「北林あずみ」のblog

2014年11月

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 わたしは日本の童謡を愛している
 日本の風土が育んだ抒情的な世界が謳われているからだ。

 菜の花畑に、入日薄れ
 見わたす山の端、霞ふかし
 春風そよふく、空を見れば
 夕月かかりて、にほひ淡し

 里わの火影も、森の色も
 田中の小路をたどる人も
 蛙のなくねも、かねの音も
 さながら霞めるおぼろ月夜

 わたしの好きな『おぼろ月夜』の歌詞であるが、わたしはこの『おぼろ月夜』こそ日本における保守主義の心と魂だと確信している。
 この詩には風景を見ているはずの人の視点が消え去っている。対象としての風景ではなくなっているからだ。人の心と風景の心とが溶け出して淡いにほひを放っているのだ。風景の心であって、人の心でもある。風景と人の心の境がかき消えてしまっているのだ。
 菜の花畑も入り日も、春風も空も夕月も、風景であって人の心なのである。そして、里わの火影も森の色も、蛙の鳴き声もかねの音も、風景であって人の心なのである。その境がない世界を象徴しているのが、すべてを淡いにほひでぼんやりと霞ませているおぼろ月夜なのであろう。
 雨の多い日本の湿潤な風土性が『おぼろ月夜』に謳われているような、風景と人との曖昧な関係性を育んできたのだろう。対象としての風景の輪郭と色合いが曖昧であるから、その曖昧な世界に息づく無限の色と匂いを感じられるのだろう。日本人は茶という色に四十八の名前を付けている。鼠色に至っては百の名前があるのだ。微妙な色合いを見出しているのであるが、これは目で見たのではなく、その曖昧な世界へと引き寄せられていった人の心が感得したからこれほどの色の違いを見分けられたのだろう。目ではなく心で感じたのだ。だから色と匂いへの愛着が増したのではないだろうか。
 こうした物の見方は感覚的認識といわれている。小泉八雲は「神さびる」という言葉に日本的な感覚的認識をみているが、鋭い指摘だと思う。
 日本における感覚的認識は、西欧における認識の仕方とは違っている。西欧においては如何に対象としての風景を客観的に把握するかということに腐心したのだ。客観的に突き詰めることで真理が見えてくるという発想である。
 丸山真男は西欧的な意味での徹底したリベラリストである。丸山の学問的方法論は、西欧的民主主義を歪めている日本の中に息づく負の遺産を断罪し、あるべき姿に変えていくことで、日本に西欧的な意味での民主主義を根付かせようとしたものだ。従って、丸山においては日本の感覚的認識は、物事の本質を曖昧にし、うやむやにしてしまう悪しき感性にしか見えなかったのだろう。日本には基軸としての思想がないと言っている。基軸がないから思想的進歩がなく、いつの間にか思想的祖先帰りという破廉恥を平然と犯すことになるとばっさりと切り捨てている。そして、日本的な物事の本質を曖昧にして忘れ去る感覚的認識が超国家主義の台頭を可能とし、ずるずるべったりと現実に引き摺られて戦争という奈落の底に転がり落ちていったと断罪したのだ。

 学生時代のわたしは、丸山学派であった橋川文三に教えを受けていたので、丸山の考えに近い立ち位置にあったのだが、橋川文三は丸山学派の中にあって異端的存在だった。その影響を受けたわたしは次第に丸山の考えに疑問を覚え、終には「里山主義」という新しい保守主義を提唱するまでになったのである(笑)。

 童謡の『おぼろ月夜』の歌詞をもう一度読んでいただきたい。
 ここで謳われている感情は明らかに人間中心主義ではない。蛙と人とを等しく観ている。そして、自然の心と人の心とが共鳴し合いながら呼吸する世界を謳い上げている。自然を対象として見る視点はない。そして、自然を人の思いのままに変えていこうとする視点もない。里の火影と田中を歩いている人に懐かしさを覚えているのだ。人と人の在り方もまた、自然と人の在り方と同じく共鳴し合い、共生していこうとする感情を謳っているのではないだろうか。つまりは、棲み分けと平和を愛する心を謳っているのである。
『おぼろ月夜』と西欧的リベラリズムとの違いは何だろうか。
 わたしは根底的な価値観と世界観との違いを感じずにはいられない。この価値観と世界観の違いこそが、わたしの提唱する新しい保守主義である「里山主義」なのである。

 では、日本における保守主義とはどういうものなのだろうか。
 いわゆる保守主義者に尋ねたい。
 あなたは『おぼろ月夜』という童謡を知っていますか?
『おぼろ月夜』という童謡が好きですか?
『おぼろ月夜』で謳われている感覚を生きたことがありますか?
『おぼろ月夜』で謳われている抒情を愛していますか?
 何故にこうした質問をするかというと、日本を愛するという感情がどういう種類のもので、その感情は何処からやってきているのかを知りたいからだ。わたしはいわゆる保守主義者とは、『おぼろ月夜』の抒情の世界とは無縁の人たちだと看破している。こうした細やかで柔らかな抒情を生きたことがない人たちだと断言できる。
 その言動をみれば、『おぼろ月夜』とは真逆のものだからだ。感情的な言動ではあるが、その感情は言葉の厳密な意味での日本の抒情ではない。粗野であり、暴力的であり、排他的である。『おぼろ月夜』の抒情と無縁であり、『おぼろ月夜』の世界を愛することはおろか、そうした世界を足蹴にする感情を生きている。それなのに愛国をいうのである。わたしは不思議でならない。
 愛国の「国」とは何か。『おぼろ月夜』の抒情とは無縁であり、つまりは日本的な抒情とは無縁の「国」である。伝統と文化を愛しているというが、言葉の厳密な意味での日本の伝統と文化とは、『おぼろ月夜』の世界に息づく抒情と感覚が土台にあるものだ。いわゆる保守主義者のいう伝統と文化とは、そうした抒情と感覚とは無縁の国体であったり、武士道であったり、散華の精神であったり、つまりは菊と刀なのだ。国家神道と教育勅語の世界観で塗り潰されたものだ。
 
 海外に目を向けてみよう。
 世界を闊歩している新自由主義は、皮肉なことに右翼勢力を生み出している。危惧すべきことに、その傾向が著しくなってきた観がある。ドイツではネオナチの台頭が問題になったりもしている。こうした勢力が掲げる合い言葉は「愛国」と「民族」である。韓国にもこうした勢力はいるし、中国にもいる。「イスラム国」も新自由主義が産み落としたという意味では同じようなものだ。
 日本にもネオナチ紛いの勢力があり、ネトウヨや在特会のような勢力があり、「愛国」を叫んでいる。
 これらの勢力と、先に挙げた外国の勢力との違いはあるのだろうか。
 わたしはまったく同じだと思う。伝統と文化と言っているが、それはただの看板(実際の奥深い伝統と文化とは無縁)であって、心情的には同じで、粗野で暴力的で排外的である。どれも『おぼろ月夜』の世界に息づく感情と情緒とは対極にあるものである。
 こうした勢力が、支配層に取り込まれたり、自らすり寄っていくのも同じならば、支配層に巧妙に操られているのも一緒である。
 鏡に映った己の顔を己とは認識できずに、仮想敵国の顔だと言って侮蔑し合い、罵り合っているだけだ。そして、鏡に映った自分を相手に本気になって戦争を始めようとするのである。滑稽でしかないのだが、こうした輩を蔭で操り、国民を悲惨な戦争へと駆り立てていくのだから害悪でしかない。

 日本においてはこうした勢力が保守を名乗っているのだ。だから、保守=愛国と認識されているのである。言葉の厳密な意味での保守主義とは、わたしは『おぼろ月夜』の抒情の世界を愛する心だと思っている。それが基本にあるから、日本を愛するのだ。日本という国を愛しているのではない。日本という風土と風景と、その風土と風景が育んだ抒情と心に彩られた文化と伝統を愛するのである。
 いわゆる保守とは、そうしたものとは無縁であり、愛国の名の下に『おぼろ月夜』の世界に息づく情感と平和を求める心と、自然と共に生きようとする心とを、土足で踏みにじるものである。
 原発再稼働を企て、TPPを推進する保守があろうはずはない。『おぼろ月夜』の世界を平然と破壊しようとする保守の仮面を被った醜悪な超国家主義でしかない。
『おぼろ月夜』の抒情の世界に懐かしさを覚える保守という心が、愛国という卑しい醜悪な牢獄に幽閉されているのだ。これは日本の悲劇でしかない。何故ならば『おぼろ月夜』の抒情の世界を愛するが故に、保守を騙る安倍晋三のような超国家主義にして新自由主義という分裂症を生きている政治屋の巣窟である自民党に投票するという愚行を怪しまないからだ。洗脳といってもいいだろう。

 世界は激動期に入った。これまでの価値観と世界観が根底から揺らぎだしたからだ。その象徴が市場という唯一にして絶対の神を崇めるニヒリズムの権化である新自由主義である。イスラム国を産み落としたのは新自由主義である。新自由主義が世界的規模での激動を産み落としているといっても過言ではない。市場を神と崇めるニヒリズムの権化である新自由主義とは、西欧的近代主義が行き着いた末期的な病巣なのではないだろうか。これまでの価値観と世界観が揺らいでいるというのは、そうした意味である。
 超格差社会がやり場のない憤懣で満ちあふれ、粗野で暴力的な勢力に吸収された憤怒が排外的な仮想敵へと向けられていく。
 これは反知性だからではない。理性が働かないからでもない。日本だけの現象ではなく世界的な傾向なのである。
 それは何を意味するか。
 日本的な感覚的認識が悪いのではない。『おぼろ月夜』の抒情の世界に懐かしさを覚える日本人の心情だからこうした現象が起きているのでもない。いや、むしろ逆であろう。『おぼろ月夜』の情感がないから、全世界にこうした勢力がいともたやすく台頭したのではないだろうか。
 記憶に定かではないが、日本の童謡の中に超国家主義的な心情の萌芽を見出した評論家が過去にいたように記憶しているが、わたしは少なくとも『おぼろ月夜』の抒情の世界はそうしたものと無縁だと信じている。
 世界が激動期だからこそ、これからの日本の歩みを決定づけてしまう今度の総選挙が重要だと思う。重要であればこそ、『おぼろ月夜』の抒情の世界に懐かしさを覚える保守主義者が、愛国を掲げたエセ保守党の自民党の洗脳から解き放たれなくてはならない。保守を騙る党は自民党だけではない。維新の党、次世代の党、そして民主党の中にもいる。
 護憲、反原発、反TPPを掲げていなければ、エセ保守である。世界が激動期であり、従来の価値観と世界観が揺らいでいるだけに、従来の保守と革新の色分けも無意味である。社民党と共産党の政策は言葉の厳密な意味での保守に近い。だから、新しい保守主義の可能性を提唱しているわたしは、社民党と共産党に投票するつもりだ(笑)。

 今朝のTwitterに見逃せないものがあった。

「まともな国の国民は『輝く国』だの『美しい国』だのと聞いた時点で、笑い転げ、相手にしなくなる。寝言は寝てからにしろよ、と。こういう稚拙な言葉を吐いて首相の座を得たのが日本。自分の生活が如何に改善されるかが永遠のテーマで、美しいだの、輝くだのへったくりもない。給料、休暇、自由時間だ」

 一理はある。が、こうした思考と発想が、エセ保守の政党に真の保守主義者の票が絡め取られることになるのだ。『おぼろ月夜』の抒情の世界を愛するが故に、「美しい国」に心が引き寄せられていくのである。オレオレ詐欺の手口と同じである。どうして引き寄せられるかというと、愛国という薄汚い牢獄に閉じこめられて洗脳されているからだ。その洗脳されている者を切り捨ててしまったとしたら、エセ保守党の思う壺である。
 それだけではない。わたしは上記の呟きに、ネトウヨと在特会とネオナチと同じ匂いを嗅いでいるのだ。言っていることは違うが、感情は同じ匂いがする。裏と表の違いでしかないのではないだろうか。「給料、休暇、自由時間」という甘い政策にころっと騙されて絡め取られる危険性である。その危険性の源は何かというと、感情なのである。『おぼろ月夜』の情感を生きているとすれば「給料、休暇、自由時間」に、生きているという実感と悦びを見出し得ないからだ。
 大袈裟にいうと価値観と世界観の違いとでもいうのだろうか。わたしはこれこそが新しい保守主義の可能性だと信じているのである。

 長くなったが、最後に猪野健治著『日本の右翼』(ちくま文庫)からそのまま抜粋して終わりにしたい。猪野も保守と右翼との概念的な曖昧さがあるが、それはさておいて、現状の右派勢力を言い当てている面白い文章があった。戦後まもなく、国体学界機関誌『国体』(昭和二十八年六月号)で、右翼が自己批判した文章である。
 こうした自己批判を性懲りもなくまた破滅の後でやるつもりなのだろうか。
 またいつか来た道を歩き始めているのである。

 日本の右翼は、思想的には「尊皇絶対の至情に安住」し、「非科学的で天皇大権絶対の誤謬に陥」った。そして「天皇の本質を権力の保有者という観点から眺めて天皇主権を叫び、天皇中心の国家絶対主義、民族主義」に走り、「無批判な日本独尊の信念に燃え、尊内卑外を事とし」て、表むきは「天皇の権力的絶対親政を求め」、事実上は「官僚専制政治、一部支配階級の独裁」を助ける結果になった。
 また、「愛国」を叫びながら、「支配階級の走狗となって、議会政治を否定」した。経済問題は、「矛盾をはらめる経済社会の内部に解剖のメスを入れること」もなく、「事実困却しきっている幾多同胞の惨状にも眼を覆い」「ひたすら一部支配階級の温存利益のために、命とひきかえに愛国を売物に奮闘し、行動的には法を冒して暴力行為をも敢て辞せず」「その言動・態度もいかにも浅薄粗暴なるもの」。

 わたしの提唱する新しい保守主義についての詳細は『風となれ、里山主義』をお読みください。

 小説はキンドル版の電子書籍として出版しています。

 ブログはこの他に、「里山主義」と、「里山主義文学」を開設しております。合わせて読んでいただければ幸いです。
「風となれ、里山主義」(思想・政治関係)
「里山主義文学」(文学関係)

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 人生にはいくつかの分岐点がある。
 わたしは今年五月で還暦を迎えた。華やかとは縁遠いありきたりの齢を重ねてきたのであるが、わたしにも重大な人生上の分岐点があった。
 人生における分岐点といっても一括りにはできない。わたしがいう分岐点とは、それまで歩んできた道から決定的に逸れることを意味する。歩んで行く途中で左に枝分かれする道があったとしよう。そのまま真っ直ぐ進めば人生の分岐点とはいわない。真っ直ぐに進まずに枝分かれした道に逸れたとしても、その道が今まで歩んできた道の方向と大して違わなければ、わたしはこれも分岐点とはみなさない。わたしがいう人生における分岐点とは、それまでの価値観とは決定的に違う道へと足を踏み出す地点を指す。
 そうした意味での分岐点とは、人生において度々あるものではない。価値観が根底から変わるということは、これからの人生が変わるということであり、これまでの生き方とは違う生き方をするということになる。
 価値観を変え、生き方までを変えてしまうような凄まじいまでの力は、何処からやってくるのだろうか。それまでの価値観と生き方では成就しえない、火となって燃え上がった恋愛であることもあるだろう。それまでの価値観と生き方とを粉々に打ち砕くパワーを秘めたものに触れた場合もあるだろう。それは小説などの書物であるかもしれないし、映像だったり、絵画だったり、自然の風景であるのかもしれない。またはわたしのように挫折であったり、絶望であったりもするだろう。
 わたしの中には、岐路に立たされたときの記憶が生々しい心の傷として今でも鮮やかに残っている。その岐路に立ったわたしは、右に行くべきか、左に行くべきか、と理性を働かして客観的な視点から、あれこれと考え抜いて判断を下したのだろうか。振り返ってみると、そうではなかったと思う。そもそもが、自分が人生の分岐点に立たされているという冷静な判断が成立しないような過酷な精神状態に陥っていたからだ。岐路というよりは、死ぬべきか、生きるべきか、という選択だったからだろうか。
 わたしは生にしがみついたから、今でもこうして生きているのだが、生を選んだ時点で、それまでの道を逸れて、別の道を歩くことに繋がっていたといえると思う。別の道を歩かないとすれば死しかなかったからだ。
 のっぴきならない生と死の分岐点だったから、わたしの場合は特異だったのだろうか。それまでの価値観と生き方を変えてしまうような人生における分岐点にあっては、わたしは冷静で客観的な理性的判断が働くよりも、地下深くに胎動していたマグマが何かの力で噴出したようなものなのではないかと思えてならない。その何かの力とは、魂と心を激しく揺さ振る衝動なのではないだろうか。理性に勝る圧倒的な衝動なのだ。
 人は社会の中で生きている。そして、社会には目には見えない価値観が息づいている。ある意味では社会の価値観と世界観という目には見えない檻の中で、人は生き方を制約されているのだろう。檻の中での生き方とは一つとは限らない。檻の右側で生きる生き方もあれば、檻の左側で生きる生き方もある。犯罪などの反社会的な行為があるが、この行為とは檻の価値観を単に裏返したものにすぎない、とわたしは思っている。だから檻の中に囚われているのと変わりはないのではないだろうか。檻の価値観によって、檻によって罰せられたのだ。

 この社会という檻に息づく価値観を踏まえて、人生の分岐点を考えるとどうなるか。
 それまでの価値観と生き方を変えてしまうような人生の分岐点といったが、この価値観と生き方とは社会の檻をも突き破ってしまうものなのだろうか。突き破ってしまうような分岐点と、檻という大きな価値観と生き方の中で、更に枝分かれした価値観と生き方へと変わる分岐点があるのではないだろうか。
 実は社会それ自体にも分岐点がある。
 それまでの社会の価値観と生き方を根底から変えてしまうという分岐点である。
 マルクス主義においては、経済的基盤(下部構造)の変容が、それまでの政治制度や法体制、そして社会的構造と社会的組織(上部構造)との乖離矛盾を生み出し、それを止揚する形で革命が起きるとした。上部構造が変わるということはイデオロギーも変わるということであり、社会的な価値観が当然に変わるということを意味する。それはつまり、人の生き方をも変えるということでもある。
 社会の分岐点においては、いやがおうにも生き方を変えねばならなくなるのである。人は生きているのであるからそう易々とそれまでの生き方を変えられるはずはない。そこに社会と個人としての生き方に軋轢と矛盾が生じるのだろう。社会と個人の軋轢と矛盾という人生劇は、ある意味では喜劇でもあり悲劇でもある。時代の激動期とは、個人が生きるという中で激しく揺れ動かされるのだろう。
 マルクス主義とはヘーゲル哲学の影響が色濃く、進歩史観である。歴史に必然性を見ており、究極の理想郷へと向かって歴史は進んでいくとしている。わたしはマルクス主義者ではなく進歩史観はない。そして、下部構造に偏重した視点から歴史のダイナミズムを看ることもない。そんなわたしの独断と偏見で日本の歴史における分岐点を描くとすればどうなるか。
 二千年前に大陸から異文化を携えて、大量に日本列島に移住してきた弥生人が、律令国家体制を築き上げた地点を、初めの分岐点だと思う。律令国家体制を正当化するために『古事記』が編纂されたのであり、神代記はそのイデオロギーである。そして重要なのは、縄文文化と深く結びついていた古代神道が、律令国家体制の統治装置として国家神道へと変質させられたことだろう。
 二つ目の分岐点は、支配階級が貴族から武士へと変わり、権力が移譲された地点であり、上からの明治維新革命によって近代国家へと生まれ変わった地点が三つ目の分岐点である。神道はここでも変質している。第二の神道革命(国家神道)である。国家神道が教育勅語とセットになって、国家主義的な道へと踏み出す国が、民衆の心を国へと引き寄せ、民心を操るための重要な統治装置として位置づけたのだ。
 四つ目の分岐点は1945・8・15、敗戦の日である。
 それまでの国家主義を核に持つ国家から、主権在民の民主主義国家へと変わった分岐点だ。
 では五つ目の分岐点とは何か。
 3・11だと確信している。しかし、この分岐点ははっきりとしたものではない。何故ならば、3・11とは未曾有の大災害だからだ。原発事故はこの災害によって引き起こされた二次的なものと捉えることも可能である。
 しかし、3・11が民衆の心と魂とを激しく揺さ振ったのは確かである。大災害の悲惨さが心と魂を揺さ振ったのではない。途方に暮れ、絶望に陥り、生きる気力を失うことと、心と魂とを激しく揺さ振られるのとは違う。
 わたしは藤波心という中学生のブログに書き込まれた膨大な数のコメントを読んだ。年齢層はまちまちであり、性別もまちまちだった。その書き込みは心と魂とを揺さ振られていることを如実に教えてくれていた。どう生きるか、どう生きていくべきか、という生き方の原点というべき地点に立ち帰って、物静かに、そして熱く語っていたのである。
 自然が引き起こした大災害を目の当たりにした恐怖が、自然の力への驚きとなり、畏敬の念へと昇華していったのである。そしてその畏敬の念が、原発事故へと向けられると、人間の奢りと科学の限界と、人間の愚かさにまで行き着いたのである。それまでの価値観は間違いだった。それまでの生き方は誤りだった。明確にではないが、そんな心情が溶け込んだ霧の中を彷徨い出したのである。
 人間中心主義、科学万能主義、経済至上主義、理性神話が根底から揺らぎ出したのではないだろうか。そして、何処からきたのか分からない熱い何かによって、心と魂とを激しく揺さ振られたのではないだろうか。その何かとは、わたしは日本人の血の中に流れているはるかなる縄文の森の記憶だと信じている。
 3・11が日本人を生きる原点に立ち帰らせたといったが、その原点とは一万年もの永きに亘って自然と共に生き、平和な社会を築いてきた縄文文化だと思うのである。3・11は最初の分岐点よりも前へと、日本人の心と魂とを回帰させたのだ。そう思えてならないのである。わたしはこの回帰を「心の革命」と名付けている。
 この原点は西欧近代主義の価値観と世界観とはまったく異質なものだ。生きる原点であるから、それだけにすっきりとしたものである。核とでもいうべきものだ。この核にどう肉付けしていくかはその後の問題なのだろう。

 わたしは小説を書いているが、どれも人生の分岐点を題材にしたものである。
 大きくみると三つに分類できるのだろう。
 一つは忌まわしい事件が分岐点となり、呪いとなってその後の生き方を決定づけられ、もがき苦しむ世界を描いたものである。その世界から抜け出す熱い力を与えてくれたのが、男との愛なのだが、もがき苦しんだ世界を生きたから、二人の愛が向かったのは社会の檻の中の価値観と生き方ではなく、檻を突き破った新しい価値観が息づく世界であり、生き方なのである。3・11以前に書いたものなので、3・11と直接関連付けてはいないが、新しい生き方とは3・11が甦らせた生きる原点の先にある世界である。わたしが提唱する「里山主義」という新しい保守主義の世界観を反映させてもいる。
 26日まで無料キャンペーンを行っている『風よ、安曇野に吹け』とは、こうした物語であり、過去の忌まわしい事件を謎にして、その謎を解明するためにヒロインの過去を遡っていくというミステリでもある。小説など読んだことのない三十代の女性が夢中で読破したのだから、面白いことは確かだろう(笑)。

 二つ目は、3・11を体験することで、ぼんやりと見えている新しい生き方を求めて彷徨う人生の旅路を描いた小説である。当然に新しい生き方とは、それまでの社会の檻を突き抜けたものだ。だがら社会との葛藤はある。
 三つ目は、人生における生きる原点へと回帰していく物語である。人生における原風景を求めての旅路になるが、それはこれまでの生き方を否定するものである。生きる原点から逸れて、別の生を生きているという虚しさから、瑞々しい生と性を求めて忘れてしまった原風景を求める心の旅路を描いている。

 小説はキンドル版の電子書籍として出版しています。『風よ、安曇野に吹け』は無料キャンペーン中です。

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「里山主義文学」(文学関係)


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「文学と政治」という問題は語り尽くされた観がある。
 それを今更、そしてわたしごときが語ったところで意味はないのだろう。
 いくら厚顔無恥のわたしでもそれくらいのことは自覚している。では何故にそれを承知で語るのかというと単純な理由からだ。
 事の発端はTwitterなのである。
 わたしは言葉の厳密な意味での保守主義者であるが、この保守主義とはいわゆる保守主義とはまったく違う。従来の保守主義とは違う未来を展望した新しい保守主義なのである。新しい保守主義というとアメリカのネオコンを想い浮かべるかもしれないが、真逆の思想が核心にある。わたしの信奉する新しい保守主義という思想を里山主義と命名したが、詳しくは『風となれ、里山主義』を読んでいただきたい。

 保守主義という言葉は曖昧なものであり、本来の意味とはかけ離れて使われている。日本における自称保守主義者とはそのほとんどが単なる近代的国家主義者でしかない。近代的国家主義者と保守主義との間には決定的な溝がある。近代という溝である。だから自称保守主義者の思想の芯には明治維新の亡霊が棲んでいる。国家神道と教育勅語という亡霊だ。
 従って、自称保守主義者のいう伝統と文化とは、国家神道と教育勅語に彩られた伝統であり文化でしかない。民衆の心を如何に国家に収斂し、自由自在に操っていくか、そのために統治装置として歪められた伝統と文化なのである。
 自称保守主義者である安倍晋三と櫻井よしこ、そして百田尚樹をみれば明らかだろう。「美しい日本」などと口にするが、日本の情緒とは無縁であり、日本の原風景などへの思い入れは皆無だ。だから、日本の情緒の源泉である、風土と共に生きる民衆の暮らしを破壊し、日本の原風景を平然と破壊するる新自由主義の経済政策を断行するのだ。新自由主義と、言葉の厳密な意味での保守主義とは真逆の思想である。結びつくはずはないのだ。
 安倍晋三と櫻井よしこ、そして百田尚樹は超国家主義者にして新自由主義者なのである。超国家主義と新自由主義とは対立すべきものだが、この三人はそんな矛盾をものともせずに、分裂症を生きているのである。が、だからといって言葉の厳密な意味での保守主義とは分裂症の中でも生きることはできない。近代的国家の論理と、保守主義の論理とは違っているからだ。その境に越すに越せない大地溝帯が走っているからだ。この三人のいう保守とは似非でしかない。

 いつものことで、筆が逸れてしまった。
 話しを元に戻す。
 そういうわけで、わたしは新しい保守主義に可能性をみているのだが、では今度の総選挙ではどこに投票するのか、というと社民党か共産党になるのだろう。
 どうして保守主義者がいわゆる左翼に投票するのか、と不思議に思われるかもしれない。が、わたしにとっては摩訶不思議でも何でもない。日本の伝統と文化、そして風土と共に生きる民衆の暮らしと地域社会に温かな眼差しを注いでいるのが社民党と共産党だからだ。
 一方の自称保守主義者の安倍晋三は、日本の伝統と文化を顧みることもなく、日本という美しい風土と自然と共に生きようとする民衆の暮らしを破壊している。保守と革新、右と左という概念がこれほど無意味になったことはないだろう。保守と革新、右と左という偽りでしかなくなった垣根を跳び越えて、もっと根源的なものを求めたものが、沖縄の知事選なのではないだろうか。それはこれまでの価値観と世界観、そして幸福観を超えた、新しい価値観と世界観、そして幸福観の萌芽ではなかったのか、とわたしは思っているのだ。日本人としての新しい生き方とでもいうべきものだ。沖縄の知事選における歴史的な意味を、そうわたしは解釈している。従来の価値観と世界観、そして幸福観が根底から揺らいでいるのである。

 そんなわたしが昨日、社民党の党首である吉田忠智氏のTwitterをみたのである。どういう呟きかというと、「社民党は、『平和・自由・平等・共生』の社会民主主義を掲げる日本で唯一の政党として、来る衆議院選挙を全力で闘います。ご支援をお願いします」というものだ。それに対して、よせばいいものを衝動的にわたしが、
「応援はします。が、『平和・自由・平等・共生』では他党との差別化が明確ではなく埋没していまいます。ましてや小選挙区となれば尚更です。沖縄の翁長候補の圧勝はどうして可能だったのか。どうして保守と革新という既存の色分けを超えて結集したのか。社民党が独自色を出して生き残る道はこれしかない、というか愛する社民党だから思い切って保守と革新の既存の対立軸を超えた、未来を切り開く新しい価値観と世界観、幸福観を描いていただきたい。そのためには、3・11を、どう生きていくか、どう生きるべきか、という日本人の生きる原点に据えられてはいかがでしょうか。関連したことをブログに書きましたので、よろしければ読んでください。失礼致しました。ブログに『3・11の心と沖縄の心……生きる原点への回帰』を書きました」と返信したのだ。
 俄にはわたしの言わんとするものが何であるか、理解はできなかったはずだ。それに党にはりっぱな綱領がある。社民党は社会民主主義を掲げた党だ。それが「保守と革新の対立軸を超えた、未来を切り開く新しい価値観と世界観、幸福観を描いていただきたい」などと一方的に言われても迷惑千万のことだろう。何を血迷ったか、と言われそうである(笑)。
 後からわたしも反省したのである。そして、ぼんやりと「文学と政治」なるものが頭に浮かんできたのである。
 文学は人が生きるという根源的なものに視線が向かっていく。文学を志していれば、本能的にそうなるのだろう。わたしのような自称作家の端くれでもそうなのだ。
 それに対して、政治とは現実に生きねばならない民衆の暮らしと、現実の社会の在り方に目が向けられるのだろう。だから、現実とどう対処し、現実をどう変えていくか、という眼差しがあり、具体的な政策があるのだろう。
 誤解を恐れずにいえば、文学とは現実を超えた真実へと肉迫するものなのかもしれない。真実という言葉を換えれば、人はどう生きるのか、どういきるべきなのか、という根源的な問いとでもいうのだろうか。従って、文学的な価値観と、政治的な価値観とは異なるものなのである。

 ついでだからいうと、私小説とは現実(事実)=真実だったから、人が生きるという根源的なものへと注ぐべき視線を失ってしまったのではないだろうか。
 日本におけるプロレタリア文学が、何故に私小説の形式を借りたのか。現実=真実だったから、そのまま小説に政治をすんなりと反映できたのではないか、などと思っている。小説が政治的価値を突き破れてはいなかったと思うのだ。

 文学の衰退とは、人はどう生きるべきか、どう生きていくべきか、という根源的な問いかけの消滅を意味するのかもしれない。わたしは文学自らがそれを放棄した結果が、文学の衰退を招いたと思っている。目先の金に、尊い文学の心と魂を売り渡したのだ。経済的価値観という牢獄に文学自らが幽閉されたのではないだろうか。そんな文学に意味があるのだろうか、などと「文学と政治」を考えながら思ったりしたのである。
 わたしは3・11は、日本人に、人はどう生きていくのか、どう生きるべきか、という根源的な問いかけを甦らせたと確信している。これは文学的な問いかけである。わたしが文学の復権をいうのは、この意味なのだ。今こそ文学の復権が求められているのである。日本人の心と魂とを揺さ振っている根源的な問いかけを、民衆ははっきりと気づいてはいない。それが何であり、どういう意味があるのか、民衆の心と魂に、映像を超え、言葉を超えたもので、はっきりとみせられるのは文学をおいて他にないのではないだろうか。

 文学の堕落を言ったが、政治も堕落の限りを尽くしている。
 政治的価値観が失われ、政治が経済の奴隷にまで堕落してしまったからだ。如何に金を儲けるか、ということが政治の最大の関心事になってしまった観がある。金を儲けることが、日本の繁栄であり、民衆の幸福の源泉だという拝金主義とでもいうものに毒され切っている。だから、根無し草の多国籍企業に視点が向けられ輸出偏重の経済政策が打ち出されるのであり、株価の上昇に一喜一憂するという破廉恥が罷り通るのだ。アベノミクスとは国家的規模での詐欺行為だろう。自国通貨の価値を下落させて、「美しい国、日本」などと涼しい顔で言える政治家は驚愕だ。国民の血税と年金の積立金で株価操作と為替操作を行っているのである。正にマネーゲームである。マネーゲームに実体経済を変える力はない。所詮はゲームだからだ。そして、血税と年金を使ったゲームだけにそのしわ寄せと、ゲームが破綻したときの破滅的なつけはすべて国民にくる。
 目先の金に結びついた経済政策がすべてなのだ。経済的な価値観から独立した政治的な価値観も、政治的な理想もない。金まみれの現実にただ振り回され、押し流されていくだけだ。
 丸山真男は「現実主義の陥穽」で、政治的リアリズムとは理想なくしてはあり得ないと言っている。現実にずるずるべったりと押し流されていくのはリアリズムではない。現実と理想との狭間で、現実をどう理想へと近づけていくか、その緊張の中での妥協と駆け引きこそが政治的リアリズムなのだ。
 政治的理想を失った政治だから、二世三世の政治屋でも務まるのである。何となれば目先の金のことだけを語ればいいからだ。言葉の厳密な意味での政治的理想が、政治家を本物の政治家へと押し上げるのだ。今や政治家は経済の奴隷であり、召使いでしかない、拝金主義者なのではないだろうか。
 すべての政治家がそうだと言っているのではない。社民党と共産党はまだそこまでは堕落してはいないだろう。社民党と共産党以外の党にも政治的理想を堅持している政治家もいるだろう。以前の自民党には、言葉の厳密な意味での保守主義者もいたのである。そうした気骨のある政治家が駆逐されてきたのが、自民党の歴史なのかもしれない。今では安倍晋三を代表するおぞましい新自由主義者と超国家主義者の巣窟である。

 政治家ならば、今こそ理想を高く掲げるべきだ。
 そして、熱く理想を語るべきときだ。
 沖縄の知事選挙とは、理想を高らかに掲げたから勝利できたのではないだろうか。目先の金と利権を、熱い理想が打ち砕いたのだ。
 立て真の政治家よ!
 いでよ、田中正造の魂を受け継ぐ政治家よ!
 熱き理想を語れ!
 熱き理想なくして、日本の未来は拓けない!

 写真は一枚目が敬愛する田中正造。二枚目がプロレタリア文学の小林多喜二。

 小説はキンドル版の電子書籍として出版しています。

 ブログはこの他に、「里山主義」と、「里山主義文学」を開設しております。合わせて読んでいただければ幸いです。
「風となれ、里山主義」(思想・政治関係)
「里山主義文学」(文学関係)

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 暇に飽かせて、我が師である橋川文三の『西郷隆盛紀行』(文春学藝ライブラリー)を読んだりしている。
 収録されているもののほとんどは過去に別々な形で読んでいたものだが、齢というものは不思議なものである、印象がまったく違った。また、呼び起こされる想いが違っているのである。
 知識の堆積が多くなったからだろうが、それだけではないと思う。
 正直に告白すると、わたしは読書の量と知識の量にコンプレックスを持っている。読書にのめり込んだ時期が遅かったからだが、生来が読書嫌いなのだろう。乱読を始めたのは高校の三年頃からだが、本当に本にのめり込んだのは大学に入ってからである。
 わたしの貧弱な読書体験を顧みると、多方面に、そして無秩序に広がっていた本の傾向が、年齢とともに一つの方向性を持ってきたといえる。方向性というのは、読む本が一つの線に沿って分布しているということだ。その線が、わたしの関心事といえるのだろうが、別の言い方をすれば、わたしが如何に生きたいか、如何に生きるべきか、という想いの方向性といってもいいと思う。
 過去に読んだときと、新たに読み直したときとの印象と、湧き上がってくる想いとの違いは、方向性がより鮮明になってきたからなのかもしれない。当然に読書以外の人としての体験の積み重ねもあるだろう。読解力とはそうした体験に負うところが大きい。純粋に文章を解釈するだけでは、奥に隠れているものに触れることはできないからだ。わたしは小説を書いているが、優れた小説とはその奥に隠れているものを抱きかかえていると思っている。そして、奥が深いのだ。だから隠れているものを掴むのは容易くはない。容易くはないからこそ、掴まずにはいられなくなるのだ。
『西郷隆盛紀行』の本の帯に、「明治政府が最も恐れた革命児の正体 近代日本最大の謎に挑む」という文字が躍っている。
 橋川文三は西郷の謎を解明することなく逝ってしまった人である。
 最後まで西郷の謎に拘っていた。
 何故か。それが橋川文三の、如何に生きたいか、如何に生きるべきか、というどうしても譲れないものと結びついていたからに違いない。
 橋川文三とは日本政治思想史の研究者であった。そして、評論家であり、思想家であったといってもいいだろう。わたしは橋川文三の方法論は、優れて文学的だと思っている。過去の事実を丹念に漁り、その事実から論理的に導かれてくる実像に迫るというプロセスをとらない。先ずは文学的な直観があるのである。その直観を解明しようとしたのだ。
『西郷隆盛紀行』に収録されている『西郷隆盛と南の島々―島尾敏雄氏との対談』に語られていることが、その端的な証左だろう。
 橋川文三は己の直観を重視する。先ず、どこからやってきたのか分からない啓示とでもいうべき直観が、突如として橋川文三の心に閃光となって突き刺さるのだ。頭ではない心に突き刺さるのである。この直観とは何か。その答えを求めて向かったのは、西郷が生まれた鹿児島であり、流罪人となって生きた奄美大島と沖永良部島なのである。直観の意味と答えを求めるならば、通常の学者と研究者は文献に当たるのが先だろう。現地に赴くのはその文献に当たって得られたことを実際に自分の目で確認するためだ。が、橋川文三は違う。元となる直観と連動する更なる直観を求めて、鹿児島に向かい、奄美大島と沖永良部島へと向かったのだ。
 島尾敏雄と橋川文三の対談は面白かった。そして、奥が深い。
 島尾敏雄の博覧強記振りには驚くが、文学というものと真摯に対峙しているからだろう、作家としての眼光も尋常ではない。
 わたしは『風となれ、里山主義』を書くに当たって、梅原猛と在野の民俗学者である吉野祐子などの書物を再度読み直したのだが、沖縄とアイヌとの人々の心と血に、縄文の文化と生き方とが色濃く流れていることを再確認した。東北地方とはアイヌの生活圏であり、文化圏でもあった。二千年前に大陸から、異文化と朧気な国家観とを携えて大量に移り住んだ弥生人が、九州と関西を中心に居住するようになって、辺境の地へと追いやられたからだろう。
 弥生人は稲作文化を携えてやってきたのであるが、橋川と島尾の対談にもあるように、奄美大島では稲作が発達していない。梅原は稲の道は南西諸島の島を伝って日本に入ってきたのではなく、弥生人の移住とともに朝鮮半島経由で九州にもたらされたと考えている。
 稲の道はさておいて、わたしは奄美大島と沖永良部島と沖縄とが、縄文人の居住地であり、その文化と精神とを色濃く留めていたということに注目するのである。島尾は対談の中で、「稲作を中心とした、そういう生活形態というものは、ここでは強くなかった。このことは、南西諸島全部に、共通していえるのではないかと思います。(中略)別の視点からいうと、稲作の生活をやっていた本土の弥生人が、こちらとはあまり交渉を持たなかった。そういうことだったのではないか。要するに、縄文文化に代わって、稲作文化を導入した弥生人、これが、いわゆる、”倭人“といわれるものだと思うんです。すると、ここは”倭“じゃないような気がするんです。まったく倭じゃないとはいえないとしても、南西諸島は倭の影響が少なかった。そんなふうにはいえると思う。それから、倭の影響が少ないところとして、別に東北地方があります。あそこはもともと蝦夷ですから」と語っている。
 西郷は二度島流しにあっている。一度目は三年間を生きた奄美大島であり、二度目が沖永良部島(沖永良部に移される前に徳之島に三ヶ月)の二年間である。島尾は奄美大島の西郷と、沖永良部島の西郷では明確な変化があると言っている。奄美大島の西郷は正しく流罪人であり、その境遇を恨み心体ともに荒れていたという。が、沖永良部島ではむしろ島で生きることに心の平安のようなものを感じていたようだ。年齢とそれまでの経験が西郷の心を変えたのだろうか。それとも沖永良部島での生活が西郷の心の奥深くに棲んでいた何かを揺さ振り、その何かが心の水面にぷかりと浮かび上がったからだろうか。
 島尾と橋川は、その何かを具体的には語ってはいない。が、橋川はその何かが、西郷の謎に結びついていると直観したのだろう。西郷の謎といったがその謎は、橋川にとっては己自身の如何に生きたいか、如何に生きるべきか、という根源的な問いかけでもあったはずだ。そしてそれは、西郷が逝った後に辿った、西欧流の近代化をがむしゃらに推し進めた日本という国の生き方そのものと関わってくるものなのである。だから、日本政治思想史の研究者としても絶対に拘り続けなくてはならなかったのだろう。日本という国は違う生き方をすべきだった、と橋川は思っていたようだ。その違う生き方とは、西郷の謎を解き明かすことで明らかになり、更にいうと西郷の謎の核心である沖永良部島で激しく揺さ振られ、西郷の生き方を変えてしまったに違いない、西郷の心の奥深くに棲んでいた何かを解明することではっきりとすると考えていたのだろう。そうわたしは思っている。
 征韓論の謎。権力欲がなく、むしろ清々したような顔であっさりと下野してしまった西郷の心情の謎。そして、担がれるままに西南戦争を死に場所と選んだ謎。そんな謎に橋川は迫ったのだが、答えを見つけだす途上で帰らぬ人となってしまったのである。さぞかし無念だったと思う。
『西郷隆盛紀行』では、橋川は陽明学やキリスト教などの類推で、沖永良部島で西郷の生き方を変えた何かを見ている印象がある。収録されている『日本の近代化と西郷隆盛の思想―安宇植氏との対談』があるが、わたしはこの対談で掴んだものの影響を感じている。朝鮮半島は儒教の伝統が色濃く息づいている。日本においては儒教とは武士階級に浸透していたものだ。共通した下地があったから、西郷における征韓論の真意と、大久保利通らの侵略的征韓論との本質的違いを究明する中で、儒教的な世界観に囚われてしまったのではないだろうか。吉田松陰とも関連づけて義と忠とに想いを馳せている。
 誤解を恐れずに言えば、橋川は江戸時代という牢獄に囚われてしまった、と言えるのかもしれない。沖永良部島には縄文人の心が息づいていたのだ。今でも南西諸島に暮らす人々の血の中には縄文人の心と精神が記憶として生きているのだろう。それがどうして江戸時代なのか、わたしは不思議でならないし、残念でならないのだ。竹内好の目は縄文の森へと向いていたと妄想している。そこが、橋川との決定的な違いだろう。
 矛盾を生きた人というのが、わたしの西郷隆盛観だ。日本の近代革命を戦い、そして自分が生み出した近代日本の姿に誰よりも不信感を抱いた人なのではないだろうか。では、その不信感とは何か。おそらく西郷自身でもわかってはいなかったはずだ。しかし、時を重ねる毎にその不信感は確信へと変わるのだ。近代化した日本という国の姿は間違っている。が、どこがどう間違っているのかははっきりとはしない。はっきりとはしないのに何故かその想いは揺るぎないものであった。そして、確信とまでなった。その確信とは、奄美大島と沖永良部島で生きた西郷が触れた縄文の心と精神と結びついたものではなかったのか。そんな妄想を、わたしは抱いている。
 わたしは小説を書いているので、奄美大島で荒れ狂う西郷の心と身体を鎮めるためにいわば人身御供となった愛加那という女に興味が湧く。愛加那は一男一女を授かっている。愛加那という女の中に縄文の森が息づいていたのではないか、などとこれまた妄想するのである(笑)。

 新自由主義というおぞましい化け物が世界を跋扈している。
 現代社会は西欧近代化の延長線上に出現したものだ。
 わたしは新自由主義を、「神が死んだ」欧米的な価値観と世界観の必然的な帰結だと思っている。一神教的な世界観だからこそ、「神が死んだ」後におぞましい限りの素顔を剥き出しにしたのだろう。新たな神となった市場の意志が絶対なのだ。新自由主義が、自由と平等と博愛という西欧近代主義の精神を国家の理念として建国されたアメリカを故郷としているという事実が、西欧近代主義の本質を教えてくれていると考えている。アメリカとは先住民が暮らしていた土地を銃で奪い取った国である。自由と平等と博愛とは、先住民には向けられない。殺戮する対象でしかない。自然も同じである。破壊し尽くしてもいい、人間に奉仕する対象でしかないのだ。
 イスラム国というおぞましい化け物が生まれた。
 欧米と、そして日本のマスメディアがその残虐性と非人道性を断罪している。
 わたしにはイスラム国が、新自由主義を鏡に写したありのままの姿に見えるのだ。新自由主義とは巧妙に化粧を施されている。その化粧を落とした姿がイスラム国なのではないだろうか。別の言い方をすれば、イスラム国とは新自由主義が生み出した双子の兄弟なのである
 わたしは西欧近代主義の末期的な症状が、この双子のような気がしてならないのである。
 安倍晋三は保守を名乗っているが、その実体といえば超国家主義者であり、新自由主義者であるという支離滅裂な男だ。言葉の厳密な意味での保守主義とは真逆である。伝統と文化を破壊し、風土と共に暮らしている民衆の暮らしを破壊しているのだ。
 一方で、社民党と共産党の掲げる政策が保守主義的な色彩を強めている。つまり、日本の伝統と文化を守り、風土と共に生きて行こうとする民衆の暮らしと地域社会を守ろうとしているのだ。
 従来のいわゆる保守と革新の範疇が意味をなさなくなったのではないだろうか。
 これは何を意味するのか。
 わたしは西欧近代主義そのものが行き詰まっているからだと直観している。西欧近代主義の世界観と価値観、そして幸福観が根底から揺らぎ出したからではないだろうか。
 こうした深刻な時代状況にあって、3・11が起こったのだ。
 わたしは3・11とは、新自由主義というニヒリズムの権化にまで変貌してしまった西欧近代主義を超えた、あるべき人間の原点へと、日本人の心を回帰させたのではないのかと思っている。これは確信である。日本ばかりではない。
 日本人は、これからどう生きていくのか、どう生きるべきなのか、という生き方の原点である。この原点は政治的な価値も、経済的な価値も超えたものだ。どう生きていくのか、どう生きるべきかとは、虫と蛙とどう生きていくのか、虫と蛙とどう生きるべきなのか、という本源的な問いである。つまり自然とどう生きていくのか、自然とどう生きるべきなのかという、新しい世界観と価値観と幸福観を展望した問いであり、生き方の原点なのである。
 沖縄の知事選挙は、従来の保守と革新という色分けを無意味なものにした。どうしてか。それは、沖縄はこれからどう生きるのか、どう生きていくべきなのか、という原点に立ち帰った選挙だったからだろう。そして、翁長候補が圧勝した。美しい沖縄の海を守ったのだ。美しい海とともに生きていくと、高らかに宣言したのである。
 わたしは沖縄だからこそ、原点に立ち帰れたのだと思っている。何故ならば、沖縄の人々の血には縄文人の尊い心と精神が息づいているからだ。縄文人とは一万年もの永きに亘って平和な社会を築き上げ、自然とともに生きて、豊穣な文化を謳歌した人々だからだ。平和憲法とは押しつけの憲法などではなく、縄文人の心と精神の反映なのである。
 沖縄知事選の勝利は3・11の心としっかりと繋がっているものなのである。
 大飯原発再稼働差し止め請求における福井地裁の判決文をみれば明らかだろう。政治的な価値と経済的な価値を超えた、人が自然とともに生きていく原点を高らかに謳い上げているのだ。
 従来の世界観と価値観、そして幸福観では未来は拓けない。
 金と欲まみれの醜悪な見せかけの現実を超えて、政治家は生きる原点に立ち帰り理想を語るべきだ。そうでないと新しい未来の扉を開くことはできないだろう。
 今度の総選挙は、生きる原点に立ち帰って、新しい日本の未来を展望すべきだ。
 空想論だ。非現実的だ、と揶揄された社民党こそ、理想を高らかに語るべきときだ!
 
 豊後竹田を舞台とした新しい小説には、生きる原点ともいうべきものを反映させようと思っている。ただ今、職を探しながら奮闘中である(笑)。西郷が去って、奄美大島に生きた愛加那という女の心を妄想して、小説に反映させようとも思っている。
 ああ、奄美大島に行きたい。沖永良部島に行きたい。ついでに石垣島と与那国島と沖縄に行きたい。
 小説を書くことに専念する環境がほしい。還暦なので焦っている。どこかの出版社が拾ってくれないか、などと虫の良いことを考えているが、豊後竹田で願をかけたのに愛染堂はつれない。いっこうにその気配がないではないか! 
 愛染堂のいけず!

 写真は一枚目が沖永良部島。二枚目が沖縄。三枚目が我が師、橋川文三。

 小説はキンドル版の電子書籍として出版しています。

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 石段は緩やかな川の流れとなって天空へと登っていた。
 足元で身体(からだ)を左に捩(よじ)った流れは、直ぐに右へと向きを変えると、ゆるやかな弧を描きながら、やがて、今度は反対へと身体(からだ)をくねらせ、そして、生い茂る木(こ)立(だち)の中へと姿を隠してしまった。
 川の流れが天空へと登っていくはずはない。が、確かに天空を指して登っていたのだった。
 十年前に、愛染堂(あいぜんどう)へと続く石段を初めて見たときに、文子のなかに迫(せ)り出してきた奇妙な感覚が、川の流れの印象を連れてきたのだった。そのときの感覚を、文子は再び呼び戻そうとしていた。
 十年前の五月の空は青く澄み切っていた。風にそよぐ若葉が眩しかった。が、川の流れは、空の青も若葉の緑も、水面(みなも)に映してはいなかった。若葉の影が、斑模様(まだらもよう)を揺らすばかりだった。
 あのとき文子は、これは川の流れではない……、と声に出さずに自分に言い聞かせたのだった。そして、木立に隠れて見えなくなった石段の行方を、必死になって追い求めたのだった。なぜか石段が、女である文子にとって大切な何かを語りかけてくれそうに思えたからだ。
 十年前の胸の高鳴りまでが蘇ってきた。
 高鳴りが何処からやってきたのか、あのときの文子には分からなかったのだった。二十五才だった。それが不思議なことに、十年の時間(とき)を生きたからだろうか、石段が文子を女としてのはるかなる高みへと誘(いざな)っていたからだ、と蘇ってきた胸の高鳴りが教えてくれていた。
「結構な高さだ」と、十年前の世界から声がした。
 横を向くと、石段を見上げている十年前の和眞(かずま)がいた。
 十年前、旅先で出逢った和眞と愛染堂を訪れたのだ。出逢ってから二日後のことだった。
 目が合うと十年前の和真は、「登ろうか」と言ったのだった。「うん」と頷くと、文子は右足を踏み出したのだった。十年前の出来事なのに、あの世界を流れていた時間を生きているかのように鮮やかだった。
 勾配は緩やかで一段ごとの幅が広い。一つ登っては歩き、また登っては歩いた。歩くリズムは一定ではなかった。文子の歩幅の倍数が石段の幅ではなかったからだ。
 十年前の感情が湧き上がってきた。
 一段登るごとに違った感情が波となって押し寄せてきたのだった。
 筋湯温泉で和眞に抱かれたのは、一人旅という感傷の仕業だったのかもしれない……。いっときの欲望に押し流されて、溺れただけに過ぎなかったのかもしれない……。一段登ると、そんな想いにとらえられた文子は、頷いたのだった。が、次の一段を登ると、首を左右に振っていた。
 十年前の身体(からだ)の疼きまでが蘇ってきた。
 生々しい女としての性の疼きだった。
 疼きは蕩けるような甘美なものであり、心を針で刺されるような痛みでもあった。ちぐはぐな疼きであり、矛盾した疼きだった。
 抱かれた後に和眞と入った露天風呂の光景を、身体(からだ)の疼きが連れてきた。
 夜明け間近だった。天蓋を木立の枝が覆っていた。枝の隙間から覗いた狭い空に、星影が震えるようにして瞬いていた。
 露天風呂に浸かりながら、和眞と身体(からだ)を結び合ったことが湯煙のような頼りないものに思えてならなかった。どうして和眞に抱かれたのかという疑問が、源泉となって文子の心に注いでいた。そして、さざ波となって心を揺らしていた。
 十年前に愛染堂(あいぜんどう)へと続く石段が川の流れに見えたのは、ゆらゆらと身体(からだ)を捩(よじ)りながら立ち上っていた、湯煙と結びついた連想だったのかもしれない、と文子は改めて思った。
 石段の右側はそそり立つ石垣の壁だ。が、不思議と圧迫感も威圧感もなかった。左側が石垣の壁ではなく、草木が生い茂る斜面になっているからなのだろうか。それとも、石段が自然石を組み合わせたものであり、一つ一つの石段の面が石畳の面影を偲ばせる造りになっているからなのだろうか。どこまでも優しげであり、どこまでも素朴だった。真冬の日だまりに宿る温もりの匂いがした。川の流れとなって登っていく石段は、跳び越えられるほどの小川ではない。車が優に通れるほどの川幅だった。
 また文子が横を向いた。
 和眞の姿が消えていた。小さく溜息を吐(つ)くと、文子が力なく笑った。和眞と別れてから十年の時間(とき)が過ぎた。
 季節は十年前と同じ初夏ではない。
 文子は白い雪が舞う冬の愛染堂(あいぜんどう)に佇んでいた。
 石段は雪で覆い尽くされている。雪の面にふんわりと段差を留めていた。
 中程まで登ってきた文子が立ち止まった。そして、手にした藪椿の花を見た。
 吐く息が白い。
 寒くはなかった。
 女の芯が火照っていた。
 文子の掌から、藪椿の花が雪の上にぽとりと落ちた。
 重みに耐えかねて葉先から零れ落ちた、夜露のしずくのようだった。文子が故意に落としたのか、それとも藪椿の意思だったのか、文子は判然としなかった。
 もしかしたらしずくは、十年の間、文子が抱え続けてきた槙野和眞という男へと向かう女心なのかもしれないと思えた。
 しかし、十年前、葉に降りた露は呆気なく消えてしまったはずだ。
 消したのは文子自身だった。それがあの日を境に、消えてしまったはずの男への想いが残っていたことに気づいたのだった。文子はうろたえたのだった。そんなはずはないと否定した。が、否定すれば否定するほど、男への想いが膨らんでいったのだった。もう自分に嘘はつけなかった。そして、膨らんでしまった男への想いをどうすることもできなくなっていた。素直になれた。だから十年の時を経て、夜露は真赤な藪椿へと姿を変え、文子の掌から雪の上へと落ちたのだろうか。
 文子はこくりと頷いた。藪椿の花が裸の女になった自分だと信じられたからだ。文子の分身というのではない。文子という裸の女そのものであり、文子の真心そのものに思えた。
 白い雪に真赤な藪椿の色が浮かび上がっている。
 振り返ると、雪の上に残っているはずの足跡がなかった。舞っていた雪は止んでいる。どうして、と声を発した瞬間に、身体(からだ)がふわりと宙に浮いた。そして、線香の煙となって肉体が消えてしまった。意識だけが残っていた。ふわふわと空間を漂っているような奇妙な感覚のなかにいた。
「文子……」と声がした。
 懐かしい声だった。石段の下に男の姿があった。思わず文子は、「和眞」と声にしていた。確かに懐かしい男の名を呼んだはずだ。が、男には文子の声が聞こえていないのだろう。男は石段の一点を凝視したままだった。
 男の視線の先を文子が辿っていった。男が見ていたのは雪の上の真赤な藪椿の花だった。
 男が文子と声にしたのは、藪椿の花をみつけたからだろうか。男の視線は藪椿の花に吸い寄せられていた。藪椿の花が文子という女に見えているとしか思えなかった。
 文子はつい先ほど、自分の身体(からだ)が消えてしまったのを思い出した。そして、文子という裸の女と、文子という裸の女の真心を真赤な藪椿にして落としたのが、自分自身であったことを思い出していた。
「文子、逢いたかった」と男が言った。十年ぶりに再会した槙野和眞という男の姿が、滲んで揺れ出した。
「わたしは泣いている……」と、文子が呟いた。
 どうして泣いているのか、分かるようでいて分からなかった。再会できた嬉しさはあった。懐かしさもあった。が、それだけで泣いているのではないということだけは分かった。十年ぶりに再会できた男が、自分という女にとってかけがえのない愛おしい男だったことを、揺るぎない心で確信できたからだろうか。
 涙によって文子は、槙野和眞という男を試していたことに気づかされた。
 裸の女としての自分と、裸の女としての自分の真心を藪椿の花にして男に突きつけたら、果たして裸としての男と、裸としての男の真心がどうなるか見定めたいという思いが、文子の心の奥深くで息をしていたことを知ったのだった。
 真赤な藪椿を見つめている男の姿が、文子という裸の女の心と身体(からだ)を鷲掴みにして放してはくれなかった。
 もしかしたら試していたのは裸の男の心と身体(からだ)ではなく、裸になった文子自身の女の心と身体(からだ)だったのかもしれない、とふと思った。
「裸になった香坂文子という女の芯から、目の前に立っている槙野和眞という男が欲しいのか、裸になった香坂文子という女の心底から、槙野和眞という男を愛してしまったのか、わたしは自分自身に確かめたったのからなの?」と、文子は自分の心に訊いていた。そして、「それをはっきりと確かめられた。だから、わたしは泣いているの……」と心のなかで呟いてみた。が、頭を左右に振った文子は、「わたしが泣いているのは、それだけの理由ではないでしょ!」と声に出して自分を詰(なじ)った。
 口にした瞬間に文子自身が驚いていた。無意識に発した声だったからだ。泣いたもう一つの理由を、文子ははっきりとつかんではいなかった。意識を超えた何ものかが、文子に言わせたとしか思えなかった。
 涙を流したもう一つの訳を無性に知りたくなった。
 すがりつく思いで、「ねえ、他に泣く理由なんて、わたしにあるの」と男に向かって訊いていた。
 男には文子の声が聞こえてはいないのだろう。顔はぴくりとも動かずに、藪椿の花を目で抱きしめたままだった。息苦しいほど熱く荒々しい視線であり、蕩けてしまいそうなほど甘く切ない視線だった。満開の藪椿の花となって咲き匂う女としての感覚が、男の濡れた視線を、真っ赤な花びらとなって感じていた。

 朽網山(くたみやま)
 夕居る雲の薄れ行かば
 われは恋ひむな
 君が目を欲(ほ)り

 男が万葉集の歌を詠んだ。
 文子がしたためた手紙の返事が男から届いたのは十日ほど前だった。男とは十年間、音信普通だった。音信不通にしたのは文子の意思だった。男に告げずに東京から京都へと転居したからだ。携帯電話の番号も変えていた。その文子が、十年の空白を置いて男に手紙を書いたのだった。男の手紙に書かれてあったのが、男が詠んだ万葉集の歌だった。
 古(いにしえ)には久住山は朽網山と呼ばれていたらしい。久住山は筋湯温泉から豊後竹田へと車で向かう道すがらに、和眞と二人で眺めた山であった。九州で一番高い山であり、生きている火山だと教えてくれたのは和眞だった。
 手紙には、遠い地へと帰っていく愛おしい男に、女の想いを詠んだ歌だと書いてあった。久住山にかかる夕雲が薄れてしまうと、わたしは恋しくなるだろう。あなたに逢いたくて……、という意味だそうだが、和眞は夕焼けに染まった久住山を車を止めて二人で眺めた地点へと、足繁く通ったらしい。そして、夕焼けていく空の色が褪せるまで独りで眺めていたらしい。筋湯温泉の夜に火となって燃え上がり、俺の心の夕空を血の色で染め上げた文子の色と匂いを抱いたのは幻であったのか、と和眞の手紙が文子の心変わりを詰(なじ)っていた。
「文子の色と匂いだ」と男の声がした。
「あの夜に、火となって燃え上がって、俺の心を真赤に染め上げた文子の血の色と匂いだ」と、また声がした。声の方に目を移すと、雪に埋もれた石段を登ってくる男の姿がみえた。
 空を夕焼けが染め上げている。
 儚げに透きとおった薄(うす)紅(べに)色(いろ)が雪に映えている。が、真赤な藪椿の花の色と匂いは夕焼けの薄紅にかき消されることはなかった。めらめらと炎となって妖しげに揺れ出したのだった。
 男が足を踏み出すごとに、雪面に映えていた夕焼けの色が褪せていった。やがて夕闇が下りてきた。雪面の白を薄ぼんやりと滲ませた夕闇のなかにあって、藪椿の花だけが色鮮やかだった。そして匂い立っていた。
 男が藪椿が落ちた傍らにまで辿り着いたときだった。黒々とした夜のとばりが男の姿を覆い隠してしまった。
「和眞」と男の姿を求めて文子が叫ぶと同時だった。ぱっと明かりが灯った。
 文子が息を飲んだ。
 幻想の世界に立っていたからだ。いや、立っていたのではなかった。意識となって浮んでいたのだった。
 文子が辺りを見回した。石段の下から石段が途切れる頂上まで、雪に埋もれた石段の両側に竹の灯籠の明かりが揺れていた。
 男から聞いた竹楽(ちくらく)という竹灯籠祭りを思い出した。が、竹楽は晩秋の十一月に行われると男から聞いている。雪が舞う季節に竹灯籠があるはずがない、と思った文子だったが、そんなことはどうでもよかった。竹灯籠が創り上げた幻想の世界に文子は魂ごと奪われてしまっていたからだ。
 幻想の世界にいるのは愛おしい男と文子の二人きりだった。竹灯籠の明かりが、雪の肌をゆらゆらと身体(からだ)をくねらせながら、撫で上げるようにして這い出してきた。
 竹灯籠の明かりが藪椿の花に息を吹きかけている。
 しっとりと濡れた生温い吐息だった。竹灯籠の明かりの妖しげな息づかいを、藪椿となった文子は真っ赤な花びらで感じていた。
 男がしゃがみこんだ。
 手を伸ばすと、指で藪椿の花びらに触れた。
 指が花びらを撫で上げている。
 艶(なま)めかしい指使いだった。筋湯温泉のめくるめく夜の闇にあった感触だった。
 藪椿の花を手にした男が、掌にのせて見ている。顔を近づけると、ふーっと息を吹きかけてきた。
 男の鼻先を真赤な藪椿の花びらで感じた。匂いを嗅いでいる。
 男が藪椿の花に口づけした。真っ赤な花びらで男の唇を羽交い締めにした。藪椿の花である文子が、男の唇に花粉をべったりと擦(こす)りつけてやった。柔らかで固い、ぬらっとしたものを花びらで感じた。平たくなったり、棒のようになったり、まるで変幻自在に形を変えられる軟体生物のようだった。文子の花びらを撫で回している。形を変えているのが軟体生物の意思なのか、それとも軟体生物の動きに反応した文子の花びらが形を変えさせているのか、文子には分からなかった。やがて固く尖った軟体生物が、花びらをこじ開けながら、文子の女のなかへと侵入してきた。男の欲望が乗り移った舌先だった。
 舌先に突かれる度に、文子は濡れて爛れた溜息の花粉を闇のなかへとまき散らした。

 身体(からだ)を捩(よじ)って、「ああっ」と声を上げた文子が目を覚ました。
 夢をみていたのだ。
 生々しい夢だった。
 十年ぶりに槙野和眞という男と再会するのは明日だ。豊後中村駅まで、和眞が車で迎えにくることになっていた。そして、和眞に抱かれた筋湯温泉に泊まることになっていた。
 夢は夢でしかない。が、なぜか夢だとは思えなかった。現実を超えた夢だとしか思えなかったからだ。槙野和眞という裸の男が狂おしいほど欲しかった。槙野和眞という裸の男を深く愛してしまったことを、夢が文子に教えてくれていた。確かに文子は、現実を超えた夢のなかで泣いたのだった。それは真実だと素直に認められた。しかし、もう一つの泣いた理由はおぼろげなままだった。それをはっきりとつかむ前に目覚めてしまったからだ。
 が、夢で教えられなくとも、文子は既にもう一つの理由もつかんでいた。
 つかんだから和眞に手紙を書いたのだった。そして、和眞とともに前に向かって歩いていこうと決めたのだった。文子はやっと辿り着いたそのもう一つの理由を、十年の時を隔てて和眞に抱かれることで、揺るぎないものにしたかったのだった。夢のなかだったから、もう一つの理由が曖昧だったのだろう。
 文子が蒲団から立ち上がった。
 胸の動悸が激しい。身体(からだ)が火照っている。夢で男の指と唇で触れられ、男の舌で撫で回され、男の舌先で突かれた女の芯が濡れていた。そして疼いていた。眠れそうもなかった。
 深夜だから貸し切りの露天風呂は空いているだろう。
 和眞と巡り合ったのは由布院だった。レンタルした自転車を走らせていて、よそ見をしていた文子が和眞の自転車に接触したのが切っ掛けだった。和眞も自転車をレンタルしていた。文子が由布院に一泊した翌日だった。あのときと同じ宿に文子は泊まっていた。


 豊後竹田を舞台とした小説の書き出しだが、わたしはこの小説を単なる恋愛小説にするつもりはない。生きた小説にしたいからだ。人が生きるということは、色々なものを抱えているものだ。そして、それぞれが相互に結びついている。恋愛一つとってみても、様々なものを引き摺っているものだ。様々なものを引き摺っているのだが、何を引き摺っているのかは本人でもはっきりとわかってはいないだろう。愛を生きて後に、見えてくるものなのかもわからない。が、見えてくるのも稀なのだろう。自分の内面深くまで沈潜し、内省がなければ見えてなどこないものだ。
 だから、次の愛もまた前の愛と質的な、そして内面的な変化がない。恋愛の対象である相手の顔と身体が変わっただけの話しだ。その顔と身体も直ぐに飽きが来る。商品と同じで愛を消費しているのかもしれない。
 人を愛するというのは大変なことである。自分も生きていれば、相手も生きている。生きていれば心も身体もずっと同じであるはずはない。自分も相手も変わる。
 生きた恋愛を描くとはかくも難しいものだ。そして、引き摺っているものを深く掘り下げて描かずには、恋愛というものを描いたことにはならないのだろう。
 小説では時事的なことと政治的なことは書くべきではない、などと本気で言っている暢気な関係者がいるが、人が生きていく上で政治と経済と無関係に生きていくのは不可能である。そして人はどんなに稚拙なものであれ思想というものを持っている。
 日本の自然主義文学から生まれた私小説とは、目に見えたありのままの事実を主観を排して客観描写することを方法論にしているが、これは事実=真実というお目出度い考えから必然的に導き出されたものである。そして、その客観描写を突き詰めれば、無理想、無目的という無思想になるのもまた頷ける。理想や目的は客観視を妨げるからだ。しかし、日本の自然主義文学とは曲がりなりにもフランスの自然主義文学に影響を受けているのである。フランスの自然主義とははっきりとした思想を持っている。フランス革命の醜悪な末路という現実を生きた先に掴んだ思想なのである。フランス革命というロマン主義の理想に幻滅した結果の無理想と無目的いう思想なのであり、人間の本質を倫理なき獣性に見出していたのだ。その本質を容赦なく描き出すことがフランス自然主義文学だったのである。
 その無理想と無目的と人間の本質である野獣性という思想を拝借してきた日本の自然主義文学は、事実=真実という手っ取り早い日本的リアリズムに逃げ込んだので、無理想と無目的が思想であることを忘れて、文学から思想性を排除したのである。あとに残るのは人間の本質である倫理なき野獣性であるが、事実=真実であり、それを描写するのが文学としたのであるから、間違いなしに野獣性を客観描写できるとすれば、自分がその野獣性を生きればいいということになる。ここに破滅的私小説が生まれる必然性があったのであり、何故に私小説がじめじめとした黴臭い陰湿な人間の性と暴力をうんざりするほど描いてきたかがおわかりいただけるというものだろう。
 この私小説の伝統の上に、いわゆる純文学というものがあるから厄介なのである。露骨な私小説は影を潜めたが、無理想と無目的という無思想が未だに信奉されているのだ。そして、文学とは暴力とセックスだと豪語する作家様までいるくらいだ。その暴力とセックスとはなんてことはない、私小説の文学観に胡座を掻いてのものである。黴が生えたようなじめじめとした陰湿なセックスであり、そのセックスも暴力の色彩に彩られたものだ。無理想と無目的の快楽を貪るためだけのセックスであり、そのためには手段も選ばない。なんとなれば、それこそが人間の本質である野獣性に他ならないからだ。
 夢もちぼうもない(昔のお笑い芸人の言葉)ばかりか、こんな世界をえがくことに芸術などという大それた言葉を臆面もなく使うのだがら驚愕である。この芸術とは安倍晋三と櫻井よしこと百田尚樹が大好きな愛国という言葉と同じだろう。
 無理想と無目的という無思想もりっぱな思想なのである。その自覚がないのだ。だから、未だに文学に思想を持ち込むべきではないなどと暢気なことをいっているのだ。そればかりか、純文学的な芸術は無理想と無目的という無思想の世界にしか成立し得ないと思っているようなのである。
 わたしは何も百田尚樹という御用小説家のように、浅薄で皮相的な政治的小説を書けと言っているのではない。また過去のプロレタリア文学のようなものに回帰しろなどと言っているのではない。両方とも否定している。
 文学とは「政治」思想を書くものでもなく、「経済」思想を書くものでもないし、宣伝するものでもない。しかし、人が生きて行く限りは思想とは不可欠である。思想とは文字で表されるものばかりではない。里山にも人の生き方という思想が息づいているし、棚田の石垣にも人の生き方という思想が宿っている。文字でないから目には見えないが、それを感じるのが文学だろう。何故ならば、文学とは人が生きるという根源的なものに眼差しを向けるものだと思っているからだ。人が生きていくためには自然との関わりがあり、社会との関わりもあり、他人との関わりもある。文学が思想を蔑ろにして、果たして人が生きるという根源的な姿に肉迫できるだろうか。
 無理想と無目的の無思想とは、現状をそのまま受け入れただ流されていく堕落した思想である。が、それを認めると作家としての名折れだ。そこでこう言うのだ。政治も経済も社会も、そんなものは取るに足らないかりそめの虚像であり、文学とはそんな虚像を超えたものを追求するのだ。それが芸術であると。もっと格好良く言うと、本居宣長の「もののあはれ」を引き合いに出して、情に拘ると欲になる。そんな欲に囚われることなく、そのときそのときの移ろい行く感情をふわふわと漂っていくのが文学的在り方だ、となるのだろうか。しかし、本居宣長とは農民一揆と打ち壊しに走る民衆の心の動向を人一倍に恐れた人なのである。そこが契沖との決定的な違いだ。契沖は正に文学的美学に生きたひとだ。契沖を師と仰ぐ本居宣長は、その契沖の文学的美学を政治的に読み替えたひとである。
「もののあはれ」とは純粋な政治的意味で解釈すると、お上のする政治的、かつ経済的な政策になど口出しし、況してやたてつくことなどせずに現状を受け入れ、ただ刹那刹那の情そのままに面白可笑しく生きなさい、というものではないだろうか。
 私小説の悪しき伝統とは、化けの皮を剥ぐとこうした中身が現れてくるのではないだろうか(笑)。極論すると、わたしから見える現状の純文学とはこの延長にあるのだ。勿論、すべての作家がそうだというのではない。が、半径10メートルの日常を飽きずに書くことに何の意味があるのだろうか。無意味である。だから感性だの文体だの表現だのに逃げるのであり、臆面もなく芸術などという言葉まで吐く始末である。はっきりいって芸術などとはほど遠い。
 3・11に無反応な作家は、わたしは偽物だと思う。そして、3・11に対してはっきりとした意思表示ができない作家は、即刻作家の看板を下ろすべきだろう。中には、意思表示をすると作家活動に不利益になるから故意に避けている者がいるが、こうした輩は言語道断だ。
 何故に3・11がそれほどまでに重大な意味があるのか。
 それは、人が生きていくこと、そして如何に生きるかということと、本質的な関わりがあるからだ。この本質に迫るべきは、わたしは文学をおいてないと確信している。
 政治的な眼、そして経済的な眼などをはるかに超えた眼を、文学はもっているはずだからだ。
 大飯原発運転差し止め訴訟における福井地裁判決文を読んでみるべきだ。この判決文が格調高いのは、政治的価値と経済的価値などを超えて、人が自然と社会と生きていく、という根源的なものに肉迫しているからである。
 文学の眼だからこそ見えるものこそ、民衆に開示すべきだろう。その開示の仕方は直接的ではない。見えない熱く滾る力となって、民衆の心を激しく揺さ振り、民衆の心のスクリーンに映像を超えたものを写し出すことだと思っている。それを言葉でやるのだ。が、映像を超えたものとは言葉をも超えたものなのだろう。それなくして、閉塞し黒々としたニヒリズムの闇が覆う時代を彷徨う民衆の心に、松明となって未来を指し示すことにならないのではないだろうか。
 Twitterの世界では原発の問題とは重大なものとして見なされている。当たり前である、生きていくということそのものだからだ。そして、原発の問題は心ある人々にこれまでの生き方を含めた、これからの生き方を問いかけているからだ。
 そうしたときに、半径10メートルの日常の狭隘な世界に閉じこもって、芸術だ、文体だ、感性だ、実験だなどとほざいていても、誰も見向きもしないだろう。非正規雇用者が巷に溢れ、喰うのがやっとの時代状況だというのに、そんな腐りきった文学になど誰が金を出すというのか。幼稚園児でもわかることだ。文学が民衆から見捨てられ、出版不況となったのも自業自得なのである。
 夏目漱石は、日本の歪んだ近代社会と対峙し続けた作家である。丸山真男とその点では共通している。丸山は政治思想から肉迫したが、漱石は文学的な眼でその本質に迫ったのだと思っている。そして行き着いたのが「則天去私」というものなのだが、何故かわたしの唱える「里山主義」に通じていると思えてならないのだ。漱石と丸山が辿り着いた地点は違っている。
 丸山は歪を質すことで、よりよい形で西欧的近代主義を日本に根付かせようとしたのに対して、漱石は西欧近代主義そのものを超えた根源的なものへと収斂していったように思える。
 漱石は人が生きるということと真正面から対峙し、その本質に肉迫しようともがき苦しみ、そして己の醜い内面へと深く沈潜していき、内省したのだろう。日本の近代化が歪なものだっただけに、漱石の苦悩は筆舌に尽くしがたいものなのだろう。
 ともあれ漱石の文学とは思想に彩られたものなのである。漱石だけでは無い、森鴎外の「高瀬舟」とは正に思想だろう。価値観が違えば欲望の姿と意味とが変わってくる。それは生き方そのものなのだ。

 写真はⅠ枚目が愛染堂への石段。二枚目が久住山。三枚目が竹楽。


 小説はキンドル版の電子書籍として出版しています。

 ブログはこの他に、「里山主義」と、「里山主義文学」を開設しております。合わせて読んでいただければ幸いです。
「風となれ、里山主義」(思想・政治関係)
「里山主義文学」(文学関係)

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