「北林あずみ」のblog

2014年07月

 
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 前回は序章と断りを入れたが、標題とは隔たりがあるままに尻切れトンボになってしまった。序章の弁解をすれば、社民党への提言をする上では、この序章で展開したものが土台になると考えているからである。そして、この土台としての認識こそが社民党に決定的に欠落するものであり、だからこそ閉塞した現代社会を覆っている闇の中に未来へと続く道を照らし出す松明となり得ないと思うからである。
 社民党はこの闇を真摯に捉えていることは確かだ。だからこそ党名を変えて、新たな党の理念と掲げ、その理念に沿った形で想い描く理想としての社会へと導いていく具体的な政策を打ち出したのだろう。それは評価している。また理念も個別の政策も共鳴するものがほとんどである。
 では、何故に社民党に提言をするのか。絵に描いた餅になるだろうと危惧しているからだ。この危惧はほとんど確信に近い。
 現代社会を覆っている闇の本質を見失っているのではないだろうか。大正末期から金融恐慌が起こった昭和初期の時代を覆う空気を石川啄木は評論『時代閉塞の現状』と『硝子窓』に書いているが、文学者だからこそ感じられた時代の空気と匂いなのだろう。文学的直観が啄木に閉塞した時代の本質を垣間見せてくれたのである。田宮虎彦もまた短篇小説『琵琶湖疎水』で、当時の若者の心に忍び寄る退廃的で虚無的な闇を描いている。わたしは以前日記に書いてネット上で公開もしているが、当時の時代を覆っている闇と現代とが奇妙に似通っていると感じているのである。
 しかし、現代社会を覆っている闇と戦前の闇とでは、決定的に意味が違うと考えている。わたしの文学的直観がそう囁いているのだ。この決定的な違いこそが重要であり、社民党が闇を捉えている認識とわたしの認識との違いでもある。この認識の違いが、厚顔無恥にも、わたしに社会党への提言をしろと強いるのである。いい迷惑なのであるが、文学を志している端くれとしては、この文学的直観に素直に従わざるを得ない。
 そして、この文学的直観が的外れでないことを示す現象が、社会のあちらこちらに散見しているのである。先ずは社民党に問いたい。虚心坦懐に理念と政策とを見渡して、そこに言葉の厳密な意味での「保守主義」的な要素を感じることはできないか。また、どうして「保守主義」的な色彩を帯びてしまったのか、考えていただきたいのである。これは社民党に限ったことではない。共産党も同様である。共産党にいたっては保守地盤といわれていた農村部での躍進が著しい。それに対して前回の冒頭で述べたように、保守を自認している政党が、保守主義とは真逆の政策へと走っている現実がある。
 資本主義がグローバル時代へと突入し、一国の経済政策では機能しなくなり、巨大金融資本の投機マネーが一国の経済基盤をも揺るがす由々しき事態になったことに追い打ちをかけるように、生産拠点ばかりか開発拠点をも海外に移転し、部品供給も世界展開し、頭打ちになった国内需要に見切りを付けて、市場を全世界に求めて利潤追求にひた走る超多国籍企業へと経済構造がドラスティックに変貌を遂げた。人・物・金の流れのボーダレス化が加速化してもいる。当然にこうなると、経済構造に合わせて従来の国内の社会構造は変わってくる。また、超巨大多国籍企業の論理の象徴である新自由主義勢力の市場開放と非関税障壁の撤廃の圧力も増してくる。郵政民営化に代表される規制改革とはそうしたものであり、社会構造の急激な変容を強いるものである。この流れは留まる気配はない。TPPによってより決定的な社会構造の破壊がなされるだろう。
 社会構造の破壊とは大量の弱者を産み出す。その日暮らしの非正規労働者が街に溢れているのを見れば明らかだ。中間層が駆逐され、極端な格差社会へと突入しているという現実がある。特に地域社会への打撃は大きく、由緒ある地方都市の商店街はシャッターが下ろされ寂れ果てている。
 南北に細長く、様々な風土性を反映した伝統行事や文化、そして慣習と民俗行事、風俗は地方に生きる民衆の安定した暮らしに負うところが大きい。豊かな文化の醸成には中間階級の層の厚さが不可欠だろう。
 いわゆる保守を自認している自民党を筆頭とする政党の政策は、悉く日本における伝統と文化の破壊を惹起するものでしかない。グローバル化した資本主義を是認し、それに対応した経済構造へと法も含めた社会環境を変えようとしているからだ。安倍晋三の経済政策のブレーンは竹中平蔵をみれば判るとおり新自由主義者で固められている。つまりは、超巨大多国籍企業を偏重した政策なのである。1%の富裕層と99%の貧困層という超格差社会は直ぐ目の先なのだろう。
 こうした流れを止めるべき政策を社民党と共産党は打ち出しているのだろうが、だからこそ言葉の厳密な意味での保守主義的な色彩を帯びてくるという奇妙な現象が見え始めたのだと、わたしは考えている。
 左派リベラルが保守主義的な色彩を帯びる意味をどう捉えるのだろうか。社会主義とは究極的にはボーダレス化が基本だ。国境の消滅による階級のない自由と平等な世界市民の創出である。そして、その社会とは経済的生産の科学的な発展の先にある。経済至上主義と経済成長神話と科学神話が根底にあるのだ。新自由主義と似ているとみるのは、わたしだけなのだろうか。違いと言えば、世界市民の創出過程が、下部構造の変質に伴う上部構造と乖離矛盾が生じ、それを止揚しながら社会主義社会へと向かっていくという科学的、かつ歴史的必然性と、単一化した世界市場の意志の違いであり、富の分配の違いなのではないだろうか。経済至上主義であることも、経済成長を重視していることも、科学万能主義的であることも一緒なのである。これは人が生きていく上での富の観念と、幸福の観念とも深く関わる重要な問題を秘めたものである。
 だとしたら、社会主義に関係している社民党と共産党の保守主義的政策とは、本質的なところで矛盾したものなのではないだろうか。言葉を換えると、どうしてこうした矛盾が起こるのか、という疑問である。前回に指摘したようにこの矛盾には重要な意味がありはしないか、とわたしの文学的直観が訴えているのである。
 資本主義がグローバル化するまでは、左と右の対立軸が機能していたと、わたしは考えている。が、資本主義のグローバル化がここまで深化すると、左と右の対立軸では機能出来なくなったからだと確信している。これは何を意味するかというと、従来の価値観、世界観そのものの行き詰まりということだ。従来の価値観、世界観とは西欧近代主義である。行き詰まりの象徴が、左派リベラルが保守主義的な姿をしてきたという現象なのである。つまり、それまでの価値観、世界観が揺らいでいるからこうした奇妙な現象が起きているのではないだろうか。一国社会主義を掲げているからという理由だけでは説明はできない。
 4月からTwitterを始めたが、膨大なつぶやきの中から考えのヒントになることをよく見つけたりしている。昨日は、報道ステーションに出演した姜尚中の脱原発発言に賛辞を与えている方に、わたしは反論をしている。
 この遣り取りは、わたしが社民党に提言する理由と通じたものなのだ。
「日本は、人間の命を軽くみている」と発言した姜尚中が、「資本主義社会では経済性が優先されるのだから、脱原発が妥当」と発言したというのだ。大政翼賛的な報道体制になっている中でよくぞ勇気ある発言をしたと賛辞を贈っているのだが、わたしは姜尚中が論理的自己矛盾に気づいていないとしたら政治学者としての資質を疑いたくなる。そればかりか悪質な意図さえ感じ、巧妙な大政翼賛的な報道に与している姿を見出してしまうのである。
 どういうことかというと、3・11の本質を故意に隠蔽し、矮小化して風化させようという悪意を感じるからだ。人間の命を軽く見ているのは日本に限ったことではない。日本以外にも原発はある。武器輸出三原則を撤廃し、安倍晋三は武器輸出を解禁したが、軍需産業は世界各国にあり、相互的に結びついている。どこかで紛争が起きて人殺しが始まれば、軍需産業は儲かる仕組みである。敵も味方もない。金儲けが目的である。敵味方は表面上の方便なのだ。これのどこに人の命を重くみているというのだ。綿毛よりも軽いではないか。そして、これは姜尚中がいう資本主義社会における経済性が優先された結果なのである。経済至上主義とはこうしたものである。武器輸出も原発も同じ論理であり、遺伝子組み換え作物も、大量の農薬の散布も自然破壊も、すべて経済至上主義の論理なのである。その論理を用いて原発を否定しても、姿を変えた第二第三の原発が作られ、また破滅的な事故を起こすだろうことは容易に想像がつく。地球温暖化に伴う異常気象一つとってみても、経済成長神話に魂を蝕まれた人間が、飽くなき無駄という欲望の拡大再生産を続け、それが人間の幸福に繋がるという経済至上主義という宗教に洗脳されてきた結果なのである。このまま突き進めばどうなるか、地球の破滅だろう。
 3・11とは、人間に現代社会が抱えた闇を突きつけたのである。その闇とは社会を覆っているどす黒く腐臭を放っている価値観と世界観である。このままこの価値観と世界観をごり押しすればどうなるか、人類に警鐘を鳴らしたのだ。わたしはブログに大飯原発再稼働差し止め判決文の意味を、3・11の心と結びつけて書いたが、この判決文の持つ意味は人類の歴史が重要な岐路にあることを高らかに宣言したものと捉えている。それだけに画期的なのである。そして、この判決文が平和憲法の精神を反映したものだけに、これから人類が歩んで行くべき未来へと導いていく松明こそが平和憲法だと立証したのだと想う。それだけに画期的なのである。平和憲法にノーベル平和賞を与えよという運動にわたしも賛同するが、そればかりでなく平和憲法を人類の道標にすべきだと確信しているのだ。
 判決文は原発を経済的価値と社会的価値から眺め、経済価値という視点から原発の利点がどんなに指摘されたとしても、社会的価値からみたら、人の命を奪い社会生活と社会環境と社会構造を破壊する元凶として全否定したのである。つまり経済的価値よりも人間の生存権を上に置いたのであり、経済的富と社会的富を区別し、故郷を破壊し、故郷の地を奪った原発は社会的富の破壊者であり、どんなに経済的富を有していようとその富は社会的富の下にあるものだとしてこれまた全否定したのである。
 姜尚中の論理と比較していただきたい。3・11の持つ意味が全く違ってくるだろう。何故に権力層は3・11を風化させたいのか。また単なる自然災害と同列に扱いたいのか。それは、3・11が突きつけた従来の価値観、世界観というどす黒い闇の醜悪な姿を晒したくはないからだ。従来のままの価値観、世界観が息づく世界をどうにかして持続しようという自己保身という本能が働いているのだろう。
 仮に原発が否定されることがあっても、従来の世界が維持できれば御の字なのである。姜尚中の論理とは、御の字のための巧妙な論理なのである。
 姜尚中の論理を暴いてきたが、社民党の政策が絵に描いた餅に終わるのではという危惧は、姜尚中の論理のような匂いを感じるからである。従来の価値観、世界観が行き詰まっているのだ。もうこのままでは地球自体が耐えられないだろう。戦前の世界大戦は世界恐慌が引き金になっているが、それは膨張の限界に達した資本主義体制自体の行き詰まりだったのであり、御破算で願いましてはというリセットの意味があったのだろうが、現在ネット上では第三次世界大戦などという言葉が飛びかっている。世界が閉塞感に窒息しそうなほど行き詰まっているのは確かだろう。しかし、この行き詰まりは戦前とは違いもっと本質的なものを孕んだものである。これまでの価値観、世界観自体の行き詰まりなのだ。この土台自体の行き詰まりの認識の上に立って未来を展望しない限り、絵に描いた餅になると苦言を呈したい。姜尚中と同じ過ちである。原発という部分的な病巣を取り除いたところで、根本的には何も変わらないし、病巣はより深刻となり終には破滅へと転がり落ちていくのだろう。部分的な病巣を取り除く政策を掲げても、根本的な病巣への視点とそれを取り除く展望がなければ、政策自体に効果はなく無意味となり、果ては党自体が民衆から見捨てられていくのかもしれない。
 価値観と世界観とはそれほど重要なものなのである。何故ならば人が生きていく土台だからだ。人の理性は真理へと向かうと思うのは空想である。科学は常に真理へと向かうというのもまた空想である。空想から科学へとは、空想から別の空想へと移行したに過ぎない。理性が真理へと向かうものならば、論理的対立は解消するるはずだし、戦争など起こりえない。科学が常に真理へと向かうものならば、核廃棄物の処理方法さえ確立していない原発など開発はされないし、遺伝子組み換え作物なども産み出されなかっただろう。爆薬の製法に通じていたから容易に農薬が作られるようになったのである。枯れ葉剤で有名なモンサント社は、農薬とセットになった遺伝子組み換え作物によって、食糧による世界制覇を企んでいると囁かれている。理性と科学とが、価値観と世界観に沿って発展していく証拠だ。原発も遺伝子組み換えも戦争で使用する大量人殺しの武器も経済至上主義が産み出したものなのである。
 感情と理性は対立したもののように言われるが、感情もまた価値観、世界観に沿って発露するものである。無臭剤とか芳香剤とかが商品となっているが、これは宣伝による嗅覚の飼い慣らしであり、単一化であり、嗅覚の退化につながるだろう。不快な匂いは悪として取り除き、心地よい匂いが善として意識に刷り込まれるからだ。つまりは自然からの乖離である。感情も理性も価値観と世界観に深く関わっているのだ。
 この価値観、世界観が行き詰まり社会的な不具合が噴出したとして、行き詰まりの本質である価値観・世界観をそのままにいくら対策を講じても本質が変わらないのだから、長期的にみれば絵に描いた餅になるのは道理であろう。


 今回も序章の続きになってしまった。推敲なしの殴り書きである。
 草刈りと馬鹿にしていたが、起伏に富んだ湿地あり崖ありの広大な面積だけに、想っていた以上の重労働である。刈りっぱなしならそれでもたいしたことは無いが、人力で刈り取った草を集めるのはやっかいなのである。その上、猛暑である。4リットルの水を飲んでいるが、昼飯が食えなくなり、体力は奪われ疲労が蓄積するばかり。と、筆が進まない弁解をしたりするのだが、小説を書きたいという思いだけは泉と成ってこんこんと湧き上がってくる。それから妻と旅がしたい。11月で草刈りの仕事が終わるので、その後に旅をしたい。小説の題材にしたい地を訪ねたいのだが、妻の了解が得られるかはわからない(笑)。
 次回は、いよいよ序章ではなく本題に移ります。乞うご期待!
 といっても期待する人はほとんどいないでしょう。それでも書こうとするこの意欲はどこから湧いてくるのか、単なる自己満足ではないことだけは信じたい。

※写真は石川啄木・田宮虎彦・琵琶湖疎水

 小説はキンドル版の電子書籍として出版しています。
 小説の中で社民党で欲しいというのがあれば、著作権以外はすべて捧げます。と書いても、欲しがるわけはありませんよね(笑……のち涙)。

 ブログはこの他に、「里山主義」と、「里山主義文学」を開設しております。合わせて読んでいただければ幸いです。
「風となれ、里山主義」(思想・政治関係)
「里山主義文学」(文学関係)


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 現代社会に奇妙な現象が息づいている。
 リベラルな勢力ほど、言葉の厳密な意味での保守主義的な色合いを深め、自称保守を名乗る勢力ほど言葉の厳密な意味での保守主義とは真逆の政策を行っているという現象だ。
 この現象は何を意味するのか。わたしは重大な意味が潜んでいると考えている。
 例を挙げれば、農村部での共産党の躍進がある。また社民党と共産党が掲げる政策が言葉の厳密な意味での保守主義的な性格を帯びてきた。これに対し、保守を名乗る自民党、維新の会などは言葉の厳密な意味での保守主義とは真逆の政策を打ち出している。資本主義のグローバル化が加速度的に進み、社会的構造と経済的構造が変容したのにも関わらず、従来のように輸出が増えれば内需が拡大し、国民の所得が増えるかのような洗脳を行い、膨大な税金を使って円安誘導を行ったが、物価の上昇を招いただけで輸出は増えなかった。構造自体が変容し、生産拠点をグローバル展開し、部品の供給先もグローバル展開しているのだから、旧来のような理屈が通らないのは道理である。恩恵を受けたのはほんの一握りの巨大企業だけである。その上、巨大企業偏重の経済政策を行っているのだから、地域経済と地域の暮らしは益々疲弊し、中間層の崩壊を招いて超格差社会へと転がり落ちていっている。
 文化と伝統とは、地域のしっかりとした暮らしがあって成り立つものだ。街に非正規労働者が溢れその日暮らしを強いられれば、文化と伝統もまた死に絶えるのは火を見るよりも明らかだ。それに追い打ちをかけるように新自由主義的な経済政策を矢継ぎ早に打ち出すのだから、何をか況んやである。非関税障壁とは文化と伝統と歴史、そして慣習や風俗に深く関わる社会構造的なものであるが、これを既得権益という醜悪な言葉で全てマイナス価値と見なすのだから、保守主義であるはずはないのである。ドラスティックな文化と伝統と歴史の破壊でしかない。
 こうした奇妙な現象を素直に捉えれば、いわゆる左翼と右翼とに色分けすることが無意味であることに気づくだろう。そして、疑問が頭をもたげてくるはずだ。従来の対立軸が意味をなさなくなった理由は何か。新しい対立軸があるのか。という疑問である。
 その疑問を考察する前に、日本では保守主義が誤解されて解釈されているので確認の意味で述べておきたい。
 右とは保守主義のことではない。当然に保守主義は左でもない。だとしたら保守主義とは下か、それとも上か。残念ながら、下でも上でもない。
 円を思い浮かべて欲しい。この円で囲われたものを価値観、もしくは世界観としよう。左とはこの円の左側であり、右とはこの円の右側でしかないのだ。どちらも同じ円なのである。円の中心から左に行けば個人主義的自由主義・民主主義が色濃くなり、やがて社会主義になる。円の中心から右側に移動するとどんどんと国家主義的色彩を強め、やがて超国家主義になるということだ。戦前に北一輝は国家社会主義を企てたが、この言葉ほど円の性質をよく表したものはないだろう。日本においては極右の民族派と極左の過激派との連帯が見られたりしたものだが、円の右側と左側を歩いていたのが、円周上に沿って歩き出し出会ったようなものである。
 では保守主義とはどこにあるのか。この円の外側である。外側に別の円があるのだ。その別の円(価値観・世界観)に保守主義が立っているのである。右とか左とか言われているのは、西欧近代主義の円の中においてなのだ。安倍晋三や石原慎太郎は保守を名乗っているが誤りである。正真正銘、西欧近代主義の円の右側に立っている。つまりはエセ保守主義であり、超という形容詞を付けた国家主義者でしかない。
 保守主義とは西欧近代主義と違う価値観と世界観を有しているのだ。近代国家ではなく、故郷の自然と山河とそこで生きる人々の暮らしと文化と伝統とに愛着を持つのであり、足尾鉱毒事件で襤褸の旗を掲げ、故郷を破壊する国家への抵抗運動の先頭に立った田中正造こそ真性の保守主義者なのである。
 右側(国家主義的勢力)からみれば田中正造を左翼と名指しするだろうが、左翼ではない。左翼とは価値観と世界観と異なった円の中にいるからだ。右と左の違いよりも、田中正造との違いの方が決定的なのである。

 学生時代のわたしは、緩やかな意味でのマルキストだった。
 丸山真男の弟子であり『日本浪漫派批判序説』を著した橋川文三のゼミに入室したのだが、このゼミは代々いわゆる左翼の巣窟だったのである。が、左翼といっても一括りにはできない。過激派と呼ばれる新左翼のセクトに所属している者がいれば、黒ヘルの弱小アナキスト集団に所属し、常に公安から尾行されていると自慢している者までいたのである。当然に橋川文三を慕って純粋に日本政治思想史をやろうと入室してきた者もいるのだが、わたしを含めて誰もが「正統派」ではないはみ出し者だったように思える。それは当然であり、橋川文三自身が丸山学派における異端児であり、橋川学そのものが混沌としたものだからだ。言葉の厳密な意味での政治思想史の範疇に留まっていたのではなく、文学の要素もあったし、民俗学やアジア主義といった要素も内包していたのである。
 こうしたゼミだから、当然に誰もが文学に興味を持っていないはずはない。中には小説を書いているものもいたのだった。文学に心を吸い寄せられていた当時のわたしにとって橋川ゼミとは、知的好奇心をくすぐり、また満足させるに足る存在だったのである。わたしの目差すべき文学というものの姿を朧気ながらつかめたのは、橋川文三によってであり、竹内好を知ったのも橋川文三を通じてである。
 緩やかな意味でのマルキストといったが、正確にいうと心情的マルキストといった方が適切だろう。つまりは筋金入りのマルキストではなく、マルクス主義という理論を完全に理解して自分の血と肉とにしていたわけではなかったのである。従ってよく言われるようなマルクス教としての信者ではなかったのだ。
 こうした思想的にあやふやな状態であったからだろう、いわゆる京都学派を中心とした「近代の超克」を批判的に乗り越えた先に見えてくる本源的な意味での「近代の超克」の問題性に拘り抜いた竹内好の影響を強烈に受けたのである。「近代の超克」とは「日本浪漫派」の保田與重郎にも深く関わる思想的な問題でもある。師である橋川文三は『日本浪漫派批判序説』で保田の思想の核がマルキズムとドイツロマン派と国学だったことを指摘し、その思想的な危険性を批判したのだが、竹内が指摘した「日本浪漫派」に内包する「近代の超克」の問題にまで言及し、それを批判的に乗り越えて、その先に見えてくる思想的可能性までも橋川が展望できたかというと残念ながら果たせなかったのだ。『日本浪漫派批判序説』は、橋川自身も含め、同世代の若者の心を吸い寄せていった保田與重郎の思想を解明することで、昭和初期の閉塞した時代状況の申し子である保田與重郎の歴史的、そして思想的な問題性を炙り出すことに主眼が置かれていたのだろう。それが橋川自身の自己批判的な保田與重郎の思想の乗り越えであり、ある意味精算だったのだろう。そうでないと橋川は前へと足を踏み出すことができなかったに違いない。
 橋川と竹内は「日本浪漫派」を介して出逢うべくして出逢ったのであろうが、竹内が拘った「日本浪漫派」における「近代の超克」という本源的な問題へと橋川を導いたのだと、わたしは思っている。
 橋川文三は「近代の超克」という本源的な問題に対する答えを導いたのだろうか。残念ながら道半ばで逝ってしまったのである。
 上述したように、わたしが「近代の超克」に関心を持ったのは、師である橋川文三を通じてではなく竹内好によってである。橋川は竹内のように最初から明確な形で「近代の超克」の本源的な意味での問題性を意識していなかったのだろう。何故ならば、橋川における日本政治思想史という学問的な姿勢は、丸山真男の方法論から影響を受けていたからだ。
 丸山真男は日本的な思想的風土においては奇跡ともいうべきほどの筋金入りの西欧的リベラリストである。丸山真男の学問的方法論は、日本の歪な近代主義が政治思想にどう反映し、どういう結果をもたらしたか、そしてどうして歪に成らざるを得なかったのかを、多面的な視点とアプローチから解明することにあったのだろう。マルキズムのようにドグマ化された経済発展段階説を踏まえた下部構造からの解明に偏重することはなかったのである。
 丸山は日本の歪な近代主義の要因を容赦なく剔抉し断罪した。丸山は歪な要因を除去してそれを克服し、西欧的民主主義と自由主義を徹底化させることで、日本を丸山の描く社会へと導いていくという学問的な信念と理想があったのだろう。そして、民主主義と自由主義を徹底化させるとは、その基盤である西欧的自我を宿す自覚的な市民の形成が不可欠だったのである。
 丸山にとっては歪な近代主義こそ問題であり、言葉の厳密な意味での西欧近代主義を日本に根付かせることを急務と考えていたようだ。丸山における近代主義とは西欧的民主主義であり、西欧的リベラリズムであり、それを体現した西欧的市民の形成に他ならない。政治学者としての丸山の描く理想社会へと邁進する姿は一貫性があり、筋が通っており、ある種のストイックな倫理の匂いさえ漂わせるものであるが、丸山学の限界はここにこそあると考えている。
 だからといって丸山真男の功績を否定するつもりは毛頭無い。日本における政治思想史という新しい方法論の学問を築き上げただけでなく、日本社会が構造的に抱えている政治的、思想的な病巣とその問題性を余すところなく照射してみせた偉業は色褪せることはないだろう。現実的、そして今日的にも、既成政党をなし崩し的にファシズム化しようとしている安倍晋三の危険性と問題性を鮮やかに浮かび上がらせてくれてもいる。丸山真男が指摘した『現実主義の陥穽』を通してみると、政治的理念と政治的信念を持たない為政者の危険性と問題とがはっきりとしてくる。丸山学はまだ生きているのだ。
 が、丸山学では新しい未来への展望は拓けないと、わたしは直観している。これが丸山学の限界なのである。そしてこの限界とは、竹内好が拘り抜いた言葉の厳密な意味での「近代の超克」に他ならない。
 但し、この「近代の超克」とは曲者である。戦前に提唱された「近代の超克」を見れば一目瞭然である。簡単にいうと近代的国家主義の意味における日本主義によって、西欧的近代を超克しようとするものなのだ。つまりは、近代主義による近代の乗り越えという根本的な矛盾を抱えているのである。ウルトラ・ナショナリズムの論理的破綻を露呈しているのだ。何で西欧的近代を超克するかというと世界に冠たる日本的なるものとなるのだが、では日本的なるものとは何かというと、「古事記」の神代記に由来する国体なのである。これで西欧的近代を超克できると本気で思っているとしたら、思想的破綻であり、論理的破綻でしかないのだが、ウルトラ・ナショナリズムとはこうした矛盾を全く意に介さないのだ。蛇足になるが、安倍晋三や石原慎太郎の日本主義とはこうしたものだ。
「日本的なるもの」とはもっと深遠であり、深い歴史的な考察がなされなければならないはずが、先ずは国体に結びついた日本主義があるから始末が悪い。武士道などは「日本的なるもの」とほど遠いもののはずである。この件に関しては後に詳しく述べたい。
 竹内好が拘った言葉の厳密な意味での「近代の超克」とは、近代的国家主義としての日本主義を反映したものではない。純粋に西欧的近代主義の本源的な限界とその問題性とを視界に入れたものなのである。大正末から昭和初期の時代閉塞の空気の中に本質的な問題性が潜んでいることを、竹内好の嗅覚が嗅ぎ分けたのだろう。
 この問題性はマルキズムの下部構造の分析から導き出した歴史認識(資本主義の成立・発展・没落)における問題性とは異質のものである。マルキズムも含めた西欧近代主義が抱えた問題性なのだ。
 世界規模での戦争は、矛盾の頂点に達していた経済をガラガラポンで振り出しに戻した。そして、米ソを基軸とした新たなる世界秩序を作り上げ本源的な危機は回避できたかにみえた。
 敗戦国となった日本は文字通りのリセットである。西欧的民主主義と自由主義の社会へと方向転換したのである。が、大正デモクラシーを見れば判るように、日本にもそれなりの民主主義と自由主義はあったのである。ただ、丸山真男が指摘するように近代化が上からの革命によるものだけに、近代化以前の社会的遺構を引き摺っていたのであり、歪な形での民主主義と自由主義だったのであろう。近代的自我を核とした西欧的市民の形成もおぼつかなかったのも当然である。しかし、丸山真男や加藤周一、鶴見俊輔、都留重人などの良質な西欧的自我の体現者を産み落としたこともまた事実である。
 従って、リセットといっても西欧的近代主義そのものを土台から取り去ったものではなく、土台はそのままに超国家主義から民主主義へと国家の形態を変えたということになる。そして、「近代の超克」とは単なる悪夢として葬り去られたのである。
 それでも「近代の超克」に拘り続けたのが竹内好だったのだ。竹内は「近代の超克」を悪夢として切り捨てたことに思想的な堕落を見ていたようだ。そればかりか、「近代の超克」という難問こそが、人類において重大な意味を持つと確信していたようだ。竹内好の予言であり、直観だったのである。

 わたしは橋川文三とは、丸山真男が方向付けた道を前へと向かって歩き出していたが、途中で立ち止まると回れ右をして、竹内好が拘り続けた「近代の超克」の方向へと歩き出したと考えている。だから橋川の師である丸山をして「ヌラヌラしたもののなかに矛盾した要素が共存して浮いている」と言わしめたのだ。橋川が丸山学派の異端児というのはこうした意味である。橋川を立ち止まらせたのは竹内好に違いないが、回れ右をして逆方向に歩き出させたのは、橋川の本質的な資質である文学的直観によるものなのだろう。
 逆に歩き出した橋川はナショナリズムに想いを馳せ、右翼と保守主義と超国家主義に想いを潜らせて、日本の歴史を過去へと遡っていったのだろう。そして、最後まで西郷隆盛に拘ったのだ。わたしは橋川から古典を読み漁っていることを直接聞いている。ゼミの講義が終わった後である。
 橋川文三の学問的方法論は文学的直観にあると、わたしは見ている。初めに文学的直観があるのだ。そして、その文学的直観が示す方向に学問的彷徨を始めるのである。だからよく言えば深遠で難解、悪く言えば不可解で未整理とみなされるのだろう。しかし、橋川文三が橋川文三であるのはこの文学的直観による。超一流の文学的直観だと思う。橋川は日本思想史に関する論文においても独特の文体を指摘されているが、日本思想史と言う学問に文学的直観を導き入れたという意味では特筆されるべきだろう。文学的直観が核にあるから、橋川文三の思想は色褪せることはないのだ。「日本浪漫派」におけるロマンチック・イロニーの問題は優れて今日的だと、わたしは思っている。
 橋川文三の弟子であるわたしは、師の文学的直観を信じている。だとすれば、「近代の超克」における本源的な意味での問題は、日本の歴史を遡った先にあると、おぼろげに思えたのである。
 一方の竹内好であるが、橋川文三と同様に「近代の超克」における根源的な意味での問題の答えを掴んではいなかったようだ。が、「日本浪漫派」を言葉の厳密な意味での「近代の超克」と結びつけて捉えていた竹内であるから、橋川よりはよりはっきりとした姿をしている。
 竹内好がそれらしきものに言及している。抜き出してみよう。

「いささか我流に申しますと、もしアジア学なるものが成立するならば、それは文明観の作りかえとして、近代ヨーロッパを手本とする学問体系を内部から変革する学問として、その姿勢を絶えず問い返す自己変革の過程においてのみ、可能であると考えます。なぜなら、私の仮説では、近代ヨーロッパの対抗概念がアジアでありますから、つまり、未来の文明を告知するものだけがアジアなのです」(竹内好編・「アジア学の展開のためにー序章〈アジア学〉の視点」創樹選書)

 中国文学者であった竹内好は、中国を核とした「アジア主義」を彷徨していたが、わたしは竹内のアジア主義を「近代の超克」の文脈で理解している。
 竹内はより具体的に「近代の超克」について語っている。また抜粋してみる。

「小田切は、『共同社会性』は当然に『天皇主義国家』を予想するとして、そこに『浪漫派の危険』を見ている。これも私にはうなずけない。『共同社会性』がなぜ『天皇主義国家』だけに帰着するのか。原始共産社会であっても人民公社であってもよいではないか。もしそれが歴史の教訓であるというなら、その歴史解釈はまちがっている」(「近代日本思想史講座7―近代と伝統」筑摩書房)

  竹内がいう「共同社会性」を、わたしは重視しているのである。
  アジア主義者であった岡倉天心と北一輝とが、最終的には日本に「回帰」していったように、橋川文三の目もまた日本に「回帰」していったのではないだろうか。それは、日本における「共同社会性」だった。わたしは、そんな空想をしている。原初としての「死」の体験(戦争)から過去に向かった橋川文三の視線が、どんどんと時代を遡って古代へと向かったわけを、柳田國男の民俗学への接近を、わたしはそう理由づけている。
  丸山真男にとっては、「共同社会性」とは悪しき日本の元凶として唾棄すべきものでしかない。それだからこそ、丸山にとっては理解不能な、不可思議なものであったのだろう。丸山が橋川文三に対して投げつけた「あの、子宮のなかで胎児が何かヌラヌラしたものにつつまれて浮いたような恰好」という表現こそ「共同社会性」ではなかったのかと、わたしは密かに想像しているのである。

 序章と断りを入れたが、ここで終わると序章としてもお粗末である(笑)。が、肉体労働の疲労は半端ではない。どうも筆が走らない。ブログを更新するのを止めようかとも考えたが、Twitterで公言したのでそれもままならない。
 次回は、間違いなく「社民党への提言」へと踏み込むつもりだ。
 えっ? 次回って来年かとな……。
 来週です!
※写真は、我が師である橋川文三・竹内好・福島瑞穂さま(愛しています)

小説はキンドル版の電子書籍として出版しています。ただ今、『僕の夏よさようなら』を無料キャンペーン中です。どうか読んでください。面白いことは確約します。ラストの深い感動と号泣が待っております。
 社民党でこの小説が欲しいといわれるのであれば、著作権以外はすべて捧げます。と書いても、欲しがるわけはありませんよね(笑……のち涙)。

 ブログはこの他に、「里山主義」と、「里山主義文学」を開設しております。合わせて読んでいただければ幸いです。
「風となれ、里山主義」(思想・政治関係)
「里山主義文学」(文学関係)

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