高橋和巳の「知性」には舌を巻く。
その「知性」たるや、知性主義か反知性主義か、などという浅薄なレベルの「知性」ではない。時代が反知性主義の方向に向かっている危険性に警鐘を鳴らす、いわゆる知識人と呼ばれている人たちがいるが、歴史的事実を都合の良いように解釈し、ねじ曲げるという暴挙に出ている安倍晋三を代表とする勢力を指弾する意味があるのだろう。しかし、そもそもが「知性」とは何ぞや、という本源的な疑問こそが先ずはあるべきだろう。あたかも「知性」が万能の特効薬のような錯覚こそが大きな誤りであり、そうした「知性」に胡座を掻くことこそに道を誤る危険性が潜んでいるということを、明治維新以降の歴史が語ってくれている。
知性か反知性か、などという上っ面の違いを、時代の流れを左右する本質的な差違だと錯覚している心と目では、もっと奥深くに隠れている言葉の厳密な意味での本源的なものに肉迫できるはずはないのである。
高橋和巳の「知性」は、知性など信じていない。上っ面の空疎な言葉でしかない知性を超えた「知性」なのである。高橋和巳の「知性」は、情報という知識でしかない事実の断片を寄せ集め、その断片を論理的に繋ぎ合わせて思想に組み立てるというような安易なものではない。断片的な事実の背後に隠れてせせら笑っている化け物をこそ見据える「知性」なのである。直観とも深く関わり合い、五感とも深く関わり合う「知性」なのだ。高橋和巳の「知性」は、知性主義者の知性に潜む欺瞞性と罪悪性とを見据えている。そして容赦はしない。そうでなれけば、小説『邪宗門』はこの世に存在してはいない。
わたしは学生の頃に小説のようなものを書いていたが、高橋和巳の「知性」を目の当たりにして、作家になることを断念したのである。自分ごとき者が、とうてい高橋和巳の「知性」には到達することができないし、その「知性」の反映である小説世界など作り出すことは永遠に不可能だと思い知らされたからだ。
現代の若い作家志望者は幸福である。瑞々しい感性と絶賛された、綿矢りさのような作家の作品を読んでいればいいからだ。類い希な鬼気迫る感性の持ち主である川端康成の『雪国』に散りばめられた比喩擬きの、「寂しさは鳴る」という文章が瑞々しい感性の一例だというのだが、わたしには綿矢りさの感性のどこが瑞々しいのかわからない。上辺は似ているようにみえるが、本質は川端康成の感性とは真逆である(これに関してはいつかブログに書く)。綿矢りさのような作家の作品を読めば、俺にも書ける、わたしにも書ける、と思うのが自然だ。だから読書経験が乏しい者が小説のようなものを平気で書き出したのだろうし、綿矢りさの小説の行き着いた果てに、携帯小説があるのだと思っている。高橋和巳の小説が世に溢れていたら、とても作家になどなれるとは考えない。そう思うことを不遜だと思わせてしまう小説世界だからだ。作家がある種の畏敬の対象でいられた時代があったのである。
では何故にわたしが、断念したはずの小説を書いたりするのか。綿矢りさの小説を読んだからだ。そして、こうした方向性に文学の未来はないと危惧したからだが、当然に、これなら俺でも書けると思ったからである(笑)。
綿矢りさの出現で、小説とは読むものから書くものに変わったのである。読書離れには必然性がある。自分で書けるものを、誰も金を出して買って読まない。それだけの価値も意味もないからだ。目先の金を追い求めて綿矢りさを絶賛し、話題性に舵を切った出版業界の自業自得なのであり、自殺行為だったのである。今や風前の灯火だ(笑)。
いつものように話しが逸れてしまった。先に進もう。
高橋和巳の小説『邪宗門』における宗教を考えたい。どうして考えるかというと、わたしが連載を始めた小説『三月十一日の心』と密接に関連するものだからだ。
宗教というと、多神教である原始宗教から、狩猟民族や農耕民族の信仰した多神教的な御利益宗教がある。こうした宗教は土着性が強く、風土と一体となったものであり個別的な性質があり、キリスト教に代表される普遍性を持つ世界宗教とは異なる。宗教を考えるときに一般的なのは、原始宗教なり土着宗教は普遍的な体系を持たない稚拙なものであり、世界宗教、中でもキリスト教のような一神教こそ宗教の最終的な完成された姿だという宗教観である。
西欧近代主義とはキリスト教的な世界観に塗り潰されたものだけに、キリスト教を頂点として俯瞰する宗教観は必然的なものなのだろう。
国家主義者は「国家」とは根源的なもので、先ずは国家ありき、という発想が基本にあり、古事記と日本書記を生んだ律令国家の「国家」と、明治維新革命によって樹立された「国家」とを同質のものとして見てしまうという誤謬を犯す。
明治維新革命によって樹立された「国家」は、西欧近代主義的な意味での西欧近代国家であり、国民国家なのである。国民があるから国家があるのであり、国家があるから国民があるのである。国家と国民とは不可分に結びついている。従って当然に、国家と国民との関係性が明文化される。国民が国家の一方的な奴隷であり、僕であっては国家と国民との関係性など発生しない。
明治維新政府によって樹立された天皇制国家体制においても、神である天皇の下では国民は平等であるという、国家と国民との関係性が明確に記されているのだ。こうした関係性がなければ「国家」への帰属意識もなければ、「国家」という共同幻想も生み出し得ない。
一方の律令国家であるが、この「国家」とは支配者のための「国家」であり、国民という視点はない。あるのは豪族をいかに支配するかという視点であり、その豪族を支配するためのものが「国家」なのである。古事記の神代記とは、豪族を支配する律令国家体制を正当化するために、それまでの渾然として存在した神々を、権力を正当化するために天皇を頂点としたものに再編し直し、階層化させたものである。数多くあった神話も例外ではない。豪族にも信じている御利益多神教と神話があったが、そうしたものを階層化することで神と神話に序列を作り、合わせて豪族と豪族の生い立ちに序列を作ったのである。
しかし、一般の民衆はどうかといえば、豪族の所有物であって奴隷に等しいものであるから、極論すればどうでもいい存在なのである。当然に民衆は「国家」などという意識はない。豪族にとっても「国家」という意識はなかったはずである。
前回のブログで指摘したが、律令国家体制とは、日本の歴史をみる上で重要な意味を持っている。
わたしはこの律令体制によって、歴史的な断層が意図的に作られたと思っている。
日本列島には日本という特異な風土に適応し、一万年もの永きわたって自然と共にあって平和に暮らしていた縄文人の社会があり、祭りと結びついた生と性の営みがあり、そして文化があったのである。縄文の人々は沖縄にも居住し、縄文文化を沖縄の地に花開かせていたのだ。
そうした日本列島に、半島から弥生文化を携えた弥生人たちが大量に移住してきたのである。律令制国家体制へと結びつく「国家」概念をも携えて、「国家」ごと移住してきたと解釈する考古学者までいる。
縄文土器と弥生土器を見比べれば、二つが同じ文化から生まれたものでないことが解る。異質な価値観で作られていることを示しているからだ。縄文土器は芸術的であり情熱的であり、迸る感性そのものが乗り移っている。機能的である弥生土器と比べると、機能性を無視した呪術性のような気配が色濃く滲み出ている。
律令国家体制とは弥生人によって打ち立てられたものである。古事記の神代記とは律令国家体制の正当性を謳い上げたイデオロギーであるが、弥生人による日本列島の支配を正当化するイデオロギーという側面もある。だから、それまでの日本の特異な風土に根差した縄文人の宗教観が、弥生人の宗教観によって塗り替えられたということをも意味している。
古代神道とは縄文人の宗教観と世界観であったのだが、その神道に古事記の神代記がとって代わり、新たに禊ぎと祓いと汚れの宗教的概念と儀式が付加されたようだ。そして古代神道とは、日本という豊穣な自然の恵みと結びついた狩猟で生きていた縄文人の宗教観である。が、弥生人は稲作を日本に持ち込んだ農耕民族であり、農耕に根差した宗教観なのである。従って、古事記の神代記を核にして、古代神道を弥生人の農耕的な宗教観にアレンジしたという側面を忘れてはならないだろう。律令制国家体制を正当化するために生み出された古事記の神代記を核として古代神道の姿を変えてしまった宗教的行為が、第一次神道革命といわれる所以である。
日本の歴史と文化の源流を何処にするか。
縄文文化にするか、弥生文化=律令国家体制にするかでは、まったく違った意味を持つことになる。日本の保守主義を考える上でもは重大な問題である。
国家主義者にとっては当然に、古事記の神代記が日本の歴史と文化の源流となる。日本が神国であり、万世一系の天皇という神によって創られ、今なお連綿とその血を受け継いでいる世界に冠たる「国家」だという認識が核となってあるからだ。
日本の保守主義者の多くは残念ながら、弥生文化が日本の歴史と文化の源流とみなしているようだ。
縄文時代は野蛮な時代であり、文化などと呼べるものはなかったと、「意図的」に信じようとしているのである。本居宣長を筆頭とする国学者がそうであった。そして、民俗学の双璧である柳田国男と折口信夫もそうである。
従って土着的な祭りなどを解釈するのも、農耕民族である弥生人の宗教観と世界観から導き出そうとするのだが、在野の民俗学者であった吉野祐子は、農耕的な儀礼として土着的な祭りを解釈すると無理があるといっている。新たな生命を生み出す女の性に深く関わっているというのである。女と結びつけられた「汚れ」という概念とは無縁であり、巫女の生理を避けるのは生理時の女を「汚れ」として捉えたのではなく、新たな生命を宿すことができない生理期間では祭りの意味が失われるからだと論証している。詳しくは割愛する。
縄文人の社会は「輪」の社会だと言われている。集落が中央の「輪」を中心に出来上がっていたようだ。弥生人の社会は「溝」の社会だと言われている。水田の所有を明確にするために「溝」=畦をこしらえたのだが、集落も「溝」で区画されていたようである。縄文人の社会は「輪」に象徴されるように、争いを回避するような方向性があったようである。一方の「溝」社会である弥生人の社会は、「溝」を巡る争いを引き起こす根を抱えた社会だったのだろう。
縄文文化を日本の歴史と文化の源流と考えることは、わたしは当然だと思うが、そうした場合、現行の「平和憲法」こそ縄文の心を反映したものであり、日本の歴史と文化の原点だと思うのである。
日本の歴史の断層は、縄文文化と弥生文化の間にあっただけではない。
明治維新国家の樹立する以前と、それ以降との間に横たわる断層である。どうして断層なのかというと、西欧近代主義という、それまでとはまったく異質な価値観と世界観を体現した「国家」が出現したからだ。国家神道は、それまでの神道とは異質なものである。律令国家体制を正当化するためのイデオロギーが古事記の神代記だったが、「国家」の意味が違うのだから、古事記の神代記の意味も違ってくる。国民をいかに「国家」に繋ぎ止め、国民の心を「国家」の絶対的な力へと吸収し、また自発的な忠誠心を喚起させるか、という要請に対する洗脳手段として機能している。だから宗教の装いをしたのであり、キリスト教的な色彩を施して絶対的な一神教としたのだ。権力と「国家」の正当性だけではなく、国民を洗脳する宗教的な意味合いがあったのである。
国家神道は国学である平田神学の影響が指摘されているが、一神教的な国家神道は平田神学をも超えたものである。国民を洗脳するための絶対的一神教であるので、教育勅語が布教手段と洗脳手段として位置づけられている。国家神道と一体となっているのだ。
以上を踏まえて、高橋和巳の小説『邪宗門』における宗教の問題性をみていきたい。
高橋和巳は小説の中で、京都帝国大学の教授の職を捨てて「ひのもと救霊会」に身を投じ、「ひのもと救霊会」の機関誌であり宣伝手段でもあるひのもと新聞主幹である、中村鉄男に語らせている。
「社会は常に人間が生きていくための基礎をなす部分と、人間が人間らしい生活をいとなむ精神的秩序との、斉合的な相関によって成立し安定する。いわゆる下部構造と上部構造というのがそれであります。神学・哲学・政治などの上部構造は、経済とりわけ生産関係のありかたに支えられており、生産手段や生産関係のありかたが、常に上部の構造を基本的に規定する。従って、神学を哲学に、哲学を政治に、政治を経済に還元してみることが、この人間社会の構造の秘密を解く最良の方法であると考えられます。これはおそらく、哲学にも道徳にも政治理念にも、一神教たるキリスト教理念が君臨しましたヨーロッパ社会においては正しいことでありましょう。私も最初、書物の上で社会学を研究しておりました際には、そう考えておりました」
これはマルクス主義的な社会構造の分析であるが、ヘーゲルの弁証法に多大な影響を受けたマルクスもまた西欧近代主義の申し子であり、中村鉄男の述べたことは、キリスト教の価値観と世界観とを引き摺っている西欧社会と学問的に対峙したときの、西欧近代主義的なアプローチ方法なのであろう。
が、中村鉄男はこうした方法が日本には当てはまらないといっているのだ。長くなるがそのまま引用する。
「しかし、理論的研鑽の後に、学生を指導し引率し、実地に日本の農村や漁村にはいり、その家族・村落などの共同体の構造やその理念を追究する過程で、私は意外なことに気づいたのであります。それは、農業・林業・漁業等、直接自然に働きかける基礎的な生産および、その生産のための共同体形成と、人間の上部構造のうちもっとも上位に位する宗教とが、この日本においてはぴったりと癒着している。換言すれば、農業・工業・商業から政治・哲学・宗教へとつらなる下部―上部の連関は、積木細工のように上下に重なっているのではなくて、回帰的な円環構造をとっていると認めざるをえないということでありました。上から下へと還元していってみても、下から上へと抽象していっても、ある一点から正反対の方向に地球を真直ぐに突き進むのと同じことで、結局、同じ場所へもどってきてしまうのであります。ヨーロッパ的観念から言えば、天皇制というものが、この日本社会の上部構造の最先端にあると目されるものなのでありますが、残念ながらそれはローマ教皇の地位と権威には相当せず、天皇制を支える神道理念は、先端まで行ったところで、ふわっと、農村の自然崇拝とその日々の感情生活へと解体されるのであります。そのことに気づいた時、私には二つの道がありました。あくまで学究の徒として、歴史的に不等質に進化する各地域の文化の特質、つまりは日本的特殊構造をより精緻に究明することであり、今ひとつは、単に解釈する学問してではなく、この現世を改変する学問の立場から、その奇妙な日本社会の性質を、改変のための条件として認め、そこから行動をはじめるということであります。私は長い逡巡の末に、後者を選びました。上部構造の頂点と、下部構造の底辺とが癒着している、その癒着部分に身を置き、知識人の思念と、民衆とりわけ農民の活力を総動員してゆさゆさと身をゆすれば、もしうまくいけば一挙に理想社会へと踏みこみうるかもしれない。それが私の基本的な志向であり姿勢でありました」
中村鉄男は何をいっているのだろうか。
わたしが指摘した日本の歴史の二つの断層を想い起こしていただきたい。
明治維新政府は天皇制国家体制を築き、それまでの日本の宗教観とは異なる絶対的一神教である国家神道を民衆に強要したが、絶対にして不可侵の天皇=神のはずが、農村で暮らす民衆の生活の中へと下りてくると、それまでの村落共同体の中で暮らしの一部となってしまっている土着的な「自然崇拝とその日々の感情生活」へと溶解してしまうということなのだろう。そして、「基礎的な生産および、その生産のための共同体形成」が、この土着的な「自然崇拝とその日々の感情生活」と密接に結びついているということなのだろう。
飽くまでも輸入品であり、異なる価値観と世界観である絶対的一神教である国家神道を移植しても、日本の風土が育んだ多神教である土着宗教の精神性と文化性とが激変するはずはない。不可侵にして絶対的な一神教である国家神道における神である天皇のはずが、共同体の内部へと下りていくと多神教的な神の一つへと溶解されて相対化されてしまうのである。
武士道とは儒教的色彩の強い道徳観だが、それは支配階級である武士階級のためのものであり、民衆が生きていた社会には大らかな性風習である「夜這いが」戦後にまで生き続けていたことをみても、武士階級の道徳観が息づく世界とは異質な世界を民衆は生きていたのである。
高橋和巳は中村鉄男に村落共同体を「回帰的な円環構造」といわせているが、西欧近代主義の根底にあるキリスト教的な進歩史観的な時間感覚とは対照的な、循環的な時間感覚と死生観を指しているのだろう。この循環的な時間感覚と死生観とは多神教的なものであり、また仏教的な世界観でもある。
「自然崇拝とその日々の感情生活」にも風土的な違いがあり、地域的な違いあり、歴史と文化の違いがあったはずである。ほとんど原始共産社会に近い村落共同体までが日本の社会には存在していたのだろうか。
中村鉄男は、この「自然崇拝とその日々の感情生活」が息づく原始共産社会のような共同体に宿る「宗教的なるもの」に可能性を見出しているのだ。
中村鉄男の論理を更に辿っていこう。
「明治維新の元勲たちがとった処置は、そうした日本民族の上部下部の先端癒着構造をたくみに利用し、しかもそれを行動の情熱・発条とした一つの〈革命〉であったことを私は認めます。問題は、ひきつづいて第二、第三の革命がなさるべきであったものが、外圧に対抗せねばならぬ至上命令のゆえに、過渡的形態が絶対化され、〈天皇絶対制〉と称されるような、およそ本来の日本の社会構造とは無縁な虚構をたてまえとして押しだすことになり、あらたに勃興しましたブルジョア階級やプロレタリア階級が、あるいはこの虚構をかくれ蓑に利用し、あるいはこの虚構に憤怒することになった点にあります。〈天皇絶対制〉は外圧にたいする虚構ですから、その虚構を存続させるためには、絶えざる外圧の幻想ないしは緊張が必要であり、日本は現にこの道を進んでおります。だが、元来の、下部底辺・上部頂点の癒着せる神ながらの道は、戦闘的な要素など殆どもたないものであり、礼儀正しく、清潔を好み、常に微笑して温和な――他の文化圏の人々にも、満州事変のおこるまでは美徳として称揚されていた日本人の性質は、すべて本来の神ながらの道に属するものなのであります。同時にそれは、流血をともなわぬ第二、第三のための絶好の条件なのであります。ひのもと救霊会の信仰と運動には、国体という型に虚構化される以前の、信仰が同時に労働であり、信仰の改変が直ちに生産関係のありかたの改変につらなる、本来の神ながらの道が存在すると、私は認めます。そして私はそれに期待いたしました。治安維持法の第一条にいう『国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタルモノ』云々の国体とは過渡的な虚構にすぎず、『私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者』云々の私有財産とは、明治維新の過渡的に漁夫の利を占めて成りあがった強盗的商人どもの富にすぎず、治安維持法はその特権を守るための暴力団的な掟を、全国民に強制したものにすぎないのであります」
中村鉄男のいう「過渡的形態が絶対化され、〈天皇絶対制〉と称されるような、およそ本来の日本の社会構造とは無縁な虚構」とは、多神教的な風土的精神性の土壌に、西欧のキリスト教的な一神教である国家神道を接ぎ木したことを指している。そして「元来の、下部底辺・上部頂点癒着せる神ながらの道は、戦闘的な要素など殆どもたないもの」とは、日本の風土が育んだ宗教的性質をいっているのだろう。弱肉強食の進化論的な一神教の世界観とは異なる、棲み分けを基本とした循環的な多神教の世界観である。わたしはこの宗教観と世界観こそ、縄文人の社会に息づいていた宗教観と世界観だと思っている。
中村鉄男はこうした宗教観と世界観が息づく共同体に理想をみているのであり、この宗教観と世界観が息づく共同体こそが「ひのもと救霊会」なのだという認識がある。「ひのもと救霊会の信仰と運動には、国体という型に虚構化される以前の、信仰が同時に労働であり、信仰の改変が直ちに生産関係のありかたの改変につらなる、本来の神ながらの道が存在すると、私は認めます。そして私はそれに期待いたしました」といっている。
日本という国家を理想の社会へと導くための中村鉄男の論理は面白い。
明治維新革命によって樹立された国家を是としている。問題はこの国家は仮の姿であり、理想の国家への第一段階の姿でしかないと捉えているのだ。第二、第三の無血革命によって、「ひのもと救霊会」という共同体に宿る宗教的なるものを国家の魂とするための革命が必要不可欠だというのだ。が、仮の姿でしかない虚構の国家にしがみついて、国家神道による天皇絶対性を打ち出し、第二、第三の革命を阻止していることが問題だという論理なのである。
高橋和巳は中村鉄男以外の口を借りて、同様のことを語っている。引用すると、「おそらく私有地と地方自治体所有地が井田法的に区制され、治水や高価な農耕器具の購入などが自治体単位で処理され、都市と農村との自治体単位での物資の流通と交易がなされるのがよいだろう。そしてその時、生活の全域に、高度な道徳が浸透していなければならない。第一の〈世直し〉がかりに成功したとして、生産関係と精度とを変えれば人間も変わるとする唯物論との、人類の将来のありかたを決定する最後の戦いが、第二の〈世直し〉として起こるだろう」という箇所である。
更に、「武士階級から資本家階級、さらに工場労働者階級にたとえ権力の所在が転換しても、他者に指導されているかぎり全人口の六割を占める農民は常に収奪される。
何が必要か? 結論は簡単だった。無理な工業化政策をとる必要のない〈平和〉。そして農村の、他の何ものにも指導されない自治。そして労働者や中産層組織との、互いに犯しあうことなき自由連合。農民が労働者を指導する必要はないごとく、労働者が農民を指導すべきいわれもない。
そして資本主義を支える精神が契約遵守にあるごとく、そうした自治連合を支えるものは、互いの自治を尊重する〈誓約〉の精神であり、そして元来が誓約共同体である宗教がその時ふたたび重要な任務を課せられる」という箇所をみれば、第二、第三の無血革命がどんなものか明らかとなってくる。
第一段階の明治維新革命が資本主義の国家を誕生させたものであり、これをとりあえずは是とし、但し飽くまでも仮の姿であり、第二の革命、つまり「第一の世直し」である「生産関係と精度とを変え」る社会主義的な革命であり、それに続く「高度な道徳が浸透」する社会へと導いていく第三の革命、つまり「第二の世直し」である、「ひのもと救霊会」という共同体に宿る宗教的なるものの注入ということになるのだろう。「生産関係と精度とを変えれば人間も変わるとする唯物論」の支配する「第一の世直し」では不十分だというのだ。何故ならば、人間性が変わっていないからだ。
これを宗教観と世界観でみると、第一段階と第二段階は西欧的なキリスト教的な世界観であり、価値観である。弱肉強食の進化論的(=進歩史観的)な時間感覚が息づく世界観だといえよう。それを第三段階では多神教的な世界観と価値観へと変えようということなのだろう。棲み分けの発想と循環的な時間感覚が息づく世界観である。
西欧近代主義における第一段階と第二段階は世俗的な社会である。政教分離を基本とする社会だからだ。高橋和巳は世俗的な社会では、経済と政治が堕落し、社会自体が堕落すると考えていたのだろうか。そして、西欧社会における個人の内面を律するはずのキリスト教の道徳を信用していなかったのではないだろうか。「神は死んだ」と宣告された西欧社会を覆うのはニヒリズムでしかあり得ない。
しかし、明治維新革命によって樹立された国家は、国家神道を核とした祭政一致の国家である。一神教的な絶対的神である天皇による天皇のための政治なのである。国民の内面もまた、神である天皇から自由ではない。
高橋和巳は中村鉄男に天皇絶対制を、「およそ本来の日本の社会構造とは無縁な虚構」といわせているが、神である天皇も虚構であり、政治的な統治装置としての方便だということになるのだろう。方便でしかないのだから、権力の内部から堕落と腐敗が始まり、この国家権力と一体となった資本家もまた堕落と腐敗の坂道を転がり出し、つまりは政治と経済の破滅の道行きが待っているということになるのだろう。方便とは黒々としたニヒリズムでしかない。
高橋和巳は中村鉄男の論理的な矛盾に気づいていたのだろうか。
どういう矛盾かというと、日本における歴史的な一つ目の断層に関わっている矛盾なのである。
わたしは「ひのもと救霊会」とは古代神道、つまり縄文人の社会に息づく宗教観と世界観を生きているものなのであり、「国家」という概念とは切れていると考えるので、第一段階と第二段階の革命が「国家」を前提としてものであり、その「国家」を第三段階の革命によって「ひのもと救霊会」の共同体化しようとするとは、「ひのもと救霊会」を「国家」にするということである。このときの「国家」とは、律令体制の「国家」ではなく、西欧近代主義における「国家」である。その「国家」にまで膨張させた「ひのもと救霊会」に宿る宗教的なるものの心がそのままの姿でいられるのだろうか。わたしは変質せざるを得ないと考える。何故ならば、西欧近代主義における「国家」とは異質なものだからだ。
高橋和巳が「ひのもと救霊会」を、縄文人の社会における宗教観と世界観に結びつけているかどうかは分からない。が、高橋和巳の化け物のような「知性」は、わたしが気づいた矛盾に気づかぬはずはないのである。
教団を破滅へと導いて行く三代目教主となった千葉潔の第三高等学校時代の親友である吉田秀夫にいわせている。そのまま抜粋する。
「ひのもと救霊会の人々は、欲望で動くのではない。なるほどひのもと救霊会は日本民族の文化的伝統を尊重し、日本的規模でものを考え、出来れば人類や世界の観念もとりこもうと努力はしている。しかし俺のみるところ、救霊会が過去にも現在にも特色ある一つのまとまりを持ちえたのは、それが自然発生的な地域共同体に立脚していたからだと思う。人為的な、人工的な国家の権力に反抗する感情的地盤が自然にそなわっていた。だが同時にそれは救霊会が踏みこえてはならなぬ限界をも暗示していると思うのだ。もし君の計画が成功しても……この集団が国家的規模のものに膨張してしまっては、かえってその美点がくずれる。救霊会はあくまで地域集団であることにとどまり、資本家が牛耳ろうと共産主義者が主人になろうと、ひたすらに集中しようとするだろう国家権力に対する分散的な抵抗媒体として、政治的には消極的なしかし生活と精神の自由は断固として売りわたすことのない団体として活躍するように助力すべきだとおれは思う。人工的にしか存続しえない国家の主人になろうとすべきではないと思うのだ」
わたしの想いとぴったりと付合するわけではないが、いわんとすることは一緒である。
わたしがブログで連載している小説『三月十一日の心』は、「国家」と切れた形での縄文人の社会に息づいていた宗教観と世界観の可能性を探ろうとするものである。
縄文人の社会に息づく宗教観とは、言挙げしない神の世界だと思っている。言挙げした瞬間に神ではなくなるものなのである。言挙げするとは、人の言葉に移し替えることであり、神を解釈することでもある。その過程で神とは、解釈する主体である人に引き寄せてしまうものなのだろう。教義のレベルになると、いわずもがなである。縄文人の社会に息づく宗教観とは、自然と人との感覚が交わって共鳴し合う「交感の場」を生きることだろ思っている。その「交感の場」に倫理が息づくのである。何故ならば、人を超えた場であり、自然の生を生きる場であるからだ。人としての心の奢りと汚れを浄化する場なのである。
高橋和巳は思念的な人である。
頭で分かっていても、わたしのいう縄文人の社会に息づく宗教的なる倫理観など信じられもせず、わたしのように安易にすがりつくことを己に赦さなかったのだろう。
高橋和巳は宗教に対して、どこまでも思念的に突き詰めていくのだ。わたしの資質とは異なっている。結局わたしは感性的な人間であり、高橋和巳は論理的であり思念的な人間なのだろう。中国の思想、漢詩、文学、歴史などに造詣が深く、中国文学を専攻した高橋和巳にはやはり、中国的な発想が基本にあるのだろうか。中国には明確な革命の思想がある。天命という絶対的な論理があって、その論理に反すれば存在する大義を失うのだ。
そして、高橋和巳の心には原罪としての「国家」が居座っている。軍国少年として生きた体験である。「国家」を起点とし、「国家」へと収斂していく論理になってしまうのだろう。その「国家」を、高橋和巳は信じていない。その「国家」を幻想した自分という存在と、高橋和巳そのものである自分の思念と理性に宿る原罪と、「国家」という存在自体を呪っている。
高橋和巳は宗教をも「国家」の類推でみているのだろうか。高橋和巳は千葉潔の想いを共有していたはずだ。
「もし宗教に存在の価値があるなら、万人に美と真と善とを信じうる地盤を提供することが第一義のはず。であるとすれば、戦争中の〈祭政一致〉とは全く異なった意味で、祭は現実の秩序のあり方を変容する実力をもたねば意味はないのだ。
彼の考えは恐らくは間違ってはいない。(中略)
彼には大事な何かの感情が欠けていた。何かが欠如しているための悪――。そしてそれが何であるかも彼は知っていた。理性でも判断力でも行動力でもない。知恵でも技能でも指導力でもない。彼に欠けているのは正しく、宗教――宗教的な感情だった。一つの教義を疑い、一つの教義を批判し、一つの教義に反抗し、あるいは利用するのはよい。ただ千葉潔の場合はそうではなかったのだ。もし一切の宗教が自らに生命を与え、外気に触れながらもただ泣きわめくことしか知らぬ自分を育ててくれた者への感謝、そして今ひとつ死すべき存在としての人間の死の恐怖に発するものなのなら、彼にはまさしくその宗教的感情の基礎が欠けていたのだ。自らを育てた者への愛着敬畏と死霊恐怖が結合してやがて祖先崇拝となり、部族神の崇拝へと発展する……その宗教の根本において彼は疎外されていた」
明治維新以降に生まれた、神がかりになった女を開祖とした新興宗教は多い。こうした女は学歴もなく、人生の辛酸を舐め尽くし、生きているこの世の地獄を彷徨い歩かされた末に、発狂と紙一重の世界に宗教的な開眼をしている。こうした宗教の性格をどうみればいいのだろうか。
例えば「ひのもと救霊会」のように、国家神道を戴く国家権力からの弾圧を受ける教団があれば、教団としての精神的葛藤も苦悶もなく、あっさりと国家神道に吸収された教団がほとんどであった。
これはわたしの勝手な仮説であるが、開祖の人間性と資質が大きく関わってくるのは間違いないが、開祖の心がどの歴史的断層に縋って生きていたかに関係しているような気がする。高橋和巳の想念が生み出した「ひのもと救霊会」の開祖は、縄文人の社会に息づく宗教観と世界観に通じていたように思えてならないのである。開祖の魂が原始共産社会を生きようとしていたのではないだろうか。だから教団の核にこの開祖の魂が鎮座していたのだろう。
教団とは教義を持つようになると、開祖の魂から徐々に乖離し始めるのではないだろうか。そして大きくなってくるに従って、組織の論理が自然と勢力を増してくるのだろう。開祖の人間性と心と、そして精神性と、組織の論理との間に乖離矛盾が生じるのだろう。生き方を求める希求としての純粋な宗教的心が、組織のための宗教へと変化するのだろうか。当然に倫理よりも組織の論理が優先される。
開祖の心が古事記の神代記に足を突っ込んでいたとしたら、国家神道と折り合いを付けるのは容易いことなのだろう。また、開祖の心が国家神道の世界観を共有していたとしたら、国家神道を更にファナティックな方向へと導いていくのだろう。
開祖の社会との向き合う姿勢と、己の中に生まれ出でた宗教的な心と向き合う真摯さによって違いが出てくるのだろうが、いずれにせよ、明治維新以降に生まれた日本の新興宗教が、「ひのもと救霊会」のような運命を回避している姿は、生き方を求める希求としての純粋な宗教の姿とは異質なもののような気がしてならない。言葉は悪いが処世術としての宗教、または生きる方便としての宗教、より言葉を悪くいうと商売としての宗教にまで堕落しているのではないか、などと勘ぐってしまいたくなる。オウム真理教も同じである。麻原の心と精神は、国家神道的なものに足を突っ込んでいたのではないだろうか。体制内に吸収されて体制を支える勢力にまで成り下がった宗教との違いは、自らが国家神道の天皇になろうとしたことだろう。そして、自らが絶対の神である「国家」を幻想したのではないだろうか。
わたしは縄文人の社会に息づく宗教的なる心が、日本における歴史的な断層を越えると同時に、宗教的なる心の堕落が始まるような気がしてならないのである。純粋な意味での多神教が、徐々に人の認識としての宗教へと姿を変えていって、やがて一神教へと変貌を遂げる。それは、倫理性がニヒリズムへと変貌していく過程のような気がしてならないのだ。
わたしの宗教に関する想念は、連載小説『三月十一日の心』に反映されるだろう。
※小説はキンドル版の電子書籍として出版しています。
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