商品の価値とは何だろうか。
前回のブログで、わたしはこの問いを発したのであるが、その答えに肉迫しようとせずに、脇道に逸れて知性信仰と理性信仰を批判する形で終わってしまった。
わたしが発した問いがあまりにも無謀だったから、意図的にその問いから逃げて、脇道に逸れたといえなくもない。
その一方で、脇道に逸れたのは、答えに肉迫しようとするからこその回り道だった、という言い訳を発したくなる誘惑に駆られていたりもする。
わたしは誘惑にはすこぶる弱い。特に女の誘惑にはひとたまりもない。ただ幸か不幸か、女から艶めかしい誘惑を仕掛けられた経験がほとんどなかったから、華々しい女遍歴をすることもなく、妻を愛おしむだけの平穏な性を生きて、老いぼれた齢にまで達したのである(笑)。
また前回のように回り道をしろという艶めかしい誘惑の芽が頭をもたげている。しかし、いくらなんでも初っぱなである。いくらずうずうしいわたしでも気が引けるというものである。が、重ねて言うがわたしは誘惑に弱い性(さが)なのである。よって誘惑に引き摺られて回り道をしてしまうことにする。
わたしは哲学には人並みの興味はある。が、だからといって熱心に哲学書を読み漁ったり研究したりした経験はない。かといって皆無かというとそうではない。大学時代に丸山真男の弟子である橋川文三に「日本政治思想史」の手ほどきを受けたので、思想と哲学は切っても切れない関係だから、いくら盆暗なわたしでも哲学のほんの端っこを囓ったりはしたのである。そうでないとゼミの連中の会話についていけなくなり、落ち零れになってしまうからだ。
わたしには浪漫的資質がある。浪漫的資質を妄想癖と言い換えてもいいかもしれない。だから『日本浪漫派批判序説』を著した橋川文三のゼミに入室したのである。自分の浪漫的資質とはどういうものであり、どういう危険性と可能性があるのか、知りたかったことが入室の素朴な動機だった。文学と思想とに心が引き寄せられていたので、政治思想ばかりか文学的造詣が深い橋川文三に憧れたことも動機の一つではあった。
浪漫的資質のわたしであるが、当時は新左翼的な思想の周辺を彷徨っていた。新左翼的な思想といっても、新左翼的思想そのものが曖昧模糊としたものであり、マルクス主義を中心にしているようで、アナーキズムから実存主義ばかりか、ニヒリズムまで内包しており、果てはアジア主義からナショナリズムとくっついた民族主義的な容貌をしていたりもするのだから、ほとんど思想的なカオス状態だったといえなくもない。だから新左翼の超過激派と右翼の民族派との思想が紙一重の状態にまでなったりしていたのだろう。
橋川文三ゼミは新左翼活動家とそのシンパの巣窟だったので、思想的には混沌とした無秩序状態であり、それだけにまとまりには欠けていたが、思想的な刺激に満ち溢れていたといえる。
この思想的無秩序状態とカオスを更に助長したのが、橋川文三なのである。
日本浪漫派自体が得体の知れない化け物であったのだが、丸山学派のはずの橋川文三が、丸山真男の方法論と問題意識とは真逆の方向に歩き出していたからだ。わたしが尊敬する竹内好は橋川文三を通して知ったのである。そして橋川文三が評伝を書いている柳田国男の民俗学に興味を覚えたのも、橋川文三の影響である。
実際に橋川文三の弟子の中には、当時専任講師として母校で教えていた後藤総一郎がおり、後藤の方法論は民俗学的なものだった。橋川文三の弟子であったのだが、後藤は色川大吉の影響が大きかったようだ。どうも橋川文三は色川大吉の独特な民俗学と合体した歴史学を快く思っていなかった節がある。わたしの得意な文学的直観からだ。従って、橋川文三は後藤総一郎を不肖の弟子と思っていたのだろう。思えば橋川文三が丸山真男の不肖の弟子なのだから、因果は巡る糸車というか因果応報というものである。
因みにわたしは、色川大吉の書物は何冊か読んでいる。中でも『新編 明治精神史』(中央公論社)には影響を受けている。
こうした思想的なカオス状態の渦に飲み込まれ、思想的ごった煮状態を生きていたので、様々な思想に触れたりしたのである。が、触れたといってもその思想を正しく理解したことには繋がらない。女の柔肌に触れただけでは、その女を知ったことにならないのと一緒である。中には女の柔肌に触れただけでその女の本質から、女の身体の隅々まで感得してしまう性的達人がいるのかもしれないが、わたしは即物的な意味での性的盆暗なので、そうした才能は残念ながら持ち合わせてはいなかったようだ。即物的な意味での性的盆暗と書いたのには理由がある。即物的な意味では性的盆暗であるが、妄想的意味では性的天才だと信じている。わたしの書く小説は妄想的な意味での性的天才でないと生み出しようがない小説世界だからだ。この妄想は鋭い感性と想像力に負うところが大きい。
嘘だと思ったら、電子書籍で出版している小説を読んでいただきたい。『室生古道』と『ゆさぶれ青い梢を』と『むらさきの匂へる』をお勧めする。
即物的な意味での性的天才ではないから、即物的な描写で性を描いてはいない。妄想としての感性と想像を駆使した性的世界を描いているのだ。即物的な性描写などアダルトビデオに任せればいいのだ。任せればいいと言ったが、アダルトビデオに叶うはずはないのだ。より即物的であり、より技術的であり、より客観的だからだ。私小説はじめじめとした黴臭い性をおきまりで扱う。フランス自然主義文学を曲解した中で成立した私小説であるが、本家本元の人間の本質を醜い獣性としてみていることは変わらないからだ。その上に、虚構を認めず事実=真実というお目出度くも安易な文学観にしがみついてしまったので、目の前の事実をありのままに写し取る平面描写(客観描写)をあるべき文学的技法としたのだから、考えてみればアダルトビデオに叶うはずはないのである(笑)。無修正のアダルトビデオがネットで無料で観られる時代に、私小説の性描写などお呼びでないのだ。私小説的な意味での性は、表現としては文学で扱う意味がなくなったといえる。
しかし純文学は私小説の悪しき伝統を今なお引き摺っているのだから、純文学などに見向きもしなくなるのは道理だ。
わたしは思春期に性の世界を垣間見たい欲求から、私小説を読んだり、官能小説といわれているものを読んだが、アダルトビデオが流通している時代に思春期を生きていたら、そんな小説など読みはしないと断言できる。親に隠れて、アダルトビデオを観るだろう。
考えてみると、現代の青少年は哀れである。
何が哀れかというと、女と男の性器が即物的になってしまったからだ。男の性器はともかく、女の性器は常に神秘的でなければならない。そして、艶めかしい色と匂いと触感を秘めた妄想と一体となっていなければならない。何故ならば、新たな生命を生み出す魔性を秘めているからだ。女の魔性とは神々しいものなのである。
私小説ならば即物的といってもまだ想像が入る余地はある。ビラビラしたものを舐めただとか、啜ったとか、噛んだとか書いても、いくら平面描写だといっても限界はある。が、アダルトビデオには平面描写としての限界がないのだ。
当然に反論はあるだろう。私小説には心理描写があるが、アダルトビデオには性行為があるだけで、心理描写がないという反論である。心理描写といっても心理学的に、そして解剖学的に、暴露的に心理を暴いていくものだ。らっきょの皮を一枚一枚剥いでいくのと同じで、ついに核心に触れることはできないだろう。私小説とは人間の獣性を描き切ることが目的だからだ。であれば、アダルトビデオの方がはるかに人間の獣性を暴いて見せてくれているだろう。性が完全に商品と化して、考えられる性的技工と、性的倒錯の限りを尽くして、これでもかというくらいに性を堕落させ、人間の醜さを見せつけているからだ。性が飽くなき快楽を得るための単なる道具であり、単なる商品となってしまったのだ。これは人間が単なる欲望を消費するための道具となり、単なる商品となったことを意味する。
だから安倍晋三や巨大資本といった国家権力者の国民を見る眼が、需要と一体となった欲望を消費し利益を生み出すための道具と見なしているのだ。需要と一体となった欲望を作り出しているのはマスコミである。マスコミは宣伝という情報によって国民を洗脳し、国家権力と資本の要求する欲望と社会的雰囲気(社会的欲望)を生み出しているのである。マスコミにとっての国民とは、国家権力と資本に売り込む商品なのである。
人間性の復権と開放とは、性の復権と開放に繋がっているのである。
性の復権が可能としたら文学以外にはないだろう。
が、これまでの文学では駄目だと断言できる(笑)。
もっとオオボラを吹くと、西欧近代主義と一体となった西欧的文学では無理だということになる。何故ならば、上記に書いたような性までを商品化してしまう社会構造が西欧近代主義は宿命的にもっているからだ。その西欧近代主義を土台とした文学に、性の復権と開放は無理だろう。
わたしの文学観は「妄想」の世界に可能性を見出すものだ。妄想を「」で括ったのはいわゆる妄想とは違うからだ。西欧的認識が主体と客体という関係性で実を結ぶのに対して、わたしは「日本的なるもの」の核心である感覚的認識が作り出す「交感の場」に可能性をみているのである。
「交感の場」とは「神さびる」という表現にみられるような主体と客体という関係性を超えた、自然と人とが共鳴し交感し合う領域のことである。わたしの文学的意味での性とは、この「交感の場」なのである。この「交感の場」を指して「妄想」と言っているのだ。
在野の民俗学者として生を全うした吉野祐子は、古代の祭りの核に「性」を見ている。古代の祭りの核心を稲作と繋げてみる柳田国男と折口信夫の民俗学に対立するものであるが、言葉を換えていうと、日本の古代人の原点を縄文人にみるか弥生人にみるかという本質的な問題に突き当たる。柳田国男と折口信夫は国学が辿り着いた「やまと心」としての源流である『古事記』の神代記に雁字搦めになっているのだ。だから古代の祭りを弥生人が日本に持ち込んだ稲作にみるという過ちを犯すことになる。稲作を通して古代の祭りをみると、どうしても解けない矛盾に突き当たることになるのだ。
古代神道とは弥生人が日本列島に大量に移住してくる以前のものだ。その古代神道とは稲作農業の世界観ではなく、日本という風土性そのままを生きる姿勢であるといえる。自然と一体とか共生という西欧的言葉を超えて自然のありくるままに自然として生きる姿勢なのだろう。その生きる姿勢と生き方としての思想が古代神道に反映されているものだ。
その古代神道を稲作文化を携えて来た弥生人の世界観に置き換えたのである。第一次神道革命といわれるものであるが、それが律令国家体制を正当化するためのイデオロギーである『古事記』の神代記なのである。
古代人の祭りの核に「性」をみている吉野祐子は、「性」とは生と死との循環を繋げるものとして捉えている。生と死を繋げるものが「性」であるとすれば、この世に新たな生命を生み出し得るのは女しかいない。古代人の祭りの中心であった巫女は、生と死の循環を体現した女でなければならなかった所以であり、祭りにおける「性」とは巫女が神々と交わることで新たなる命を宿すという意味があったようだ。ふくよかであり、迸る命の躍動そのものであり、神々しくもある、女性を象った縄文土偶とは、正にそうしたものの証しである。
巫女の生理期間に祭りが行えないのは、巫女が不浄であるからではなく、生理では新たな命を宿せないからだとしている。穢れと祓いという思想は、古代神道にあったように思われているが、穢れと祓いの思想が生まれたのも第一次神道革命においてであったことが立証されてもいる。
吉野祐子は縄文土器を蛇がとぐろを巻いている姿だとし、更に女性器だとしている。火炎土器は煮炊きにも使われたのだろうが、古代の祭りにも使われたのだろう。
わたしの描く性的世界とは、吉野祐子の民俗学を下敷きにしたものだ。そして「交感の場」としてある。生と死とを繋ぎ合わせ循環させる「場」であり、新しい命を生み出す艶めかしくも妖しげであり、神々しくもある、めくるめく神秘の世界なのであるが、この世界に人としての倫理の再生をみてもいる。欲に汚れた人としての自分が「性」という「交感の場」を生きることで、新しい命としての自分を甦らせる力を宿していると考えている。わたしは里山という世界を、こうした「交感の場」として捉えている。わたしの唱える里山主義とはこうしたものであり、里山主義文学の核にあるものはこうした思想である。詳しくは電子書籍『風となれ、里山主義』を読んでいただきたい。
脇道に逸れた上に、更に脇道へと逸れてしまったようだ(笑)。標題との乖離は甚だしいものがある。安倍晋三に繋がる詐欺行為だと、数少ない絶滅危惧種でもあるわたしの読者に愛想を尽かされそうである。路地から抜けて、脇道に戻ることにする。
ついでだから書くが、どうもわたしのブログの読者は圧倒的に男が多い。本来ならむさ苦しい男などではなく女性に読んでいただきたいものと切に思っているが、アクセス解析によれば女性読者がほとんど存在しないのである。昨日などは35件のアクセスがあったが哀しいことに女性はゼロという惨憺たる結果なのである。女性読者がいないということは致命的である。何故ならば、わたしはむさ苦しい男のために小説を書いているのではなく、女性のために小説を書いているからである。女性の神々しいまでの艶めかしい魔性に取り憑かれ、女性の魔性を崇拝し、女性器を生と死を抱きかかえて輪廻する倫理の再生として信仰しているからだ。即物的な女性器ではない。どこまでもふくよかで、どこまでも神秘的であり、どこまでも神々しく、どこまでも優しげで、どこまでも柔和であり、そして平和な祈りの匂いを発している縄文土偶として信仰しているのである。
そういえば、余談になるが、日本共産党の衆議院議員である高橋千鶴子さんをTwitterで、日本の崇高な母の面影を宿す縄文土偶だと呟いたことがあった。高橋千鶴子さんはそうした匂いを発しているのだが、高橋千鶴子さんは青森の生まれである。
縄文人の血を色濃く受け継いでいるのは、日本では沖縄と東北であると遺伝子学的に言われている。
さて、こうした新左翼的な思想的カオスの中にいたわたしであるが、最終的に辿り着いた思想が、あろうことか、新しい保守主義としての『里山主義』なのである。
新左翼が左端の立ち位置だとすれば、右端へと移動したと思うかもしれないが、保守主義とは本来は右翼(国家主義)とは異質なものである。どういうことかというと、左翼と右翼とは西欧近代主義と不可分な近代国家における立ち位置なのである(国家主権を重視するか、国民主権を重視するかによって右翼と左翼に別れるのだろうが、左翼の超過激派が独裁的な軍事的国家像を引き摺っていたりすることを考えると、西欧近代主義はどこまでいっても国家の影を背負っているといえないだろうか)が、本来の保守主義とは西欧近代主義と近代国家とを準備した啓蒙思想と対立するものだったからだ。それが国家主義と同義語として使われていることに、保守主義という概念の混乱が生じているのである。アメリカの保守は近代以前の歴史がないので、啓蒙思想とは対立しようがない。生まれ故郷の西欧から持ち込んだキリスト教原理主義を別にすれば、アメリカの保守とは星条旗に縋り付くしかないのだろう。
『里山主義』とは、大学を卒業して不覚にも会社人間となったわたしが挫折を経験して、それを転機に思索を重ねつつ、小説を書いたりしながら生きてきた過程で辿り着いた思想である。
拙い思想ではあるが、わたしは自己流の思想のつもりでいた。正直にいうと梅原猛の思想には影響は受けている。これは自覚している。が、『里山主義』という思想を生み出す上で、西欧哲学の「直接的」な影響はないと思っていたのである。
「直接的」というのは、間接的には影響を受けたことを否定はしていないからだ。学生時代に数冊の西欧哲学史(高坂正顕『西欧哲学史』創文社、等々)を読んだり、マルクスやニーチェ、キルケゴール、サルトルの思想に触れたり、フッサールとハイデッガーを読み囓ったり、バタイユの思想に感銘を受けたりしたのだから、影響がないわけはないのである。が、恥ずかしいことに、構造主義を代表するソシュール、レヴィ=ストロース、ラカンの著書を直接に読んではいないし、ポスト構造主義を代表するアルチュセール、デリダ、フーコー、ドウルーズといった哲学者の著書を直接読んではいない。竹田青嗣の『意味とエロス』『現代思想の冒険』『自分を知るための哲学入門』(いずれもちくま学芸文庫)などを通じて、「間接的」に触れただけである。
前回のブログでヴェブレンの『有閑階級の論理』(岩波文庫)について書いたが、その中の文章を引用しようと本棚を探していたら、今村仁司著『現代思想の系譜学』(ちくま学術文庫)が眼に飛び込んできたのである。今村仁司には『近代の労働観』(岩波新書)で多大な影響を受けている。だから『現代思想の系譜学』を購入したのだろうが、『現代思想の系譜学』があるということさえ忘れていたくらいだ。忘れていたのだから読んだ記憶もない。実際に手に取ってページを捲っていくと読んだ形跡は皆無だった。色褪せてはいるが、購入したときのままの姿をしていた。
わたしは書物との出逢いには運命的なものを感じている。もちろんすべての書物がそうだというのではない。自分が思索を重ねる上で決定的な影響を及ぼす書物がある。その書物との出逢いを偶然とは思えないのだ。必然というか運命のようなものをみてしまうのである。
わたしは生来の読書嫌いだから(笑)、乱読家ではない。できるだけ自分にとって不必要な書物は避けようとする傾向がある。自分にとってといったが、生き方と言い換えてもいいだろう。が、誤解をするといけないので書いておくが、人生における乱読期は当然にある。わたしにとっての読書は生き方の模索のようなものと結び着いたものなので、生き方が皆目分からない時期には、必然的に無方向の乱読とならざるを得ない。それでも次第におぼろげに目差したい生き方の姿が見えてくるものなのである。そうなるとその生き方の方向性に関連する書物を読むということになってくる。読書に方向性ができてくるというのだろう。大学時代のわたしは乱読期にあったといえる。
従ってわたしの読書傾向は生き方と関わるものだけに、流行とは無縁である。いや無縁であるはずはないが、流行からは一歩離れて、自分の生き方の模索の方に軸足を置いたものである。書物との出逢いに運命的なものを感じるというのは、生き方の方向性が見えてきたからこそ、出逢わずにはいられない運命にあった、というような意味なのである。必然性も同様である。
今村仁司著『現代思想の系譜学』(ちくま学芸文庫)は、出逢うべくして出逢う運命にあったのだが、どうしたわけか本棚の奥でほこりを被ってしまっていたのだ。購入していたのだから運命を嗅ぎ取る嗅覚は作用していたに違いないのだが、不覚だったと嘆いている。
わたしは優れて西欧的な意味での理性と知性に懐疑的である。懐疑的だというのは全否定するということではない。理性と知性を信じる危うさを感じているのだ。理性と知性を信じるあまり、理性と知性に拐かされて、もっと核心的なものに触れられなくなってしまうのではないかと危惧しているのだ。
わたしが理性と知性を疑うのは素朴で単純な理由からだ。
西欧的な意味での理性と知性は、どうして20世紀を戦争の世紀にしたのかという疑問である。戦争の世紀にしたのは、理性と知性を専売特許とする西欧の植民地政策と無関係ではない。西欧の理性と知性が、中東とアジアとアフリカの野蛮な反理性と反知性と闘ったとでもいうのだろうか。
一方で、日本にははるか一万年もの永きに亘って平和な社会を築いてきた縄文人の歴史がある。
わたしが西欧的な意味での理性と知性を信じられない理由は、この素朴で単純な対比からだ。辿り着いたのは、西欧的な意味での理性と知性では戦争は避けられない。戦争を避けようとすれば、一万年もの永きに亘って平和な社会を維持してきた縄文人の社会と心に思いを馳せるしかないのではないか、という答えだった。
安倍晋三を反知性主義の代名詞にして、日本がファシズム化しているのは反知性主義が蔓延しているからだ、というようなことが著名な知識人だけでなくマスコミでも言われたりしているが、わたしはだったら20世紀は反知性主義の世紀だったのかと言いたくなるのである。
西欧近代主義における理性と知性といえば、デカルトを生んだフランスはその故郷のようなものだろう。そのフランスが「イスラム国」による同時多発的テロに対してとった行動は、シリアへの無差別空爆という報復なのであるが、フランスの理性と知性はこの無差別空爆を受け入れているのだろうか。
当然に反対する知識人はいる。が、わたしが問題にしたいのはフランスという社会的な意味での理性と知性である。反対する知識人の理性と知性こそが本来のあるべき良質な理性と知性であり、無差別的な空爆による報復を支持する気運を醸成している社会に蠢くのは、理性と知性ではなく、憎しみと恐怖に突き動かされた感情だとでもいうのだろうか。
20世紀に手前勝手に植民地政策を推し進め、そのためにあろうことか無差別的な空爆をしたのは西欧列強である。が、その引き金が「イスラム国」による同時多発テロではなかったのである。それでも西欧列強の社会はそれを是としてきたのではないのか。その社会に理性と知性がなかったとでもいうのだろうか。
ナチスという狂気を生んだのも西欧社会である。この狂気に理性と知性が関わっていないと断言できるのだろうか。それではあまりにも理性と知性を買い被りし過ぎ(盲目的な理性信仰と知性信仰)というものだろう。わたしはナチスの狂気に、西欧的な意味での理性と知性の狂気をみている。
長々と理性と知性について書いてきたが、わたしの素朴で単純な疑問が、今西仁司著『現代思想の系譜学』により明確な形で書いてあるのには驚いた。
今村仁司が語っているのではない。西欧の哲学者が語っているのだ。不覚だったというのは、こうしたことを知らずにいたということを指している(笑)。わたしの自己流の思索だとばかり思っていたが、西欧的な意味での理性と知性の本質をより深く、より核心を抉るようにして暴いているのである。
西欧的な意味での理性と知性が標題のTPPの本質と深く関わるものと、わたしは考えている。だから翻って、三内丸山遺跡と日本的なるものと深く関わってくるとも思っている。
商品の価値とは何だろうか、という問いを考える前に、西欧的な意味での理性と知性を批判しようとしたのは、こうした思いがあるからだ。
あまりにも長くなってしまったので、次回のブログで、今村仁司著『現代思想の系譜学』に沿って理性と知性批判を書くつもりだが、印象的な箇所を最後に抜き出しておきたい。
それでは皆様、ごきげんよう。
「『野蛮から文明へ』あるいは『神話から啓蒙へ』という提唱は、ヨーロッパの合理主義と進歩思想の中心的な前提であった。文明化の最も大きな担い手は理性であるとみなされてきた。カントの『啓蒙』概念は、近代ヨーロッパ思想の本質の要約であり、カント以降の根本前提でもある。ところが二十世紀の危機の時代に、最も鋭い思想家たちは、ハイデッガーにせよ、ホルクハイマーやアドルノにせよ、何よりも『技術』の問題と取り組まねばならなかった。理性の『技術化』とは、単に科学的知識が経済的生産に『応用』されるといったものではない。理性の技術化は、社会的な諸制度という具体的な形態をとって、『権力』と化することである。理性の権力化は、狭義の国家装置のレベルをはるかにこえ出て、市民社会の隅々にまで侵入する。フランクフルト学派は、国家と市民社会そして家族のレベルにまで、複雑に入り組んだ形で作用を及ぼす権力の効果を、『抑圧』『支配』『管理』の相において分析した。
人間の成長と発展の武器であるべき理性が、その正反対のものに変質する事態は、単に非合理主義の台頭といって批判するのではすまない。非合理主義どころか、最高度に発展した科学的技術的体制によって、権力の全体化的支配が人類史上最も盛大に展開される以上、そうした事態は、合理主義的な野蛮という逆説的な形態をとる。『技術体制』が『野蛮』が上演される舞台であるとすれば、『技術』論こそ現代の最大の思想問題となる。理性(知)の技術化、そして技術の社会化は、個人の自由と自律を『抑圧』し狭め、閉塞状態をつくりだす。個人は、猫にとってのネズミのごとく、殺されるまでの束の間の猶予を『自由』として享受できるにすぎない。啓蒙の理想であった『自律』と『自由』は没落し、全体的権力にとっていつでも取り換えのきく『なしくずしの死』としての『自由』にまでおちこんでしまうのである。権力の全体化への思想的抵抗を暗い希望の下でかすかに実践したフランクフルト学派の仕事の中に、後にフーコーがもう少し明るい希望の下に展開する思想的課題が用意されていたといえよう。(中略)
権力は抑圧し禁止する。しかし抑圧と禁止ばかりが権力の効果なのではない。フランクフルト学派は、技術化した知を有力な媒体とする権力の全体化的な抑圧・禁止・管理の側面をとくに協調した。これも権力論のひとつの中心である。もうひとつの中心は、フーコーがみつけ出した『権力の生産過程』である。一方に知があり、他方に権力があって、しかる後に両者が共犯関係に入るというのではなく、権力はその効果が拡大するにつれて管理に適合的な諸々の知を生産する。そればかりでなく、近代哲学の理想型であった『自律した実体』としての『主体』をも、『権力の主体』つまり権力の手先になり権力の効果を自他に及ぼす『隷属した主体』にすら変形=加工してしまう。経済的な生産技術が資本の支配力(権力)を効果的に産出するように、さまざまの技術的知は社会全体にわたって伝播させる。権力は、抑圧・禁止の軸と生産の軸との両中心をめぐって可視と不可視の効果の網の目を張りめぐらす。フーコーは、フランクフルト学派が提出した『知と権力』と『知の技術化』を、権力の生産性論を付加しつつ拡大したのである」
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