倍晋三こそ、戦後の日本のあり方を徹底的に破壊し、日本を乗っ取り、日本会議が夢見るおぞましいカルトの世界を体現した国家を作ろうとする野望を実現するにはうってつけなのである。その上、安倍晋三は祖父の岸信介を絶対的に崇拝し、その点でも戦後の日本の破壊を徹底的に推し進め、その先に日本会議の思い描くカルト国家へと変貌を遂げる「革命」を成就するには、この上ない男なのである。
 日本会議とはオウム真理教と変わらないのだ。
 違いはオウム真理教がカルト世界を隠そうとせずに、そのカルト世界を日本に作るために、軍隊組織までもって国家権力に立ち向かったのに対し、日本会議というカルト勢力は、我が身を巧妙に隠して、先ずは政権与党である自民党へと侵入し、そして乗っ取り、次なるステージとして安倍晋三を総理として担ぎ、安倍晋三の周辺に日本会議の権謀術数にたけた策略家を配し、公安組織を巧みに利用して、政権運営をしながら、日本会議のカルト国家に日本を変えるべく、日夜、日本破壊を断行しているのである。
 だから、どんなことがあろうと、政権を絶対的に死守するのだ。そのために自民党は捨て身になっているのである。何故ならば、自民党は日本会議に乗っ取られてしまったからだ。

 朝日新聞のジャーナリズムとしての凜とした矜持と使命感と覚悟の決起がなかったなら、日本はおぞましいカルト国家へと転げ落ちていただろう。
 安倍晋三が口にする「革命」とは、日本会議が夢見る醜悪なカルト世界へと日本を変えることなのである。
 市民と野党は、この現実を国民に知らせるべきだろう。
 マスメディアも同様である。思想の違いや、立ち位置の違いや、利害の違いを乗り越えて、眼の前のおぞましいカルト勢力を日本から一掃すべきだ。そうでなければ、日本に未来はない。
 本質的には日本会議はオウム真理教と変わらないのではないか。
 日本会議の戦略と戦術は、オウム真理教の比ではないから、より危険なのである。ある日知らないうちに、日本は破壊され、日本会議というおぞましいカルトの世界を国民は生きさせられるのである。そして、戦争への破滅の道を鉄鎖を引きずりながら歩かされるのだ。

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 財務省の決裁文書の改竄と、厚労省のデータ捏造は、安倍晋三と安倍政治の本質を見事なまでに浮き彫りにしている。
 民主主義国家としての根幹を、「恣意的」に破壊していたのだ。
 恣意的を強調したのには理由がある。財務省の決裁文書の改竄をみれば、その場その場を取り繕うために、常態化していたかが判ろうというものだ。数種類のバージョンがあり、客観的にみれば財務省も完全には把握できていないという、驚くべき事態だ。
 どうしてこうした滅茶苦茶な公文書管理になったのかといえば、安倍晋三が国会で公文書の記載と齟齬をきたすことをうっかりと答弁すれば改竄をさせ、野党に提出する公文書に知られたくないことがあれば改竄させ、そして、自分が強行に推し進める政策を正当化するためにデータの捏造をさせていたからだろう。
 これまでのブログで書いたが、安倍晋三の本質はペテン師であり、冷酷非道であり、狡猾である。また安倍を支える官邸と、安倍を背後で操る日本会議も冷酷非道であり、権謀術数に長けている。内閣人事局で人事権を握っているだけではなく、脅し紛いのことは日常茶飯事だろうし、わたしはハニートラップの罠は常套手段なのではないかと思っている。官邸は公安を握っているからだ。個人情報で脅すことは朝飯前である。前川喜平氏を貶めるためのマスコミを使ったデマの流布までするのだから、目的のためには手段は選ばないのである。
 
 すべての間違いは安倍晋三のような男に、強権を与えてしまったことにあるのだろう。その結果が、国家を私物化することにとどまらず、自分の思いのままに、国家の中枢部の公文書を改竄させるという国家的犯罪を犯すまでになってしまったのである。これは国家の破壊行為だろう。
 安倍晋三は最近俄に「革命」という言葉を使うようになったが、安倍いう「革命」とは、祖父である岸信介を通して思い描いたおぞましい妄想としての国家(戦前のファシズム国家体制)へと、日本を「改竄」していって、ついには「捏造」するという意味ではないのだろうか。
 そのための安保法制であり、共謀罪であり、改憲である。そして、最終的にはナチスの全権委任法に当たる緊急事態条項の成立を画策しているのだ。
 その安倍が窮地に立たされている。
 朝日新聞がジャーナリズムとしての矜持と意地で覚悟の決起をし、財務省の決裁文書の改竄に繋がる歴史的スクープをしたからだ。
 安倍はこれまでにも窮地に立たされたことはあったが、これまでとは根本的に違っている。
 マスコミが連日に渡って、森友疑獄を報道し、安倍昭恵の関与を印象付ける報道をしているだけでなく、NHKまでが安倍昭恵が塚本幼稚園で講演している生々しい映像を流しているのである。国民の意識には、間違いなく安倍昭恵の関与は刷り込まれたに違いない。その上でNHKまでが、自分と妻が関与していたら総理職だけでなく議員も辞職する」と国会で啖呵を切った安倍の映像までも流しているのだ。NHKの国民世論に与える影響は想像以上のものだろう。
 安倍晋三と官邸と自民党がこの状況で恐怖しているのは、安倍夫妻が真っ黒だと感じ始めている国民世論が、爆発することなのである。
 爆発したら、安倍晋三と安倍政治と自民党は木っ端微塵に吹き飛ぶからだ。
 が、それだけに必至なのだ。
 国民世論をなだめすかし、国民の耳目と関心をあらぬ方向へと誘導しようと、オウム真理教の死刑囚たちの死刑ショーまで画策しているのである。伊調馨の問題もどうしてこのタイミングで表立ったのか、勘ぐりたくなるではないか。

 市民団体のデモが、連日のようにどこかで行われている。
 憲法改悪反対、辺野古新基地建設反対、反原発、反リニア、森友疑獄糾弾、加計疑獄糾弾、裁量労働制反対、最低賃金を改善を要求する労働運動……。それらの運動が異なった市民団体で行われ、異なるデモを繰り広げているのだから、膨大な数の集会とデモになるはずだ。
 が、ここで考えるべきときだろう。
 これらの運動は、安倍晋三と安倍政治があり続ける限り、一歩も前には進まないだろう。その意味では、安倍晋三と安倍政治を日本から葬り去らない限り、運動の進展がないばかりか、この窮地を安倍晋三がマンマと脱してしまったなら、安倍晋三の独裁政治は更に進み、二度と窮地に立たされないように、ナチスの全権委任法である緊急事態条項を強権的に成立させるのは火を見るよりも明らかだ。何故なら、安倍晋三が国家の破壊者であることが、財務省の決裁文書の改竄で明らかになり、これは本の氷山の一角だからだ。それをご破算にできるのはナチスの全権委任法しかないのである。

 冷静に考えれば、今何をすべきか、判ろうというものだろう。
 国民世論を爆発させるしかないのである。
 国民世論の爆発を具体的に形にして、安倍晋三と官邸と自民党に突きつけるには、圧倒的な群衆が結集したデモの光景を、国会議事堂正門前に現出させることしかないのではないだろうか。
 そのためには、あらゆるデモを主催する市民団体と労働組合が全国規模で連帯し、結集し、共に闘うしかないのではないだろうか。
 野党共闘は現実となった。
 今回の国会審議拒否を含めた野党の闘いは目を見張るものがあった。
 一貫して共闘したのである。そして、佐川元国税庁長官の証人喚問を勝ち取ったのだ。
 野党共闘に、どうして市民運動は見習わないのか。
 野党共闘を口にし、野党共闘を後押ししているのに、自分たちがバラバラでは笑い話にもならない。
 日本の政治的状況が崖っぷちに立たされ、狂気に取り憑かれた安倍晋三の手で、奈落の底に突き落とされようとしているときに、旧態依然のままでバラバラなデモをしてうぃるとしたら、余程の脳天気であり、自らで破滅を呼び寄せているとしかいえないのではないだろうか。
 国民世論の爆発の具体化は、圧倒的なデモの光景なのだ!
 為政者が恐怖する光景こそ、朴槿恵を瞬殺した韓国の圧倒的デモなのである。
 どうか団結し、連体し、共闘してほしい!

 昨日は官邸前に行ったが、わたしが目撃しただけで、4つの市民団体が時間を区切り、場所を変えてデモをやっていたが、否定はしないが、空しさを覚えたのも確かだ。
 元SEALSは明らかにデモのスタイルを変えた。
 国民への訴求力、とりわけ若者への訴求力は大きいと思う。名前は忘れたが、昨日の女性のコールは鳥肌が立った(笑)。身体の底からマグマのように熱いものが登ってくるのが判った。単なる怒りではない。強いていえば、共に決起している一体感と、共に闘っている歓びとのようなものだ。
 わたしは今年の5月で64になるが、肉体労働者であり、登山を復活したわたしでも、4時間も立っていると足が棒のようになり、膝が曲げにくくなってきて、最後に腰が痛くなる。しかし、元SEALSのコールの時は違う。スイングジャズを聴いているときのように、足でリズムをとり、それがやがて身体ごと飛び跳ねているのだ。まるで、「スイング・スイング・スイング」を聴きながら、踊っている感覚なのである。
 わたしが学生の頃のデモとは雲泥の差がある(笑)。
 デモの共闘がなったら、コールの中核に元SEALSを置くべきだと、個人的には思う。昨夜も、わたしの周りは老いも若きも、SEALSのコールにのりのりであり、それだけに疲れが吹き飛ぶのであり、一体感を高揚させられるのだ。
 
 以下は、わたしの妄想である(笑)。
 国会議事堂正門前に元SEALSを配し、総掛かりなどの圧倒的な動員を駆けられる市民団体が、例えば日比谷公園などで集会を開き、その後に国会議事堂正門前に向けてデモ行進を行いながら、最後に結集すれば、警察の規制も分散し、国会議事堂正門前に8・30を再現させることも可能なのではないだろうか。8・30の時は周辺の駅に雪隠詰めに遭遇した人たちが数限りなくいた。
 
 これから、国会議事堂前に行きます!

 ※急いでいるので、殴り書きです。

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 七年目の春が巡ってきた。
 七年前の三月十一日を、わたしはまだ生きている。
 生き方としての思想を求めて、いつの間にかわたしは、保守主義という樹海へと分け入り、彷徨い歩いていたのだ。
 そんなわたしを、里山主義という思想へと導いてくれたのは、七年前の三月十一日を生きた衝撃だった。
 わたしは小説を書いているが、七年前の三月十一日を生きてからは、三月十一日がテーマになっている。直接的に七年前の三月十一日を描いたのは『故郷』という小説であるが、他の小説も間接的に三月十一日をテーマとしている。
 里山主義という思想に辿り着いたが、はっきりとした姿をしたものではなかった。が、七年をかけて徐々に姿が現れてきた。
 姿を現してきたから、里山主義という思想を、三月十一日と絡めて真正面から扱った小説を書くことにし、一年半前に長編小説『三月十一日の心』を書き始めたのだが中断している。
 どうして中断しているのかというと、ハンナ・アレント『人間の条件』(志水速雄訳ーちくま学芸文庫)と格闘しているからだ。 
 三月十一日がハンナ・アレントの『人間の条件』へと導いてくれたのだと直観している。里山主義という思想が、試されているのだと思っているのだ
 もう七回読んだ。『人間の条件』を貪欲に吸収し、そして批判的に乗り越えることで、里山主義という思想がより磨かれ、鍛えられ、更なる高みへと登れるのだと直観している。
 今月中には、長編小説『三月十一日の心』を、一から書き始めようと心に決めている。
  四月半ばからは、草刈りの肉体労働が始まる。が、今年中には小説を書き上げようと思っている。
 五月で六十四になる。残された時間は限られている。これまでに電子書籍として出版した小説の続編も書かなければならない。
 還暦を過ぎると、季節が愛おしくなる。
 あと幾度この春を生きられのか、と愛おしくなるのだ。
 夕闇の路地に沈丁花の花の匂いを嗅いだ。花の姿は見えない。匂いだけが夕闇に溶け込んでいた。
 七度目の三月十一日……。
 庭の椿のつぼみが綻び始めた。

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 政治が大きく揺れ動いている。
 議会制民主主義と国民国家としての基盤を、根底から破壊する問題が表面化しているからだ。
 森友学園へタダ同然で不当に国有地が払い下げられた問題を解明できる核心部分に当たる決裁文書が、財務省によって改竄された疑惑が、朝日新聞によって暴かれたからだ。この決裁文書は参議院からの要請で提出されたものであり、改竄が事実であれば国会を愚弄する行為であり、国民を欺く行為である。そして、公文書が改竄されたとなれば、財務省の信頼は失墜し、官僚機構そのものが成り立たなくなるといっても過言ではないだろう。
 厚労省によるデータの捏造疑惑の直後だけに、この問題は、構造的なものだといえる。根が深いと考えるのが妥当だろう。構造的なものだけに、公文書の改竄と捏造が日常的に行われていたのではないか、といった疑惑まで誘発するのだ。
 どうしてこうした構造的腐敗が、それも国家の中枢部を蝕むまでになったのか。
 朝日新聞の報道を読めば、財務省の決裁文書の改竄の目的は明らかである。安倍昭恵の関与に繋がる文言を書き換え、特別な事案をどう処理していったかの時系列的な流れをごっそりと削除していることからみても、官邸の意向に沿ったものであることが推察できる。つまり、国会答弁の中で「森友問題に妻と自分が係わっていれば、総理大臣だけでなく衆議院議員を辞職する」と思わず啖呵を切ってしまった、愚かな安倍晋三を守るための決裁文書の改竄ということになるのだろう。
 財務省の官僚が一存で、国家的犯罪をするはずはないし、できるはずはない。組織的なものであり、その組織を動かしたのが、曖昧模糊とした「忖度」のはずもない。忖度の範囲を大きく超えたものだからだ。何故ならば、国家を揺るがしかねない重大な犯罪であり、官邸の指示がなければ官僚がこんな危険な橋を渡るはずはないのである。
 わたしは構造的腐敗だといった。
 では、どうして構造的なものなのか、安倍晋三の人格に絡めて論じてみたい(笑)。

 わたしはこれまで安倍晋三の人格については何度となく述べてきた。
 幼少の頃に我が儘放題に育てられ、化け物と称され、手段を選ばない極悪非道なマキャベリストと言われる祖父である岸信介を絶対視し、神のように崇めてきた子供の安倍晋三が、嘘と詭弁と言い訳を悪とせずに、世渡りの有効な手段(=善)として身につけたとしても何ら驚くべきことではない。その上に、異常に自己愛が強く、東大で主席を争っていた祖父と、同じく東大を出た父親に比べて、勉強ができない安倍晋三は相当なコンプレックスを抱いたはずだ。そのコンプレックスと格闘する中で、嘘と詭弁と言い訳が磨かれ、やがてファシスト的な資質(真性のファシストではない。思想性がなく無自覚だからだ)が開花したのではないだろうか。この核には異常な自己愛があるのだから、嘘と詭弁と言い訳は、張りぼてでしかない自分を飾るためのものであり、苦境に陥ったときに自らを救う武器だったのだろう。こうして、嘘と詭弁と言い訳が人格にまでなったのではないだろうか。
 嘘と詭弁と言い訳を人格として生きる安倍晋三の言動に一貫性はない。そして嘘が常態化しているのだから、論理的整合性もなければ、言葉と言葉を繋げる脈絡性もなくなり、驚くべきことに安倍晋三は、日本語としての言葉の意味さえも破壊してしまっているのである。これに異常な自己愛とできの悪い思考回路が加わると、正しく幼児性分裂症のファシストの完成である(笑)。
 幼少から鍛え上げられたのだから、嘘をつき詭弁を弄することに微塵の羞恥心も自責の念もあろうはずはない。むしろ嘘をつき詭弁を弄することに喜びさえ感じているのではないだろうか。安倍晋三の絶対的な政治的武器はここにある。武器はこれだけではない。父親である安倍晋太郎が安倍晋三を評して「人としての情がない」と言っている。羞恥心がなく、倫理観を喪失し、人としての情がないのだから、幼児性分裂症のファシストとしての安倍晋三が、絶大な国家権力を握れば怖いものなしである。
 その結果が国会風景は学級崩壊に等しくなり、質疑は口喧嘩のレベルにまで貶められ、ついには国会そのものが無意味化されようとしているのだ。

 財務省の決裁文書の改竄は、必然性があったのである。
 何故ならば、安倍晋三の内閣が5年も続き、日増しに強大な権力を掌握するまでになってしまったからだ。その過程で、安倍晋三の人格が、国家の中枢部を蝕み、安倍晋三の嘘と詭弁を糊塗するために、東大を優秀な成績で目出度くもご卒業された天下のエリート官僚様が、安倍晋三の下僕となって、不夜城となった霞ヶ関で夜中だというのに、公文書を改竄し、または官邸の望むようなデータを捏造し、思考回路が幼稚園児並の安倍晋三が、思わず国会でついてしまった嘘を取り繕うための答弁書を書いているのである。安倍晋三の嘘と詭弁と言い訳には論理的整合性もなければ、脈絡性もなく、言葉の意味さえも破壊されているのだから、嘘と詭弁を取り繕う答弁書たるや、ほとんど架空の国の物語である。安倍晋三は官僚に虚構の物語り作家になるように強いているのだ。
 安倍晋三の破壊された人格の弊害は、官僚機構だけではない。
 マスメディアにも向けられることになる。
 この5年間でメディアの劣化は凄まじいものがある。バラエティやニュース番組に出演している自称知識人は、安倍晋三に餌付けされた者たちで占拠され、連日ご主人様である「安倍晋三閣下、バンザイ」と叫んでいるのだから、国民への影響は計り知れないものがある。極めつけは公共放送を騙るNHKのニュースである。安倍晋三の支離滅裂な国会答弁を切り貼りし、あたかも立派な総理大臣であるかのような印象操作を行っているのだ。NHKの編集技術はほとんど芸術に近い。これは映像の改竄であり、捏造といってもいいだろう。
 マスメディアの改竄され、捏造されたに等しいニュース映像が四六時中流れているのだから、社会的影響は絶大だ。いつもどうして、内閣支持率が5割もあるのだろうと首を傾げるのだが、改竄され、捏造された映像が国民の脳味噌に取り憑いて、国民の正常な意識を改竄し、捏造しているのだろう。
 いや、そもそもが支持率の数値そのものが改竄され、捏造されているのかもしれないではないか、と財務省の決裁文書の改竄が、わたしにささやく始末なのである。
 一体、何を信じればいいのか。
 安倍晋三が総理大臣でいる限り、日本の国民は何も信じられなくなったといえる。
 わたしの脳味噌までが、夜中に寝ている間に、こっそりと消しゴムで消され、ちゃっかりと「安倍晋三さま、大好き♥」などと改竄されている恐れが大いにある。それを否定できなくなっているのが、財務省による決裁文書の改竄なのである。

 安倍晋三の破壊された人格を思い出してほしい。
 自分を守るためなら何でもするだろう。国民が何人死のうが、国が滅びようが、どうでもいいのである。安倍晋三自身が助かりさえすればいいのだ。
 その上に思考回路は幼児的で分裂しているとなれば、如何に危険だと判ろうというものである。一刻も早く安倍晋三を葬り去らなければ、日本に明日はない。
 朝日新聞の覚悟の決起に呼応して、国民も覚悟の決起をすべきときなのである!
 先ずは、安倍晋三を倒すことだ。それからしか何も始まらない。

 日本のジャーナリズムは死に絶えてしまったのかと思っていたが、生きていた。
 朝日新聞はジャーナリズムの凜とした矜持を、ペンの力で示してくれた。腐りきった社会に清らかな風を吹かせた。
 朝日よ、ありがとう!
 
 日本の夜明けだ……。
 真っ赤に燃えて、朝日が昇っていく!
 希望を呼び込む朝日が、まばゆく輝いている!


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