「北林あずみ」のblog

2015年03月


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 高橋和巳の「知性」には舌を巻く。
 その「知性」たるや、知性主義か反知性主義か、などという浅薄なレベルの「知性」ではない。時代が反知性主義の方向に向かっている危険性に警鐘を鳴らす、いわゆる知識人と呼ばれている人たちがいるが、歴史的事実を都合の良いように解釈し、ねじ曲げるという暴挙に出ている安倍晋三を代表とする勢力を指弾する意味があるのだろう。しかし、そもそもが「知性」とは何ぞや、という本源的な疑問こそが先ずはあるべきだろう。あたかも「知性」が万能の特効薬のような錯覚こそが大きな誤りであり、そうした「知性」に胡座を掻くことこそに道を誤る危険性が潜んでいるということを、明治維新以降の歴史が語ってくれている。
 知性か反知性か、などという上っ面の違いを、時代の流れを左右する本質的な差違だと錯覚している心と目では、もっと奥深くに隠れている言葉の厳密な意味での本源的なものに肉迫できるはずはないのである。
 高橋和巳の「知性」は、知性など信じていない。上っ面の空疎な言葉でしかない知性を超えた「知性」なのである。高橋和巳の「知性」は、情報という知識でしかない事実の断片を寄せ集め、その断片を論理的に繋ぎ合わせて思想に組み立てるというような安易なものではない。断片的な事実の背後に隠れてせせら笑っている化け物をこそ見据える「知性」なのである。直観とも深く関わり合い、五感とも深く関わり合う「知性」なのだ。高橋和巳の「知性」は、知性主義者の知性に潜む欺瞞性と罪悪性とを見据えている。そして容赦はしない。そうでなれけば、小説『邪宗門』はこの世に存在してはいない。
 わたしは学生の頃に小説のようなものを書いていたが、高橋和巳の「知性」を目の当たりにして、作家になることを断念したのである。自分ごとき者が、とうてい高橋和巳の「知性」には到達することができないし、その「知性」の反映である小説世界など作り出すことは永遠に不可能だと思い知らされたからだ。
 現代の若い作家志望者は幸福である。瑞々しい感性と絶賛された、綿矢りさのような作家の作品を読んでいればいいからだ。類い希な鬼気迫る感性の持ち主である川端康成の『雪国』に散りばめられた比喩擬きの、「寂しさは鳴る」という文章が瑞々しい感性の一例だというのだが、わたしには綿矢りさの感性のどこが瑞々しいのかわからない。上辺は似ているようにみえるが、本質は川端康成の感性とは真逆である(これに関してはいつかブログに書く)。綿矢りさのような作家の作品を読めば、俺にも書ける、わたしにも書ける、と思うのが自然だ。だから読書経験が乏しい者が小説のようなものを平気で書き出したのだろうし、綿矢りさの小説の行き着いた果てに、携帯小説があるのだと思っている。高橋和巳の小説が世に溢れていたら、とても作家になどなれるとは考えない。そう思うことを不遜だと思わせてしまう小説世界だからだ。作家がある種の畏敬の対象でいられた時代があったのである。
 では何故にわたしが、断念したはずの小説を書いたりするのか。綿矢りさの小説を読んだからだ。そして、こうした方向性に文学の未来はないと危惧したからだが、当然に、これなら俺でも書けると思ったからである(笑)。
 綿矢りさの出現で、小説とは読むものから書くものに変わったのである。読書離れには必然性がある。自分で書けるものを、誰も金を出して買って読まない。それだけの価値も意味もないからだ。目先の金を追い求めて綿矢りさを絶賛し、話題性に舵を切った出版業界の自業自得なのであり、自殺行為だったのである。今や風前の灯火だ(笑)。

 いつものように話しが逸れてしまった。先に進もう。
 高橋和巳の小説『邪宗門』における宗教を考えたい。どうして考えるかというと、わたしが連載を始めた小説『三月十一日の心』と密接に関連するものだからだ。
 宗教というと、多神教である原始宗教から、狩猟民族や農耕民族の信仰した多神教的な御利益宗教がある。こうした宗教は土着性が強く、風土と一体となったものであり個別的な性質があり、キリスト教に代表される普遍性を持つ世界宗教とは異なる。宗教を考えるときに一般的なのは、原始宗教なり土着宗教は普遍的な体系を持たない稚拙なものであり、世界宗教、中でもキリスト教のような一神教こそ宗教の最終的な完成された姿だという宗教観である。
 西欧近代主義とはキリスト教的な世界観に塗り潰されたものだけに、キリスト教を頂点として俯瞰する宗教観は必然的なものなのだろう。
 国家主義者は「国家」とは根源的なもので、先ずは国家ありき、という発想が基本にあり、古事記と日本書記を生んだ律令国家の「国家」と、明治維新革命によって樹立された「国家」とを同質のものとして見てしまうという誤謬を犯す。
 明治維新革命によって樹立された「国家」は、西欧近代主義的な意味での西欧近代国家であり、国民国家なのである。国民があるから国家があるのであり、国家があるから国民があるのである。国家と国民とは不可分に結びついている。従って当然に、国家と国民との関係性が明文化される。国民が国家の一方的な奴隷であり、僕であっては国家と国民との関係性など発生しない。
 明治維新政府によって樹立された天皇制国家体制においても、神である天皇の下では国民は平等であるという、国家と国民との関係性が明確に記されているのだ。こうした関係性がなければ「国家」への帰属意識もなければ、「国家」という共同幻想も生み出し得ない。
 一方の律令国家であるが、この「国家」とは支配者のための「国家」であり、国民という視点はない。あるのは豪族をいかに支配するかという視点であり、その豪族を支配するためのものが「国家」なのである。古事記の神代記とは、豪族を支配する律令国家体制を正当化するために、それまでの渾然として存在した神々を、権力を正当化するために天皇を頂点としたものに再編し直し、階層化させたものである。数多くあった神話も例外ではない。豪族にも信じている御利益多神教と神話があったが、そうしたものを階層化することで神と神話に序列を作り、合わせて豪族と豪族の生い立ちに序列を作ったのである。
 しかし、一般の民衆はどうかといえば、豪族の所有物であって奴隷に等しいものであるから、極論すればどうでもいい存在なのである。当然に民衆は「国家」などという意識はない。豪族にとっても「国家」という意識はなかったはずである。
 前回のブログで指摘したが、律令国家体制とは、日本の歴史をみる上で重要な意味を持っている。
 わたしはこの律令体制によって、歴史的な断層が意図的に作られたと思っている。
 日本列島には日本という特異な風土に適応し、一万年もの永きわたって自然と共にあって平和に暮らしていた縄文人の社会があり、祭りと結びついた生と性の営みがあり、そして文化があったのである。縄文の人々は沖縄にも居住し、縄文文化を沖縄の地に花開かせていたのだ。
 そうした日本列島に、半島から弥生文化を携えた弥生人たちが大量に移住してきたのである。律令制国家体制へと結びつく「国家」概念をも携えて、「国家」ごと移住してきたと解釈する考古学者までいる。
 縄文土器と弥生土器を見比べれば、二つが同じ文化から生まれたものでないことが解る。異質な価値観で作られていることを示しているからだ。縄文土器は芸術的であり情熱的であり、迸る感性そのものが乗り移っている。機能的である弥生土器と比べると、機能性を無視した呪術性のような気配が色濃く滲み出ている。
 律令国家体制とは弥生人によって打ち立てられたものである。古事記の神代記とは律令国家体制の正当性を謳い上げたイデオロギーであるが、弥生人による日本列島の支配を正当化するイデオロギーという側面もある。だから、それまでの日本の特異な風土に根差した縄文人の宗教観が、弥生人の宗教観によって塗り替えられたということをも意味している。
 古代神道とは縄文人の宗教観と世界観であったのだが、その神道に古事記の神代記がとって代わり、新たに禊ぎと祓いと汚れの宗教的概念と儀式が付加されたようだ。そして古代神道とは、日本という豊穣な自然の恵みと結びついた狩猟で生きていた縄文人の宗教観である。が、弥生人は稲作を日本に持ち込んだ農耕民族であり、農耕に根差した宗教観なのである。従って、古事記の神代記を核にして、古代神道を弥生人の農耕的な宗教観にアレンジしたという側面を忘れてはならないだろう。律令制国家体制を正当化するために生み出された古事記の神代記を核として古代神道の姿を変えてしまった宗教的行為が、第一次神道革命といわれる所以である。
 日本の歴史と文化の源流を何処にするか。
 縄文文化にするか、弥生文化=律令国家体制にするかでは、まったく違った意味を持つことになる。日本の保守主義を考える上でもは重大な問題である。
 国家主義者にとっては当然に、古事記の神代記が日本の歴史と文化の源流となる。日本が神国であり、万世一系の天皇という神によって創られ、今なお連綿とその血を受け継いでいる世界に冠たる「国家」だという認識が核となってあるからだ。
 日本の保守主義者の多くは残念ながら、弥生文化が日本の歴史と文化の源流とみなしているようだ。
 縄文時代は野蛮な時代であり、文化などと呼べるものはなかったと、「意図的」に信じようとしているのである。本居宣長を筆頭とする国学者がそうであった。そして、民俗学の双璧である柳田国男と折口信夫もそうである。
 従って土着的な祭りなどを解釈するのも、農耕民族である弥生人の宗教観と世界観から導き出そうとするのだが、在野の民俗学者であった吉野祐子は、農耕的な儀礼として土着的な祭りを解釈すると無理があるといっている。新たな生命を生み出す女の性に深く関わっているというのである。女と結びつけられた「汚れ」という概念とは無縁であり、巫女の生理を避けるのは生理時の女を「汚れ」として捉えたのではなく、新たな生命を宿すことができない生理期間では祭りの意味が失われるからだと論証している。詳しくは割愛する。
 縄文人の社会は「輪」の社会だと言われている。集落が中央の「輪」を中心に出来上がっていたようだ。弥生人の社会は「溝」の社会だと言われている。水田の所有を明確にするために「溝」=畦をこしらえたのだが、集落も「溝」で区画されていたようである。縄文人の社会は「輪」に象徴されるように、争いを回避するような方向性があったようである。一方の「溝」社会である弥生人の社会は、「溝」を巡る争いを引き起こす根を抱えた社会だったのだろう。
 縄文文化を日本の歴史と文化の源流と考えることは、わたしは当然だと思うが、そうした場合、現行の「平和憲法」こそ縄文の心を反映したものであり、日本の歴史と文化の原点だと思うのである。

 日本の歴史の断層は、縄文文化と弥生文化の間にあっただけではない。
 明治維新国家の樹立する以前と、それ以降との間に横たわる断層である。どうして断層なのかというと、西欧近代主義という、それまでとはまったく異質な価値観と世界観を体現した「国家」が出現したからだ。国家神道は、それまでの神道とは異質なものである。律令国家体制を正当化するためのイデオロギーが古事記の神代記だったが、「国家」の意味が違うのだから、古事記の神代記の意味も違ってくる。国民をいかに「国家」に繋ぎ止め、国民の心を「国家」の絶対的な力へと吸収し、また自発的な忠誠心を喚起させるか、という要請に対する洗脳手段として機能している。だから宗教の装いをしたのであり、キリスト教的な色彩を施して絶対的な一神教としたのだ。権力と「国家」の正当性だけではなく、国民を洗脳する宗教的な意味合いがあったのである。
 国家神道は国学である平田神学の影響が指摘されているが、一神教的な国家神道は平田神学をも超えたものである。国民を洗脳するための絶対的一神教であるので、教育勅語が布教手段と洗脳手段として位置づけられている。国家神道と一体となっているのだ。
 以上を踏まえて、高橋和巳の小説『邪宗門』における宗教の問題性をみていきたい。

 高橋和巳は小説の中で、京都帝国大学の教授の職を捨てて「ひのもと救霊会」に身を投じ、「ひのもと救霊会」の機関誌であり宣伝手段でもあるひのもと新聞主幹である、中村鉄男に語らせている。

「社会は常に人間が生きていくための基礎をなす部分と、人間が人間らしい生活をいとなむ精神的秩序との、斉合的な相関によって成立し安定する。いわゆる下部構造と上部構造というのがそれであります。神学・哲学・政治などの上部構造は、経済とりわけ生産関係のありかたに支えられており、生産手段や生産関係のありかたが、常に上部の構造を基本的に規定する。従って、神学を哲学に、哲学を政治に、政治を経済に還元してみることが、この人間社会の構造の秘密を解く最良の方法であると考えられます。これはおそらく、哲学にも道徳にも政治理念にも、一神教たるキリスト教理念が君臨しましたヨーロッパ社会においては正しいことでありましょう。私も最初、書物の上で社会学を研究しておりました際には、そう考えておりました」

 これはマルクス主義的な社会構造の分析であるが、ヘーゲルの弁証法に多大な影響を受けたマルクスもまた西欧近代主義の申し子であり、中村鉄男の述べたことは、キリスト教の価値観と世界観とを引き摺っている西欧社会と学問的に対峙したときの、西欧近代主義的なアプローチ方法なのであろう。
 が、中村鉄男はこうした方法が日本には当てはまらないといっているのだ。長くなるがそのまま引用する。

「しかし、理論的研鑽の後に、学生を指導し引率し、実地に日本の農村や漁村にはいり、その家族・村落などの共同体の構造やその理念を追究する過程で、私は意外なことに気づいたのであります。それは、農業・林業・漁業等、直接自然に働きかける基礎的な生産および、その生産のための共同体形成と、人間の上部構造のうちもっとも上位に位する宗教とが、この日本においてはぴったりと癒着している。換言すれば、農業・工業・商業から政治・哲学・宗教へとつらなる下部―上部の連関は、積木細工のように上下に重なっているのではなくて、回帰的な円環構造をとっていると認めざるをえないということでありました。上から下へと還元していってみても、下から上へと抽象していっても、ある一点から正反対の方向に地球を真直ぐに突き進むのと同じことで、結局、同じ場所へもどってきてしまうのであります。ヨーロッパ的観念から言えば、天皇制というものが、この日本社会の上部構造の最先端にあると目されるものなのでありますが、残念ながらそれはローマ教皇の地位と権威には相当せず、天皇制を支える神道理念は、先端まで行ったところで、ふわっと、農村の自然崇拝とその日々の感情生活へと解体されるのであります。そのことに気づいた時、私には二つの道がありました。あくまで学究の徒として、歴史的に不等質に進化する各地域の文化の特質、つまりは日本的特殊構造をより精緻に究明することであり、今ひとつは、単に解釈する学問してではなく、この現世を改変する学問の立場から、その奇妙な日本社会の性質を、改変のための条件として認め、そこから行動をはじめるということであります。私は長い逡巡の末に、後者を選びました。上部構造の頂点と、下部構造の底辺とが癒着している、その癒着部分に身を置き、知識人の思念と、民衆とりわけ農民の活力を総動員してゆさゆさと身をゆすれば、もしうまくいけば一挙に理想社会へと踏みこみうるかもしれない。それが私の基本的な志向であり姿勢でありました」

 中村鉄男は何をいっているのだろうか。
 わたしが指摘した日本の歴史の二つの断層を想い起こしていただきたい。
 明治維新政府は天皇制国家体制を築き、それまでの日本の宗教観とは異なる絶対的一神教である国家神道を民衆に強要したが、絶対にして不可侵の天皇=神のはずが、農村で暮らす民衆の生活の中へと下りてくると、それまでの村落共同体の中で暮らしの一部となってしまっている土着的な「自然崇拝とその日々の感情生活」へと溶解してしまうということなのだろう。そして、「基礎的な生産および、その生産のための共同体形成」が、この土着的な「自然崇拝とその日々の感情生活」と密接に結びついているということなのだろう。
 飽くまでも輸入品であり、異なる価値観と世界観である絶対的一神教である国家神道を移植しても、日本の風土が育んだ多神教である土着宗教の精神性と文化性とが激変するはずはない。不可侵にして絶対的な一神教である国家神道における神である天皇のはずが、共同体の内部へと下りていくと多神教的な神の一つへと溶解されて相対化されてしまうのである。
 武士道とは儒教的色彩の強い道徳観だが、それは支配階級である武士階級のためのものであり、民衆が生きていた社会には大らかな性風習である「夜這いが」戦後にまで生き続けていたことをみても、武士階級の道徳観が息づく世界とは異質な世界を民衆は生きていたのである。
 高橋和巳は中村鉄男に村落共同体を「回帰的な円環構造」といわせているが、西欧近代主義の根底にあるキリスト教的な進歩史観的な時間感覚とは対照的な、循環的な時間感覚と死生観を指しているのだろう。この循環的な時間感覚と死生観とは多神教的なものであり、また仏教的な世界観でもある。
「自然崇拝とその日々の感情生活」にも風土的な違いがあり、地域的な違いあり、歴史と文化の違いがあったはずである。ほとんど原始共産社会に近い村落共同体までが日本の社会には存在していたのだろうか。
 中村鉄男は、この「自然崇拝とその日々の感情生活」が息づく原始共産社会のような共同体に宿る「宗教的なるもの」に可能性を見出しているのだ。
 中村鉄男の論理を更に辿っていこう。
 
「明治維新の元勲たちがとった処置は、そうした日本民族の上部下部の先端癒着構造をたくみに利用し、しかもそれを行動の情熱・発条とした一つの〈革命〉であったことを私は認めます。問題は、ひきつづいて第二、第三の革命がなさるべきであったものが、外圧に対抗せねばならぬ至上命令のゆえに、過渡的形態が絶対化され、〈天皇絶対制〉と称されるような、およそ本来の日本の社会構造とは無縁な虚構をたてまえとして押しだすことになり、あらたに勃興しましたブルジョア階級やプロレタリア階級が、あるいはこの虚構をかくれ蓑に利用し、あるいはこの虚構に憤怒することになった点にあります。〈天皇絶対制〉は外圧にたいする虚構ですから、その虚構を存続させるためには、絶えざる外圧の幻想ないしは緊張が必要であり、日本は現にこの道を進んでおります。だが、元来の、下部底辺・上部頂点の癒着せる神ながらの道は、戦闘的な要素など殆どもたないものであり、礼儀正しく、清潔を好み、常に微笑して温和な――他の文化圏の人々にも、満州事変のおこるまでは美徳として称揚されていた日本人の性質は、すべて本来の神ながらの道に属するものなのであります。同時にそれは、流血をともなわぬ第二、第三のための絶好の条件なのであります。ひのもと救霊会の信仰と運動には、国体という型に虚構化される以前の、信仰が同時に労働であり、信仰の改変が直ちに生産関係のありかたの改変につらなる、本来の神ながらの道が存在すると、私は認めます。そして私はそれに期待いたしました。治安維持法の第一条にいう『国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタルモノ』云々の国体とは過渡的な虚構にすぎず、『私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者』云々の私有財産とは、明治維新の過渡的に漁夫の利を占めて成りあがった強盗的商人どもの富にすぎず、治安維持法はその特権を守るための暴力団的な掟を、全国民に強制したものにすぎないのであります」

 中村鉄男のいう「過渡的形態が絶対化され、〈天皇絶対制〉と称されるような、およそ本来の日本の社会構造とは無縁な虚構」とは、多神教的な風土的精神性の土壌に、西欧のキリスト教的な一神教である国家神道を接ぎ木したことを指している。そして「元来の、下部底辺・上部頂点癒着せる神ながらの道は、戦闘的な要素など殆どもたないもの」とは、日本の風土が育んだ宗教的性質をいっているのだろう。弱肉強食の進化論的な一神教の世界観とは異なる、棲み分けを基本とした循環的な多神教の世界観である。わたしはこの宗教観と世界観こそ、縄文人の社会に息づいていた宗教観と世界観だと思っている。
 中村鉄男はこうした宗教観と世界観が息づく共同体に理想をみているのであり、この宗教観と世界観が息づく共同体こそが「ひのもと救霊会」なのだという認識がある。「ひのもと救霊会の信仰と運動には、国体という型に虚構化される以前の、信仰が同時に労働であり、信仰の改変が直ちに生産関係のありかたの改変につらなる、本来の神ながらの道が存在すると、私は認めます。そして私はそれに期待いたしました」といっている。
 日本という国家を理想の社会へと導くための中村鉄男の論理は面白い。
 明治維新革命によって樹立された国家を是としている。問題はこの国家は仮の姿であり、理想の国家への第一段階の姿でしかないと捉えているのだ。第二、第三の無血革命によって、「ひのもと救霊会」という共同体に宿る宗教的なるものを国家の魂とするための革命が必要不可欠だというのだ。が、仮の姿でしかない虚構の国家にしがみついて、国家神道による天皇絶対性を打ち出し、第二、第三の革命を阻止していることが問題だという論理なのである。
 高橋和巳は中村鉄男以外の口を借りて、同様のことを語っている。引用すると、「おそらく私有地と地方自治体所有地が井田法的に区制され、治水や高価な農耕器具の購入などが自治体単位で処理され、都市と農村との自治体単位での物資の流通と交易がなされるのがよいだろう。そしてその時、生活の全域に、高度な道徳が浸透していなければならない。第一の〈世直し〉がかりに成功したとして、生産関係と精度とを変えれば人間も変わるとする唯物論との、人類の将来のありかたを決定する最後の戦いが、第二の〈世直し〉として起こるだろう」という箇所である。
 更に、「武士階級から資本家階級、さらに工場労働者階級にたとえ権力の所在が転換しても、他者に指導されているかぎり全人口の六割を占める農民は常に収奪される。
 何が必要か? 結論は簡単だった。無理な工業化政策をとる必要のない〈平和〉。そして農村の、他の何ものにも指導されない自治。そして労働者や中産層組織との、互いに犯しあうことなき自由連合。農民が労働者を指導する必要はないごとく、労働者が農民を指導すべきいわれもない。
 そして資本主義を支える精神が契約遵守にあるごとく、そうした自治連合を支えるものは、互いの自治を尊重する〈誓約〉の精神であり、そして元来が誓約共同体である宗教がその時ふたたび重要な任務を課せられる」という箇所をみれば、第二、第三の無血革命がどんなものか明らかとなってくる。
 第一段階の明治維新革命が資本主義の国家を誕生させたものであり、これをとりあえずは是とし、但し飽くまでも仮の姿であり、第二の革命、つまり「第一の世直し」である「生産関係と精度とを変え」る社会主義的な革命であり、それに続く「高度な道徳が浸透」する社会へと導いていく第三の革命、つまり「第二の世直し」である、「ひのもと救霊会」という共同体に宿る宗教的なるものの注入ということになるのだろう。「生産関係と精度とを変えれば人間も変わるとする唯物論」の支配する「第一の世直し」では不十分だというのだ。何故ならば、人間性が変わっていないからだ。
 これを宗教観と世界観でみると、第一段階と第二段階は西欧的なキリスト教的な世界観であり、価値観である。弱肉強食の進化論的(=進歩史観的)な時間感覚が息づく世界観だといえよう。それを第三段階では多神教的な世界観と価値観へと変えようということなのだろう。棲み分けの発想と循環的な時間感覚が息づく世界観である。
 西欧近代主義における第一段階と第二段階は世俗的な社会である。政教分離を基本とする社会だからだ。高橋和巳は世俗的な社会では、経済と政治が堕落し、社会自体が堕落すると考えていたのだろうか。そして、西欧社会における個人の内面を律するはずのキリスト教の道徳を信用していなかったのではないだろうか。「神は死んだ」と宣告された西欧社会を覆うのはニヒリズムでしかあり得ない。
 しかし、明治維新革命によって樹立された国家は、国家神道を核とした祭政一致の国家である。一神教的な絶対的神である天皇による天皇のための政治なのである。国民の内面もまた、神である天皇から自由ではない。
 高橋和巳は中村鉄男に天皇絶対制を、「およそ本来の日本の社会構造とは無縁な虚構」といわせているが、神である天皇も虚構であり、政治的な統治装置としての方便だということになるのだろう。方便でしかないのだから、権力の内部から堕落と腐敗が始まり、この国家権力と一体となった資本家もまた堕落と腐敗の坂道を転がり出し、つまりは政治と経済の破滅の道行きが待っているということになるのだろう。方便とは黒々としたニヒリズムでしかない。

 高橋和巳は中村鉄男の論理的な矛盾に気づいていたのだろうか。
 どういう矛盾かというと、日本における歴史的な一つ目の断層に関わっている矛盾なのである。
 わたしは「ひのもと救霊会」とは古代神道、つまり縄文人の社会に息づく宗教観と世界観を生きているものなのであり、「国家」という概念とは切れていると考えるので、第一段階と第二段階の革命が「国家」を前提としてものであり、その「国家」を第三段階の革命によって「ひのもと救霊会」の共同体化しようとするとは、「ひのもと救霊会」を「国家」にするということである。このときの「国家」とは、律令体制の「国家」ではなく、西欧近代主義における「国家」である。その「国家」にまで膨張させた「ひのもと救霊会」に宿る宗教的なるものの心がそのままの姿でいられるのだろうか。わたしは変質せざるを得ないと考える。何故ならば、西欧近代主義における「国家」とは異質なものだからだ。
 高橋和巳が「ひのもと救霊会」を、縄文人の社会における宗教観と世界観に結びつけているかどうかは分からない。が、高橋和巳の化け物のような「知性」は、わたしが気づいた矛盾に気づかぬはずはないのである。
 教団を破滅へと導いて行く三代目教主となった千葉潔の第三高等学校時代の親友である吉田秀夫にいわせている。そのまま抜粋する。

「ひのもと救霊会の人々は、欲望で動くのではない。なるほどひのもと救霊会は日本民族の文化的伝統を尊重し、日本的規模でものを考え、出来れば人類や世界の観念もとりこもうと努力はしている。しかし俺のみるところ、救霊会が過去にも現在にも特色ある一つのまとまりを持ちえたのは、それが自然発生的な地域共同体に立脚していたからだと思う。人為的な、人工的な国家の権力に反抗する感情的地盤が自然にそなわっていた。だが同時にそれは救霊会が踏みこえてはならなぬ限界をも暗示していると思うのだ。もし君の計画が成功しても……この集団が国家的規模のものに膨張してしまっては、かえってその美点がくずれる。救霊会はあくまで地域集団であることにとどまり、資本家が牛耳ろうと共産主義者が主人になろうと、ひたすらに集中しようとするだろう国家権力に対する分散的な抵抗媒体として、政治的には消極的なしかし生活と精神の自由は断固として売りわたすことのない団体として活躍するように助力すべきだとおれは思う。人工的にしか存続しえない国家の主人になろうとすべきではないと思うのだ」

 わたしの想いとぴったりと付合するわけではないが、いわんとすることは一緒である。
 わたしがブログで連載している小説『三月十一日の心』は、「国家」と切れた形での縄文人の社会に息づいていた宗教観と世界観の可能性を探ろうとするものである。
 縄文人の社会に息づく宗教観とは、言挙げしない神の世界だと思っている。言挙げした瞬間に神ではなくなるものなのである。言挙げするとは、人の言葉に移し替えることであり、神を解釈することでもある。その過程で神とは、解釈する主体である人に引き寄せてしまうものなのだろう。教義のレベルになると、いわずもがなである。縄文人の社会に息づく宗教観とは、自然と人との感覚が交わって共鳴し合う「交感の場」を生きることだろ思っている。その「交感の場」に倫理が息づくのである。何故ならば、人を超えた場であり、自然の生を生きる場であるからだ。人としての心の奢りと汚れを浄化する場なのである。
 高橋和巳は思念的な人である。
 頭で分かっていても、わたしのいう縄文人の社会に息づく宗教的なる倫理観など信じられもせず、わたしのように安易にすがりつくことを己に赦さなかったのだろう。
 高橋和巳は宗教に対して、どこまでも思念的に突き詰めていくのだ。わたしの資質とは異なっている。結局わたしは感性的な人間であり、高橋和巳は論理的であり思念的な人間なのだろう。中国の思想、漢詩、文学、歴史などに造詣が深く、中国文学を専攻した高橋和巳にはやはり、中国的な発想が基本にあるのだろうか。中国には明確な革命の思想がある。天命という絶対的な論理があって、その論理に反すれば存在する大義を失うのだ。
 そして、高橋和巳の心には原罪としての「国家」が居座っている。軍国少年として生きた体験である。「国家」を起点とし、「国家」へと収斂していく論理になってしまうのだろう。その「国家」を、高橋和巳は信じていない。その「国家」を幻想した自分という存在と、高橋和巳そのものである自分の思念と理性に宿る原罪と、「国家」という存在自体を呪っている。
 高橋和巳は宗教をも「国家」の類推でみているのだろうか。高橋和巳は千葉潔の想いを共有していたはずだ。

「もし宗教に存在の価値があるなら、万人に美と真と善とを信じうる地盤を提供することが第一義のはず。であるとすれば、戦争中の〈祭政一致〉とは全く異なった意味で、祭は現実の秩序のあり方を変容する実力をもたねば意味はないのだ。
 彼の考えは恐らくは間違ってはいない。(中略)
 彼には大事な何かの感情が欠けていた。何かが欠如しているための悪――。そしてそれが何であるかも彼は知っていた。理性でも判断力でも行動力でもない。知恵でも技能でも指導力でもない。彼に欠けているのは正しく、宗教――宗教的な感情だった。一つの教義を疑い、一つの教義を批判し、一つの教義に反抗し、あるいは利用するのはよい。ただ千葉潔の場合はそうではなかったのだ。もし一切の宗教が自らに生命を与え、外気に触れながらもただ泣きわめくことしか知らぬ自分を育ててくれた者への感謝、そして今ひとつ死すべき存在としての人間の死の恐怖に発するものなのなら、彼にはまさしくその宗教的感情の基礎が欠けていたのだ。自らを育てた者への愛着敬畏と死霊恐怖が結合してやがて祖先崇拝となり、部族神の崇拝へと発展する……その宗教の根本において彼は疎外されていた」
 
 明治維新以降に生まれた、神がかりになった女を開祖とした新興宗教は多い。こうした女は学歴もなく、人生の辛酸を舐め尽くし、生きているこの世の地獄を彷徨い歩かされた末に、発狂と紙一重の世界に宗教的な開眼をしている。こうした宗教の性格をどうみればいいのだろうか。
 例えば「ひのもと救霊会」のように、国家神道を戴く国家権力からの弾圧を受ける教団があれば、教団としての精神的葛藤も苦悶もなく、あっさりと国家神道に吸収された教団がほとんどであった。
 これはわたしの勝手な仮説であるが、開祖の人間性と資質が大きく関わってくるのは間違いないが、開祖の心がどの歴史的断層に縋って生きていたかに関係しているような気がする。高橋和巳の想念が生み出した「ひのもと救霊会」の開祖は、縄文人の社会に息づく宗教観と世界観に通じていたように思えてならないのである。開祖の魂が原始共産社会を生きようとしていたのではないだろうか。だから教団の核にこの開祖の魂が鎮座していたのだろう。
 教団とは教義を持つようになると、開祖の魂から徐々に乖離し始めるのではないだろうか。そして大きくなってくるに従って、組織の論理が自然と勢力を増してくるのだろう。開祖の人間性と心と、そして精神性と、組織の論理との間に乖離矛盾が生じるのだろう。生き方を求める希求としての純粋な宗教的心が、組織のための宗教へと変化するのだろうか。当然に倫理よりも組織の論理が優先される。
 開祖の心が古事記の神代記に足を突っ込んでいたとしたら、国家神道と折り合いを付けるのは容易いことなのだろう。また、開祖の心が国家神道の世界観を共有していたとしたら、国家神道を更にファナティックな方向へと導いていくのだろう。
 開祖の社会との向き合う姿勢と、己の中に生まれ出でた宗教的な心と向き合う真摯さによって違いが出てくるのだろうが、いずれにせよ、明治維新以降に生まれた日本の新興宗教が、「ひのもと救霊会」のような運命を回避している姿は、生き方を求める希求としての純粋な宗教の姿とは異質なもののような気がしてならない。言葉は悪いが処世術としての宗教、または生きる方便としての宗教、より言葉を悪くいうと商売としての宗教にまで堕落しているのではないか、などと勘ぐってしまいたくなる。オウム真理教も同じである。麻原の心と精神は、国家神道的なものに足を突っ込んでいたのではないだろうか。体制内に吸収されて体制を支える勢力にまで成り下がった宗教との違いは、自らが国家神道の天皇になろうとしたことだろう。そして、自らが絶対の神である「国家」を幻想したのではないだろうか。
 わたしは縄文人の社会に息づく宗教的なる心が、日本における歴史的な断層を越えると同時に、宗教的なる心の堕落が始まるような気がしてならないのである。純粋な意味での多神教が、徐々に人の認識としての宗教へと姿を変えていって、やがて一神教へと変貌を遂げる。それは、倫理性がニヒリズムへと変貌していく過程のような気がしてならないのだ。
 わたしの宗教に関する想念は、連載小説『三月十一日の心』に反映されるだろう。

※Kindle版電子書籍は、スマホとPCでも無料アプリで読めます。

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 ブログで連載している小説『三月十一日の心』の舞台が、気まぐれから、京都府にある限界集落へと移ることになり、急遽ネットで京都府の限界集落に関する資料を集めることになった。その作業の途上で辿り着いたのが綾部市だった。
 綾部市は、戦前に国家権力によって二度にわたって弾圧を受けた新興宗教、大本教の発祥の地である。が、迂闊にもわたしはこれまで、大本教の発祥の地が綾部市だとは知らなかった。大本教は知っていた。何故ならば、学生時代に高橋和巳の小説を読み漁っていたからだ。長編小説『邪宗門』は大本教をモデルとしている。もちろんモデルといっても大本教ではなく、高橋和巳の想念が作り出した教団、「ひのもと救霊会」ではある。
 縁とは不思議だ。
 全くの偶然で綾部市と大本教に行き着いたのだ。小説『三月十一日の心』とは、宗教と深く関わる小説である。当然に高橋和巳の『邪宗門』を避けては通れなくなった次第なのである。
 高橋和巳の『邪宗門』を読んだのは二十一才のときだ。二度ほど読んだ記憶がある。高橋和巳特有の破滅へと雪崩れ落ちていくストーリーであり、長大にして深遠な思念的小説であり、日本の土着的宗教を通して土着革命の可能性を探ったものだというようなことは覚えていたが、小説の中で高橋和巳の心が彷徨い歩いた、日本に固有の土着宗教的な深淵の世界については完全に記憶が欠落していた。というよりも、当時のわたしがそうしたものへと思いを馳せるだけの力を持ち合わせてはいなかった、というが適切なのだろう。
 わたしは新潮社の文庫本の『邪宗門』上下と、河出書房新社の高橋和巳全小説の『邪宗門』上下を持っているが、新潮社の文庫本を再読することにした。ほぼ四十年ぶりである。
 わたしの高橋和巳という作家の理解は、小説『堕落』によっている。この小説『堕落』こそが高橋和巳の核だと思っていたからだ。
 小説『堕落』は、優れて倫理的な小説である。そして、優れて虚無的な小説である。相反する思念が渦を巻く世界へと読者を突き落とす小説なのである。相反する思念といったが、高橋和巳にとっては何ら矛盾ではない。高橋和巳の心においては、倫理と虚無とは常に背中合わせになっているからだ。極限的に倫理性を追究していくと、その突き当たりには虚無が黒々とした不気味な口を開けて待っているのだ。
 倫理と虚無とが背中合わせでしか存在し得ない心が、高橋和巳という作家を作家たらしめ、高橋和巳の悲哀であり、高橋和巳という存在の矛盾的な生と性なのである。妻であった高橋たか子が夫の没後に『哀しい人』という本で高橋和巳のことを語っているが、おそらく高橋たか子は、高橋和巳の悲哀を理解してはいなかったのではないだろうか。
 倫理というどこまでも妥協を許さぬ冷徹な目で、高橋和巳は己自身を起点とした人間の生と国家とに対峙し、欺瞞性と不実と罪とを暴き出すのである。そして、虚無の世界へと通じる扉を開けた高橋和巳は、己自身と人間という実存を、そして国家を、破滅の底へと突き落とさずにはいられないのである。破滅の底から再生することでしか、倫理性を再び取り戻せないという想念に雁字搦めになっているのだろう。
 高橋和巳は人生の多感な季節に、おぞましい国家の姿を心と目に焼き付けている。そして、その国家の幻想を高橋和巳は自らも生きたのである。国家に騙されたといって負の記憶を切り捨てることは容易い。殆どの者がそうしたはずだ。が、高橋和巳は類い希な倫理的な心を持っているのだろう。原罪としてその記憶に拘り続けたのだ。国家もまたその原罪に拘り続け、その原罪を背負って生きていくべきものという思いが、高橋和巳には核としてある。
 が、国家はどうだったか。負の歴史としてばっさりと切り捨て、何の痛みも罪の意識もなく、全く別人格として歩き出したのだ。おぞましい限りの姿であるが、高橋和巳は日本という国家の心と精神の核心をみたのではないだろうか。日本という国家と日本人は、何事もなかったかのように装い、心を欺き、平然として戦後の社会へと足を踏み出したのである。
 小説『堕落』とは、意識的にすべてを忘却して、戦後の社会を生きている日本という国家と日本人に突きつけた、高橋和巳という原罪にしがみつくことでしか生きられない倫理と虚無の心なのである。原罪にしがみつくことでしか、真の意味での新たなる倫理の再生はあり得ないという信念なのだろう。
 小説『堕落』とは、満州国の建国に関わった主人公が生きて帰国し、戦後の自らの生のすべてを孤児院に捧げたのであるが、その献身的な功績を讃えられて国家から表彰されるのである。すると、戦前の記憶が甦ってくるのだ。記憶とは倫理の刃である。地獄を生きた己の醜くおぞましい心を容赦なく断罪するのだ。夥しい日本人の血を啜り、夥しいアジアの民の血を啜り肉をむさぼり食ったはずの日本という国家は、すべての過去を切り捨てて自由と平等と民主主義の仮面をつけて歩き出している。その虚偽であり欺瞞を生きる国家から表彰される自分もまた、虚偽と欺瞞を生きているのだ。
 高橋和巳はそうした生を赦すはずはない。主人公は満州から生き延びて帰るために、子どもを見殺しにしていた過去を背負っていたはずなのである。高橋和巳は主人公を虚無の穴へと突き落とす。そして、自らの意志で自らの肉体と名誉と富とを徹底的に破壊させるのである。
 高橋和巳の虚無主義を、わたしは単なるニヒリズムとは捉えていない。倫理の裏返しとしてのニヒリズムなのである。戦後の日本という国家と日本人が取り憑かれているものこそ、正真正銘のニヒリズムなのではないだろうか。倫理なきニヒリズムである。足を踏み出すごとにニヒリズムはどぎつい色を帯びて、かすかに残っていた倫理がかき消えていく。
 高橋和巳は『邪宗門』の中で、インドの邪命派のことを書いている。現代のニヒリズムとは何か、見えてくるのではないだろうか。引用しよう。

 昔、インドに邪命派という哲学の流派があった。彼らは唯物論者で、私たち人間の心の中心にもあると同時に宇宙にもあまねく漂っている梵我の存在を信ぜず、業の輪廻も、霊魂の不滅も信じなかった。人間も単なる物質であり、死ねばその者にとってはすべてが終わりであると考えた。死んでしまえば地水火風の四元素にもどってしまうのだから、善悪の業もその果報もあるはずがなく、父母もたまたま父母である機会因にすぎない。だから孝行も祖霊崇拝も無意味である、と主張した。そして彼らはどうしたか。この世のたのしみは所詮、快楽だけだから、できるだけ美食をし、贅沢放蕩のかぎりを尽し、金がなくなれば借金をしてまわり、肉親をだまし、友人を利用し、親類にも迷惑をかけつくして死ぬがよい、と考えた。唯物論というものは極端までおしつめると、本当はそういうことになる。『神が存在せねばすべては許される』と、泰西の哲学者や文人にも考えた人がいるが、その人々も、同じ恐ろしい疑問、人間倫理の淵源はなにかという疑問に立っていたことを意味している。

 小説『邪宗門』を読み返して、この時代だからこそもう一度、高橋和巳の小説が読まれるべきだということを強く思った。
 日本という国家と日本人が、また戦前の過ちを繰り返そうとしているからである。
 戦前の原罪としての歴史を意図的に切り捨てて、何事もなかったかのごとく、自由と平等と民主主義の仮面を被って歩き出した日本という国家と日本人の心を支配している、インドの邪命派に通じるニヒリズムに導かれて、破滅の坂道を転がり出したのではないだろうか。
 戦前の原罪を忘れなければ、沖縄の辺野古の美しい海を埋め立てるなどという暴挙は起こるはずはないのだ。また原子力発電所などというものが、戦後の日本に作られるはずもなかったのである。
 小説『邪宗門』では、満州国に渡った開拓団の悲痛な最後が描かれている。満州開拓の政策は国策であった。『邪宗門』では書かれてはいないが、ロシアが南下する事実を掴んでいた後も、ロシア軍の南下を遅らせる人間の盾として開拓団を送るという信じられない歴史的事実がある。同じ日本人を人間の盾にする関東軍と国家が、日本人の命を守るはずはないのだ。日本人でさえそうなのだから、アジアの民衆の命をどう扱ったか想像をするまでもない。
 満州国から真っ先に逃亡したのはロシア軍の南下の情報をいち早く掴んでいた軍部と政府関係者である。開拓団には意図的に隠していたのだ。『邪宗門』における満州国からの逃避行は地獄絵である。高橋和巳は日本という国家と日本軍に対する断罪を容赦しない。それだけではない。戦争というものが人間の存在と心をどれほどおぞましい夜叉の姿へと変えるものか、歴史的事実を踏まえて剔抉している。愛国・国防・国益などと口にする輩は、こうした歴史的事実を隠蔽しようと必至であり、マスコミまでがその片棒を担いでいる。
 高橋和巳の倫理と虚無は、そうした日本という国家と日本人とのおぞましい心と原罪を、小説『邪宗門』における「ひのもと救霊会」の破滅的な道行きを描き切ることで、浮かび上がらせているのだ。「ひのもと救霊会」を破滅的な道行きへと追い込んだのは戦前の日本という国家であり、日本人である。「ひのもと救霊会」を邪宗としてこの世から葬り去り、歴史から抹殺した日本という国家と日本人に大義はあるのか。邪宗として断罪する心とは何か。日本という国家と日本人に果たして倫理はあるのか。高橋和巳は厳しく突きつけている。
 が、そんな高橋和巳の作家としての倫理的指弾などお構いなく、日本という国家と日本人は、自由と平等と民主主義の仮面を被って、「すべて忘れましょ」と言って歩いてきたのである。そして、戦前の国家の幻想に取り憑かれた、安倍晋三という幼児性分裂症の首相まで生み出したのである。
 想えば沖縄の人々だけが、「すべて忘れましょ」というニヒリズムの心を蹴飛ばしたのだろう。沖縄の人々だけが、戦前の日本という国家と日本人の原罪を忘れることなく、真摯に、そして倫理的にしがみついていたのだ。
 沖縄人としてではない。
 日本人としてである。
 が、「すべて忘れましょ」とニヒリズムの毒に染まった日本という国家と日本人が、また同じ過ちを犯そうとしているのだ。すべて忘れてしまった日本人には見えない、日本という国家のおぞましい心と姿が、忘れずに原罪に拘り続けた沖縄に生きる人々にははっきりと見えるのだ。
 沖縄の辺野古の美しい海を埋め立てることを断固として拒絶できたのは、倫理を生きていたからこそだと、わたしは信じている。沖縄の人々といったが、本来のあるべき日本人の姿である。
 同じ過ちを繰り返そうとしている日本という国家と日本人とは、偽りの国家であり、偽りの日本人なのではないだろうか。偽りの日本という国家と偽りの日本人が誕生したのは明治維新によってである。そして、明治維新政府が国家の統治装置として柱とした国家神道とは、古事記の神代記を西欧的な一神教に作り替えたものである。古事記の神代記が、弥生人が打ちたてた律令国家体制を正当化するためのイデオロギーであることは広く知られている(上山春平『神々の体系』『続神々の体系』中公新書など)。
 弥生人とは半島から弥生文化を携えて大量に移住してきた人々である。律令国家体制とはそうした弥生人によってなったものである。わずか二千年前のことである。それ以前には日本列島には三内丸山遺跡にみられるような全く異なった価値観と文化をもった縄文人が住んでいたのである。その歴史たるや一万年である。
 古事記の神代記とは、縄文人の世界に生きていた神々を弥生人の世界観における神々へと収斂させるものでもあったようだ。神々のありかたにも断絶があったのである。古代の神道とは、縄文人の神々のありかたと密接に関連したものである。
 神道における禊ぎと祓いは、神道の核であるような印象があるが、禊ぎと祓いは弥生時代に始まったものだということが民俗学的に証明されている。
 沖縄の人々は縄文人の血を引くことが考古学的に知られている。沖縄の人々を偽りの日本人ではなく本来の日本人といったが、縄文の人々の心を本来の日本人のあるべき心の源流とみるならば、沖縄の心こそが日本の心なのではないだろうか。
 偽りの日本国家よ
 そして、偽りの日本人の浅ましい心よ
 今こそ沖縄の心を我がものとし、本来のあるべき日本人の心を取り戻せ!


 高橋和巳の小説『邪宗門』に関する宗教的な問題については、次回にしたい。


『三月十一日の心と沖縄の心』 

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 第1章 生きていく方向性

    

 価値観とは重なり合いながら堆積している落葉のようなものなのだろうか。
 重なり合っている落葉をかき分けていくと、やがて地面が顔を覗かせる。この地面が価値観の基底部、乃至は土台的な価値観なのだろう。地面が揺れ動けば、その上に折り重なっている落葉も揺れ動き、地滑りを起こせば、地表とともに落葉もずり落ちていく。
 現代社会における土台としての価値観とは、西欧近代主義である。
 が、土台としての価値観とその上に折り重なるようにして存在している価値観との関係性は、重なり合う落葉と地面との関係性とは本質的な違いがある。
 自然界では層となって幾重にも堆積した落葉は、下に向かっていく毎に朽ち果てていく。やがて腐葉土となり、地面を肥沃にさせる。堆積した落葉が地面を変えているのである。が、土台としての価値観は、その上に折り重なる価値観によって変わることはない。土台としての価値観の意志に沿って、折り重なっている落葉の様相を絶えず変えて行くのである。どうやって変えていくのかというと、土台としての価値観という地面に根を張った樹木を使うのである。土台としての価値観から養分と水とを吸い上げた樹木が、土台としての価値観の意志である葉を茂らせて、やがて落葉として散らすのだ。その葉の一枚一枚が 土台としての価値観の分身であり、土台としての価値観が産み落とした欲望という情報なのである。樹木とはマスメディアなどの情報発信媒体である。
 この土台としての価値観とは、マルクス主義における下部構造とは違う。マルクス主義における下部構造とは純粋な意味での経済的基盤だが、わたしのいう土台としての価値観とは経済的基盤をいうのではない。但し現代社会においては、土台としての価値観が資本主義と一体となった西欧近代主義であるので、土台としての価値観に資本の意志が色濃く反映されていると考えている。
 わたしはこの土台としての価値観を変えない限り、社会は変わらないと捉えているのである。この土台としての価値観を変えることをせずに、政策的に社会をより良い姿に変えようとしても、土台としての価値観の意志にその政策が反するものならば、土台としての意志がそれを阻む方向で作用し、その政策を葬り去ると思う。また、土台としての価値観を変えずにこうした政策を打ち出しても、意図した通りに作用することはないと思っている。だからといって、社会をより良い姿にしようとする姿勢を否定するものではない。根本的な解決にはならないと考えているだけである。
 土台としての価値観は、意のままに社会を変えていこうとする意志を持っている。土台としての価値観の意志とは、価値観に内在する必然的な方向性のことだ。
 これまで述べてきた新自由主義の跋扈する社会とは、この土台としての価値観が歩いてきた方向の先に現出した社会なのである。いわば土台としての価値観を映し出す鏡だといえる。この鏡は、折り重なるようにして堆積している落葉の一枚一枚である価値観の多様性が失われ、固有の伝統と文化が衰退し、固有の感性が衰退している社会を映し出している。
 人工知能のロボットに等しい、均一化し単純化した社会であり、オンとオフの思考回路が支配する二分法的な発想(敵か味方か)を強いる社会なのである。理性と感情も土台としての価値観の方向性と強い関係性を持っている。
 科学は「真理」を追究するものであり、科学の発展は土台としての価値観からは自由だという科学万能神話があるが、「真理」を追究しているはずの科学にも発展する方向性があるのではないだろうか。その方向性とは土台としての価値観の意志であり、方向性である。
 コンピューターがアメリカの軍事技術に起源を持つことはよく知られている。科学とは気の遠くなるほどの基礎研究が必要だ。基礎研究には膨大な資金がいる。その資金を何処が出すのか。資本であり、国家である。
 核廃棄物の処理技術も確立できていないのに、原発を開発して稼働させるという本末転倒なことが何の不思議もなく行われてしまう科学とは何か、考えてみれば科学というものの本質が分かるだろう。本来は処理技術が先だろう。また処理技術の確立もできない科学技術が、「真理」を追究しているといえるのだろうか。「真理」とは資本の意志でしかないのではないだろうか。
 科学によって、この地球上からどれほどの生物が消え、どれほどの自然破壊が行われたのか、人が科学的に作り上げた農薬などの化学物質をみれば一目瞭然である。地球環境と生物に与える影響などは二の次なのである。要は科学的な「真理」が絶対であり、その「真理」たるや単なる経済的効率でしかないのだ。
 マルクス主義における下部構造は、歴史的必然性に沿って変質していくものであり、より良い方向へと変質していった下部構造と、旧来の社会構造を引き摺っている上部構造との乖離矛盾が発生し、それを止揚する形で革命が起きるとされている。そして最終的には、労働者階級の独裁による社会主義国家が誕生し、やがて階級が消滅して共産社会へと移行していくという歴史観に染められている。進歩史観であり、優れてキリスト教的な世界観である。神の国へと向かって歴史が進歩していくのだろう。
 わたしのいう土台としての価値観とは、歴史的な必然性はない。従来の土台としての価値観を否定し、新しい土台としての価値観を生きる以外にないのである。つまり、新しい土台としての価値観を変えるとは、生き方を変えることであり、心の革命なのである。簡単に生き方を変えるといっても生活基盤がなければ、人は霞を食べて生きていける仙人ではないと、当然に四方八方から批難の矢が飛んでくることだろう。この件に関しては後で詳述する。

「政治にたずさわる者に高い倫理性を求める考え方も、市民の側に公共性という倫理を求める見解も、どちらも幻の論理でしかないと考えている。紙の上に書かれた論理としては、そのどちらもうまくいく。しかし、いま私たちが問わなければいけないのは、そういうことではないような気がする。私たちがまきこまれているのは、一人ひとりは結構誠実に日々を生きているのに、たえず腐敗し、たえず堕落する政治の世界が生まれつづけるという社会である。政治にたずさわる者の側であれ、市民の側であれ、公共性や倫理観をもつ個人の確立によっては、この現実はくい止めることができないという今日の姿である。なぜこうなってしまうのか。そこに今日の国民国家や人間社会の問題点がひそんでいるのではないか。問われるべきはそちらの方だ、という気が私にはする」と思想家であり哲学者である内山節が『戦争という仕事』(信濃毎日新聞社)で書いているが、深い洞察だと思う。
 直ぐに破綻する嘘を平然と口にし、その嘘を更なる嘘で取り繕い、政治的な議論においては内容とか論理とかは無関係で、如何に口数で勝るかが相手を論破することになると本気で信じている、無邪気なまでの幼児性を持つ安倍晋三という政治家をみると、政治に誠実と倫理を求めることが虚しくなってくる。
 安倍晋三は第一次安倍内閣のときの国会における答弁で、共産党の吉井英勝議員の質問に対して、全電源喪失は起こり得ないと答弁している。福島第一原発事故に対する首相としての責任は重大である。が、未だに謝罪の言葉もないばかりか、率先して原発再稼働を画策し、果ては海外に日本製の原発を輸出するために営業外交まで行っているのである。
 その安倍晋三を日本の国民の半数近くが支持しているという。内山節がいうように、「政治にたずさわる者に高い倫理性を求める考え方も、市民の側に公共性という倫理を求める見解も、どちらも幻の論理でしかない」としかいえないだろう。そして、「たえず腐敗し、たえず堕落する政治の世界が生まれつづけるという社会」とは何なのか、「今日の国民国家や人間社会の問題点がひそんでいるのではないか」と思わずにはいられないのである。
 超一級の西欧近代主義者であり、超一級のリベラリストであり民主主義者である丸山真男は、理想的な社会を基準として、日本社会における近代化の歪みを剔抉して断罪し、より良い社会へと変革していくことを学問的信念として持ち続けたが、現実の日本の社会は丸山真男が夢見た社会とはほど遠いものである。
 果ては安倍晋三のような政治家が、独裁的な政治を行うことを許している現実の社会の姿がある。丸山真男が想い描く、自由主義と平等主義と民主主義とが息づく理想社会とは無縁の社会である。
 丸山真男が想い描く理想社会の核となるのは、西欧的な意味での良質な市民である。自分でものを考え、絶えず国家権力を監視し、自由と平等と民主主義を愛する心をもつ、精神的に独立した市民なのである。この核となる市民なくしては、丸山真男が想い描く理想社会とは絵に描いた餅でしかないだろう。
 日本の社会の劣化は著しいものがある。わたしが学生の頃も読書離れが言われたが、昨今の若者の読書離れは驚くべき領域にまで達している。これでは自分でものを考えることなど不可能だろう。四六時中スマートフォンのモニターとにらめっこをしている若者までいるのだ。若者を批判しているのではない。社会がそう仕向けているのだ。
 これが日本だけの現象ならば、丸山真男が批判した日本の近代化の歪みだと納得することもできるだろうが、丸山真男が想い描いた理想社会は、世界のどこにもないのである。アメリカなどは自由と平等と民主主義を専売特許にしている国であるが、超格差社会であり、都市部にはスラム街ができ、貧困と麻薬と犯罪の病巣である。
 社会保障が充実している北欧はいくぶんは丸山真男が想い描く理想社会に近いのかもしれないが、それでもほど遠い。本家本元のヨーロッパの国々はどうか。安倍晋三の独裁を許している日本ほどではないとしても、どんどんと劣化していっているのが現実だろう。
 こうしてみてくると、問題の本質は西欧的近代主義そのものにあると考えるのが妥当ではないだろうか。
 いくら民主主義と自由主義と平等主義を唱えても、社会はそうしたものとは無縁の方向へと流れていっているのである。民主主義と自由主義と平等主義の徹底化が足りないからだという論理はもう成り立たない。西欧近代主義の民主主義と自由主義と平等主義に問題があるのではないか、と考える方が自然だろう。
 西欧近代主義は国民国家を生み出した。そして、同時にナショナリズムをも生み出している。
 考えてみれば、国家主義(=ナショナリズム)と民主主義と自由主義と平等主義とは兄妹なのである。右に行けば国家主義があり、左に行くに従って民主主義と自由主義と平等主義の色彩が濃くなり、更に左に行くと社会主義になる。
 では、右の突き当たりまで行くとどうなるか。安倍晋三や櫻井よしこが足を突っ込んでいる超国家主義でありファシズムである。左の突き当たりに行くとどうなるか。極左暴力主義になるのだろうが、北一輝が画策した国家社会主義とはどう解釈すればいいのだろうか。一種のファシズムであるのだろうが、国家主義と社会主義とが合体しているのである。北一輝は国家神道における神である天皇を逆手にとって、天皇の下での平等主義を徹底化することを目論んでいる。
 アメリカがイラク戦争を始めたのは、自由と平等と民主主義を守るためである。大量破壊兵器という脅威があり、サダム・フセインという独裁者からイラクの国民を解放し、自由と平等と民主主義の社会を築くための正義の戦争だったのである。アメリカの戦争は自由と平等と民主主義の防衛という名の下に行われているのだが、国内は超格差社会なのであり、自由と平等と民主主義が貫徹した社会からは隔絶している。
 アメリカのいう自由と平等と民主主義を信じられるだろうか。
 日本に迫っているTPPも自由と平等と民主主義的な市場を求めたものである。安倍晋三までがアメリカを真似て、自由と平等と民主主義を唱えながら独断的政治を正当化している始末である。
 わたしが何を言いたいのか。
 西欧近代主義という土台としての価値観を共有している限り、民主主義と自由主義と平等主義は、国家主義と背中合わせにならざるを得ないということである。そして、丸山真男が想い描く理想社会の核となる良質な市民の形成を阻害する方向に、土台としての価値観が歩んでいるとすれば、自由主義と平等主義と民主主義は劣化の一途を辿るだろう。
 わたしは民主主義と自由主義と平等主義を否定するのではない。わたし自身が自由を誰よりも愛しているからだ。わたしがいうのは、西欧近代主義という土台としての価値観の上にある民主主義と自由主義と平等主義には限界があり、このまま行けば劣化するだけであり、国家主義に足下をすくわれると考えているのである。

 前述したように、新自由主義は市場原理主義であり、市場の意志を神と仰いで絶対化するものである。市場のなかの競争で生き残るとは神によって選ばれた勝者であることを意味する。競争に生き残るためには手段は問われない。勝った者が正義なのだ。弱肉強食の世界であり、倫理なきニヒリズムの世界であり、正しく勝つか負けるかの戦場の論理が支配する世界である。
 現代社会における資本の意志は、この市場でいかに勝つかを仕事を通じて日常的に強要するものなのだろう。企業倫理などというものはない。金融商品などはほとんど詐欺に等しいものだろう。発想方法は勝つか負けるか、敵か味方かの単純な二分法になり、人としての倫理観が麻痺されていく。子どものいじめが問題になっているが、社会の敵か友かの二分法的論理の反映だろう。
 現代社会は人と自然との繋がりはない。人と人との結びつきばかりか、家族の絆さえも失われている。一人一人がバラバラに引き裂かれて、自我という牢獄に幽閉されているのだろう。
 しかし、この自我とは言葉の厳密な意味での自我なのだろうか。自我さえも解体されてしまった社会なのではないだろうか。現代社会における自我とは、単なる欲望の寄せ木細工なのだと思える。欲望を作り出しているのは、一方的に押し寄せてくる情報であり、その情報を作り出しているのは資本の意志の奴隷と化したマスメディアである。
 情報によって操られた欲望の塊が自我であり、その自我の発想方法が単純化された二分法になっている社会に、良質な民主主義と自由主義と平等主義を求める方が愚かだろう。人と人との絆を失い、家族の絆さえ破壊されてバラバラに解体された寂しい自我の心だから、簡単な情報操作によって、幻想としての絆を求めて、国家へと引き寄せられていくのは容易だ。ナショナリズムへと吸引されるのであるが、敵か友かの二分法的発想がナショナリズムを、より熱狂的で排他的なものへと変質させることが容易に想像できる。
 が、国家とは確固とした実体としてあるものではなく、空中楼閣のようなものでしかない。その国家に幻想でしかない絆を求めるとしたら、それは自己愛の投影にすぎないのではないだろうか。自己愛といっても、資本の意志によって操られた単なる欲望の寄せ木細工だとしたら、これほど悲惨な社会はないだろう。
 驚愕すべき事件が日常茶飯事に起こり、事件に内在するはずの理由と動機を求めることさえもが無意味となってしまった観がある。理由と動機を見つけ出そうと、事件を起こした主体である犯罪者の心を解剖して、心理学的に分析することに、わたしには意味を見出せないのだ。ラッキョウの皮を剥いでいって芯を見つけ出す行為と同じでしかないと思えるからだ。芯など元々ないのではないか。
 ではラッキョウの皮の一枚一枚とは何なのだろうか。欲望なのではないのか。その欲望を作り出しているのは現代社会である。そして、欲望に理由も動機もあろうはずはない。脈絡のない欲望の寄せ集めとしての自我でしかないのに、理由と動機を探し出そうとすることは愚かな行為でしかない。理由も動機もない凶悪犯罪を日常的に生み出しているのが現代社会なのである。何が起ころうがもう誰も驚きさえしない。何でもありの社会なのである。理由と動機を探ろうとするならば、現代社会という病をこそ突き詰めるべきなのだろう。
 排外的で偏狭的なナショナリズムは自己愛の投影だといったが、極論すれば欲望の投影なのかもしれない。そしてその欲望とは、現代社会が作り出したものでもある。
 現代社会における生とは何とみすぼらしいものなのだろうか。そして、性とは単なる商品としての欲望にまで貶められている社会である。生と性とがみすぼらしい社会に未来があろうはずはないのである。
 単なる商品としての欲望を消費するための生と性に、生きる歓びがあろうはずはない。生と性が欲望を消費するためのものに成り果て、自分という命を燃焼させる生と性ではないからだ。生と性までが、資本の意志によって商品化させられている社会が現代なのである。長時間労働とは正しく生の商品化であり、生と性とが経済成長のための商品としてシステム化された社会なのである。
 何処に生き甲斐があるのだろうか。何処に生きる意味があるのだろうか。商品としてのセックスに意味があるのだろうか。歓びがあるのだろうか。
「イスラム国」へと引き寄せられていく若者の心の風景は、草木の一本もない殺伐とした砂漠なのかもしれない。その砂漠をニヒリズムの風が吹いているのだろうか。

 土台としての価値観の上に、折り重なるようにして落葉という一枚一枚の価値があるといったが、土台としての価値観が変わったが、変わる以前の落葉がまだ消え去らずに残っていたとしたらどうなるだろうか。価値観の摩擦と軋轢が生じるのではないだろうか。イスラーム主義とはそうしたものだと思う。
 土台としての価値観である西欧近代主義に対する落葉としての価値観の抵抗運動であり、土台としての価値観をくつがえそうという運動なのだろう。
 西欧近代主義における政治は政教分離が原則である。経済においても同様だろう。世俗化が基本の社会であり、宗教は個人の心の領域へと追いやられてしまった社会である。その個人の心の領域でさえも、西欧近代主義が土台としての価値観として息づく社会では、宗教は無意味になり、「神は死んだ」と宣告されたのである。既述したように、理性こそが神なのである。黒々としたニヒリズムに覆われた社会が現代なのである。
 イスラームという宗教を生きるムスリムの社会だからこそ、土台としての西欧近代主義に宿るニヒリズムの影に気づいたのだろう。そして、ニヒリズムに毒され切った社会に未来を見出せなかったのだろう。イスラーム主義が、世俗化ではなく、政治と経済にイスラームという宗教的倫理観を求めている所以である。
 イスラーム主義の問題定義は重要である。が、わたしは可能性としては否定的だ。一神教であるだけに、民主主義と自由主義と本質的に反目するものと捉えているからだ。
 わたしもイスラーム主義と同じように、世俗化ではない倫理性の復活を考えている。わたしの提唱する『里山主義』とは倫理性を重視したものである。そしてその倫理性とは、民主主義と自由主義と平等主義と共存できるばかりか、西欧近代主義における民主主義と自由主義と平等主義の限界を超えさせてくれる倫理と位置づけている。


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「政治にたずさわる者に高い倫理性を求める考え方も、市民の側に公共性という倫理を求める見解も、どちらも幻の論理でしかないと考えている。紙の上に書かれた論理としては、そのどちらもうまくいく。しかし、いま私たちが問わなければいけないのは、そういうことではないような気がする。私たちがまきこまれているのは、一人ひとりは結構誠実に日々を生きているのに、たえず腐敗し、たえず堕落する政治の世界が生まれつづけるという社会である。政治にたずさわる者の側であれ、市民の側であれ、公共性や倫理観をもつ個人の確立によっては、この現実はくい止めることができないという今日の姿である。なぜこうなってしまうのか。そこに今日の国民国家や人間社会の問題点がひそんでいるのではないか。問われるべきはそちらの方だ、という気が私にはする」と思想家であり哲学者である内山節が『戦争という仕事』(信濃毎日新聞社)で書いているが、深い洞察だと思う。
 安倍晋三を初めとする自民党と公明党の政治家としての姿勢と、人としての心のあり方を観ると、「政治にたずさわる者に高い倫理性を求め」たり、その政治家を選んだ「市民の側に公共性という倫理を求め」ても問題の核心には永遠に迫ることはできず、上っ面をなぞっているだけのような思いがしてならない。内山節がいうように、「今日の国民国家や人間社会の問題点がひそんでいる」と捉えるべきだと思うのだ。
 こうした傾向は日本に限ったことではない。アメリカ社会は顕著であり、ニヒリズムそのものを体現した、新自由主義の病に感染した経済至上主義の社会の問題だと思っている。
 しかし、ブログで何度となく書いてきたが、新自由主義が諸悪の根源であるのではない。西欧近代主義が指し示す方向へと歩んできた社会の必然性ではないのだろうか。つまり、西欧近代主義の末期的症状が噴出したのが、現代社会なのであり、その病を写して見せてくれているのが新自由主義という鏡であり、病に取り憑かれている代表的政治家の一人が、醜悪な心を持つ安倍晋三なのである。
 昨日のブログでエセ保守主義について、歴史認識における個別性と普遍性と、空間性と時間性から書いた。
 今日は、良質な西欧近代主義を体現したリベラリストである丸山真男と、保守主義の発想を柳田国男に代表させて対比的にみることで、言葉の厳密な意味での保守主義の発想の核を述べてみたい。
 面白いことに、丸山真男が否定する日本の近代化における「歪み」が、柳田国男にとっては「歪み」ではなくかけがえのない価値になるという側面である。
 そして合わせて、丸山真男が理想とした良質な西欧近代主義の精神そのものである、自由主義と民主主義がどうして社会に根付くことがなく、世界規模で非倫理的な弱肉強食の社会ダーウィニズムとニヒリズムが社会を覆っているのか、宗教的な側面も含めて眺めてみたい。
 以下の文章は、Kindle版電子書籍として出版している『風となれ、里山主義』からの抜粋である。表紙の水彩画を描くことに疲れてしまい、連載している小説『三月十一日の心』と思想的エッセイ(?)『三月十一日の心と沖縄の心』が疎かになってしまっているからである(笑)。

 鶴見和子は柳田国男の民俗学を社会変動論として捉え、「柳田の社会変動論は、日本社会に固有のものと柳田が考えた特徴に準じてあみ出された。それは近代と前近代のあいだに切れ目をもたない社会である。現代社会の中に、原始も古代も中世も近代も、入れ込み細工のようにごたごたと混在する社会である。同様にひとりの人間の内部に、原始人や古代人が、近代人とともに同居している。そのような社会では、外に出なくとも、この社会の内部で、もっとも古い人間関係のあり方から、もっとも新しいものまで、その間の微妙な推移を丹念にたどることができる(『文芸読本柳田国男』河出書房新社、「国際比較における個別性と普遍性」)と論じているが、丸山真男は「現代社会の中に、原始も古代も中世も近代も、入れ込み細工のようにごたごたと混在する社会」のあり方と、「ひとりの人間の内部に、原始人や古代人が、近代人とともに同居している」ことが、日本の近代社会、そして日本の現代社会にどういう歪みをもたらし、またその歪みが日本という国の歩みにどういう影響をもたらしたのかという問題意識で、日本政治思想史を題材にして、縦横無尽に断罪したのだと思う。
 鶴見和子は柳田国男の民俗学を社会変動論としてみているが、わたしは違うと考えている。
 鶴見は柳田の民俗学の方法論における個別性を、普遍性に向かって進化していく社会の発展モデルとしての可能性をみているのだ。西欧近代化にも地域性(空間性)と個別性がある。新大陸に移住して純粋な近代主義の理念を掲げて建国したアメリカのように、国家としての伝統と文化と歴史がない国とは違って、伝統や文化を引き摺っているのだから、違った近代化の姿があって当然だ、という考え方なのである。そして鶴見は、柳田の民俗学によって明らかになった伝統と文化の引き摺り方を一つのモデルにして、日本と同じような伝統と文化を持った国の近代化を解明しようという学問的方法論の可能性を探っているのだ。したがって、日本の他にいくつかの基本モデルが必要となるわけである。が、忘れてはならないのは、鶴見の学問的方法論の核としてあるのは、最終目標となる西欧的な近代社会の姿である。その社会に向かって進んでいく型(モデル)を作って、発展過程を国際比較論的に見ていくという発想なのである。
 鶴見と丸山とは視点が違っている。どこが違うのかというと、鶴見が語ってくれている。「これまでは、近代化の国際比較の理論は、西欧社会の近代化のプロセスにもとづいて構築された。西欧社会の近代化の過程でおこったことは、多かれ少なかれ、かならずアジアでもアフリカでもラテン・アメリカでもおこるであろうという想定のもとに作られた理論である。それは西欧が近代の社会変動における普遍型であるという考えにもとづいている。(中略)人類社会の立場からみれば個別的なものを、人類社会にとってあたかも普遍的なものであるかのように仮構することによって、国際比較の理論は、成立したのである。もしも、普遍があくまでも仮構であることをそれを作った人たちも、またそれを使う人たちも、はっきり心にとどめておいたのならば、今さら問題にする必要などはなかったはずだ。ところが近代化の過程で、イギリスやアメリカで起こったことが日本で起こらなかったり、イギリスやアメリカで起こらなかったことが日本で起こったりすると、それが日本の近代化の『歪み』だとか『ひずみ』だとかいわれる。このような考え方は西欧が、唯一の、正しいものさしだという信仰から発したものである」というのが、鶴見と丸山の学問的な視点の違いなのである。
 丸山の理論は「近代化の国際比較の理論」ではないし、「西欧が近代の社会変動における普遍型」と捉えて「日本の近代化の『歪み』だとか『ひずみ』だとか」の要因を解明しようとしたのではない。しかし、「普遍性としてのあるべき西欧近代化の姿」を価値基準に据えていることは確かだ。丸山は日本という個別的な近代化の歪みを問題として、その歪みを作り出している要因を解明することによって、政治的な能動性によって、取り去ろうという意志をもっているのに対して、鶴見はその歪みはあるがままに、個別的な発展過程として受動的に見ているという点であろうか。
 鶴見には歪みが正常な近代化を疎外する問題性としてあるのではなく、近代化への発展モデルとしてみた特徴でしかないのだ。個別性を持った近代化を発展モデルとし、モデルを通して比較発展的にみていくことで、近代化そのものの普遍性を探ろうという意図なのだろう。丸山が普遍性から個別性を探ったのに対し、鶴見は個別性から普遍性を探ったといえるのかもしれない。
 丸山は正真正銘の、そして超一流の西欧型リベラリストである。思索的な方法も、西欧的である。それは丸山が否定している、自分の内なる「日本的なるもの」と冷徹に対峙し、戒めていたから可能だったのだろう。もちろん、丸山自身の西欧的な資質にもよるところが大きいと思う。
  丸山真男は西欧的リベラリズムと民主主義への絶対的な信仰があったように思える。西欧的な理性への信奉もあったはずだ。そういう面では、良い意味での理想主義的な色彩を持っていたように思える。『現実主義の陥穽』(『現代政治の思想と行動』未来社)で書いているが、理想なくしては自分の歩いている方向と、現時点の位置が見えてはこないからだ。理想とはあるべき普遍的な価値尺度としての西欧的なリベラリズムと民主主義を体現した社会の姿なのだろう。丸山の意識の基底部に流れているものは西欧的な歴史観であり、「理想の社会」へと発展していくことを前提としているのだから「進歩史観」であることは間違いないが、鶴見にしても、個別的な発展過程を認めつつも、近代社会へと収斂する形で個別的に発展していくという考え方が根底にあるので、「進歩史観」であることには変わりはないと思う。
 一方の柳田の民俗学であるが、「現代社会の中に、原始も古代も中世も近代も、入れ込み細工のようにごたごたと混在する社会」を、鶴見のように発展過程という視点から混在とは捉えずに、日本人の中に古代から現代まで変わらずにあり続ける核として捉え、その核に拘り、その核を解明しようとしたのだと思う。そして、その古層的な核に愛着をもちながら、ある種の可能性をみていたのだろう。あるべき西欧近代化の姿を価値基準としてはみていなかったはずだ。わたしの主張する「里山主義」とは、柳田の視点に通じている。
 では、丸山真男の「進歩史観」を詳しくみていこう。
 わたしは丸山の問題意識の根幹にあるものを、「日本の思想」(岩波新書)の次の箇所にみている。
「日本思想論や日本精神論が江戸時代の国学から今日まであらゆるヴァリエーションで現れたにもかかわらず、日本思想史の包括的な研究が日本史いな日本文化史の研究とくらべてさえ、いちじるしく貧弱であるという、まさにそのことに日本の『思想』が歴史的に占めて来た地位とあり方が象徴されているように思われる。(中略)
  同時代の他の諸観念とどんな構造関連をもち、それが次の時代にどう内的に変容してゆくかという問題になると、ますますはっきりしなくなる。また学者や思想家のヨリ理性的に自覚された思想を対象としても、同じ学派、同じ宗教といったワクのなかでの対話はあるが、ちがった立場が共通の知性の上に対決し、その対決のなかから新たな発展をうみ出してゆくといった例はむろんないわけではないが、少なくもそれが通常だとはどう見てもいえない。(中略)つまりこれはあらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関連性を与え、すべての思想的立場がそれとの関連で―否定を通じてでも―自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった」という中の、「自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった」という指摘である。
 これは何を意味しているかというと、長くなるが『日本の思想』から当該する箇所を抜粋してみよう。

「私達はヨーロッパにおけるキリスト教のような意味での伝統を今から大急ぎで持とうとしても無理だし、したがって、その伝統との対決(ただ反対という意味ではない)を通じて形成されたヨーロッパ的近代の跡を―たとえ土台をきりはなして近代思想に限定しても―追えるものでもないのも分りきった事だ。問題はどこまでも超近代と前近代とが独特に結合している日本の『近代』の性格を私達自身が知ることにある。ヨーロッパとの対比はその限りでやはり意味があるだろう。対象化して認識することが傍観だとか悪口だとかほめるとかけねすとかいったもっぱら情緒的反応や感覚的嗜好の問題に解消してうけとられている間は、私達の位置から本当に出発することはできない。日本の『近代』のユニークな性格を構造的にとらえる努力―思想の領域でいうと、色々な『思想』が歴史的に構造化されないようなそういう『構造』の把握ということになるが―がもっと押しすすめられないかぎり、近代化した、いや前近代だといった二者択一的規定がかわるがわる『反動』をよびおこすだけになってしまう。(中略)
  思想が蓄積され構造化されることを妨げて来た諸契機があるとするならば、そういう契機を片端から問題にしてゆくことを通じて、必ずしも究極の原因まで遡らなくとも、すこしでも現在の地点から進む途がひらけるのではなかろうか」

「自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統」が、「ヨーロッパにおけるキリスト教のような意味での伝統」だということがわかると思う。そして、丸山は「キリスト教のような意味での伝統」の不在が、日本における「思想が蓄積され構造化されることを妨げて来た諸契機」に他ならないとしているのである。
 引用した文中には、丸山における日本政治思想史の方法論とその目的が、具体的に示されているといっていいだろう。
 要約すると、「思想が蓄積され構造化されることを妨げて来た諸契機があるとするならば、そういう契機を片端から問題にしてゆく」ことが方法論であり、その目的は、「どこまでも超近代と前近代とが独特に結合している日本の『近代』の性格を私達自身が知ること」であって、更に「すこしでも現在の地点から進む途」をひらくことにある、となるのだろうか。「進む途」とは丸山の目指す地点であり、「理想の社会」と言い換えることも可能だろう。西欧近代化を徹底化させ、「色々な『思想』が歴史的に構造化されないようなそういう『構造』の把握」を行うことで、前近代的な要素を批判克服することが、丸山の思い描く「理想の社会」への途であるといえるのかもしれない。
 丸山の弟子である松本三之介が、丸山の国学研究への方向性について、「国学の歴史的意義にかんするすぐれた研究は、ほとんど日本の過去の思想から何らかの近代的な、或いはそれへの萌芽をさぐろうとする意図」(『国学政治思想の研究』未来社)があると批判的に指摘しているが、丸山の学問的な姿勢を的確に言い当てていると思う。普遍性としての西欧的近代のものさしで、日本の個別性を裁断するという側面が色濃く反映され、西欧的近代の要素については評価するが、それ以外は負としての「歪み」とばっさりと切り捨ててしまう弊害を突いているのである。
 ここでもう一度、柳田国男と丸山真男を対比して見ると、西欧的近代化における日本的な「歪み」を丸山は否定しているのに対して、柳田は西欧近代化とは別な意味での可能性を「歪み」にみているように、わたしは思えるのだ。もっと極端にいえば、丸山が西欧的な「合理的思考」、言い換えればその源である大脳の新皮質を信頼しているのに対し、柳田は日本的な感情(心といってもいい)、つまりは大脳における旧皮質と古皮質へと引き寄せられている、といえないだろうか。
 そして更に飛躍して、丸山が「自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統」といっているキリスト教と、多神教との対比を重ね合わせて考えたらどうなるか、という誘惑に、わたしは駆られるのである。

 橋爪大三郎は『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)で、「一神教は、たった一人しかいない神(God)を基準(ものさし)にして、その神の視点から、この世界を視るということなんです。たった一人しかいない神を、人間の視点で見上げるだけじゃダメ。それだと一神教の半分にしかならない。残りの半分は、神から視たらどう視えるかを考えて、それを自分の視点にすることなんです。
 多神教は、神から視るなんてことはどうでもいい。あくまでも人間中心なんです。人間中心か、神中心か。これが、一神教かどうかの決定的な分かれ目になります」といっているが、これは大いなる誤謬だと思う。但し誤謬というには、橋爪がみている多神教を二つに分ける必要がある。狩猟採集社会から農耕牧畜社会へと移行する境で、多神教の姿が変わってくると考えるからである。
「御利益宗教」の一つだった古代ユダヤ教が、普遍的な一神教になるまでの過程を加藤隆が『一神教の誕生』(講談社現代新書)で考察しているが、古代ユダヤ教は多神教における神々の一つに過ぎなかったのである。どういう多神教なのかというと、神からの御利益を期待するから神を崇めるという、人と神との基本的な関係があり、御利益がなかったらあっさりと神を捨て去って、別の神を崇めるという、それこそ橋爪のいうように人間本意であり、いわば神とは人間の奴隷のようなものでしかないのだ。また部族単位で崇める神をもっていたりもしたので、部族が戦争で敗れて消滅すれば、神もまた消えてなくなるというようなものでしかなかったのである。イスラエルの民が戦争の神として崇めたのが、ヤハウェ(ヤーヴェ)だったということになる。
 このイスラエルの民が崇めるヤハウェが一神教の神として君臨するには紆余曲折があり、神と人との御利益的な契約関係が解消し、神と人との間には御利益が介在し得ない溝ができ、神と人との関係性はなくなり、一方的に人は神を崇めるということになるのだが、この過程には罪という概念の成立が大きく関わっていたようである。詳しくは『一神教の誕生』を読んでいただきたい。ただ一ついえることは、一神教の誕生には人の思索が、つまり「合理的思考」なくしてはあり得なかったということは間違いないようだ。罪の概念は、正しく「合理的思考」そのものだろう。
 こうしてみてくると、御利益宗教である多神教も、一神教もすぐれて人間的なものであり、人間中心主義だといえると思う。違いは橋爪の指摘するように、視点が人だけのものか、神からの視点が加味されるかだが、それにしても神の視点を可能とするのは「合理的思考」あってのことだろう。誤解を恐れずにいえば、一神教とは「合理的思考」そのものだといえないであろうか。したがって、一神教の誕生とは、「合理的思考」の未来を暗示するものであり、デカルトが神を脇においたとたんに、自然科学が驚くほどの速さで花開くのである。
 橋爪は、「一神教は、この世界のすべての出来事の背景に、唯一の原因がある。それも、人間のように人格をもつ、究極の原因=Godがある、と考える。背後に、責任者がいるんです。(中略)その責任者(Godですね)は、意思があり、感情があり、理性があり、記憶がある。そして大事なことですが、言葉を用いる。要するに、人間の精神活動と瓜二つなのです」(『ふしぎなキリスト教』)といっているが、わたしには神とは「合理的思考」そのものに思えてならない。
 加藤隆は『一神教の誕生』の中で、「真・善・美」を上げて一神教と関連づけているが、興味深い指摘である。一神教の成立には「罪」の概念が関わっており、「罪」の対立概念が「義」だとすると、一神教における「義」とは「神の前で正しい」ことを意味する。したがって、「ユダヤ教の課題は、神の前での義をどのように実現するかに尽きる」ということになるのだが、「善」が「義」に、「悪」が「罪」に対応することを考えると、「善」によって、真(科学)と美(芸術)とが疎外される傾向があったのではないか、と加藤は指摘しているのである。
 わたし流にいえば、一神教の神とは「合理的思考」によって誕生したとするならば、神の名において、神をないがしろにして、「合理的思考」が暴走しないように、鎖で縛り付けておいた状態となろうか。
 デカルトがこの鎖を解いて、神の存在はそのままにして脇に追いやり、「合理的思考」を開放してやったのだろう。そして、神の本質が「合理的思考」にあることを見抜いたニーチェは、脇に追いやって保留にしていた神に、とどめを刺して死を宣告したのであろう。
 マルキズムは一神教の本質を赤裸々にしてみせてくれている。
 神とは「合理的思考」なのだから、歴史的必然性を神に置き換えても、本質的には何ら問題にはならないはずだ。「神は死んだ」のではなく、神という名の代わりに、「歴史的必然性=弁証法」という名をつけたのである。したがって、政治倫理とは歴史的必然性を崇めて、ひたすら「歴史的必然性」に向かって邁進することなのだ。それが「善」であり、神である「歴史的必然性」の前で正しいことになるのである。マルキズムが信仰といわれる所以であろう。
 一神教であり、普遍宗教であるはずのユダヤ教は、イスラエルの民のための宗教であった名残を強くとどめている。イスラエルの民とそれ以外の民との差別化がなされている(キリスト教がユダヤ教から分かれたのは、この差別化を否定し、より徹底した普遍性をもとめた結果だ)。
 マルクスがユダヤ人だということはさておいて、マルキズムの世界観とユダヤ教の世界観との類似性を指摘されたりしているが、プロレタリアートとそれ以外の階級とを分けて敵対させる発想には奇妙な共通性がある。しかし、マルキズムに限らず西欧における近代主義思想には、普遍的な世界観と「進歩的歴史観」が色濃く影を落としており、それはキリスト教の世界観に通じているように思う。キリスト教の世界観の土壌に芽を出して、花を咲かせたからだろう。「新自由主義」における「市場原理」も、神の死の宣告の後で、それまでの神に代わって新たに神になったものだろう。マルキズムの「歴史的必然性」が「市場原理」に置き換わったのである。
 多神教に話しを戻すが、狩猟採集社会における多神教と、農耕牧畜社会における多神教とを分けたのには大きな違いがあるからだ。見てきたように、御利益宗教である多神教と一神教とは、人間中心的なもので、またどちらも「合理的思考」の産物であるということがいえると思う。
 早い話が一神教とは、唯一にして絶対の神が森羅万象の創造主であるのだから、その神によって創造された人が、神の存在に気づいていない方が不思議であり、許されるべきことではないはずなのだが、人は伝道者によって初めて一神教の神というものが存在することを認識するのである。伝道がなかったら、生涯神の存在に気づかぬままだろう。つまり、神の存在とは認識なのである。そして、信じるか、信じないかの二者択一なのだ。これだけをとってみても、初めに神があったのではなく、認識と信じることがあって神の存在があるということになるのではないだろうか。神とは「合理的思考」の産物だというのは、こうした意味である。
 狩猟採集社会の神々だが、これは認識ではない。感覚によって感じ取るものである。言挙げしないとは、言葉にできなのであり、言葉にした時点であやふやに霧消してしまうものだからだ。御利益宗教の多神教と一神教が「合理的思考」を司る大脳の新皮質の産物とするならば、狩猟採集社会の神々は、大脳の旧皮質と古皮質が強く関わっているのだろう。しかし、だからといって生物社会における旧皮質と古皮質が産み出したものだとは、わたしは捉えてはいない。この件に関しては、縄文文化を語るときに、改めて考えを展開したい。
「神が死んだ」とは、二つの意味があると思う。
 マルキズムと新自由主義においては、神は完全には死んではいないのだ。それ以前の偽りの神の仮面をとって、本来の神の素顔をみせたという意味である。素顔の神は、「歴史的必然性」であり、「市場原理」なのである。
 もう一つの意味は、言葉の厳密な意味で、それまで西欧社会の思想的土壌であり、価値基準であり、世界観の源であった「神が死んだ」という意味である。
 先ほどの「真・善・美」を思い起こしてほしい。一神教は「善」の領域のすべてを支配していたのだが、それは倫理面を支配していたということでもある。「神が死んだ」とはこの倫理性も死んだということになろう。
 一つ目の意味の場合をみたときに、この倫理性を踏まえて考えると、マルキズムと新自由主義とでは違うように思える。マルキズムとは経済思想であり、政治思想であり、何よりも哲学だった。したがって、「歴史的必然性」を神に置き換えても、マルキズムとしての倫理性はあったと思う。当然にホンネとタテマエの使い分けがあったり、倫理性を政治的な権力闘争にすり替えたりという腐敗はあったとしても、初期においては強く倫理性があったと思う。
 それに対して新自由主義であるが、こちらは単なる経済思想でしかなく、その上に「市場原理」を神と崇めているのだが、この新自由主義に倫理性を求めるとすれば、「神が死ぬ」前のキリスト教的な倫理性になるのだと思う。「神が死んで」その倫理性もまた死んだのだから、新自由主義には倫理性はないといえるだろう。「市場原理」という神は、倫理性のない神なのだ。神であるのに、ニヒリズムそのものである貌をもつ化け物だといえるのかもしれない。利潤追求するためなら、何をやっても構わない。「市場原理」という神こそがその善悪を裁いてくれる。あらゆる規制とは悪である。なぜならば、「市場原理」という神に代わって、勝手に人が作ったものだからだ。規制など取り払って、全く人間の手を加えることなく自由に放置していれば、「市場原理」という神は、神の前に正しくない罪を犯した企業には死を与え、正しい企業にはさらなる繁栄をもたらす、という信仰なのである。手段を選ばず富を集中していく企業に、神の裁きの正当性を与えることになる。
 マルキズム自体はその役割を終えた観があるが、新自由主義はマルキズムに代わって、その一神教を全世界に伝道し、洗脳し、思い描く理想の世界へ向かって驀進中なのである。その先頭に立っているのはアメリカである。二つ目の場合は、言葉の厳密な意味で「神は死んだ」のだから、それまでの価値観から世界観までが、瓦解したといえるのだろう。ポストモダニズムの思想とは、それまでの価値観と世界観の否定であり、瓦解を招いた元凶であるに違いない。が、新たな価値観と世界観は未だに産み出すことはできないで、深いニヒリズムを背負いながら西欧社会という実存を生きているのだろうか。
 そうした実存にはお構いなく、「真・善・美」の「真」である自然科学は、ニヒリズムをものともせずに、経済的な資本という力としての意志が指し示した方向に突き進んでいるのだ。「神は死んだ」のだから、倫理性などはない。真理の前には倫理性など邪魔でしかないと信じられているが、既述したように自然科学的「真理」とは、方向性の中での限定的な「真理」でしかないのだろう。その方向性が人類と地球の破滅を導くものであっても、果たして「真理」といえるのだろうか。
 丸山真男が絶対的な信頼を寄せた西欧的リベラリズムと民主主義は、「神が死んで」その土台である価値観と世界観とが瓦解し、そればかりか倫理性までも失った現在にあっても、果たして信頼にたるものなのだろうか。わたしは大いに疑問である。西欧的な自我は自然と決別し、人と人との結びつきと絆とを断ち切って、ばらばらにアトム化している。その上に倫理性をも失った状態であり、洪水となって押し寄せてくる欲望としての情報に操られているとしたら、西欧的な自我はどこへ向かうというのだろうか。それでも「合理的思考」にすべてを委ねようとするのだろうか。わたしには「合理的思考」そのものでは、破滅へと突き進むことを防ぐ力とはなり得ないと思っている。破滅へと向かう方向性にあれば、「合理的思考」自身が破滅へと進む道を選んでしまうからだ。問題は、「合理的思考」の方向性だと思っているのである。
 丸山真男が「自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統」といった西欧的な価値観と世界観が否定され、瓦解しようとしている現代にあって、西欧社会自体が座標軸を失って彷徨い歩いているのではないだろうか。

 丸山を語る最後に、丸山の「進歩史観」が端的に表現されている文章を抜粋してみたい。これも『日本の思想』の中で論じられているものだ。
 
「儒教や仏教、それらと『習合』して発達した神道や、あるいは江戸時代の国学などが伝統思想と呼ばれて、明治以後におびただしく流入したヨーロッパ思想と対比される。この二つのジャンルを区別すること自体は間違いではないし、意味もある。けれども、伝統と非伝統というカテゴリーで両者をわかつのは重大な誤解に導くおそれがある。外来思想を摂取し、それがいろいろな形で私達の生活様式や意識のなかにとりこまれ、文化に消しがたい刻印を押したという点では、ヨーロッパ産の思想もすでに『伝統化』している。(中略)
  私達の思考や発想の様式をいろいろな要素に分解し、それぞれの系譜を遡るならば、仏教的なもの、儒教的なもの、シャーマニズム的なもの、西欧的なもの-要するに私達の歴史にその足跡を印したあらゆる思想の断片に行き当たるであろう。問題はそれらがみな雑然と同居し、相互の論理的な関係と占めるべき位置とが一向判然としていないところにある。そうした基本的な在り方の点では、いわゆる『伝統』思想も明治以後のヨーロッパ思想も、本質的なちがいは見出されない。近代日本が維新前までの思想的遺産をすてて『欧化』したことが繰り返し慨嘆される(そういう慨嘆もまた明治以後今日までステロタイプ化している)けれども、もし何百年の背景をもつ『伝統』思想が本当に遺産として伝統化していたならば、そのようにたわいもなく『欧化』の怒涛に呑みこまれることがどうして起こりえたであろう。(中略)伝統思想が維新後いよいよ断片的性格をつよめ、諸々の新しい思想を内面から整序し、あるいは異質的な思想と断乎として対決するような原理として機能しなかったこと、まさにそこに、個々の思想内容とその占める地位の巨大な差異にもかかわらず、思想の摂取や外見的対決の仕方において『前近代』と『近代』とがかえって連続する結果がうまれたという点である。(中略)
  過去は自覚的に対象化されて現在のなかに『止揚』されないからこそ、それはいわば背後から現在のなかにすべりこむのである。」

 「過去は自覚的に対象化されて現在のなかに『止揚』されないからこそ、それはいわば背後から現在のなかにすべりこむ」との表現に、丸山の「進歩史観」が凝縮されている、とわたしには思える。
  丸山が思い描いた「理想の社会」へと歩いて行った先には、茫漠とした砂漠の風景しかないのではないかと思えてならない。
  但し、丸山を全否定するつもりはないし、丸山の偉業は変わることなく輝き続けるはずであるし、丸山の政治学者としての良心を賛美することにやぶさかではない。
  例えば丸山が指摘したように、戦前の破滅的な道行は、「『前近代』と『近代』とがかえって連続する結果」であり、「相互の論理的な関係と占めるべき位置とが一向判然としていない」ままに、「歴史にその足跡を印したあらゆる思想」は断片的に雑然として同居しているから、 ある状況によっては、それまで表面には現れていなかった断片としての思想が、再び歴史の表舞台にひょっこりと頭をもたげることが頻繁にあったし、そうした現象が起こる可能性と危険性とを、日本における思想的な非構造性に見て憂慮することも、大切ではあるのだろう。
 新しい思想が、それまでの思想的土壌としての伝統なものと真正面から向き合って対立し、乗り越えて止揚していく精神的な緊張過程(思想的な意味での歴史性と関連性と血肉化)がなく、翻訳的に知識として摂取されたにすぎないから、それ以前の思想と同列のまま雑居している摩訶不思議も問題にされて当然である。
  ごりごりの近代主義思想の信奉者が、衣装を変えるがごとく、易々と日本主義へと回帰していく姿は、丸山の眼力の正当性を証明してもいる。それでも丸山の歩いていた先に、どうしても光を見出し得ないのである。
  日本においても西欧的な意味での近代化は徹底されたはずだ。しかし、丸山の描いた「理想の社会」とはほど遠い現実でしかない。
 「里山主義」とは、世界を覆っているニヒリズムからの脱却を探った先に辿り着いた、わたしの思想である。


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 書きかけの「三月十一日の心と沖縄の心」の中で詳しく書くつもりだが、標題について思いついたことを書き留めて置くことにする。ほとんどは、Kindle版電子書籍として出版している『風となれ、里山主義』からの抜粋である。

「保守主義」とは、言葉の厳密な意味では、「進歩」と対立する概念で、思想的には「保守」になるのだと思っている。そうすると、「進歩史観」と対立する歴史観は「保守的史観」になるのだろうか。「保守主義」とは、言葉の厳密な意味では、西欧近代化が始まったときに、近代主義と対立する形で生まれたものだと、わたしは解釈している。
 西欧近代主義には少なからず「進歩史観」的な要素が色濃く反映している。デカルトが唯一否定することの出来ない「思惟する我」を見出して、理性を絶対化した時点で、「進歩史観」は決定づけられたのだと思う。そして、理性では認識できない神はひとまず脇に置いておいて、地球上の生物の中で、神によって唯一理性を持つことが許された人間を絶対化する人間中心主義が明確な形で、人間の意識と精神とに刻印されたのだと考えている。したがって、近代主義を母胎とした哲学と思想は、悉く人間中心主義で塗り潰されている。
 近代主義の思想が生まれる以前にも、人間中心主義的な側面はあったのだが、宗教的な呪縛からは完全には解き放たれてはいなかったので、人間の上には神という重石が乗っかっていたのである。「思惟する我」さえも超越している絶対的な神を、「思惟する」ことは出来ないはずだなのだが、「思惟する我」もまた否定できないのであれば、とりあえず、この神という重石を否定するのではなく脇に置いておいて、「思惟する我」を、つまりは理性を自由にさせてやろうという発想なのだろう。したがって、理性の投影である科学万能主義もまた芽を出すわけである。
「保守主義」とは、こうした側面をもつ近代主義と対立するものとして生まれたはずなのである。「保守主義」は伝統や文化を重視するものであるだけに、社会構造という土台からドラスチックに変えてしまう近代主義に対立するのは頷けよう。西欧的な意味での「保守主義」とは、近代主義に対立する思想として生まれたものであるということが重要だと思う。だからといって「保守主義」という一つの思想があるのかといえば、近代主義の思想が様々なように、「保守主義」の思想も様々である。要は思想的な分水嶺が、近代化革命にあるということである。
 しかし、この「保守主義」とは国によって恣意的に使われているような印象を、わたしは持っている。特に日本においては、「保守」という言葉が一人歩きを始めて、「保守」という言葉を使う人ごとに意味が違っているという、何とも形容しがたい、糞味噌一緒の状況となってしまっている。自己を正当化したり、または反対に相手を否定するための単なる恣意的な道具としての言葉に堕落してしまった観さえある。
 問題は「保守」という言葉が、近代革命という歴史的な時間を思想的な分水嶺として生まれたものだという認識が欠落して、近代主義の世界観の中にあって、国家主義的な立ち位置にあるか、リベラルな立ち位置にあるかの視点で、「保守」という言葉が使われている現状である。
 いわゆる右翼か左翼かの思想的な対立軸があるが、右翼と似通った意味で「保守」という言葉が使われているようだ。
 この混乱は戦後に、反マルキズムを掲げて「新保守」を名乗った福田恆存のような思想家にも、責任の一端はあるだろう(『近代社会思想史Ⅱ』荒瀬豊「戦後状況の対応」有斐閣)。またマルキズム陣営も、マルキズムに批判的な者を誰彼構わず「保守反動」とレッテル貼りをしたことも、混乱を助長させたように思える。
 マルキズムと資本主義、そしてナショナリズムと近代的自由主義、近代的民主主義もまた近代主義の思想が産み落としたものである。マルキズムと資本主義の対立に、本来であるなら、「保守主義」は無関係であるはずのものである。何故ならば、「保守主義」とはマルキズムとも資本主義とも対立するものだからだ。
 いわゆる右翼と左翼という概念は、近代主義という世界観の中で、右側か左側かの立ち位置の差でしかない。右翼の民族派などの超過激派と、左翼の暴力革命を目指す超過激派とが、思想的には共通性の方が強くなり、同盟を結ぶというような動きまでがあったりしたが、こうした現象は何ら驚くべきことではなく、丸い円周を右に向かって果てしなく歩いて行った者と、左に向かって果てしなく歩いていった者が、円周上のどこかで出逢ったにすぎないのである。世界観を同じくしているとは、そうしたことだ。
 歴史認識として、わたしは「進歩史観」と「非進歩史観」と二つに分けたが、時間性から歴史を捉える見方と、空間性から歴史を捉える見方もあるように思う。『存在と時間』のハイデッガーは歴史としての存在を時間性からみていることになるのだろう。それに対して、『風土』の和辻哲郎は歴史としての存在を空間性からみていることになると思う。
 歴史を時間性として捉える場合、そうした思考の根底に暗黙の裡に普遍性をおいているのではないだろうか。西欧の近代哲学は歴史を時間性から捉えているように思うのだ。これはもしかしたら、一神教的な世界観の影響なのではないだろうか。
 一方の歴史を空間性として捉える思考だが、その基底部には個別性をおいているように思うのである。多神教的な見方といえばいいのだろうか。和辻は『風土』において、個別的な地理的条件の影響を受けて、精神構造や芸術などを含めた文化の形態が形作られることを書いている。
 歴史を空間性で捉えるといっても、当然に歴史には時間性があるのであり、時間の中で移ろいゆくものなのではあるが、それでも変わらずに残り続ける核のようなものを重視する思考なのだろう。
 空間性を無視して、歴史における時間性だけを考えると、精神構造や文化形態は時間の経過によって形作られるのであるから、時間的な速さによって段階的な差異はでてくるが、普遍性があり、精神構造と文化形態は一つに統合されるように進んでいく、ということになるのではないだろうか。
 こうして見てくると、歴史を時間性で捉える見方は、「進歩史観」に通じていよう。これに反して、歴史を空間性において捉える見方は、「非進歩史観」と通じているといえるのではないだろうか。
 人文科学においては特に、普遍性と個別性、そして時間性と空間性という視点は、研究者の方法論と学問的姿勢を決定づける重要な要素のように、わたしには思われる。 
 本居宣長を筆頭とする国学などは、個別性と空間性にどこまでも固執した極端な例だと思う。個別的、かつ空間的な「大和心」を求めて、歴史を遡って研究したのであるが、行き着いた先は『古事記』の世界だっということなのだろう。文献学的な方法論であったので、日本最古の史記である『古事記』と『日本書紀』に辿り着いたのは当然なのだろうが、その『古事記』に描かれた神代記に、純粋な「大和心」という個別性と空間性を見つけ出し、果てはそれを絶対化するという離れ業までやってのけたのである。
 柳田国男が産み落とした民俗学は、国学に通じた発想から生まれたものであり、日本人の心の核となっている古層を探り出そうとする学問なのだろう。国学自体に既に民俗学的な要素はあったのだが、明確な方法論として確立したのは、柳田の鬼才によるところが大きいのであろう。重要なのは、国学が文献学を基本として歴史を遡ったのに対し、民俗学は、文献学的な側面よりも、民衆の慣習や風俗、四季折々の行事や祭り、そして神話や昔話や言い伝え、呪術や土俗宗教を訪ね歩くフィールドワークを重視したのであり、それは民衆の暮らしに歴史的な時間を超えて息づいている、日本人の心と文化との古層を探り当てるという方法論だと思う。
 柳田は日本人の心と文化の古層をなすものを、弥生文化に結びつけているが、この点においては『古事記』に「大和心」の原点をみていた国学と通じている。学問的な矜恃と自制が働いたのだろうか、柳田は『古事記』の神代記を絶対化はいてはいないが、『古事記』の呪縛からは解放はされていなかったと、わたしは考えている。
 この『古事記』の呪縛を、わたしは柳田民俗学の限界とみているが、この点に関しては梅原猛が『アイヌ学の夜明け』(梅原猛・藤村久和編―小学館)で、明確に指摘している。この柳田民俗学の限界は、わたしが提唱する「里山主義」を語る上で重要な、「思想的分水嶺」と関わるものなので、長くなるが梅原の指摘を抜粋しておきたい。

「柳田は南西諸島をどうみたかというと、やはり稲のきた道としてとらえたのです。彼はたしかに南西諸島、沖縄に強い関心をいだきつづけてきましたが、それは、米の起源およびその道筋についての関心であって、本州と沖縄を結ぶものは稲作農業すなわち米であるという考えですね。そう考えるとアイヌの問題は落ちてしまう。(中略)
 それにたいして伊波普猷さん(一八七六~一九四七)は、米が南西諸島伝いに北上することはありえないとし、沖縄の稲作は九州から伝わったものである。つまり南下説を主張しました。だから沖縄人は米をもった弥生人が東と南に分岐したものであるという説を出したわけです。
 しかし最近の考古学の成果によりますと、沖縄の文化というものは縄文早期にすでに九州の縄文文化とほとんどそっくりの文化が残っていることがわかりました。沖縄には弥生の遺跡はほとんどありません。沖縄で本格的な農業が行われるようになるのは鎌倉以降なのです。そうすると、沖縄と本州を結ぶものは農耕文化すなわち弥生文化であると考えた柳田国男および伊波普猷の仮説―立場は柳田批判ですが―はまちがっていると考えざるをえない。そうなると、もう一つ古い段階で本州と沖縄はつながっていると考えなければならない。そう考えると、今まで見棄てられていたアイヌ文化の問題がよみがえってくるのです。(中略))
 柳田民俗学では山人を棄ててしまったと同時に、アイヌも切り棄ててしまった。そして常民という考え方で日本民族の起源を弥生期においた。そして日本のすべての神を農耕世界の神とし、それ以前の神を切り棄ててしまった。あるいは農耕世界の神のなかに吸収してしまった。そうしたことが柳田民俗学をひじょうに平板なものにしてしまったと、私は考えているのです。そうではなくて稲作以前のもう一つ古層の文化を入れて考えると、いろんな問題、つまりアイヌや沖縄の文化の位置がよくわかってくるのではないかと思います。(中略)
 東北の人たちが蝦夷の子孫であることはまちがいないと思うし、蝦夷はまたアイヌと深い関係をもっていることもまちがいないと思います。縄文時代、東北は日本でもっとも高い文化をもっていた、そういう過去に高い文化をもっていたことを東北の人たちは誇りにすべきだと思う。(中略)
 私は縄文文化を研究するときに、アイヌ文化研究だけではやはり不十分だと思います。どうしても山人の文化、沖縄の文化まで含めた研究が必要だと思いますね。柳田国男さんはそれをやろうとしたのですが、途中でやめてしまった。(中略)
 一九六〇年ごろにすでに新しい自然人類学が東京大学を中心に発展しています。(中略)
 それから血液に関する研究が進みまして、アイヌと沖縄、それに日本列島のなかでも辺境、山地の民との共通性がかなりはっきり示されるようになったのです」

 柳田は個別性と空間性に拘り、個別的、かつ空間的な「日本の民俗学」として全うしたが、日本における「保守主義」の問題性は、『古事記』と『日本書記』にあるといえる。以上が『風となれ、里山主義』からの抜粋であり、『古事記』と『日本書記』のイデオロギー性については、『風となれ、里山主義』を読んでいただきたい。

「保守主義」とは進歩史観ではなく、反西欧近代主義であり、普遍性と通じた時間性よりも、個別性を重視し愛着をもつものである。風土性を色濃く反映した伝統と文化と慣習と、そして風土性そのものである原風景や故郷の自然を何よりも愛するという心と感性なのである。つまり、西欧近代主義の産物である国民国家よりも、そうしたものを重視しているということになる。
 ところが、安倍晋三と櫻井よしこと三原じゅん子などという自称「保守主義者」は、明治維新革命によって打ち建てられた西欧近代主義の産物である大日本帝国が大好きなのである。西欧近代主義者なのだ。そして、伝統と文化と慣習、また原風景や故郷の自然などには愛着はおろか進んで破壊までするのである。                                                                  
 その証左が福島原発事故の惨事を目の当たりにしても、まだ原発を再稼働させる心である。日本国家が経済的に反映するためには必要不可欠だというのだ。国家のためには故郷を失っても、国民の命がどれほど失われても構わないという論理だ。国家のために犠牲になれと強制するのであるが、国家とは経済と等しいのか?
 そして、沖縄の美しい辺野古の海を破壊することに、何の躊躇もないおぞましい限りの心であり、日本の伝統と文化と密接な関係性がある社会構造を破壊するTPPを推進しようとする心である。
 まったくもって「保守主義」とは真逆の心であり感性なのである。
 しかし、安倍晋三と櫻井よしこと三原じゅん子は、日本の伝統と文化と精神を愛していると豪語するのだ。では日本の伝統と文化と精神とは何かというと、『古事記』と『日本書紀』と武士道であり、教育勅語と国家神道と靖国神社だというのである。
『古事記』と『日本書紀』は、明治維新国家の統治装置である国家神道に一神教的にアレンジされて採用されたものである。教育勅語は後期水戸学から拝借した儒教的道徳観だ。
 つまり、この三人のいう日本の伝統と文化と精神とは、明治維新国家を源流とするものであり、国家像そのものでしかないといえる。実体としての伝統と文化ではなく、実体としての原風景などではないのである。ただのおぞましい自らの思い込みでしかない観念なのである。そして重要なのは、その国家像たるや、歪な形であれ西欧近代国家としての像なのである。個別性とは無縁なのだ。
 個別性と無縁なのは、帝国主義的な普遍性の歴史観というか世界観にある。
 八紘一宇がそうである。田中智學が国体研究に当たって『日本書紀』から拝借したものだが、要は教育勅語的な家族道徳観を世界規模へと波及させたお粗末な思想である。世界は一家、人類は皆兄弟、というキャッチコピーを一時期流行らせた日本の右翼のボスであった笹川良一がいたが、八紘一宇とはこのおぞましいキャッチコピーである。世界は一家であり、人類は兄妹なのだから一見するとどこが悪いと思うかもしれないが、教育勅語的に解釈しないと本質がみえない。
 一家とは家父長制であり、父親のいうことは神である天皇の言葉に等しい絶対的なものなのである。世界の家父長は日本であり、日本の家父長は安倍晋三になる。天皇はその上に超然として君臨する神なのである。
 といっても、平和主義者である現世天皇が、戦前へと足を踏み出した安倍政権を危惧し、平和憲法の精神に立ち帰るように繰り返し発言しているのを、安倍晋三は無視している。これをみても天皇の権威を利用して権力を絶対化する魂胆であることは明白である。天皇をも方便にしているといえる。
 満州国を建国した石原莞爾は「世界最終戦論」を唱えたが、この歴史観は進歩史観的であり、普遍的歴史観である。人類が統一されるためにアジア文明を代表とする日本と、欧米文明を代表するアメリカとの間で世界最終戦が戦われるという特異な「思想」だが、八紘一宇の世界観と通じたものだろう。ヨーロッパには黄色人種を差別した黄禍論があったが、その裏返しのような思想にもみえる。
「保守主義」とは、時間的な視点ではなくて空間的であり、進歩史観ではなく非進歩史観なのであるが、八紘一宇を嬉々として口にする三原じゅん子は、「保守主義」であろうはずはないのである。

 どうしてこういうことになるかというと、西欧近代主義の産物である明治維新国家を崇拝しているからだ。安倍晋三と櫻井よしこと三原じゅん子の心の故郷なのである。
 以上のように、日本における「保守主義」とは、単なる国家主義者でしかないのだ。つまり、「右翼」なのである。
 何のための国家であり、誰のための国家なのか?
 国家のための国家なのである。
 その国家の解釈は国家権力によってどうとでもなる代物なのだろうか。おそらく国家とは何ぞや、と安倍晋三に訊いても答えられないだろう。
 20世紀は国家が国益と国防と愛国の名の下に、民衆に戦争を強いてきた歴史である。そして、故郷の自然と日本の原風景を破壊し、多くの民衆の命を奪ってきた歴史である。
 明治維新国家に反旗を翻した田中正造は「左翼」ではない。当然に「右翼」でもない。正真正銘の「保守主義者」である。
 安倍晋三と櫻井よしこと三原じゅん子に訊きたい。
 あなた方は、日本の伝統と文化と風土と原風景を冒涜しているのではないですか?
 あなた方の想い描いている日本の伝統と文化と原風景は、銭湯の壁に描かれているペンキ絵よりも薄っぺらなものですよ。
 宮本常一でも読みなさい。

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