「北林あずみ」のblog

2016年03月


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 儒教は宗教なのか、という疑問はあるだろう。
 宗教であるようで宗教ではないような、儒教は不思議な姿をしている。儒教は宗教であるか、宗教でないかの境界線に立っているといえるのではないだろうか。逆にいうと境界線に立っているから、宗教のもつ本質が顕わになってしまうのではないだろうか。
 儒教ほど権力と癒着した宗教はないだろう。いや、癒着というのではない。権力の維持と安定化を目的にした宗教だといえる。境界線に立っているから、意図的か非意図的かということを無視していえば、宗教が担っている目的を隠しようがなくなるのかもしれない。
 儒教が権力の維持と安定化を目的とした宗教だとすると、初めに宗教ありきではないことになる。そして当然に原初としての宗教的な心もないことになる。儒教という宗教は目的ではなく手段だったといえると思うが、儒教以外の宗教もまた権力に利用される形で、儒教と同じ目的を担うことになるといえるのではないだろうか。だから宗教は権力と癒着し、自らもまた権力の権化にまで堕落するのだろう。

 儒教は厳格な身分制を敷いて、その身分に応じた道徳を生きることを説くわけであるが、宗教の装いをその道徳に凝らしているのだろう。宗教の装いをせずに剥き出しにすると、厳格な身分制だけが際立ち、当然に反発を招くことになる。宗教の装いをすることで、身分制をすんなりと受け入れさせ、更にその身分制を社会の隅々にまで構造化させるような力を道徳に忍ばせているのだろう。そうして社会に安定をもたらし、結果的に体制の維持と強化につなげようとする目的があるのだろう。
 こうした儒教的社会は考えて見れば、権力にとっては好ましいものであっても、必ずしも民衆にとっては好ましいものとはいえないはずだ。が、身分制とは社会的な関係性でありながら、個人と個人との関係性でもあるので、家の中にまで関係性が持ち込まれることになる。そしてその関係性が道徳によって飾り立てられているから単純ではない。家父長が妻と子供を隷属的に支配することが、道徳によって巧妙に正当化される。だから身分的権力構造が隅々まで貫徹されていくのである。家の中にまで身分制が息づき、その身分制的関係性が道徳の名で美化されながら日常化するのだから、儒教的身分制の日常を生きた子供が大人になれば、その関係性を再生産することになるのだろう。
 しかし、儒教道徳が人の心の内奥まで操っているかというと甚だ疑問である。
 わたしは道徳によって人の心の内奥にある情動が表面に出てこないように、蓋をして押さえつけているだけではないかと思う。心の奥底にある情動までも儒教の身分制的道徳では操縦はできないと知っているから、儒教社会は儀礼を重んじる社会になるのではないだろうか。つまり人の心の内奥までの支配を射程に入れていないから、表面的な儀礼を日常の中に徹底させ習慣化させることで、儒教的な身分制と社会的関係性を持続させようとするのである。儒教は目上の者に対する接し方や挨拶の仕方、またお辞儀の仕方や言葉遣いといった儀礼を重視し、細微に渡って道徳としての作法と生き方が強要され、徹底的に叩き込まれるのだろう。
 が、表面上は儀礼に忠実だとしても、深々とお辞儀をながら、心の中では舌を出しているとも限らないのである。儒教が宗教かどうかの境界線に立っているのは、人の心の奥底で舌を出す情動までは操縦(=洗脳)できないという事情によるのではないだろうか。儒教の限界とはこの辺りにあるのだろうと思う。
 儒教的な身分制と道徳の縛りから解放されたらどうなるか。蓋をされて押さえつけられていた内奥の情動が一気に噴き出してくるのではないだろうか。道徳で無理に抑えつけていたから逆に反道徳的な情動を生み出し、欲望に突き動かされて反道徳的な行動へと人を駆り立てるのだろう。儒教の歴史が古い中国において道に平気でゴミを捨てたり、暴徒化した群衆がスーパーなどに押し入って商品を強奪する光景が日本のマスコミによって報道されているが、そうした姿は社会主義国家になったからというのではなく、儒教がもつ限界が露呈したからだと思う。が、日本のマスコミのほとんどは戦前の体制翼賛報道機関にまで堕落しており、中国を仮想敵に見立てて排他的で国粋的なナショナリズムを煽るという任務を背負わされているのだから、そのまま鵜呑みにすべきではないだろう。意図的に誇張されている側面はあると思う(笑)。
 その一方で、東日本大震災で被災した日本人が、物静かに整然と並んで配給させる食べ物を受け取っている姿をみた海外の記者が驚きの声を上げていたのを思い出す。海外にあってはこうした場合に、スーパーなどが群衆に襲われて商品を強奪されるのは当たり前だからだろう。この日本の現象を江戸時代からの儒教道徳の浸透と、明治維新国家によって、尊皇的に、そして国粋的にアレンジされた儒教道徳(=後期水戸学)である教育勅語のたまものだとみる識者がいたりするが、皮相的な見方であり大きな間違いである。わたしは日本という風土が育んだ性向だとみている。安倍晋三を初めとする政府与党の大方の議員達は、教育勅語を絶賛し、その復活を目論んでいるが、それは単なる国家権力に従順な臣民を作り出そうと悪巧みをしているに過ぎない。不道徳であり非倫理的な自民党議員の行為をみれば、儒教道徳を口にする権力者ほど道徳と倫理とは無縁であり、薄汚い性根をしている私利私欲の亡者だということが証明されているといえよう。

 意外であるが日本に儒教が伝わったのは仏教よりも古く5世紀の初め頃といわれている。が、日本において儒教が歴史の前面に顔を出して権力と一体化したのは、それまで日本の儒教が陥っていた禅宗の教理への依存(儒釈不一)から儒教を独立させた藤原惺窩の高弟である林羅山を庇護した徳川家康が、体制を盤石にするために朱子学を統治装置として利用したことに始まる。つまり近世の江戸時代になってからだ。
 丸山真男が『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)で論じているように、徳川家康が儒教に目をつけたのは、戦国の世が統一され、徳川幕藩体制を盤石とし末永く安定化させるためには、厳格な身分制を前提とした上で身分に応じた人の道(=道徳)を説く儒教に利用価値を見出したからだろう。動態の世を静態の世に変えるために儒教という宗教が不可欠だったのである。
 縄文人の心と精神に源流をもつ日本人の宗教的な心については、後ほど述べるつもりである。順序が逆になってしまうが、近世から幕末を経て明治維新国家体制が成立する過程で儒教が演じた歴史的役割を、仏教と国学と神道と絡めてざっと眺めてみたい。そして更に、戦前の日本ファシズムの成立において大きな役割を演じた教育勅語と一神教的国家神道の問題性を、儒教道徳(後期水戸学)との関係性からもみてみたい。
 その前に、日本人の精神構造における二つの断層を語ってからそちらに入ることにする。

 仏教の受容は権力を抜きにしては語れない。仏教の受容とは国家(西欧近代的意味での国家ではない)の庇護の下に国家の守護を目的にしたものだったのであり、当然に支配層のための仏教であり、民衆とは没交渉であったといえる。
 わたしは日本人の精神構造は二重構造をしており、支配層の精神構造と民衆の精神構造との間には深い溝があると思っている。
 儒教の伝来が仏教よりも古いという事実があるが、支配層が選択したのは仏教だということになるのだろう。どうして仏教を選択したのかという疑問が頭をもたげてくるが、日本人の心と精神の古層としてある宗教的なものが、仏教に通じていたからではないか、とわたしは思っている。通じているから、逆にいうと、日本に伝わった宗教の中で仏教ほど日本的な姿へと変容した宗教はないのではないだろうか。インド仏教とは違うし、中国仏教とも違っている。日本独自の仏教なのである。この件についても後で触れたい。
 日本における仏教史をみると、一般的には鎌倉仏教によって仏教の民衆化がなされたように解釈されている。長い間わたしは、釈然としないものを抱いていたのだが、山折哲雄の『仏教とは何か』(中公新書)に接して疑惑が晴れた。山折哲雄は次のように論じている。

「法然や親鸞、道元や日蓮の仏教思想がそのままの形では民衆に伝わらなかったという点では、平安仏教を代表する最澄や空海の場合と何ら異なるところはなかった。(中略)
 要するに鎌倉仏教の担い手たちは、いずれも知識人的宗教という性格を濃厚に保持していたということである。かれらの宗教思想はいまだ民衆化・大衆化の契機を十分につかんでいたとはいいがたい。世に受け入れられることのない突出したカリスマと、かれらを取り巻く少数のエリート信者たちの結合というのが、その偽らざる姿であった。これまでの仏教史の常識は、鎌倉仏教における『民衆化』という契機をあまりにも過大に評価してきたのではないだろうか。
 そういう傑出したカリスマ(祖師)たちを中心とするエリート仏教の流れにたいして、他方に、仏教の真の意味における土着化の傾向が途絶えることなく静かに進行していた。それがさきにみたように、外来宗教としての仏教と山岳信仰との融合、そしてその結果としての山中浄土観や遺骨信仰の形成というもう一つの底流であった。そしてこの第二の流れと動きが、奈良時代の行基や平安時代の空也の活動と結びつき、さらに鎌倉時代の一遍などの民衆運動と不可分の関係を保っていたのである。
 この第二の民衆宗教の流れは、なるほどさきにのべたエリート仏教の第一の流れのようには自覚的なものでもなく、自立的なものではなかった。そのうえもちろんダイナミックな思想闘争を展開したわけでもなかった。しかしながらこの第二の伏流はしだいに民衆のこころをつかみ、かれらの生活様式をすら左右するような浸透性を示すことになった。第二の流れがさきの知識人仏教の流れと並行しつつ、やがてこれと交錯し融合する勢いを示すようになったのである。法然や親鸞の民衆化と、道元や日蓮の大衆化がやってきたといってもよい」

 長々と引用したのは、日本においては支配階級と知識的階級の精神構造と、民衆の精神構造には、深い溝があったと思うからだ。知識的階級は中国と朝鮮を経由して入ってきた舶来の宗教である仏教をいち早く取り入れ、独自に解釈しながら徐々に変質させていったのだろう。そして、支配層は仏教によって体制の基盤強化と守護とを祈願しながら、日本的に変質した仏教を体制の中へと取り込んでいったのだろう。但し、支配層が仏教によって民衆の心を思いのままに掌握できるなどとは思いもしなかったはずだ。
 わたしは支配階級と知識的階級の精神構造と民衆の精神構造との間に断層をみるのであるが、更に民衆の中にも断層が存在していると思っている。それは縄文文化と弥生文化の間に横たわる断層である。この断層こそが日本人の宗教的な心を語るときに重要になってくると、わたしは確信している。この断層を原初的断層と呼びたい。
 縄文人と弥生人は同じ人種のモンゴロイドに属しているが、古モンゴロイドと新モンゴロイドの違いがある。現代の日本人は古モンゴロイドと新モンゴロイドの混血であることが科学的に解明されているが、東北地方や沖縄は古モンゴロイドの名残りを多く留め、更にアイヌはより縄文人に近いとされている。このことから原初の日本には縄文人が居住し、そこに半島経由で大量に移住してきた弥生人によって日本が徐々に占拠されていったと考えられている。縄文人は狩猟採集を基本として雑穀類やクリなどの栽培を行っていたようだが、動植物の宝庫であるブナ林が分布している東北地方を中心として居住し、後から稲作文化を携えて渡ってきた弥生人は、稲作に適した北部九州から西日本に定住していたようだ。最初は棲み分けを行っていたのだろうが、半島経由で渡ってきた弥生人は国家の概念を持っていただろうから、徐々に統一国家の形成に向かうことは分かろうというものである。この過程で、日本列島の先住民である縄文人は辺境へと追いやられたのであろう。
 こうして3世紀中頃から後半にかけて生まれたのが大和朝廷であり、646年の大化の改新によって成立した律令国家体制によって、わたしのいう原初的断層が歴史的に作られ、日本の先住民であり、日本の風土そのままを一万年にわたって生きてきた縄文人の歴史と、縄文人の心と精神を意図的に切り捨ててしまったのである。そして意図的に、日本の歴史の始まりを弥生時代にしてしまったのである。しかし、わたしは日本人の原初としての風土的な意味での心と精神とは縄文文化の中にあると思っており、日本の歴史の始まりが縄文時代であることは動かしようがない事実だと確信している。
 蘇我入鹿を暗殺した中臣鎌足と中大兄皇子によって打ちたてられた天皇を頂点とする律令国家体制(中央集権的国家体制)を正当化するイデオロギーが『古事記』であり『日本書紀』であることは広く知られており、上山春平『神々の体系』(中公新書)などで解明されてもいる。そして、『古事記』の神代記の神話は、半島を経由して大量に移住してきた弥生人が縄文人に代わって日本を治める歴史を描いていることもまた解明されている。
『古事記』の神代記は、天津神(天照大神などがいる高天原の神の総称)が国津神(天孫降臨以前に日本にいる土着の神)を征服する神話として語られ、天照大神の命を受けたニニギノミコトが葦原の中つ国を治めるべく高天原から高千穂峰に降り立った(天孫降臨)ことが語られているが、このニニギノミコトこそが天照大神の孫であり、天皇の祖先とされている。したがって天皇とは絶対的な神である天照大神の子孫だとされて、神の直系という衣装を纏った天皇の権威が絶対化されることになった。これは神話の形を借りて、稲作文化を携えて朝鮮半島から大量にやってきた弥生人こそが日本の歴史の始まりであることを強制するものであり、それ以前の縄文人の歴史はばっさりと切り捨てられることを意味している。
 この神話によって日本人の祖先は稲作農耕民族であり、弥生文化こそが日本人の心と精神のルーツであるかのような虚構が一人歩きを始めたといえるのではないだろうか。
 この虚構は支配階級と知識的階級に向けたもので、民衆向けのものではないのは仏教が伝わった経緯と同じであろう。しかし、この虚構が民衆に向けられ始め、虚構を民衆の心に植え付けようとしたのが国学であり、実際に国家権力によって上から強要される形で洗脳教育が行われたのは明治維新以降である。縄文人の一万年の歴史を一日に見立てれば、一時間にも満たない前の話しでしかない。

 二つの断層は日本人の心と精神とを考える上で重要なものとなるはずであり、特に原初的断層が持つ意味は、原初的断層をどうみるかで根底的な価値観がひっくり返るような重大なものだと思う。
 原初的断層がどういう形で影を落としているのか、民俗学という学問をみればはっきりと分かる。
 日本民俗学の祖である柳田国男は日本人の祖先を稲作農耕民族としてみており、祭りや習俗の起源と意味を稲作農耕文化との繋がりでみようとする姿勢があり、その姿勢を堅持するあまり歪んだ無理のある解釈を産み落としている。折口信夫も同様である。柳田国男が民俗学を新国学といったことから分かるように、日本民俗学とは、儒教や仏教といった外来の宗教や文化の影響を取り除いていった先で、日本人の純粋な心と精神、または宗教的な心に辿り着こうという学問であるが、国学が『古事記』の神代記を絶対化たように、日本民俗学も『古事記』の神代記から自由になれないのである。
 それでもわたしは、原初的断層があっても、縄文文化に息づく原初としての日本人の心と精神は、現代の日本人の心と精神の古層に脈々と息づいていると思っている。何故ならば、日本という風土が育んだものであり、日本の風土と共に生きることによって朝鮮半島から大量に移住してきた弥生人の心と精神へも影響を及ぼさずにはいられないと思うからである。
 その証左を江戸時代に生まれた里山にみることができる。
 里山は弥生人の稲作農耕文化と、縄文人の縄文文化の心と精神とが融合して生まれたものだと思うからだ。これについては後述したい。

 さて、日本の宗教に話しを戻すと、権力が民衆を射程に置いて宗教を利用したのは江戸時代になるまでなかったのではないかと妄想している。「思っている」と書きたいのだが、「妄想している」と書いたのはその根拠をもっていないからだ。わたしは学者でもなく評論家でもなく、単なる素人のブロガーなので(作家だとは自任している)、妄想と断れば批難を浴びることはないという不届きな魂胆が働いているからだ。妄想とは便利な言葉である(笑)
 ここで注意しなければならないのは、先にみたように仏教といえども広く民衆の心へと浸透した宗教というものとしてはなかったのであり、いわば日本には一つの宗教による支配はなかったといえるのではないだろうか。だから逆にいうと、一つの宗教による徹底した支配がなかったから宗教的な心が息づいていたといえないだろうか。日本人はよく無宗教だといわれるが、それは一つの宗教を信じてはいないことにはなるが、だからといって宗教的な心がないということを意味してはいない、とわたしは思う。宗教は原初としての宗教的な心から始まって、原初としての宗教的な心から遠ざかることで解釈学としての宗教として発展するものだと思うが、そうであれば原初としての宗教的な心が息づいていることの方に、わたしは目を向けたいし、また重視したい。
 一つの宗教による徹底した支配がなかったのは、偶然的なものなのか、それとも必然性があるのか、という問いは重要だと思う。わたしは必然性をみている。日本人の心と精神の古層に息づく宗教的な心が、一つの宗教に支配されてしまうことを拒んでいるのだと思うからだ。では、その古層に息づく宗教的な心は、どうして宗教へと結実しなかったのか。この問いもまた重要だと思う。古層に息づく宗教的な心は、解釈としての宗教にはなれない本質があるのであり、また解釈としての宗教になることを頑なに拒む性質のものだから、というのがわたしの仮説である。この件については最後に論じたい。
 
 上述したように、徳川家康が朱子学を重用してからは、徳川幕藩体制を支える宗教は儒教ということになるのだろうが、士農工商という身分制を敷き、それぞれの身分に応じた道(道徳)を極めることを求めたが、この身分制に応じた道が縦関係の道徳だとすれば、士農工商の横関係にもまた厳格な道があるのである。君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の道徳がそれである。こうした縦横の関係に道徳をはめ込んでいるので民衆の生活にも儒教的な道徳は色濃く影を落とすことになるはずだが、影響は否定はしないが、やはり儒教は支配者(=為政者)のための道徳という側面が根強くあるのではないだろうか。だから宗教という匂いが希薄となっているのだ。武士道にはなり得ても、民衆の心までも吸い寄せる宗教にはなり得ないのである。
 表向きは儀礼を重んじても、腹の中ではあかんべーをしていたのだろう。儒教の限界と弱点が、江戸時代の日本にあってはあからさまだったのである。したがって近世の儒教は、ほとんど宗教の体裁をなしていなかったのではないだろうか。儒教が権力と一体化していても、それは宗教という意味での一体化ではなかったのだろう。しかし、宗教的な装いはしていたことだけは確かだと思う。
 この儒教の在り方と歩調を合わせるかのように、仏教もまた宗教的な色彩を弱めているのは面白い現象だと思う。仏教の宗教色を弱めさせたのは支配層である。

 山折哲雄編『日本人の宗教とは何か』(太陽出版)の中で、「第5章 江戸時代」を担当した島田裕巳が示唆的なことを論じている。近世は世俗化した時代だというのだ。仏教は広く民衆の心の中にまでは侵入できなかったことを先に述べたが、仏教は教団として自らが権力を奮う勢力でもあったのは事実である。島田裕巳は「比叡山延暦寺と石山本願寺が焼き討ちされ、その力がそがれたあと、新来のキリシタンもまた禁制となり、社会的な影響力を失った。この一連の動きは、宗教的な権力がその力を失い、世俗的な権力の支配下におかれたことを意味する」と論じている。
 どうも島田裕巳は宗教学者だからか、宗教に過大の期待をしているような感じを受ける。「宗教的な権力がその力を失い、世俗的な権力の支配下におかれたことを意味する」という中に、島田裕巳の宗教に向き合う本質的姿勢が垣間見えるのである。国家権力と宗教とを対立的にみる視線である。わたしの視線は島田裕巳とは真逆で、国家権力と宗教とを対立的にみていない。歴史は宗教が国家権力と癒着したり、一体化したり、また宗教自体が国家権力そのものになったりしたことを語ってくれている。むしろ、宗教が国家権力と真正面から衝突するのは例外的事例だと考えている。その例外的事例においても、宗教の衣装を纏った権力と、国家という衣装を纏った権力との衝突だと捉えている。宗教と国家という衣装を剥ぎ取れば、権力と権力の衝突にすぎないのではないだろうか。
 わたしがこうした捉え方をするのは、宗教的な心と宗教とを切り離してみているからだ。島田裕巳はオウム真理教に過大な幻想を抱いたようだが、その幻想を導き出した要因は、島田裕巳の宗教と国家権力とを対立的関係にみる視線にあるのだろう。だから宗教に可能性を夢想してしまうのだ。わたしはオウム真理教とは、宗教の衣装を纏った麻原彰晃の私利私欲と権力欲そのままに洗脳された集団とみなしているので、初めから宗教的な心のない麻原彰晃が生み出したオウム真理教に何の期待もなければ、宗教ですらないと思う。この意味ではIS(イスラム国)に通じている。
 問題なのは、どうしてオウム真理教やIS(イスラム国)へと若者たちの心が吸い寄せられていったかという点だろう。そして、どうしてオウム真理教とIS(イスラム国)のようなおぞましい化け物を社会は産み落としたのかという点だろう。若者たちの心が吸い寄せられていくからといって、オウム真理教とIS(イスラム国)に可能性があるのではない。また可能性を見出すとしたら、よほどの宗教音痴である。

 確かに戦前に日本ファシズム国家によって弾圧された大本教のような特異な例はある。そして、織田信長に抵抗した比叡山延暦寺や加賀の一向宗門徒のような例もある。しかし、わたしはこうした例も、基本的には、宗教の衣装を纏った権力と、国家という衣装を纏った権力との衝突だと捉えている。
 僧兵をもつ比叡山延暦寺は宗教的権威で守られた治外法権的な権力であった側面がある。また朝廷との繋がりもあった。自らが絶対的な神となろうとしていた信長にとっては宗教的権威とは邪魔でしかなく破壊すべき対象だったのだろう。比叡山と同じく加賀の一向宗門徒も信長に反旗を翻したが、一向宗門徒の世界においては自らが信じる宗教的権威こそが絶対なのである。そうした意味においては、極論すれば、織田信長という全国統一へと向かう権力に逆らっただけで、浄土真宗本願寺教団という宗教的権力には絶対服従だといえるのではないだろうか。
 たとえば創価学会であるが、戦前はファシズム国家権力から弾圧され、教団の創設に深く関わった牧口常三郞が治安維持法で投獄され獄中死している。その創価学会が、戦前のファシズム国家体制への回帰を掲げる安倍政権へと擦り寄り、その露払い役にまで堕落している現実がある。現代版の治安維持法といわれる特定機密保護法を率先して推進し、平和憲法護持を基本とした創価学会という教団と一体となった公明党があろうことか、集団的自衛権を認める安保法制成立に深く関わり強行採決までしたのである。
 創価学会を眺めただけでも宗教とは何か、と考えざるを得ない。そして、宗教そのものを疑わざるを得なくなる。
 教団が真逆の方向へと歩き出したのに、その教団の内部にいる信徒が異議を差し挟むことがないのも不思議である。おそらく、異議を差し挟むことができない雰囲気が教団を支配しているのだろう。また教団を絶対的に信じ切っているのであろうから、教団の行為と教団が歩いて行く方向性を客観的に観て判断する目と理性とを奪われてしまっているのだろう。いわゆる宗教的洗脳である。
 教団という組織が上意下達の絶対的ヒエラルキーによって貫かれているのではないだろうか。したがって、信仰とは教団上層部の意向を神の声として崇めて無条件に従うことであり、教団の存続と発展のために滅私奉公することが日常的な信仰活動となってしまっているのではないだろうか。
 滅私奉公といっても、完全な滅私ではない。絶対的ヒエラルキーの中で、己の地位を高めるための奉公であり、自分の存在と正当性を得るための奉公であり、だから奉公に生き甲斐を見つけ出すことになるのだろう。
 新興的な宗教的教団とは、一般的な社会とは異質な世界を持っている。宗教的教団が形成されていく過程では、社会と異質な信仰によって形成される共同体的世界を演出することで、民心を惹き付けていくのではないだろうか。社会の中から弾かれたり、社会の中に居場所を見つけられなかったり、社会の中で差別されたり、生活苦のどん底に突き落とされたり、病魔に冒されたりして、社会と人生に絶望しながら這いずり回るようにして孤独を生きている人々に手を差し伸べて、そうした社会とは切れた別の世界があることを説くのだと思う。
 こうした信仰が宗教といえるのだろうか。そして、一人の人間として考えたとき、宗教的な心とはそうしたものでいいのだろうか。わたしは素朴な疑問を持ってしまうのである。宗教的な心から出発したはずが、宗教という姿へと徐々に変質していく中で、宗教的な心とは似て非なるおぞましい姿へと脱皮していまうのではないだろうか。
 創価学会だけでを言っているのではない。
 幕末から明治維新にかけて生まれた神道系の宗教団体は、大本教を除いて(大本教から分離して、一神教的国家神道の権化となった教団も誕生している)ほとんど国家権力と一体となり、一神教的国家神道を掲げて排外的ナショナリズムを民衆に植え付ける機関とまでなっていったのが歴史的事実である。
 終戦直後はなりを潜め巧妙に姿を隠していたが、またしても国家権力と癒着し、安倍晋三を祭り上げて歴史の表舞台へと立ち現れてきている。そして、戦前と同様に排外的で偏狭的なナショナリズムを煽っているのである。
 宗教の持つ威力(正の利用価値)と、その反対に、宗教の持つ破壊力(負の利用価値)に権力者は敏感である。宗教と権力が一体であることを知っているから、豊臣秀吉と徳川家康はキリシタンを弾圧し、キリスト教の布教を禁止したのだろう。キリスト教と一体となった西欧の権力の意志を肌で感じられるのである。織田信長がキリスト教の布教に寛容だったのは、キリスト教によって日本における宗教的権威を相対化するつもりだったのではないだろうか。いずれは自分自身が神になるのであり、そのときにはあらゆる宗教の権威を認めることはしなかったはずだ。もしくは、信長という権威をより強くするために利用するつもりだったのかもしれない。

 島田裕巳を批判したが、島田裕巳の宗教の見方は大方の宗教学者に共通しているものなのだろう。
 宗教学によれば宗教とは自然宗教と創唱宗教に分類されるようだ。宮家準は『日本の民俗宗教』(講談社学術文庫)の中で、「創唱宗教はキリスト教、仏教、イスラム教などのように、深い宗教体験のなかで啓示や悟りを得た教祖がそれをもとに開教したものである。そして世界の人類全体を信者にすることを目ざしているゆえ、世界宗教ともよばれている。創唱宗教の教祖は釈迦が出家して修業し、イエスがユダヤ教の律法を否定したように、既存の社会秩序にもとづく自然宗教を超克することによって成立する。それゆえ、当初の信者は自然宗教では救済が保証されない、差別され虐げられた人びとなのである。(中略)そのせいもあってか、創唱宗教は現世拒否的な傾向をとり、その救済も個人的なものである。そして救済されたと確信したあとは、その信仰が深く内面化され、それにもとづいた信仰生活に入り、布教活動に邁進するのである」といっている。
 宮家準の創唱宗教の捉え方も、その始まりを反体制的な性向とみなしているので、島田裕巳の宗教の捉え方と通じたものなのだろう。
 しかし、自然宗教が「既存の社会秩序にもとづく」ものとする宮家準の視点は、とても納得できるものではなく、自然宗教を「日常生活のうえでの現世利益の達成に重点がおかれてもいる。それゆえ、救済されれば御利益があるとして、しばしばそれにたよることがあっても、信仰を内面化していくことはあまり認められない」というに至っては、宗教学者の盲目的な創唱宗教信仰としかいいようがなく、自然宗教を皮相的にしか捉えられていないとしかいいようがない。自然宗教にも現世の御利益を求めるものばかりではないし、ごりっぱな体系的教典や教義といった頭でひねくり出したものがくっついていないから、純粋な宗教的な心が分かろうというものである。
 創唱宗教の反体制的な要素が原初にあったとしても、宗教教団として成長する中で、全く違った化け物の貌を持つまでに変容してしまうのではないのか。そうでなければ、王権神授説など生まれようがないではないか。
 ニーチェはキリスト教の本質はルサンチマン(弱者の反感)にあるとして批判したが、正しく宮家準の創唱宗教信仰はルサンチマンに発しているといえるのではないだろうか。
 ニーチェの思想の神髄は、キリスト教そのものにニヒリズムをみていることであり、キリスト教の神が否定されたことでニヒリズムが世界に蔓延しているのではないのである。キリスト教の本質がニヒリズムを連れてきたのである。かくいうわたしも、ニーチェの思想を誤解していたのである(笑)。
 ニーチェは「神はどこへ行ってしまった」といっている。神を殺したのは誰あろうキリスト教なのである。ニーチェは神を否定したのではなく、神を否定したキリスト教を否定したのである。
 わたしはニーチェが求めた神に心当たりがある。が、この件については最後に触れたい。

 話しが脇道に逸れてしまったので、島田裕巳のいう近世の世俗化した社会に戻りたい。
 西欧近代主義とは政治の世俗化でもある。国家のあり方と方向性を決める政治を宗教的な権力と権威から切り離して独立させ、合わせて宗教的な倫理を私的領域に封じ込めることでもあった。西欧近代主義の政治の世俗化と社会の世俗化に引き寄せて、日本の近世の世俗化した社会を島田裕巳は次のように述べている。

「日本の近世社会は、徹底した『世俗化』とともにその幕を開けたとも言える。宗教的な権力が世俗的な権力の下におかれるという体制は、その後の日本社会における宗教のあり方を根本から規定することになった。
 フランスにおいて、カトリックの宗教的な権力が世俗的な権力の下に組み込まれるのは、一七八九年の『フランス革命』以降のことである。フランス革命は、欧米における宗教と政治の関係に根本的な変化をもたらす先駆的な出来事であったが、日本では、その二百年近く前に、世俗的な権力の優位が確立されていた。日本は極めて早い段階で、世俗化が進んだ社会であり、そこにこそ近世から近代にかけての日本人の宗教のあり方の第一の特徴が示されている」

 島田裕巳は重大な点を見落としている。
 西欧近代主義の理念の幕開けを告げるフランス革命は、宗教の支配と呪縛から国家を切り離しただけでなく、国家と個人の関係性を明確にしたことであり、その前提にフランス人権宣言として謳われた人は生まれながらにして自由と平等と幸福追求の権利を与えられているという天賦人権論(自然権)がある点である。そして天賦人権論を踏まえた上で国家との関係性を明確化した社会契約説に立っている。
 日本の近世社会の世俗化に天賦人権論と社会契約説の視点はない。西欧的意味での自然権という権利をもつ個人という概念も自覚もないのである。西欧近代社会の世俗化と日本の近世社会の世俗化とは異質なものだといえる。
 島田裕巳のいう近世社会の世俗化とは、国家権力が如何なる宗教的権力からも束縛されず、国家権力にとって脅威になるような宗教的権力を実質的に解体し無力化したことを意味するのだろう。宗教の本質を既成の権力と対立的なものとしてみる島田裕巳の視点からみれば、日本の近世社会は正しく世俗化した社会だといえる。
 しかし、逆接的にいうと、国家権力にとって脅威になるような宗教的権力を実質的に解体し無力化したから、特に仏教が民衆の生活の中に根を張ったともいえるのではないだろうか。知識的階級によって独占的に解釈されていた仏教の大衆化といえるのだろう。山折哲雄のいう第二の民衆宗教の流れに仏教が飲み込まれたと言い換えられるのかもしれない。
 近世が果たした仏教を中心とした宗教の大衆化と世俗化が、現代の日本社会の宗教的な基礎を作り上げているようである。そして、現代にも受け継がれている宗教的な慣習や風俗や文化の源流でもあるようだ。山折哲雄は仏教と神道の「国民宗教化」といっている。

 今回で終わりにしようと思っていたのだが無理のようだ(笑)。
 今度こそ次回は終わりとするつもりだ。儒教の限界を看破した国学が、その限界を超えるべく神道をどう改良して、あのおぞましい一神教的国家神道を作り上げていったか。そして明治維新国家がその一神教的国家神道を更に手を加えて体制の根幹へと据え、国家自らによって生み出した一神教的国家神道という国家宗教による統治を行うという、世界に例を見ない壮大な実験の結果はどうなったか、みてみることにしたい。壮大な実験の過程において、雨後の竹の子のように次から次へと生まれた新興宗教は国家宗教へと自ら率先して隷属していくのであるが、その浅ましい姿こそ宗教の本質を炙り出しているのではないだろうか。
 もう一度断っておくが、私はこうした宗教を否定するものであるが、だからといって宗教的な心を否定するものではない。ニーチェが「神はどこへいったのか」といって神を求めたが、その神は西欧的精神土壌における神の姿とは全く異質な姿をして、日本という風土そのものである縄文の森にいると思っている。一神教的国家神道とは、日本という風土とは真逆のもので、むしろ西欧的精神土壌の産物であるともいえ、日本人の原初としての心と精神とは無縁のものである。だから安倍晋三のような私利私欲に塗れ汚れきった皮相的な心を生きる人間が、恋い慕うものなのである。
 いずれにせよ、安倍晋三は権力としての宗教と縁があっても、宗教的な心とは無縁の男である。
 次回にご期待あれ(笑)。
 
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 これまでに何度となく宣言してきたが、わたしは和辻哲郎の『風土』(岩波文庫)に多大な影響を受けている。そして、ダーウィンの自然淘汰による進化論ではなく、今西錦司の棲み分けと環境への適応としての進化論を受け入れている。和辻哲郎の『風土』と、今西錦司の棲み分けと環境への適応としての進化論が、互いに通じ合っていると思うからだ。
 わたしは虫好きだから昆虫図鑑はなくてはならないものであるが、昆虫図鑑を詳細に読んでいけば、今西錦司の進化論を素直に受け入れられるはずだ。地球上には厖大な種類の昆虫が棲息しているが、明らかに同じ種から分化したと思われる昆虫が数多くいる。違った種へと変異したのは、弱肉強食の自然淘汰によるものではなく、異なる環境に身体を変えていったと考えるのが理に適っている。そして、弱肉強食による生存闘争を避けるような形で巧妙に棲み分けが行われていることに気づく。例えば、敢えて毒性のある植物を食草にしたり、敢えて過酷な環境を選び、その過酷な環境に適応することで競合を避けたりしている昆虫が数限りなくいる。
 人類の起源と進化には様々な説があるようだが、一般的には、アフリカの大地溝帯に生まれたアウストラロピテクスから分化したホモ・サピエンスが人類の起源となっているようだ。今から40万年前とも25年前ともいわれているが、現存する人類はホモ・サピエンスのみであり、言語が違ったり、肌の色と瞳の色が違ったり、また体型が違ったりするのは、世界中に散らばった人類が異なる環境に適応しながら生きてきた過程で、長い年月を経るにつれて生じてきた差異なのだろうが、本質的には同じホモ・サピエンスであり、種を分かつ決定的な差異ではない。因みに人種は生物学上の種や亜種とは違う。
 人間は昆虫ではないので、身体を変異させなくとも環境に適応できる。火を使ったり、道具を用いて住処を作ったり、食べられる物を工夫したり、衣類をこしらえたりすることで環境に適応していくのであるが、要は身体ではなく衣・食・住を環境に適応したものへと変えていくのだろう。したがって暮らしと生き方は環境と密接に関係したものとなってくるのだろう。そうした独自の暮らしと生き方が独特の風俗や慣習を生み出し、また伝統と文化を育んできたのだろう。言語の違いも環境と密接に関係しているはずだ。
 人種と民族の違いとは、異なる環境へと適応することによって生じた差異なのだろうが、だからこそ暮らしと生き方に違いがあり、風俗と慣習に違いがあり、また伝統と文化と言語に違いがあるのだろう。しかし、こうした差異は根深いものがあるはずだ。気の遠くなるような時間の中で、環境に適応していく過程において作られたものであり、身体的特徴だけでなく精神的なものとしても環境へと向かう姿勢と、環境への接し方と、そして実際に環境と共に生きた時間の記憶が人種と民族の中に沁み込んでいるのだろう。いわば、その環境に相応しい暮らしと生き方を営んできたのであり、その意味では棲み分けだといえるのではないだろうか。
 
 進化を棲み分けと環境への適応の結果とみるか、弱肉強食による自然淘汰の結果とみるかでは大違いである。強いものが残って弱い者が消えていったという発想と、環境に適応する形で棲み分けという方向性が基本としてあり、その後に環境の劇的変化が起こって、新たな環境に適応できなくなった種が絶滅していったという発想では、天と地ほどの違いがあるのだろう。
 ここで注意しなければならないのは、進化と進歩とは意味が違うということだ。進化とは生物学的な変異を指す概念であって、その変異が人間の価値基準に照らしてより高度な段階へと進んでいく方向性と必然性(規則性)があるという意味を含んではいないのである。進化の概念の中に進歩の概念を滑り込ませて、生物進化を、人間を生み出すための目的的プロセスであるかのような進歩史観的な意味で捉えるのは、人間中心的な視点でしかなく誤りである。
 人間中心的な視点でなく、地球の視点でみれば、化学的物質と科学的技術によって地球環境を悪化させて破壊し、多くの生物種を絶滅させてきた人間は害悪でしかないはずだ。その人間を生み出すために生物進化があったとしたら、生物進化とは地球を破滅させるための愚かな歴史でしかないことになる。
 原発事故を繰り返し、核爆弾の使用によって地球を生物が住めない環境へと変えることも厭わない人間は、自分自身をも破滅させようとしているのではないだろうか。フランスに空爆され、アメリカに空爆され、イギリスに空爆され、ロシアに空爆され、隣国のヨルダンとトルコとイランとイラクから空爆されたシリアの都市の映像を目にしたが、人類の絶望的な愚かさと罪深さに涙を止めることができなかった。廃墟などという生易しい光景ではない。どうしたらこれほどのおぞましいものをこの世に生み出せるものなのかと目を疑い、自分を含めた人間という生物の宿業を呪わずにはいられなかった。
 こんな光景を作り出す生物は地球上には人間以外にない。その人間が生物進化の頂点に位置し、人間を生み出す目的のためだけに生物進化があり、地球が存在したなどと考えるのは、思い上がりも甚だしい。
 空爆されたシリアの都市の光景をみても微塵も心を痛めることもなく、シリアへの空爆に率先して参加し、軍需産業を儲けさせようと企む安倍晋三とか櫻井よしこのような人間は、地球にとっては害悪以外の何物でもないはずだ。こうした人間を生み出してしまったのは、地球の最大の誤りであり汚点だろう。
 
 弱肉強食による自然淘汰という発想からみる進化論には、進歩史観的な色合いが濃いのではないだろうか。そして資本主義は、正しくダーウィニズムを体現しているといえるのではないだろうか。
 新自由主義経済理論は象徴的である。ダーウィニズムそのものであるといえる。
 棲み分けという発想がないから、市場の一元化を企て、歴史と伝統と文化と慣習といった暮らしと一体となった社会構造(非関税障壁)までを破壊することに寸毫の躊躇もない。何の障壁もなく規制もない、一元化された開かれた市場において自由に競争することが、人類社会を進歩させ発展させていくという進歩史観的な進化論に取り憑かれているのである。
 特筆すべきはその開かれた市場には、神の手(神の意志)が介入するという妄想が働いていることだろう。この妄想は資本主義がキリスト教という母胎から産み落とされたものだということを証明してくれているといえないだろうか。
 神の手とは市場において人・物・金の最適均衡をもたらすというものであり、時代遅れになった資本は速やかに市場から姿を消して、時代に適した資本をより大きくし、また新しい資本を市場に参画させる梃子になるという意味なのだろうが、この神の手は市場を最適均衡にさせる作用を促すだけでなく、資本主義をより発展させて進歩させていく源泉だとみなしているのだろう。この考えはキリスト教の終末論と無縁ではない。
 万物と宇宙の創造主が唯一にして絶対である神だとするキリスト教においては、人間を創造したのもまた神のはずなのだから、人間が類人猿から進化したと説くダーウィニズムとは相容れないものではあるが、人間を頂点としたダーウィニズムの進歩史観という側面に光を当てれば、キリスト教の終末論に繋がっているのではないか、と思うのはわたしだけだろうか。

 棲み分けを基本とした環境への適応としての進化論とダーウィニズムとの決定的な違いは、環境へ向ける目の有無である。
 棲み分けを基本とした環境への適応としての進化論は環境こそが主役なのだ。一方のダーウィニズムは弱肉強食という関係性に重点がおかれ、環境からみる視点が抜け落ちてしまっているのではないだろうか。そして、先にみたようにダーウィニズムは人間中心主義で塗り潰されている。
 資本主義とダーウィニズムを結びつけて考えると面白い。
 資本主義は環境への視点が希薄である。そして、資本主義は人間中心主義に貫かれている。環境とは人間が経済活動を効率的に行うために都合良く変えていくべき対象(資源)でしかないのである。だから経済活動が及ぼす環境への影響などという視点は端からないのだ。
 環境があって初めて生物が生きられるのであり、生物は環境に合わせることで命を繋いできた、という視点がごっそりと抜け落ちているのである。神は人間だけに理性を与えた。神から授かった理性を以てすれば、環境を人間の幸福追求(経済活動)のためにどうとでも変えていけるという根深い人間中心主義の発想があるのである。
 理性は科学技術を発展させてきた。その科学技術を以てすれば、環境へ適応することなど不要なのである。何となれば科学技術によって環境を人間が最適に暮らせるように変えてしまえばいいからだ。こうした本質的な発想があるから、資本主義が棲み分けを許容できるはずはない。したがって資本主義は全世界の棲み分けの地図を破壊し、画一化した地図にしてしまおうとする凶暴な意志を持っている。醜悪なのは、その意志こそが人類を進歩させ、人類に幸福をもたらす真理だと妄信している姿である。

 一元化した市場を作るためには、暮らしと生き方と密接に関わり、そして風俗と慣習と深く結びつきながら、伝統と文化を育んできた社会構造の破壊を意味する。言い方を換えれば、社会構造とは環境へと適応していく中で形成されたものであり、棲み分けそのものだといえよう。その社会構造を破壊してしまうのだから、伝統と文化だけでなく、風俗と慣習が破壊され、そして何よりも暮らしそのものが破壊されてしまうことは論を待たない。TPPの本質とはこうしたものである。そのTPPを保守主義者を名乗る安倍晋三は日本の発展に不可欠であり、「この道しかない」と言うのだから驚きである。TPPは社会構造(非関税障壁)の破壊なのだから、日本独自の伝統と文化と風俗と慣習の破壊を意味し、日本独自の社会構造に根差して生きる人々の暮らしを破壊するものである。日本の原風景とは、こうした暮らしを映し出した風景のことである。里山の風景がそうであり、田毎に青い月影を浮かべる棚田の風景がそうであり、なまこ壁の蔵の街の風景がそうであり、城下町の風景がそうであり、長閑な漁村の風景がそうであり、山並みを背後に抱えた一面の稲田の風景がそうであり、下町の路地裏の風景がそうであり……、数限りない日本の原風景とは日本の風土と暮らしとが一体となったものである。日本の風土とは、美しい四季に彩られた日本列島の独特な環境のことだ。
 日本の自称保守主義者の本当の姿はどういうものか、保守主義という言葉に惑わされることなく、じっくりと考えてみるべきだ。いや、考えるのではなく、日本の美しい原風景を想い浮かべて、その風景と安倍晋三と櫻井よしこのおぞましい貌とを対比してみるべきだ。これほど不似合いな貌はないだろう。
 野党連合に恐怖を抱いた安倍晋三と櫻井よしこは、野党連合を作り上げた立役者である日本共産党への憎しみと恐怖を隠そうともせずに、反共宣伝を始めたが、日本共産党をみるときは、「共産党」に重きを置かず、「日本」に重きを置いてみるべきだ。日本共産党こそは美しい日本の原風景を守る政党であり、美しい日本の原風景に息づく心を愛している政党である。
 歴史には重要な分岐点がある。その分岐点においては歴史は嘘を暴いてしまうものなのだろう。そして真実を浮かび上がらせてしまうものだ。
 安倍晋三と櫻井よしこのいう保守主義は醜い仮面でしかなく、日本の伝統と文化と風俗と慣習の破壊者であり、日本の風土が育んできた日本人の暮らしを根底から破壊する者であり、日本の原風景に唾を吐く者である。
 日本共産党とは言葉の厳密な意味での保守主義の心を持っており、日本人の暮らしと原風景を守る政党である。
 日本共産党が未来永劫そうだといっているのではない。現時点の真実な姿をいっているのである。この歴史的分岐点にあって安倍政権の打倒がなければ、日本の未来はないだろう。そのためには日本共産党の飛躍が不可欠である。
 日本共産党の飛躍のためには都市部ではなく、農山漁村といった地方が重要となると思う。いわゆる保守地盤だが、今度の選挙では安倍政権は日本を破壊する元凶であり、保守主義とは真逆のおぞましい化け物であることを肝に銘じるべきだろう。騙されてはならない。騙されれば破滅が待っている!

 福島原発事故を体験しても、安倍晋三と櫻井よしこと自称保守主義者と経団連と、そして日本の多くの経済成長至上主義に取り憑かれている者たちの発想はびくともしない。
 西欧近代主義のおぞましい本質と不可分に結び着いた発想だからである。極論すれば、西欧近代主義の本質的な価値観を疑うことでしか、このおぞましい発想から自由になることはできないのだろう。

 前回の予告では、今回は中国の儒教と日本の宗教について、権力との癒着という側面から語るはずであった。が、冒頭から路地裏へと逸れてしまったようである(笑)。言い訳めいたことをいうと、実はここまで語ったことは日本の宗教を考える上で重要な意味をもってくるからなのであり、だからドブの匂いがする路地裏へと彷徨い込んだのである。
 キリスト教とイスラーム教は一神教である。
 神は万物と宇宙の創造主であり、人間もまた神によって創造されたとする。しかし、神とは誰にも見えないし、誰もが神の声を聞くことは叶わない。神に作られた人間であるのに、誰もが神の存在に気づかずにいる。万物と宇宙の創造主なのだから、すべての人間の心に神の存在を知らせれば何も布教などしなくていいのだろうに、とわたしは思うのだが、神は奥ゆかしい方なのだろう、自分からは決して存在を明かさないのだ。だったら永久に黙っていればいいものを、神はイエス・キリストとムハンマドに語りかけたのである。二人は神に選ばれたものなのだろう。そして二人は神の声を聞き取り、その声を神の教えとして民衆に広めていったのである。どうして砂漠の環境に生きるイエス・キリストとムハンマドにだけ神は語りかけ、東の外れの島国に生きる者には語りかけなかったのだろうか。わたしは悩んでしまうのである。
 イエス・キリストとムハンマドは神の声を聞き取った預言者となり、神に代わって神の教えを広めていくのだが、その教えに帰依した民衆は存在も姿形も見えない神をみたいと思うのではないだろうか。
 わたしは神をみたいと思わせてしまうのが一神教の宿命だと思っている。日本の宗教を語るときに改めて触れるつもりだが、日本の古代神道の神もまた姿がない神である。が、日本という風土に生きる人々は神の姿を求めないのだ。そこが多神教である古代神道と一神教との本質的な違いである。
 だから一神教に帰依した民衆は、神の代弁者であるイエス・キリストとムハンマドに、神の存在と姿形を重ねてしまうのではないだろうか。つまり神とはイエス・キリストとムハンマドを介して人間の姿になってしまうのだ。現に三位一体説によって、神の声を聞いた預言者であったはずのイエス・キリストが神にまで祭り上げられたではないか。
 しかし、神が人間の姿をしていては不味いと思うはずだ。神とは人間ではなく、すべてに超越した絶対的存在だからだ。偶像崇拝を厳しく禁じた理由が分かろうというものである。

 わたしには子供のような素朴な疑問がある。
 万物と宇宙の創造主の神であるなら、何故に人間だけに声を聞かせたのか、という素朴な疑問である。どうして象さんとかキリンさんとかに神は語り掛けなかったのだろう。恐らく、象さんとキリンさんには神という概念が理解不能だからなのだろう。
 いや、まて! 
 神とは存在するものではなく、単なる概念なのか?
 どこまでいっても答えを見出せない素朴極まりない疑問なのだが、こうして素朴な疑問を投げかけていくと、わたしには一神教の神とはあまりにも人間的だと思えてしまう。第一からして、布教によってしか神の存在を知らせることができないというのも人間的だが、最後は、信じるか信じないかによって、神の存在が決まってしまうというのも、あまりにも人間的である。「信じなくとも、それでも神はいるのです」と信者はいうのだろうが、わたしは「ああ、そうですか……」としか返す言葉がみつからないのだ。

 一神教であるキリスト教とイスラーム教と違って、仏教と儒教はすっきりとしている。存在が見えない神ではなく、仏陀という人間と、孔子という人間を教祖とする宗教だからだ。そして、「宗教とは人間が作ったものです」と潔く高らかに宣言しているからだ。
 世界三大宗教といわれるのはキリスト教とイスラム教と仏教である。
 キリスト教とイスラム教はユダヤ教を母胎として生まれた一神教であり、いわば兄弟である。
 それに対して仏教はどうか。仏教は釈迦を開祖とした宗教であり、宇宙と万物の創造主である絶対的な存在としての神を介した宗教ではない。自らが悟りを開いて仏陀になり、仏陀の境地に達したからこそ見えた世界と教えを説いたものであり、人が仏陀の境地へと辿り着くための方法を教えとして説いたものだろう。
 この意味では仏教と儒教は通じている。初めに神ありきではないのである。飽くまでも人の世界から出発している。
 宗教として見た場合の儒教と仏教の在り方と、キリスト教とイスラム教の在り方は考えてみると面白い。
 仏教は人の内面へと目を向け、儒教は人が作り上げる社会へと目を向ける。
 仏教は人の心へとどこまでも沈潜していって、人の本質としての心の迷いと苦悩の原因を突き詰め、その心の迷いと苦悩からどうしたら離脱して、悟りの境地としての仏陀へと到達することができるか、釈迦自らが実践した果てに掴んだものを教えとして説いたのだろう。心の奥へと沈潜していくから、座禅を組んで瞑想する姿勢をとったのだろう。
 仏教が生まれた原初的な姿とは、悟りの境地である仏陀へと至るための筆舌に尽くし難い修業そのものだったのではないかと思う。したがって誰もが仏陀の境地へと辿りつくことは不可能なのである。
 前回のブログに書いたように、仏教が世界宗教となるためには、仏陀の境地へと辿り着くための修行から開放されて、手っ取り早く心の迷いと苦悩から脱却できる道を示すことが不可欠だったのではないだろうか。仏教の開祖である釈迦はそんな道は示していないはずだ。ひたすら仏陀の境地へと至る修行を説き実践したのだろう。手っ取り早い方法が考案されたのは釈迦が死んでからである。当然に道は一つではない。何故ならば、釈迦の教えを解釈して道を導き出すのだから、解釈する者によって道が違ってくるのは当たり前である。こうして様々な宗派が生まれたのだろう。この様々な宗派の開祖を日本では聖人(しょうにん)と呼ぶ。人間なので神ではないからだ。

 仏教が人の内面へとどこまでも沈潜していったのと対照的に、儒教は人が作り上げる社会へと目を向けたのだろう。そして、如何にしたら平穏で安定した人の社会を生み出すことができるか腐心したのではないだろうか。仏教が人の心そのものを問題にしたのに対して、儒教は人の心の操縦法を問題としたのだと思う。
 儒教がこうした発想をしたのは、群雄割拠が常態化し戦争で土地と人心と社会が荒れ果てていたからだろう。如何にしたら平穏な安定した世へと作り替えられるかという切実な問題と常に正対していたからではないだろうか。
 群雄割拠であり、戦争が日常化し、明日はどうなるか分からない動態的な社会状況を、安定した静態的な社会状況へと変えていく役割を儒教は担ったのだろうと思う。儒教を貫く静態的な姿勢とはそうした必然性によっているといえよう。儒教は変革のための思想ではなく、安定のための思想なのである。仏教も人の心の救いという視点からみれば安定のための思想だったのではないだろうか。個人レベルでの心の平安か、社会レベルでの安定かの違いなのだろう。
 どうして中国では仏教でなく儒教が重要な位置を占めたのだろうか、という素朴な疑問が持ち上がってくる。
 仏教は人の心の安寧を追求するが、それでは群雄割拠する世界の安定には直接的に繋がらなかったからではないだろうか。
 敬虔な仏教徒で占められている比較的閉鎖的な社会ならば、平和で安定的な社会を生み出す力にはなるだろうが、広大な大地に群雄割拠する多数の国を抱える中国のような政治的世界では無理がある。Aという国がBという国に滅ぼされ、そのBという国がCという国に取って代わられることが繰り広げられる世界だからだ。武力をもって統一して新たに権力を握ったCという国は、統一した世界からDという国が生まれないように安定化を図りたいだろう。その要求に合致した思想が儒教なのではないだろうか。
 丸山真男は『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)の中で、中国の歴史が発展的に変容していくのではなく、同じ社会構造が絶えず繰り返されて再生産されていることに中国の歴史の特質があり、その特質こそが中国の停滞性だという主旨のヘーゲルの見解を『歴史哲学緒論』から引用している。
 丸山真男が引用したヘーゲルの言葉を借用すると、中国の特質とは「国家―主体がいまだ己れの権利に到達せず、むしろ直接的な、法律なき人倫態が支配している如き国家―であり、それは歴史の幼年時代である。かかる形態は(中略)家族関係の上に築かれる国家、訓戒としつけによって全体を秩序づけている国家であり、そこでは対立や理念性がいまだ現れていないから、いわば散文的な帝国である。と同時にそれは持続の帝国であり、いいかえればそれは己れを己れ自身から変化させることができない」としており、人の理性を発展しながら曇りなき真理を掴み取る歴史とみるヘーゲルであるだけに手厳しい。
「己れを己れ自身から変化させることができない」中国社会が、では何によって変化するかというと、内と外の敵なのである。しかしその敵もまた同じ社会構造を作り上げるということになるとヘーゲルは指摘しているのである。群雄割拠の世界で繰り広げられた、堂々巡りの国盗り物語ということになるのだろう。
 ヘーゲル哲学における歴史とは真理に向かって発展的に進化していく理性の歴史であり、時間の経過があってもいつまでも同じ状態であり続ける国家形態とは否定されるべき停滞でしかない。ヘーゲルのいう意味での歴史ではないのだ。
 しかし、ヘーゲルがいう中国の特質とは、意図的に作り出されたものである。中国が抱えている本質だとはいえないのではないだろうか。意図的に作り出されたものであって、本質によって必然的に生じたものではないだろう。要は、変化を押さえ込むための社会構造を意図的に作り出したものではないのか。権力が揺るぐことなく安定的に維持でき、内側からも、また外側からも敵が生まれないようにと仕組まれたものなのである。だから新たに権力を握った者が、またそうした社会的構造を再生産したのだろう。動態的な変化を嫌って、静態的な安定を目指したのである。
 儒教は安定した静態的な社会を目指すものなので、儒教はヘーゲルのいうように秩序を重視する。その秩序を作り出すために厳格な身分制を説き、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の道が説かれることになり、身分制に対応した道徳を強いることによって秩序を維持しようとするのだろう。

 儒教については中途で止めてしまった国学の関連でいつか書こうと思っているのであるが、今回はキリスト教との対比の意味で思いついたことを語りたい。
 儒教とは一見すると優れて合理的な思想である。特に論理的に体系化され構成されている宋学=朱子学に至ってはその思いを強くする。
 しかし、その合理主義とは西欧における合理主義とは異質なのである。丸山真男は『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)の中で「朱子哲学の根本観念をなす『理』の性格」について述べている。その箇所を抜粋する。

「事物に内在しその動静変合の『原理』をなすという意味では自然法則あるが本然の性として人間に内在せしめられるときはむしろ人間行為のまさに則るべき規範である。換言すれば朱子学の理は物理であると同時に道理であり、自然であると同時に当然である。そこに於ては自然法則は道徳規範と連続している。(中略)ここで注意すべきはこの連続は対等的な連続ではなく従属的なそれであることだ。物理は道理に対し、自然法則は道徳規範に対し全く従属してその対等性が承認されていない。(中略)朱子学に於ける宇宙論乃至存在論は人生論の『反射』的な地位しか占めていないのである」

 儒教は一括りにできないのだろう。引用した箇所は朱子学について論じたものである。その上で敢えて儒教として括って眺めると、「宇宙の理法と人間道徳が同じ原理で貫かれている」という儒教に特有の「天人合一の思想」は、西欧の合理主義と比較するとき、決定的な違いを感じてしまう。
 この決定的な違いに、わたしはどうしても拘ってしまうのである。人間道徳(あるべき規範としての秩序)を援用して、宇宙の在り方までを理解しようとする儒教の精神は何処からやってきたものなのか、あれこれと妄想してしまいたくなるのである。
 これから論じることは、わたしの妄想である。予め断っておきたい。
 西欧近代主義とは、儒教になぞらえれば、「天人合一の思想」の解体にある。つまり、「宇宙の理法」と「人間道徳」の分離である。しかし、解体はこれだけに留まらない。「人間道徳」の領域が更に分解される。儒教における「人間道徳」とは単なる道徳ではなく、政治であり法律も含まれる。そしてより広義に解釈すれば経済も含まれるのだろう。
 どういうことかというと、政治を独占する君主にとっての理想の政治とは、君主の道を極める修身によって君主の徳を体現することにあるのだ。厳格な身分制を説き、宇宙の理法と人間道徳が合一しているのだから、身分制の頂点にいる君主が理想的な徳を極めるということは、そのまま天理に直結するということを意味するのである。朱子学においては政治とは君主が徳を極めるための「修身」になってしまっているのである。
 こうした朱子学における本来の意味での政治不在を荻生徂徠は問題にして、徂徠学と呼ばれるものを生み出すのであり、この朱子学の否定の方向性は国学と通じたものなのであるが、先を急ぎたいのでこの件については後日国学を語る折にしたい。
 ともあれ、儒教の「人間道徳」には政治的要素が含まれているのである。西欧近代主義とは「宇宙の理法」だけでなく、キリスト教の倫理から政治と経済を分離していることは、政教一致を禁じていることから分かるはずだ。キリスト教倫理を私的領域へと封じ込めたといえるのだが、しかしだからといってキリスト教の影響が全くなくなったわけはなく、キリスト教と一体となった西欧的精神土壌の本質を引き摺っているのだろう。
 わたしが拘っているのは、中国においては儒教の「天人合一の思想」に終始したのに対し、西欧ではキリスト教の教典と倫理の呪縛から、どうして「宇宙の理法」と政治的領域と経済的領域とを徹底的に分離させ得たのかという点ではない。わたしが拘っているのは、西欧の徹底的な分離をもたらし、西欧的精神土壌に息づく何が、「宇宙の理法」と一体になった理性の方向へと向かわせたのかという点である。

 キリスト教もイスラーム教も仏教も儒教も、わたしにとっては優れて人間臭い宗教である。
 しかし、一神教と仏教と儒教では人間臭さの本質が違うように思える。
 みてきたように、仏教と儒教は人間の心と人間の社会に光を当てたものだ。キリスト教は原罪を説き、仏教は人の心の奥深くへと沈潜することで人の心の奥底に揺らめく闇を照らし出した。一見すると似ているようで本質的な違いがある。
 キリスト教の原罪とは神によって教えられたものだ。が、仏教がいう人の心の奥底に潜む闇は自らで掴んだものである。そして、仏教とは単なる否定ではなく、否定の肯定なのだろう。人の心の奥底へと沈潜していったのに、そこに人間中心主義の影はみえない。
 キリスト教における神と人との関係性とはどのようなものなのだろうか。
 絶対的な神の教えがあり、そして自分がある。神は人間を創造したのだから、人の心もまた神にはすべてお見通しなのだろう。つまり神にお見通しの人の心に闇はないのだ。神と人との関係性は、人と外界の対象物との関係性へとスライドしていくのではないだろうか。そして、神を求めるあまり、宇宙と万物を貫いているはずの創造主である神の意志(法則)を探ろうとするのではないだろうか。如何にしたらそれが可能か。つまり認識できるようになるか。その手段が神が人にだけ与えた理性になる必然性がないのだろうか。
 多神教の神なら、神の意志(法則)が一つだとは思わないし、神が絶対的に正しいとも限らない。おっちょこちょいの神がいれば、悪さばかりする神もおり、神とは気まぐれなのである。だから一貫した法則などありようはなく、また求めようとする発想はない。が、キリスト教には終末論があり、歴史はそこに向かって規則正しく進歩していくのであり、絶対的に正しい唯一の神が創造した宇宙に正しい神の意志(法則)がないわけはなく、万物の関係性の中にも正しい神の意志(法則)があると考えるのが自然なような気がしてならない。しかし、何故か人の心へと目が向かないのである。「しかし」を「だから」に置き換えられるのだろうか。だから、人の心へと目が向かない、と言い換えることが可能なのだろうか。

 梅原猛が『日本文化の批判的考察』で面白い考察をしている。わたしは電子書籍として出版している『風となれ、里山主義』でこの件を書いているが、そのまま抜粋してみよう。


 西欧においてはどうかというと、日本語の心に当たる言葉がないというのだ。梅原はそれについて、「心はヨーロッパの哲学でいう意識ではない。ヨーロッパ哲学が入ってきた場合、ベブストザイン、コンシアンスという言葉の訳として西周(一八二九―一八九七)は意識という言葉をあてた。これは、大へん興味深いことであるかに見える。意識はもっとも深い心ではない。意識の背後に末那識と阿瀬耶識がある。末那識と阿瀬耶識にあたるヨーロッパの言葉は何であろう。心というものは理性的意識につきるものではない。理性的意識につきない心を探究し始めたのは、ヨーロッパにおいて、ショーペンハウエル(一七八八―一八六〇)以後の哲学であろう。特にフロイド(一八五八―一九三九)は、こうした意識の背後にある無意識、エスや超自我に初めて認識の光をあてた。
 理性的意識を超えた無意識に光をあてたのは、西欧ではショーペンハウエル以後の哲学であるとすれば、むしろ、日本では無意識の探究である唯識学から仏教教学は始まっているといえる。人間は、無意識の世界においても、どれだけ深く煩悩に動かされているか、こうした煩悩に満ちた心の分析を通じて、心の本体を明らかにし、無明の煩悩からぬがれようとするのが唯識の知恵であろうが、こうした心の哲学が、日本人の生活に深くしみ通っている」と、興味深い考察をしている。
 梅原のいっていることをそのまま解釈すれば、ショーペンハウエル以前の西欧においては、「理性的意識」の集合体が心だとされ、それぞれに心より発露した「理性的意識」の因果関係を分析していけば、人の心が解明できると考えられていたということになるのだろう。「理性的意識」の集合体なのだから、「理性的」に解明することは可能なのだ。存在を命がない物体としてみる唯物論的な発想だといえる。しかし、現代の科学と医学の発想も、本質的には変わらないのではないだろうか。
 そして、「理性的意識」だけでは解明できない領域が人の心にあることがわかった。が、その領域もまた心理学という「合理的思考」によって分析的に解明しようとする発想は、どこまでいっても西欧的だといえるのではないだろうか。「合理的思考」で解明するという発想そのものを根底から疑えないのだ。
 認識する主体である自我を、そして対象である客体としての自然と他者をも、「合理的思考」でらっきょうの皮を剥いていくように分析していくといったのは、こうした意味である。
 この発想では、「無意識」の領域もいつかは「合理的思考」によって解明されて、言葉の厳密な意味での「無意識」ではなくなるのだろう。あくまでも解剖的、そして分析的な姿勢なのである。そうして解明されたとして、それで生命としての人の心がわかったといえるのだろうか。
 西欧近代文学が描く人間とは、こうした視点から描かれているのだろうか。心理学的に、そして解剖学的に分析的に描いているのかもしれない。


 上の梅原猛の考察と関連することを、和辻哲郎が『風土』(岩波文庫)の第四章として『芸術の風土的性格』で論じている。
 詳しくは割愛するが、和辻によれば西欧の芸術はギリシャ芸術の模倣だというのである。ギリシャ芸術の特徴は合理性と論理性にあり、たとえばギリシャ彫刻は合理性と論理性に貫かれているが、しかしそれは内面から迸る精神性の結果だといっている。表面を作る面は、面としてあるのではなく、内面に宿る精神性が点となって吹き出し、その点が集まって面を形作っているという。ところが西欧の芸術はギリシャ彫刻の結果だけを模倣し、つまり左右対称や全体的な均衡を重視して、果ては黄金比などの考察にまで及び、内面の精神性には目もくれず、ただの滑らかな面としてしか表現されていないというのである。内面から迸る精神性が欠落しているから、彫刻に命が宿らなくなるのだろう。
 わたしが言いたいのは、芸術のことではなく人の心へと向かう目の不在だ。和辻哲郎の指摘は、梅原猛の指摘に通じていないだろうか。

 またしても字数制限に引っ掛かりそうである。この続きは次回としたい(笑)。次回では必ず完結させるつもりだ。でないと小説が書けないからである。


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 マルクスは宗教はアヘンだといった。
 わたしはマルキストではなく正真正銘の保守主義を体現している者だが、マルクスに全面的に賛同する。
 宗教はアヘンである。
 マルクスは、民衆が向かうべき真理としての歴史的必然性への認識と自覚とを、宗教は阻害するだけではなく、国家権力と一体となった宗教が、歴史的必然としての変革を押しとどめる反動の中核的勢力になる事実を指摘したのだろう。
 国家権力は醜い己の裸形を宗教という装飾で煌びやかに飾り立てることで民衆の目を欺き、搾取と抑圧によって、地べたを這いずり回るような生を生きる民衆の不満と憤怒が国家権力へと向かわないように宗教の仮面を被っているのである。そして、宗教を利用しながら民衆の心を自由自在に操っているのである。
 わたしはマルキストではないので、歴史に真理としての必然性があるとは思っていない。また、マルクス主義を貫く進歩的な世界観にも否定的である。わたしは生きとし生けるものの命が循環する縄文的な世界観を持っている。
 その上で、こと宗教に関してはマルクスと同じ考えなのである。
 だからといってわたしは、純粋な意味での宗教的な心を否定しない。これからの未来を展望する上で、宗教的な心こそなくてはならないものと思ってもいる。わたしにとっては、純粋な意味での宗教的な心と宗教とは違うのである。宗教は宗教的な心を原点に持つはずが、一度その原点から足を踏み出すと、原初としての宗教的な心とは似ても似つかないおぞましい姿へと変わってしまうのはないだろうか。

 歴史を振り返ると、宗教が権力と一体になっていたことが分かる。
 西欧の歴史とはキリスト教の歴史だといえるだろう。ユダヤ教を母胎として生まれ、異端として迫害されたはずのキリスト教が、やがて生まれ故郷の中東を離れて西欧全域へと浸透していく中で、権力と癒着し、更に権力それ自体と化したキリスト教の歴史そのものが西欧の歴史だといえないだろうか。
 西欧近代主義とはキリスト教の権威と支配から理性を独立させて絶対化し、私的心情の領域を除いて、政治的領域と経済的領域とをキリスト教の呪縛から切り離すという歴史的断層を意味するのだろう。しかし、マックス・ウェーバーが資本主義の精神の源流をプロテスタンティズムの禁慾主義に発見したように、資本主義経済の精神的骨格とキリスト教とは深く関わるものである。またヘーゲルによって集大成された西欧近代哲学における認識の問題が、理性(知性)を歴史的に深化しながらやがて真理=絶対知へと到達していくものとして歴史発展的な視点で捉えられ収斂していったが、このヘーゲルの発想こそが、終末論に彩られたキリスト教の歴史認識と世界観を引き摺っているといえるのではないだろうか。ニーチェは西欧近代哲学の基本的理念としての理性の本質が、キリスト教と不可分に結び着いていることを暴いてしまっている。
 ついでだから言っておくが、ウェーバーがいう資本主義の精神とは資本家の精神の意味であり、労働者の精神のことではない。資本主義経済に不可欠な近代的労働者の精神は、プロテスタンティズムの禁慾主義によって創出されたものではなく、社会によって強制的に生み出されたものだ。そのためには労働観そのものの転倒と、自然的身体から資本主義的な労働に適した時間と規則に忠実な身体への作り替えが必要となった。詳しくは今村仁司『近代の労働観』(岩波新書)を読むことをお勧めする。
 労働そのものに原初としての歓びが内在しているかのような、労働を神聖化し労働を賛歌する現代の労働観が虚構であることが分かるはずだ。
 労働観は不変ではないと分かれば、現代の労働観から開放されたときに見えてくる未来の姿も、根底から変わってくるはずだと、わたしは確信している。極論すれば、生きることの本質のように思われている労働を生み出す雇用を如何に作り出すかという発想から自由になって、どうしたら必要悪の労働から解放されて人は生きられるようになれるか、というコペルニクス的な発想の転換を促されることになるだろう。必要悪の労働から解放されたときこそが、バタイユのいうエロスとしての消費が可能となるのであり、言葉の厳密な意味での生きる自由が生まれるのだろう。そして、違った姿をした労働が現れてくることだろう。労働と遊びの区別がなくなる世界が立ち現れるのである。
 何を夢物語を言っているのだ、と揶揄されることだろう。が、使われずに捨てられている資源ゴミがどれほどあるか、また一日にどれほどの食べ物が捨てられているか考えてみれば、資本主義とは不要な消費を作り出さなくては維持できないシステムだということが見えてくることだろう。その不要な消費の元となる商品を作り出すために馬車馬のごとくこき使われながら、安い給料で労働を強いられているのではないだろうか。そして、不毛な人生をすり減らしていっているのではないだろうか。
 不要な消費を生み出す最大の商品は戦争である。
 住宅を一つ新築すると経済効果が高いといわれているが、多種多様にわたる建築資材だけではなく、家電製品から家具などの商品の需要を生み出すという波及効果があるからだろう。しかし、戦争ほど経済効果が高いものはないだろう。戦闘機を作るためには厖大な数の部品がいる。ミサイルも同様だ。おまけに一瞬にして消費されていく。トマホーク巡航ミサイルの価格は7000万円といわれているが、あっという間に消滅するのだから、一度購入したら30年ほど建て替えが見込めない住宅建設など比較にならない効率的商品なのである。こうした兵器をせっせと作り出す労働が、人間の尊厳と密接に関わっているとか、人の生きる歓びの源泉だとか思い込むこと自体が、如何に愚かな考えであることか分かろうというものである。
 こうした労働観を夢想したのはサン=シモンであり、サン=シモンの夢想に染まったサン=シモン主義者たちが、サン=シモンの労働観を歪曲しながら西欧全域に広めたのである。そろそろこうした虚妄としての西欧近代的労働観を捨て去るべきときなのではないだろうか。労働観が変われば、経済成長至上主義など立ちゆかなくなる。

 話しが逸れてしまったが、宗教に戻すと、西欧においてはキリスト教と権力とは常に一体となっていたのであり、そればかりか、本源的な意味での西欧的精神土壌を形成していたのである。その西欧的精神土壌の上に花開いた西欧の伝統と文化は、当然にキリスト教を母胎としたものであり、西欧世界を貫く歴史観と世界観もまたキリスト教の歴史観と世界観を引き摺っているといえる。そして、西欧近代主義そのものといえる西欧的意味での理性信仰もまた、キリスト教の精神土壌の産物だといえるのではないだろうか。
 宗教と権力との癒着の歴史は、西欧に限ったことではない。
 中東は現代にあっても宗教と権力との問題性を鮮やかに浮かび上がらせている。中東の悲劇を深刻化させ複雑化させているのは、宗教と権力があまりにも一体化してしまっているからだろう。そして政治が宗教を抜きにしては成り立たないからだ。
 宗教とは不思議なものである。
 巨大化すると必ずといっていいほど宗派に分裂する。キリスト教とイスラーム教は一神教であり、崇め奉る神は一つのはずが、何故か宗派が存在するのだ。誰にも聞き取れない神の声を聞き、預言者となったイエス・キリストとムハンマドは、神の声の代弁者となって神の教えを民衆の間に広めるのであるが、イエス・キリストとムハンマドが説いた神の教えが、イエス・キリストとムハンマドがこの世から去ると、幾つもの異なった解釈を産み落としていくという何とも理解しがたい、摩訶不思議な現象が起こるのである。
 一神教であるならば、万物と宇宙の創造主である神は一つなのだから、誰にも聞こえないはずの神の声を聞いたとされるイエス・キリストとムハンマドが、どうして異なる神の教えを説くのか、という素朴な疑問が先ず初めにわたしにはある。
 そして次に、イエス・キリストとムハンマドが神に代わって説いたはずの神の教えが、どうして異なる解釈をされて、様々な宗派を産み落とすことになったのかという疑問が湧き上がってくる。
 キリスト教にはキリスト教学があり、イスラーム教にはイスラーム教学があり、仏教には仏教学がある。神の教えを解釈する学問があるのだ。神の教えを解釈する学問とは、考えれば不思議なものだ。そして更に不可思議なのは、その解釈が宗派によって千差万別なのである。驚くべきは、仏教をみれば分かるように、宗派の中でさえも新たな解釈が生み出され、分派を結成させるという摩訶不思議な現象がある。これでは宗教とは解釈学だといいたくなるではないか。原初としての神の声は何処へ、と叫びたくなってしまう(笑)。
 当然に解釈による対立が生まれるのは当たり前である。
 必然的に対立を生み出さざるを得ない発端は、神は唯一にして絶対的な存在だということになる。神は唯一にして絶対的な存在であれば、異なる解釈が許されるはずはない。神の教えは一つでなければならないからだ。一神教の哀しい宿命である。自分の解釈こそが正統であり、それ以外の解釈は異端だという発想になるのだろう。宗派対立の底深さと凄惨さは一神教だからこその宿業なのである。

 わたしは冒頭で、原初としての宗教的な心が、宗教の原点ともいうべき地点から歩き出し始めると、忽ちにして宗教的な心と乖離してしまう不可思議をいったが、宗教的な心が解釈としての宗教になってしまっていることに起因しているのではないだろうか。宗教とは宗教的な心を解釈する先に生まれるものではないか、と思わずにはいられない。つまり人の認識の産物が宗教であり、解釈する中で、作為的か無作為的かは別にして、また自覚的か無自覚的かは別にして、解釈する人の意志が投影されてしまうのではないか、とわたしは思っている。
 キリスト教とはイエス・キリストの教えを忠実に伝道するものではなく、新約聖書を著したパウロによって作り出された宗教だといわれる所以だろう。
 これは何もキリスト教だけの問題ではない。仏教も同様であり、仏教の経典とは仏陀の教えがそのまま投影されたものではない。
 山折哲雄は『仏教とは何か』(中公新書)の中で語っている。その箇所を抜粋しておこう。

「仏教の数々の輝かしい歴史は、ブッダの考えもしなかった言説を後世の者たちがつみ重ねることで発展していった。裏切りは、ブッダ最愛の弟子であるアーナンダの言行のなかにすでにひそんでいたのである。のちの世の仏教徒たちは、そのアーナンダの生き方を継承したにすぎない。(中略)
 イエス・キリストにユダという弟子がいたように、ブッダにもアーナンダという弟子がいた。イエス・キリストの存在を三度こばんだペテロのように、ブッダにもかれの最後の言葉をこばむアーナンダがいた。キリスト教の歴史が一面でユダやペテロによって語りつがれ受けつがれてきた歴史であったことを忘れてはならないであろう。(中略)
 ブッダはたしかに葬儀の無効性を宣言した。しかし仏教徒たちはそのブッダの遺言を裏切った。むろんそれは、ブッダをたんに否定するために裏切ったことを意味するのではない。ブッダの遺言にもかかわらず、弱い人間の悲嘆と苦しみのなかで裏切ったのである。そのことによって仏教は、宗教として発展するための基礎をつくった。ブッダが死んで仏教が甦ったのである。そこにいわばアーナンダの徒がブッダを裏切った歴史の必然があった

 山折哲雄はキリスト教がユダとペテロによって歪められたことを指摘しているが、パウロもまた例外ではないだろう。仏教もキリスト教も共に、裏切りによって誕生した宗教だという事実に刮目すべきであり、裏切りがなかったならば、宗教としての発展がなかったという事実をじっくりと咀嚼すべきだろう。
 誤解を恐れずにいえば、世界宗教と呼ばれるものは、壮大な裏切りがあって初めて世界宗教になるべき基礎を築けたのであり、その壮大な裏切りが基礎としてあるのだから、新たな裏切りを産み落とし、裏切りの数だけ宗派を作り出してきたのではないだろうか。裏切りとは新たな解釈のことである。
 イスラム教だけが別格のはずはない。血塗られた宗派対立抗争の歴史をみるだけで分かるはずだ。

 また脇道に逸れてしまいたい誘惑に駆られている(笑)。
 いつも脇道に逸れてばかりいるから、冗長なブログになってしまうのであるが、どうもわたしは脇道に逸れずにはいられない性分のようだ。そういえば、わたしの人生は脇道に逸れる連続であった。未だに脇道から抜け出せないでいる始末である。そうだとすると、わたしの人生に本道はなく、袋小路に迷い込む危険と隣り合わせの路地裏と脇道へと逸れていくことこそが、わたしの人生だといえるのかもしれない(笑)。
 というわけでまたしても脇道に入ることにする。中東の複雑に交叉した政治的状況をイスラーム教を軸にして、わたしの独断と偏見でざっと俯瞰してみたい。
 中東世界には宗派対立という構図が先ずある。
 中東世界を複雑にしている要因の一つは、その宗派対立の中に民族的な要素が組み込まれていることだろう。
 そして二つ目の要因は、第一次世界大戦後にオスマン帝国の分割に当たって、アラブ地域をイギリスとフランスとで委任統治(実質的な植民地統治)が行われ、その後に委任統治の形態を残したまま相次いで独立を認めていくが、その際に、宗派の違いと民族の違いなどお構いなしに、自分たちの都合で勝手に国境線を引いてしまったことにある。中東の地図を眺めれば一目瞭然である。定規で引いたような直線的な国境線があり、所々で鋭角的に出っ張ったり引っ込んだりしているのは、イギリスとフランスの駆け引きと打算の産物であるのだろう。そうして生まれたのがイラク、ヨルダン、シリア、レバノンである。
 二つ目の要因は特に深刻である。複雑に絡み合った政治的問題と政治的対立へと発展する足がかりを作ってしまったといえるのだろう。中東が火薬庫といわれるようになった遠因でもある。
 中東世界は民族的にみると、アラブ人とイラン人とトルコ人という三つの民族に分かれ、この中にクルド人が入ってくる。中東世界に西欧列強の影響が及ぶまでは、中東世界には西欧近代的な意味での国家という概念と、民族という概念と、ナショナリズムという概念はなかったのである。西欧列強が中東の地に宗派対立だけではなく、新たなる対立を生み出す種を蒔いたといえるのだろう。
 イギリスとフランスが勝手に設定した国境線は、異なった民族と宗派を国境線の内部へと封じ込めることになった。独立したとはいえ実質的には傀儡政権を隠れ蓑にした植民地支配と変わりはない。国境線という狭い檻の中に封じ込められ、自由を奪われれば、鬱屈した感情が必要以上に内部的な対立を煽ることは想像できる。クルド人にいたっては複数の国に分割されてしまったのだから尚更である。
 三つ目の要因は、中東における国家権力の多くがイスラーム教の権威を纏うことで、権力を正当化するための担保としている点だろう。宗教的な権威を借りて、政治的統治の安定化と永続化を狙っているのだ。だからムハンマドに繋がる血統を後ろ盾にして、今なお王国が存続できるのだろう。
 四つ目の要因は、イスラエルの建国とパレスティナ難民の問題だろう。汎アラブ主義の民族運動とナショナリズムを噴出させ、アメリカの軍産複合体と一体となったイスラエルが、軍事的手段で非人道的な弾圧をエスカレートすればするほど、反イスラエル=反ユダヤ主義の感情が燃え上がり、アラブ民族主義とパレスティナ開放闘争に火を点け、イスラエルへの報復を先鋭化するとともに、イスラーム回帰への思想を過激にしていくことになるのだろう。
 そして五つ目の要因だが、この要因がイスラーム世界の社会的基盤を根底から揺さ振るものだけに、中東の政治的状況をより複雑にし、不安定にしているばかりでなく、泥沼化した混迷を生み出す動的力になっているといえるのではないだろうか。この要因とは、イスラーム社会の西欧近代化による変質である。
 イスラーム的な伝統と文化と慣習とが西欧近代化によって徐々に色褪せていけば、伝統的なイスラーム社会を作っていた構造的基盤が脆弱になっていくのは道理である。中東の西欧近代化=資本主義化は植民地支配を通じて徐々に浸透していくが、独立後に生まれた傀儡政権によって西欧化は加速化されていくことになる。そうなればイスラームの伝統と文化は破壊され、暮らしと一体となった社会的基盤もまた破壊される。そして、旧来の社会的基盤の上に成り立っていた多くの民衆の暮らしが直撃される。
 社会的基盤の西欧近代化が進んでも、政体としてみれば欧米の傀儡に等しい独裁体制なのだから、西欧化の恩恵に預かる階層は支配層と、傀儡政権と一体となって西欧近代化を推し進める欧米の大資本と癒着したアラブの資本家階級だろう。当然に賄賂政治になり、金による斡旋利得と買収は常態化することになるのだろう。
 眼を覆うばかりの権力腐敗があり、暮らしの基盤が破壊されて貧困が蔓延し、特権階級と民衆との格差が広がっていけば、自然発生的に反政府運動の気運が芽生えてくるのは当然である。

 では、どういう方向へと反政府運動が向かうのだろうか。
 大きく分けて二つの方向性が考えられる。一つは西欧近代化を徹底させる方向であり、つまり政治を民主化の方向へと変革していく方向である。もう一つは西欧近代化が諸悪の根源だとして、イスラームへの回帰を目指す方向だ。
 この二つの方向性に、先に挙げた民族主義と宗派対立とナショナリズムと汎アラブ主義とが複雑に交叉してくるのだろう。
 ナセルに率いられたエジプトは西欧近代化の方向を模索したといえる。挫折はしたが、ナセルは民主主義を通り越して、汎アラブ主義と結び着いた社会主義へと接近までしている。欧米のメディアがセンセーショナルに報道した「アラブの春」という現象も、西欧近代化の方向性の延長に出現したものになるのだろうか。
 イスラームへの回帰を考える上で、イラン革命こそ象徴的な出来事だろう。
 1900年以降のイランの歴史は複雑怪奇である。アラビアで暗躍したトーマス・エドワード・ロレンスを思い浮かべれば、わたしがいう複雑怪奇とはどういうものか想像がつくことだろう。
 基本的にわたしは陰謀論には与しないが、中東史に足を踏み入れると、表向きの歴史と、裏側の歴史が複雑に絡み合っていることが垣間見える。問題なのは裏側の歴史で主役を演じているのが、イギリスの諜報機関(秘密情報機関)であったり、ソ連の諜報機関であったり、アメリカの諜報機関だったりすることである。そしてこの裏側の暗躍劇が表の歴史に深く関わっているのである。この諜報機関はストレートにイギリスとソ連とアメリカという国家の意思で動いているのかといえば、どうもそう単純な話しではなさそうである。イギリスもソ連もアメリカも一枚岩ではない。中東の石油利権を狙う勢力があるかと思えば、オイルマネーで潤う中東に巨大自由市場を作って儲けようと企む大資本と金融資本がある。そして、中東を長期的な火薬庫として位置づけ、紛争と戦争の日常化を作り上げることでぼろ儲けしようという魂胆の軍産複合体があったりするわけである。
 1900年以降のイラン史をみると、目まぐるしく政権が代わっている。イギリスは自らの傀儡政権であったカジャール朝を軍事クーデターで倒し、そのクーデターの首謀者である軍人のレザー・ハーンをレザー・シャーとしてバフラヴィー朝の初代皇帝の座につかせたりするのだから、やりたい放題だといえよう。
 第二次世界大戦後にはイラン統治の影の主役の座が、イギリスからアメリカに移ることになる。二度の対戦で疲弊したイギリスに代わって、アメリカが覇権を握ったからだ。イランにおいてアメリカが主役となれば、イランはソ連と国境を接しているのだから、アメリカによるイランへの介入政策は米ソ冷戦体制を踏まえた反共防波堤的な戦略を反映したものになるのは当然である。
 長くなるので簡単に述べると、アメリカの政策もイギリス同様に悪辣である。石油生産の国有化を掲げて選挙で政権を奪取し首相となったモハンマド・モサッデグは、二代皇帝のモハンマド・レザー・シャーの権限を制約する憲法改正を行ったが、1953年の軍事クーデターで失脚し、モハンマド・レザー・シャーは専制君主として復帰している。この軍事クーデターを画策したのがCIAであることがアメリカの公文書によって明らかになっている。当然にモハンマド・レザー・シャーの独裁政治を背後から操っていたのはアメリカである。
 モハンマド・レザー・シャーの急激な西欧近代化政策は常軌を逸したものだとしかいえない。イスラームでは飲酒は禁じられており、女性が肌を露出することも禁じられている。比較的戒律が緩やかなシーア派といっても、テヘランの繁華街にバーやキャバレーが建ち並び、ポルノ映画まで上映されるとなれば、イスラームの伝統と文化と価値観を生きるムスリムの人々の激しい反感を呼ぶことは論じるまでもない。西欧近代化というよりはアメリカ化といったほうが適切だろう。
 問題はこれだけではない。軍事費を国家予算の40%にも膨らませて、アメリカから兵器を買っていたというから驚きである。アメリカの傀儡政権だとしても、あまりにも露骨だとしかいえないが、こうした政治を維持するには、秘密警察を使った弾圧は常套手段であり、当然のことCIAの肝いりである。
 1972年2月のイラン革命は、起こるべくして起こったといえるのだろう。
 西欧近代的な意味での民主化ではなく、イスラームへの回帰という方向性をもったのは、モハンマド・レザー・シャーの独裁政治が急激なアメリカ化を推し進めた反動からなのだろうか。
 イラン革命をどうみるかは論者によって違ってくるのだろうが、特筆すべきはフランスに亡命していた反体制派だったホメイニを革命の精神的指導者としたことだろう。ホメイニは有力なイスラーム法学者である。革命勢力が権力を掌握して後に国民投票が行なわれ正式にイラン共和国の樹立宣言がなされるが、新しい国家はホメイニの意志を反映して、法学者による統治を基本とした国家体制になり、シャーリア(イスラーム法)を国法に据えた。正しくイスラームへの回帰としかいえないのではないだろうか。当然に女性はヒジャブの着用を義務づけられるなど、厳しいシャーリアの戒律に縛られることになる。象徴的なのは、異教徒と共産主義者への弾圧だろう。ホメイニが目指した国家とは、イスラーム法を体現したイスラーム国家ということになるのではないだろうか。

 わたしは反政府運動の方向性には二つの流れがあったといったが、この二つの流れとは明らかに違った潮流が出現している。
 その潮流とは、欧米や日本でイスラム原理主義と呼ばれているもので、わたしは大塚和夫『イスラーム主義とは何か』(岩波新書)を踏まえてイスラーム主義という概念を使いたい。
 イスラム原理主義という言葉を用いた場合に、上に書いたイラン革命をイスラム原理主義の運動として捉えてしまう過ちを犯すことになるのではないだろうか。革命が成就されて建設された国家は、厳格なイスラーム法を体現した国家だからだ。
 しかし、イスラーム主義とは厳格なイスラーム法の戒律を生きる社会への回帰という側面に軸足を置いているのではない。西欧近代化の行きつく果ての社会に希望を見出せなくなり、西欧近代主義が宿す価値観そのものに不信を抱き、西欧近代主義を乗り越える可能性としてイスラームの価値観が息づく社会に希望を託した思想なのであり、またそうした思想を体現した潮流なのである。
 わたしのイスラーム主義の概念規定は、大塚和夫とは微妙に違っている。が、大塚和夫のイスラーム主義を下敷きにしたものだということは断っておく。
 西欧近代主義に限界を抱くためには、西欧近代主義を生きた経験がなければ成り立たない。西欧近代主義かイスラームか、という二分法的な選択が初めにあるのではないのである。
 ホメイニにとっては、西欧近代主義かイスラームかの発想しかない。そして、ホメイニにはイスラームしか選択はないのだ。イスラームが絶対なのである。だからこそ法学者でいるのだ。
 したがって、ホメイニはイスラーム主義とは無縁である。イスラーム主義の運動の指導者は、ホメイニのような伝統的なイスラーム法学を学んだウラマーではなく、西欧的な近代的教育を受けた者たちなのである。自らが西欧的近代を生きて、その過程で西欧近代主義に懐疑的になり、西欧近代主義を乗り越える可能性を探して彷徨う中で、イスラームに可能性を見出したのである。いわば、イスラームによる「近代の超克」だといえる。イスラーム主義を、わたしはそう捉えているのである。
 こういう捉え方をするとわたしからみると、イスラーム主義とは宗教としてのイスラームではなく、原初としての宗教的な心としてのイスラームなのではないかと思えてくる。だから、シーア派だのスンナ派だのといった宗派対立は入り込む余地はないのだ。
 イスラム原理主義というと、欧米と日本では直ぐにIS(イスラム国)とアルカイーダを連想するが、仮にイスラム原理主義をわたしのいうイスラーム主義だとみなせば、ISとアルカイーダは該当しない。
 ISとアルカイーダはどういう社会を目指しているのだろうか。わたしには全くその社会が見えてはこない。ISとアルカイーダは戦場が日常化した社会でしか存続できないのではないだろうか。ISとアルカイーダは原初としての宗教的な心とは無縁である。独裁的で絶対的な権力基盤を作り上げ、その権力へと虐げられた若者たちの心を惹き付けるために、イスラームという宗教の権威を借り、反欧米社会(欧米的な秩序と権威への反抗)の象徴としてのイスラームの仮面を被ることで吸引力を増しているだけではないだろうか。

 さて脇道から本道に戻って、次に、中国の儒教と日本の宗教が国家権力とどう関わってきたか、語ることにしたい。
 とはいっても、これを語るとしたら文字数の制限に引っ掛かってしまうことだろう。
 よって今回はここまでとし、続きは次回にしたい(笑)。

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 五年前の記憶を辿ると、無性に桜の花をみたいという衝動に追い立てられていた心の波紋が甦ってくる。
 わたしにとっての桜の花とは、日本という「国家」を象徴するものではない。日本という「風土」を象徴したものとしてある。
 散りゆく桜の花の姿に、儚さと潔さをみることはない。溢れるままに、狂おしく、乱れ舞うエロス(性愛)としての美の極致を感じる。
 バタイユはエロスと死との密接な繋がりをみているが、わたしは散りゆく桜の花の姿の中に絡まり合って濡れ合いながら燃え上がったエロスと死と生との一瞬の輝きを感じるのである。だから乱れ舞う桜の花びらはどこまでも淫らである。しかし、淫らであるのに汚れは微塵もない。夕闇にほんのりと紅に染まった裸身を妖しげに捩りながら乱舞する淫らさの背後に、山懐から湧き出した水の清らかさを浮き上がらせているのだ。
 性とは死と生とを結び合わせて新たな命の再生を促すものだ。散りゆく桜の花の姿に、わたしが迸る命の再生と躍動を感じる所以である。
 散りゆく桜の花を特攻隊の姿に見立て散華などと美化するのは、桜の花の冒涜であり、美しくも妖しげな桜の花を生み出した日本の風土の冒涜である。そして、生と死と性の冒涜である。
 明治維新によって成立した日本という近代国家は、桜の花を冒涜し、日本の風土を冒涜し、日本の風土が育んできた生と死と性とを、国家の名において冒涜してきたのである。近代国家としての明治維新国家の根幹に一神教的国家神道と教育勅語と靖国神社を据えたが、これこそが、桜の花の冒涜と、日本の風土と文化と伝統の冒涜と、日本の風土と一体となった生と死と性の冒涜を生み出した元凶なのである。

 五年前、3・11の直後にどうして無性に桜の花がみたくなったのか。
 二つの理由からだが、この二つの理由は一見すると真逆の関係にある。
 一つは日本という風土のもつ無慈悲な顔を突きつけられたからである。わたしは日本という風土を背負って生を受けてから3・11までに、大規模な豪雨や台風や噴火、そして地震や津波による災害をみてきたが、これほどの天変地異を目の当たりにしたのは初めてであった。日本の風土に生きるとはどういうことなのか、身に沁みて思い知らされた気がした。そしてまた、改めて考えさせられずにはいられなかった。
 もう一つは明治維新以降に国家の手によって、日本という風土を冒涜してきた歴史を象徴する出来事を突きつけられたからだ。
 真逆だというのは、一方では日本という風土が加害者であり、もう一方では被害者であるからだ。
 が、わたしは3・11とは、近代国家に息づく理性信仰と科学信仰と経済成長至上主義の愚かさと限界とを突きつけたのだと思っている。この視点でみれば、巨大地震と津波による未曾有の災害と原発事故とが、地下茎で繋がっているといえないだろうか。
 西欧に近代主義が産声を上げてから人は、人間だけがもっている理性を絶対的に信じるようになり、その理性の投影である科学をまた絶対的に信じるようになって、いつしか理性と科学を神の地位にまで祭り上げた。そして、経済成長こそが富を生み出す源であり、経済的富こそが人の幸福と分かちがたく結び着いているという信仰を生み出した。が、3・11は一瞬のうちにこの神と信仰を飲み込んでしまったといえるのではないだろうか。
 福島原発事故とは安全神話の崩壊ではない。
 もっと本質的な意味を抱きかかえている。
 原発とは、近代国家(西欧近代主義)の本質である理性信仰と科学信仰と経済成長至上主義の象徴のような存在である。福島原発事故とは西欧近代主義の本質である理性信仰と科学信仰と経済成長至上主義が幻想でしかないことを、人類に突きつけたのではないのか、とわたしは確信している
 どうして安全神話が崩壊しても原発は再稼働されるのか。
 新たにより厳しい安全基準を設けてその基準をクリアできたからだという屁理屈であるが、その屁理屈を生み出す源泉は新たなる安全神話のでっち上げなどではない。安全神話の否定では、本質を否定したことにならないのであり、新たな安全神話を再生産させてしまうことに繋がる。安全神話を生み出す本質的な源泉は、西欧近代主義が宿命として内包する理性信仰と科学万能主義と経済成長至上主義であるはずだ。この本質に疑念の目を向けるべきだろう。

 桜の花を無性にみたくなったのは、わたしにとっての桜の花は、日本という「風土」を象徴するものだから、日本という「風土」の末路的な風景を現出させた3・11を生きる中で、桜の花へと心が無性に引き寄せられていったからに違いない。わたしにとっての桜の花は、生と死を結びつけるエロスであり、新しい命を生み出す力を秘めた性愛だから、日本という「風土」の再生を桜の花に託し、桜の花に希望を重ねたかったからかもしれない。
 わたしは原発が爆発したときに死を覚悟した。福島第一原発からは100キロ圏内である。死を覚悟したから、尚更に桜の花を懐かしく想い起こし、桜の花にたまらなく逢いたくなったのだろうか。

 東日本大震災からの復興は遅々として進んでいない。
 それと反比例するかのように、わたしの目には震災の記憶の風化が加速化しているようにみえる。風化は意図的に仕組まれたものだ。安倍政権と与党自民党と公明党による明らかに意図的な風化政策である。この風化政策は東電と経済界と官僚にとっては喫緊の課題であり、風化を速やかに成し遂げようと危機感に突き動かされていたに違いない。
 どうして危機感を抱き、早急に風化させようと焦ったのか。
 3・11が、日本という国家が明治維新以降から盲目的に突き進んできた道の途上で、人々を立ち止まらせてしまったからだ。立ち止まった人々は、このまま歩いて来た道を突き進んで行っていいものか、ぼんやりとした疑念を抱いたのである。
 盲目的に突き進んできた道とは、理性信仰と科学信仰と経済成長至上主義によって作られた道である。
 国家権力にとっては由々しき事態である。人々をがむしゃらに、そして盲目的に前へと歩かせてきたのに、立ち止まってしまったからだ。3・11とは人々を立ち止まらせてしまうほどに人々の心を激しく揺さ振る力を持っていたのであり、国家権力を脅かすほどの破壊力を持っていたのである。
 道とは国家が歩いていく方向性を示すものであり、道の基盤は理性信仰と科学信仰と経済成長至上主義によって支えられているのだから、道は社会構造となって絶えず人々を盲目的に前へと歩かせるように働き続けているものだ。
 風化政策とは、3・11を忘れさせて、また再び人々を盲目的に前へと歩かせる政策である。だからマスコミを最大限に動員して、3・11以前の日常を演出することになる。そのための最大のネックになるのが福島第一原発の事故処理であり、放射能に汚染された地域への避難民の帰還だろう。
 福島第一原発の自己処理に関する報道が日増しに少なくなっていった。
 五年が経過したのに、未だに根本的な原因究明も行われていない。予測不能な巨大津波の襲来によって引き起こされた天災であるかのような印象操作が行われている。地震の段階で、網の目のように張り巡らされた原発の脆弱な配管が真っ先に破損していたという作業員の証言が、3・11の直後にはあったのである。そうしたことの検証すらされていない。
 そして風評被害のキャンペーンと、信じられないような除染作業である。
 どちらも放射能汚染の事実から強制的に人々が目を背けるように仕向けるものだ。マスコミを使って社会的空気を作り上げるのが手っ取り早い方策であり、社会的空気によって人々が批判を行えないような雰囲気を演出したといえる。巧妙な口封じである。
 風評被害キャンペーンと、食べて応援のキャンペーンで、福島の農作物と海産物が安全であるかのように宣伝し、除染作業によって安全な環境をとり戻したかのように宣伝することで3・11以前の日常を演出したのである。その演出の仕上げは、除染によって汚染が除去されたとして避難民を帰還させたことだろう。
 わたしはこの帰還は強制的なものだと思っている。何故ならば、帰還しない人々への援助を打ち切るという鞭を用意していたからだ。考えてみると空恐ろしい。国策の原発が未曾有の事故を起こし、人が半永久的に生活できないほどの環境破壊を起こしたのに、除染によって見かけだけの放射能汚染の数値を下げたからと帰還を促すのは犯罪行為でしかない。あれほどマスコミが批難したチェルノブイリ原発事故の住民対応よりもはるかに酷い非人道的政策だといえる。

 国家権力は避難民を帰還させるために阿漕な手口を用いた。
 それに荷担したのがNHKを筆頭とするマスコミである。阿漕な手口とは故郷への郷愁を美化するキャンペーンだ。生まれ育った故郷へと帰っていくことがあるべき日本人の姿であり、あるべき日本人の美しい心だと巧みに印象操作したのである。帰還可能となったのに故郷に帰らないのは、あたかも罪悪であるかのような空気まで作り出しているのだからおぞましい限りである。故郷の美しい山と海と大地を破壊した張本人であることを棚に上げて、その張本人が人が住むべきでない故郷に帰還するように強制的に仕向けているのである。除染された土を入れたフレコンパックは野ざらしになったまま山積みになって放置されている。耐久年数を越えて穴が開き、剥き出しになった土に雑草が生えている姿が全てを物語ってくれている。

 3・11から一月ほど経った頃だろうか、当時の民主党政権下で内閣参与をしていた松本健一が、放射能汚染された福島の故郷への帰還は無理だという前提で、内陸部の代替地に新しい街を建設することを提案していた。新しい街はクリーンエネルギーを基本とした北欧の街を参考にすべきだという提案だったと記憶している。
 松本健一は北一輝を精力的に研究した政治思想の学者であり、自ら保守主義を名乗っている。民主党の仙石由人とは東大時代の親友だったようだが、わたしも松本健一の書物は『革命的ロマン主義の位相』(伝統と現代社)の他に二三冊読んでいる。
 当時わたしはmixiをやっていたのだが、このときの松本健一には失望したのを今でも鮮やかに覚えている。早速にmixiで松本健一を批判したのだが、どうして日本の自称保守主義者は思考が劣化しているのだろう。とても保守主義とは思えないのだ。
 福島の故郷への帰還はあり得ないことを前提とするのは肯ける。クリーンエネルギーを基本とするのもいい。問題は、どうして北欧の街であり、新たに内陸部に街を新設しなければならないのかということだ。
 福島第一原発とは国策である。その国策によって国家は、二度と住めない大地へと福島の故郷を変えてしまったのである。国家の犯罪だろう。国策は原発だけではない。明治維新以降に国策によって開拓地を広げてきた。北海道は誰もが直ぐに思い起こすだろうが、北海道以外にも日本には数限りない開拓地がある。どれも国策だった。開拓した大地を、開拓民は第二の故郷として愛しんできたのだ。その第二の故郷が、昔の面影もなく荒れ果てていっている。荒れ果てさせているのも国家である。開拓することを強い、その挙げ句は見捨てられて、今や限界集落となっている。
 何も新たに内陸部に街など作らなくとも、日本全国に国家に見捨てられた限界集落があるのだ。祖先の血と汗と涙と悲しみと、そして喜びと笑いと希望が沁み込んだ大地である。わたしは原発事故で被災した福島の人々の心の再生と新たな故郷の再生があるとしたら、限界集落こそ相応しいと考えたのである。勿論、国家プロジェクトである。限界集落を甦らせ、新しい生き方を可能とする未来の日本の歩むべき道の道標となるべき故郷の創出である。
 除染も含めた帰還政策にかかった費用をもってするならば、被災した人々の負担は無しにすることは可能であり、また負担はゼロにすべきである。
 この新しい故郷の創出には、すべての日本人の心と叡智が結集されるべきだと、わたしは考えた。何故ならば、これからの日本人が歩むべき新しい道と、新しい生き方を創出する尊い過程でもあるからだ。当時のわたしは、そんな夢想をしていたのである。
 この夢想を下敷きに小説にしたのが電子書籍として出版している『故郷』である。

 国家権力が3・11を風化させる政策に邁進する一方で、これまで盲目的に歩んできた道の途上で今なお立ち止まっている人々がいる。
 反原発運動とはそうした人々の心が生み出したものだろう。そして、その心がいつしか沖縄の心へと向かい、互いの心と心を一つにしたのだ。
 信濃の国では、戦前において国策であった満蒙開拓団を送った阿智村から、安保法制反対の狼煙が上がり、信濃の国のあちらこちらへと燃え広がっている。600人に満たない山村で老婆を先頭にデモが起こり、また軽トラを連ねたデモが起こり、国会議事堂正門前にムシロ旗を掲げて『信濃の国』を高らかに歌ったのである。こうした信濃の国の心も同じ根っこを持つものだろう。
 信濃の国だけではない。全国各地に狼煙が上がっている。野党共闘とは正しくその狼煙である。
 野党共闘の狼煙を上げるために党利党略を捨てて、大義の旗を掲げたのは日本共産党である。その心意気に敬意を表したい。
 わたしは日本共産党が掲げる大義の旗が、何故か田中正造が掲げたムシロ旗(襤褸の旗)にみえるのだ。
 参議院選挙での共産党の躍進を実現したい。そのためには比例区が重要だ!

 最後に盲目的に歩いてきた人々を立ち止まらせた3・11とはどのような意味があるのか、3・11はこれまでとは違う道を指し示してくれているのか、それを考える上で避けては通れない『大飯原発差し止め請求事件』の判決文の核心部を抜粋したい。この歴史的判決を言い渡したのは、福井地裁民事第二部・樋口英明裁判長であり、また裁判官・石田明彦、三宅由子である。歴史に永遠に名を刻みつけることだろう。

【判決文の核心部】

「日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。(中略)
 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである」
 桜の花については、下記の二つのブログに書いている。わたしの好きな桜の花はソメイヨシノではなく、真っ赤な若葉をつけた山桜の花である。よろしければ参照してください。

小説『三月十一日の心』連載5回目

『かりんの花は淡い色……、おごりの春とはちと違う』

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 早いもので三月である。
 春という季節は何となく慌ただしい。わたしにとっては師走よりも心がそわそわとして落ち着かない。何かと雑用が入ったり畑仕事をしたりで、ブログの更新も疎かになってしまった。小説を書きたいのだが、連載のブログが中途だったりして、そちらを片付けてからでないと……、などと気持ちが整理できないでいる。五年目の3・11が巡ってくる。今月中には連載小説『三月十一日の心』の続きを書くつもりだ。

 3月1日の衆議院予算委員会で日本共産党の高橋千鶴子議員の締めくくり質疑があった。リアルタイムで観られなかったので、YouTubeで観たのであるが、これからの日本のあるべき政治の姿というものを考えさせられた。高橋千鶴子議員が、これからの日本のあるべき政治の姿に関わる重要な問題に触れていたからだ。
 高橋千鶴子議員の質疑は、翌日の民主党議員の質疑と表面的には同じようにみえる。
 予算の配分に当たって何を優先すべきかという視点では同じであり、大企業への優遇税制を優先した予算配分を止めて、中小企業や子育て支援、そして社会的な弱者を救済するための政策に予算を優先的に配分すべきだと、大企業偏重の安倍政権の姿勢を批判している点も同じである。またそうした政策に振り向けるための原資がないと安倍政権はいっているが、その一方で、参議院選挙対策の目的だけのために低所得の高齢者へ3万円の支給をし、1兆円もの予算を軽減税率に振り向ける矛盾を批判している点でも一致している。
 しかし本質的なところで、共産党の高橋千鶴子議員と民主党議員の質疑には違いがあるのである。その本質的な違いは何か、これから論じてみたい。論じるといってもいつものように、文学的直観に導かれて気付いたものであり、どこまで論理的に論じられるかは保証の限りではない(笑)。

 安倍晋三は政権につくと直ぐに、アベノミクスなる経済政策を打ち出したが、同時に、トリクルダウンという何とも奇っ怪な理論を掲げている。詐欺師的経済学者であり安倍晋三のブレーンである竹中平蔵の好む理論であるが、竹中平蔵の腐り切った性根と、醜悪な生き様そのものを映し出す理論であり、安倍晋三と安倍政権の本質である詐欺性と虚偽性を象徴している理論だといえる。
 大企業と富裕層の富(金)が集中的に膨れ上がっていけば、いつしかグラスの許容量を超えて溢れ出した富という水が下に向かって滴り落ちていくという驚くべき理論である。この理論には社会という視点はない。社会という視点がないから社会保障という視点もない。大企業と富裕層をどんどんと富ませれば、そのお零れが下々にまで行き渡るという上から目線の傲慢な視点だけしかないのである。
 アベノミクスとはトリクルダウン理論と一体となったものだ。
 したがって、安倍政権がやったことは大企業と富裕層に富を集中させる政策であり、格差を構造的に生み出す政策だといえる。安倍晋三にとっては格差を生み出すことは織り込み済みなのである。何故ならば、大企業と富裕層が満腹になり、もうこれ以上は食えないという大企業と富裕層の胃袋の許容量を越えた地点まで、下へは富は回らないという暗黙の前提があるからだ。いわば意図的に大企業と富裕層へと富が集中するようにしたのであり、そのうちにグラスに収まり切れなくなった富が下に向かって落ちていくからそれまで指を咥えて待っていろ、という理論なのである。理論というにはあまりにもお粗末である。
 この理論には逃げ道がある。大企業と富裕層への富の集中がまだ足りないから下々にまでその恩恵が行き渡らないという理由付けであり、つまりまだトリクルダウンが起こる水準まで達していないから、大企業と富裕層へと富が加速度的に集中するような政策を急がなくてはならない、という都合がいい言い逃れが可能なのである。新自由主義者であり、詐欺師である、竹中平蔵の理論では、トリクルダウンと構造改革と規制緩和と市場開放が繋がっている。トリクルダウンが起きないのは、構造改革と規制緩和と市場開放が不徹底であり、大企業と富裕層へと向かう富が不足しているからという永遠の言い逃れが可能なのであり、これほど便利な経済理論はない。結果と責任から永遠に逃避できるのである。
 そもそもが大企業と富裕層の胃袋がいつしか満腹になると前提することが間違っていることは歴史が証明してくれている。大企業と富裕層の胃袋には許容量などないのである。富を貪欲に求めて胃袋自体が肥大化していくからだ。永遠に満たされることはなく、常に空腹感を覚えているといえる。そして、空腹感を満たすためには手段など選ばないというおぞましい本性がある。
 資本主義とは常に膨張していくこと(拡大再生産)を宿命付けられている。より多くの富を得ようと貪欲なまでに生産を拡大していくことを本質としてもっているのである。だから生産を短期間に、そして効率的に拡大するためには、有害物質を垂れ流そうが、低賃金で労働者に長時間労働を強いようが忖度しない。子供までが劣悪な労働環境で生産に駆り出されていたのが偽りのない資本主義の歴史だったのであり、赤裸々な本質なのである。明治維新によって上からの近代化が推し進められていった日本においても例外ではなく、過酷な労働の実態は女工哀史を紐解くまでもない。日本においては公害問題は深刻であった。田中正造が政府に反旗を翻した足尾鉱毒事件は有名であるが、戦後になっても水俣病を筆頭に枚挙に暇がない。
 こうした資本主義の本質をみれば、市場において公平な競争など行われないことは論を待つまでもない。市場において働くとされる「神の手」などという論理は、論理を導き出すために資本主義の本質を除外し、現実とかけ離れた世界を設定して、その世界でしか成り立たない空論でしかない。
 近代経済学を少しでも囓れば分かることだが、近代経済学の論理は、現実離れした世界を設定して(例えば公平な競争が成立し、人・物・金が自由に移動できる世界等)、その世界で成り立つ法則でしかないのである。そんな世界はどこにも存在しない。したがって、そうした論理をあたかも真理であるかのように振りかざして、現実の社会に働きかける経済政策として運用すれば、当然に社会のどこかにしわ寄せと歪みが発生するのは当たり前である。薬と同じで副作用があるのだ。副作用への配慮と対策がなければ、しわ寄せと歪みは深刻な社会問題を引き起こすことになるのである。
 経済的な効率化がスーパーマンのように言われているが、経済的効率化が社会的な歪みを生み出し、その歪みを解消するために莫大な社会的費用が発生する可能性があるという視点が抜け落ちている。もしかしたらその歪みは二度と修復できないものかもしれないのである。
 資本主義の歴史とは、放置しておくと社会の破滅を招くという資本主義が本質として持っている破壊性と凶暴性を認識する歴史であり、どうしたら破壊性と凶暴性を押さえ込むことができるかという歴史だったのではないだろうか。凶暴な牙を持つ化け物との格闘の歴史が、資本主義が誕生して以降の歴史だった、とわたしは思っている。その格闘の歴史の中で、化け物の凶暴性を抑えるための法律や規制ができたのだ。また資本主義の本質が生み出す社会的な歪みと格差の構造を是正するために社会保障制度やビルト・イン・スタビライザーといった財政制度が生み出されたのだろう。
 そうした歴史に逆行するかのように、凶暴な化け物を野放しにさせろという時代錯誤的な経済理論が復活してきたのである。詐欺師的経済学者である竹中平蔵が信奉している新自由主義と呼ばれている経済理論だが、別名を新古典主義といわれていることから分かるように、歴史を無視して、資本主義のおぞましい本質を礼讃し、資本主義を野放し状態(古典的資本主義)へと回帰させろ、という恐るべき理論なのである。凶暴であり性悪な巨大資本の意志をそのまま代弁したような理論だといえよう。トリクルダウン理論が詐欺的だというのは、凶暴であり性悪な巨大資本の意志を巧妙に正当化するものでしかないからだ。端からトリクルダウン理論などに妥当性がないことは、巨大資本が誰よりも承知しているはずだ。何故なら、己の胃袋に許容量などなく、際限なく肥大していく化け物の胃袋であることを知っているからだ。
 
 アベノミクスという経済政策を考え出した安倍晋三のブレーンは筋金入りの詐欺師に違いない。
 安倍政権の合い言葉は「ナチスに習え」であるが、マスメディアを掌握して悪質なプロパガンダによりファシズムを受け入れるような社会的空気を作り出し、世論を巧妙に誘導していく手口を、安倍政権は着実に実行に移しているといえる。
 アベノミクスとは、正しく経済版「ナチスに習え」なのではないだろうか。ナチスの経済政策を真似ているといっているのではない。マスメディアを操りプロパガンダによって、安倍政権そのものといえる看板政策であるアベノミクスが上手くいっていると印象操作を行っているという意味で「ナチスに習え」と言っているのである。
 印象操作の基本となるのは、日銀の金融政策による為替操作で円安へと誘導する手法であり年金積立金の運用ポートフォリオの見直し(GPIF改革)により国内株式の運用率を引き上げて株価操作を行い株高を演出する手法だ。
 安倍晋三はドルベースでの経済指標を出されることを極端に嫌がるが、それは円換算ではなくドル換算すれば事の本質が浮き彫りになってしまい、アベノミクスの化けの皮が剥がれてしまうからだ。巨大輸出企業の輸出額(ドルベース)が同じでも、円安になって円の価値が半分になれば、円換算した輸出額は二倍になる。日本国内でその金を使えばそれまでの倍の購買力になるのである。マジックでしかない。輸出額は横ばいなのに国内の巨大企業の収益が過去最高などと安倍晋三は自画自賛しているが、ドルを円に換算しただけの見かけの収益でしかない。だから巨大企業の内部留保が過去最高となっても、その金を賃金として分配するという決断に至らないのだろう。何故ならば、巨大企業が誰よりも己の経済的実力を知っており、単なる為替上の収益でしかないことを自覚しているからだ。
 マスコミは年金積立金の運用による官製相場で強引に引っ張り上げた株価をアベノミクスの成果だと宣伝している。そして、企業収益が好転し内部留保が史上最高にまで跳ね上がったと大音量で宣伝し、それがアベノミクスの動かしようのない成果の証拠だと印象操作をしている。が、円安へと誘導したが輸出は横ばいであり、単に円換算して見かけの収益が増えただけだという事実はひた隠しにしている。マスコミを操り国民の目を巧妙に欺いているといえるだろう。
 
 世界は関税と非関税障壁を撤廃する方向へと突き進んでおり、経済的意味では国境のない市場の一元化が進行しつつある。金融市場においては既に国境の壁はないといえる。グローバル経済といわれる所以であるが、日銀と年金を使った為替操作と株価操作がこうしたグローバルな金融市場において行われるのだから、それによって生じた富が国内ばかりでなく海外の金融資本と投資家に流れていくことになる。グローバル経済においては、仮にトリクルダウン理論が成り立つと仮定すれば、一国だけで収束するものではなく、世界規模でしか成り立ちようがないのである。つまり、世界の巨大企業と富裕層に富が集中してグラスから溢れ出さない限り、トリクルダウン理論は成立しようがないのである。グローバル経済とは、一国だけの金融政策と財政政策などによる刺激策で経済活動を活発化させられる構造ではなくなったということなのだろう。
 安倍晋三は株価が上がるとアベノミクスの成果だと我田引水的に自画自賛し、株価が下がると外的要因だと言い逃れする。が、グローバル経済下においては一国の金融政策と財政政策と経済政策で、意図的に経済環境を操作できるということは妄想でしかなくなったのである。短期間には操れているような現象をみせても、それは一瞬だけの幻のようなものでしかない。
 だから地球のどこかで金融不安が起これば、瞬く間に全世界に影響が波及するのであり、世界経済を牽引していた中国経済の急成長が緩やかになっただけで世界経済に深刻な影響を及ぶすことになるのだろう。
 わたしは経済的意味では、もう既に国境はないと思っている。
 経済的意味では国境は存在しないのに、巨大多国籍企業の経済活動を考える場合に、その巨大多国籍企業が生まれた国を通してみることは本質を見誤る元凶だと考えている。極論すれば、グローバル経済下においては全世界の1%の巨大企業と富裕層などの富める人々と、99%の貧しき人々という対立図式が本質としてあるのではないだろうか。この本質的な対立図式でみることをせずに、従来の国家という視点でみてしまうから、99%を更に貧しさと絶望へと突き落とす政策を、あたかも国益であるかのような錯覚をしてしまうのではないだろうか。
 衆議院の予算委員会での共産党の本村伸子議員によって、アメリカの軍産複合体に組み込まれ下請的な存在になっている日本の軍需産業の真相が暴かれたが、ベトナム戦争の枯れ葉剤を開発し、毒性の強い農薬とセットになった遺伝子組み換え作物の開発で悪名の高いモンサント社の世界戦略の一翼を担う住友化学の例を挙げるまでもなく、1%の富める者たちの利害は一致しているのである。

 経済的指標とは便利なものである。予算委員会で野党は具体的な経済的統計データを示してアベノミクスが破綻していることを論証しているが、答弁に立った安倍晋三は別の経済的統計データを示して、アベノミクスの成果を強調する。どちらのデータが正しいのかというと、どちらのデータも正しいのだ(笑)。
 極論すれば、経済的統計データというものは、対象の選別の仕方を変え範囲を限定すれば、欲しい数値的データは作り出せるものなのだろう。たとえば、ドルベースでみるか、円ベースでみるかでも、全く違った数値が導き出されてしまうのである。これでは議論が噛み合うはずはない。
 現実としてはほとんどの国民はアベノミクスの恩恵を受けていない。むしろ家計は苦しくなり、暮らしの基盤自体の破壊が進んでいることを実感しているはずだ。しかし、マスコミはこうした現実に肉迫し、現実の背後に潜む真実をも暴き出して広く国民に知らせるという報道姿勢がないばかりか、国民の目を現実から逸らすことに腐心している。
 そもそもがマスコミが正常に機能していれば、閣僚の致命的ともいえる不祥事や暴言が頻発している内閣が総辞職に追い込まれないのが不思議である。第二次安倍政権の前ならば、疾うに総辞職に追い込まれていたはずだ。つまり、マスコミが正常に機能していないのである。安倍政権が「ナチスに習え」を実行している証左だろう。戦前の大政翼賛報道の再現だと危機感を覚えている。
 マスコミだけではない。司法と検察も同様である。明白に政治資金規正法と斡旋利得処罰法に違反している甘利明元大臣を放置したまま検察は動こうとしない。権力の意向を汲んでいるとしか思えないではないか。参議院選挙を前に安倍政権の中核にいた甘利明が刑事事件として立件起訴されれば命取りになりかねないからだろう。検察は腐り切っているといえる。
 
 衆議院予算委員会の質疑応答を観てきて思うことは、経済に政治が飲み込まれてしまっているという現実である。
 あるべきはずの政治が、単なる経済政策の善し悪しにまで貶められてしまっているのだ。政治不在といえる。もしくは、経済による政治の隷属化というべきなのかもしれない。
 こうした憂うべき事態を招いているのは、経済至上主義が根柢にあるからだろう。経済成長がなければ、国家の安定的な発展はなく国民の暮らしの向上はなく、また幸福の実現もないという病としての神話に社会が冒されていることに起因していると思う。
 病だという理由はいくらでも見つけ出すことができる。
 一例を挙げれば、原発再稼働である。福島原発事故は収束はおろか現在進行形で放射性物質を放出し続けている。放射性物質を無害なものにできる技術はない。ハイテクの最たるものだといわれてきた原発であるが、一度事故が起きると撒き散らかされた放射性物質は基本的には処理不可能なのである。あろうことか汚染された表土を人力によって削り取り、放射能の値を下げるという愚かな行為が怪しまれることなく行われている。が、根本的に除去されたのではない。削った表土の保管場所が問題となってくる。つまりは汚染の移転でしかないのである。半永久的に放射性物質は消えることはない。そして半永久的に帰還困難な地域は残り、法的に帰還可能とされた地域においても健康的観点からみて安全だという科学的根拠はない。また、汚染地域は福島だけに限定されたものではなく、東日本ばかりかアメリカの西海岸にまで至っている。
 こうした状況で原発の再稼働をする社会をどう見ればいいのだろうか。
 正常な理性と感情をもっていれば、そして倫理観の欠片でももっていれば、原発の再稼働などあり得ないことだ。

 日本共産党の高橋千鶴子議員と民主党議員との決定的な違いを、わたしは経済成長至上主義と経済成長神話から自由になっているかどうかに見ている。
 民主党は基本的には経済成長至上主義と経済成長神話に囚われていると思っている。自民党と同じである。だからTPPを推進するし、原発再稼働も否定的ではない。そして、経済成長に不可欠だという理由で構造改革と規制緩和を積極的に推進する姿勢を示している。原発の輸出にも武器輸出にも前向きである。では自民党とどこが違いのかというと、富の分配方法(分配論)なのである。
 大資本の利害と一致している企業内組合(=御用組合)の組織である連合を支持母体とする民主党であれば、当然だろうと言われれば頷かざるを得ない。連合の指す労働者とは何を意味するかということを問わないとすれば、労働者により厚く富の分配をしろ、という立ち位置であり、姿勢なのである。
 政治の基本にあるものとは何だろうか。
 人によって政治に求めるものは違うだろう。わたしは政治の基本にあるべきは、人々の生命と財産を守り、社会に自由と平等を息づかせ、より良い暮らしと幸福とを実現する姿勢だと思っている。仮に政治がそうしたものだとするなら、経済成長至上主義と経済成長神話に囚われていたらどうなるだろうか。政治が単なる経済政策と等しくなってしまうのではないだろうか。何となれば、財産と暮らしと幸福の源泉は経済成長だという思い込みがあるからだ。
 経済成長の先に幸福を見出せない人々がいたとしたらどうなるだろうか。
 経済成長こそが生命と暮らしを破壊する元凶だと気付いた人々がいたとしたらどうなるだろうか。そして経済成長至上主義と経済成長神話が社会から自由と平等を奪う元凶だと気付いた人々がいたとしたらどうなるだろうか。
 3・11とはこうした人々を生み出したのだと思う。
 経済成長至上主義に宿る価値観とは異質な価値観に目覚めた、と言ってもいいのかもしれない。

 マルクス主義を掲げる日本共産党が資本主義を否定するのは当然であり、マルクスほど資本主義が抱える内部矛盾に鋭いメスを入れた思想家はいない(A)。
 だから日本共産党は経済成長至上主義と経済成長神話から自由なのであり、だから日本共産党は護憲と反原発と反TPPを一貫して掲げ、3・11の心と沖縄の心とを共有できているのだろうか(B)?
 わたしは「だから」という順接の接続詞でAの文章とBの文章を繋げることはできないと思っている。
 日本共産党はマルクス主義を掲げているが、実際に日本共産党が社会に働きかけている政治的力に宿る精神は、明らかにマルクス主義の精神とは違っていると思っている。
 日本共産党における政治的な精神の象徴を、わたしは高橋千鶴子衆議院議員にみているが、高橋千鶴子に縄文土偶の面影を見出しているのだ。大らかで包容力があり、誰よりも平和を愛し、生きとし生けるものの命を抱きかかえながら大切に守っていく、そんな原初としての母性を感じるのである。そして、しっかりと大地に根を下ろし、冬の陽だまりのように柔らかな温もりと、命を育む土の匂いを感じるのである。
 わたしは多分にマザコンの気があるが、だから高橋千鶴子に原初としての母性を感じるのではない。文学的直観である。
 わたしの愛読書であった『二十四の瞳』と『母のない子と子のない母と』を著した壺井栄がいる。容姿ははるかに高橋千鶴子が勝っているが、どことなく似たような雰囲気を感じる。壺井栄は大好きな作家である。
 壺井栄の作家としての立ち位置は微妙である。夫の壺井繁治は純粋な意味でのプロレタリア文学の詩人であるが、では壺井栄はプロレタリア文学かというと、わたしは違うと思っている。正直に告白すると、プロレタリア文学をわたしはあまり好きではない(笑)。小林多喜二・葉山嘉樹・佐田稲子などの小説を読んだが、印象に残っていない。宮本百合子は『伸子』『風知草』『二つの庭』『道標』などの小説を読んだ記憶があるが、宮本百合子の小説も純粋な意味でのプロレタリア文学だとは、わたしは思っていない。
 何故に唐突にプロレタリア文学などをもってきたかというと、わたしは日本共産党は、小林多喜二ではなく壺井栄の立ち位置にいるのではないのか、と密かに思っているからだ。これも得意の文学的直観である。壺井栄はプロレタリア文学などという狭苦しい範疇になど収まりきらず、竹内好のいう国民文学の作家である。
 日本共産党が本気で政権を奪取するならば、小林多喜二ではなく、壺井栄の立ち位置にすっくと立つべきだと確信している。いや既に壺井栄の立ち位置に立っているのではないだろうか。「だから」、護憲と反原発と反TPPを一貫して掲げ、3・11の心と沖縄の心とを共有できているのではないだろうか。
 
 マルクスは、資本主義の抱える内部矛盾が発展的に止揚される先に社会主義社会の必然性を見ている。資本主義が発展的に深化することによって、内部矛盾も深化していき、矛盾が頂点に達した時に、資本主義を止揚する形で社会主義に移行せざるを得ない歴史的必然性をいっているのであるが、わたしは社会主義に息づく土台としての価値観は、資本主義を貫く土台としての価値観と同じだと思っている。
 科学的社会主義を掲げたマルクスであるから、人間の理性と理性の反映である科学に絶対的な信頼を置いているのは確かだ。ヘーゲルの歴史哲学を批判的に継承したマルクスは、歴史を発展的に動かしていくメカニズムを経済的基盤である下部構造に見出しているが、マルクス理論が経済に偏重している側面は否定できないと思う。経済基盤としての下部構造の変容(次なる歴史的段階としての発展的深化)と上部構造との乖離矛盾が、上部構造を下部構造へと合致させようとする政治的力を生み出し、資本主義体制から社会主義体制への以降(革命)を成し遂げるという政治的理論も優れて経済的要因から導き出されたものだ。
 誤解を恐れずにいえば、マルクスも経済至上主義ではないだろうか。
 マルクス主義と3・11の心と沖縄の心との間には、思想というか、価値観というか、そんな分水嶺があるように思えてならないのである。
 
 ニーチェは現代思想の源流と位置づけられたりしているが、ニーチェとマルクスの間にも明確な思想的な分水嶺がある。この分水嶺は西欧的精神土壌そのものと断絶する分水嶺だけに決定的である。西欧近代哲学と思想の本質を暴いてしまったのであり、その本質は西欧的精神土壌としてのキリスト教の本質と一体となったものだということを暴いてしまったのだから、事態は深刻である。
 わたしはニーチェの書物の愛読者ではないから直接的な影響は受けていない。影響は受けていないのだが、わたしなりに3・11の心と沖縄の心の方面(近代の超克…戦前の近代の超克ではなく、竹内好のいう近代の超克の意味)から拙い思索を重ねて行く中で、3・11を体験し、また沖縄の心を体験する中で、朧気でしかなかった拙い思索の核心が見えてきたのである。核心が見えてくると不思議なもので、ニーチェの思想の意味も見えてきたのである。そして、ニーチェの思想で謎であった力への意志が、バタイユのエロスと消費に通じていることに気付いたのだ。
 わたしは3・11の心と沖縄の心と西欧近代主義(=西欧的精神土壌)の間に分水嶺を見ているが、だからといって、ニーチェの思想と3・11の心と沖縄の心とは異質だとも思っている。通じていることは確かだが、決定的な違いがあるような気がするのである。ニーチェの思想と3・11の心と沖縄の心とを分かつ分水嶺は何なのか、まだ朧気にしか見えていないのである(笑)。
 ブログで連載(中断)している小説『三月十一日の心』の中で、はっきりとしたものとして、ニーチェの思想と分かつ分水嶺を描き出したいと思っている。

 とりとめもないことを書き綴ってきてしまった。どうもまとまりがない。
 最後に川崎修『ハンナ・アレント』(講談社学術文庫)に関連して、このブログをまとめたい。
 ハンナ・アレントの論には首を傾げるものが多いが、二十世紀が全体主義の時代であり、資本主義自体が全体主義を生み出す構造を持っているという認識については、わたしも同じ考えを共有している。ハンナ・アレントの全体主義の理論については後日ブログで書くつもりだ。
 ハンナ・アレントは全体主義へと至る要因をいろいろと挙げているが、こうした要因とは別に、わたしはグローバル経済下だからこそ、逆接的に国家体制を全体主義へと変える力が働くと考えている。
 経済的には最早国境は存在しない。1%の巨大資本が貪欲なまでに一元化された開かれた市場を求めて社会構造を破壊している。生きる基盤である社会構造をドラスティックに破壊するので、生きる基盤を失った大量の弱者を生み出し、社会的歪みが噴出する。歪みを放置すれば権力基盤が危うくなる。それを防ぐには権力を絶対的なものへと変質する以外にない。1%の巨大資本が傍若無人の利潤追求を保証してくれる全体主義国家が生まれる必然性があるのだ。いわば1%の巨大資本のための国家である。そして1%の巨大資本のための国家は、軍事力が絶対的に欠かせない。
 わたしは現代は資本主義の末期だと思っている。経済成長至上主義が限界に達しているのである。だから新自由主義などという時代錯誤の経済理論が跋扈し、資本主義の祖先帰りを高らかに謳い上げているのだ。要は何でもありの経済活動を意味する。資本主義の末期だから、厖大な浪費=消費を生み出す戦争に頼らざるを得なくなったのである。
 共産主義と社会主義は全体主義だ、という発想を自民党と公明党議員は怪しむことがない。全体主義=共産主義という方程式を信じ切っているのである。安倍晋三の国会答弁をみれば納得するだろう。スターリニズムとポル・ポトの恐怖政治こそが全体主義であり、それは共産主義が生み出したものだという信仰に毒され切っているといえる。
 しかし、全体主義は共産主義を掲げた社会の専売特許ではない。ナチズムも戦前の日本のファシズム国家も全体主義であり、安倍晋三が夢見ている国家こそが全体主義国家である。
 現代は全体主義という病が蔓延する社会なのである。共産主義も社会主義も、そして資本主義も自由主義もない。ある日突然、全体主義国家になっていた、ということがあり得るのだ。安倍晋三が目論んでいるのは、正しく国民が気付かぬうちに、ある日突然に全体主義になっていた、という謀略を巡らしているのである。
 何をいいたいのかというと、全体主義=共産主義という方程式から自由にならないと、国民は道を誤るということである。
 自民党と公明党も全体主義になり得るし、民主党も社民党も全体主義になり得るのである。共産党だけが全体主義になり得るのではない。むしろ、平和憲法の護持で一貫している共産党と社民党が全体主義になり難いといえるだろう。
 ハンナ・アレントがいうように資本主義はいとも容易く全体主義へと変容し得るのであり、その種を自らの胎内に宿しているといえる。
 社会主義だから全体主義になるのではない。また社会主義だから、全体主義とは無縁だともいえない。
 わたしは資本主義と社会主義とは双子だと思っている。つまり、ハンナ・アレントが指摘するように、現代は全体主義へと変容するおぞましい時代だという認識こそが核にあるべきだ。IS(イスラム国)とはその象徴的なものだろう。
 どうしたらそれを食い止めることができるか。
 わたしは資本主義と社会主義の中にその方策があるとは思えない。どちらも元凶だからだ。
 わたしが日本共産党を支持するのは、護憲・反原発・反TPPで一貫し、3・11の心と沖縄の心を共有している地点に立っているからである。
 この地点は資本主義と社会主義という境界線ではない。全く別の分水嶺に立っていると妄想しているのである。そうでないと日本に、そして人類に未来はないと思うからだ。
 壺井栄は資本主義と社会主義の境界線に立っていたのではないだろう。そんなものを超えた、あるべき日本の未来が切り拓かれる分水嶺にすっくと立っていたはずだ!
 
「企業が世界で一番活躍しやすい国を目指している」と、安倍晋三に対して高橋千鶴子が言った。では高橋千鶴子はどんな国を目指しているのだろう。そんな想いに駆られたときに、稲妻となってやってきた文学的直観を書き綴ってみたのだ。

 民主党の批判めいたことを書いたが、ファシズム前夜の歴史的分岐点にあっては、野党共闘こそが全てである。全国で参議院選挙を見据えた野党共闘統一候補が誕生しつつあるが、北海道で統一候補となった民主党の池田まき候補も熱烈に応援したい。是が非でも当選してほしい!

 経済成長至上主義は信仰に近い。
 この信仰から脱するのは容易ではないだろう。
 が、最近では同志社大学の教授である浜矩子などが、循環型の資本主義社会を提唱している。里山資本主義とはそうしたものなのだろう。
 わたしはアンドリュー・J・サター『経済成長神話の終わり』(講談社現代新書)を読んだが、この本だけでも経済成長神話から脱することはできるのではないだろうか。少なくとも、経済成長神話とは違った道があり得るということに気付くはずである。一読をお勧めする。


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