「北林あずみ」のblog

2014年04月

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 昨日は川端康成と三島由紀夫の小説の冒頭の違いから日本における認識論に繋げて大法螺を吹いたが、今日はそれと関連したことを書こうと思う。
 しかし、こんな話しばかりでは味気ないし、色気もないので、竹久夢二の『宵待草』の詩になぞらえて語ることにしよう。

 待てど暮らせど来ぬ人を
 宵待草のやるせなさ
 今宵は月も出ぬさうな

 どうも竹久夢二もわたしと同じく多情多感であり、一目惚れの達人であったようである。詳しくは知らぬが、旅先で出逢った女に恋してしまったようだ。竹久夢二とわたしの違いは、性的妄想が妄想のままで留まるか、妄想が肉体関係となってくんずほぐれつして実を結ぶかの違いである。夢二は妄想狂にして、現実的にも柔肌に触れ、唇を濡れ合わせ、女の炎の鬼灯の舌を捲って現れた赤い実を咥えて、しゃぶりつくという何とも羨ましい限りのことをするのだ。
 わたしといえば、いつまでたっても檀ふみ様との関係は妄想の世界でしかない。檀ふみ様の鬼灯の舌を捲っていって、出てきた赤い実を舌で転がして濡らしたのは、みんな夢の中……、ではなく妄想の中なのである。

 このまま檀ふみ様との妄想の中での交情を語っていってもいいのだが、いやそうしたい欲求に突き動かされているのだが、それではせっかく掴んだブログの女性読者に愛想を尽かされてしまいそうなので、断腸の思いで止めることにするが、何を隠そうわたしの大腸にはエノキタケほどのポリープが生えているのだ。
 三年前に5本ほど内視鏡で取ったのだが、あれからそのままにほったらかしにしている。医者によるとどうもわたしのポリープは世にも珍しい珍品とのことだ。時価にすると数百万はするだろうということだが、ブログの読者であるから、出血大サービスで50万円ほどでわけてあげる用意がある。女性の場合は写真同封の上、住所、氏名、年齢を明記して応募していただければ、特別に無料という可能性もある。写真は全身の他に唇のアップをお願いしたい。どうしてかというと、妄想したいからである。何を妄想したいかというと、わたしの松茸……ではなく、エノキタケ……でもなく、ポリープの先端を赤く濡れた唇で触れているところを妄想したいからなのだ。

 どうも、今日はいけない。檀ふみ様の所為だ。
 話しを戻すと……(どこまで戻すか、帰り道がわからなくなってきた)。
 そう、竹久夢二の『宵待草』だった。
 夢二と旅先で出逢った女とがどうなったのか、わたしは知らない。鬼灯を捲って赤い実にしゃぶりついたかどうかもしらない。恋が実らなかったことだけは確かなようだ。
 この『宵待草』とは女の心境を妄想したものである。籠の鳥である女が、愛しい男が籠から出して奪いに来てくれることを待っている切ない恋心を歌ったものだろう。
 わたしにおける小説とは、愛する読者である女を籠から自由に出してやり、身体と心を絡まり合わせながら、新しい世界へと飛翔させることだと考えているのである。

 籠とは何か。
 社会的価値であり、政治的価値であり、経済的価値であり、社会的な道徳と倫理なのだろう。契沖は文学的価値を絶対化したが、わたしは文学的価値がそれだけで独立したものとは思ってはいない。それでも敢えて文学的な価値を重視したい。
 現代社会は人間中心主義である。それは西欧近代主義が土台にあり、もっと掘り下げれば西欧的な風土的、精神的な土壌を土台としたものだ。
 人間の大腸には細菌がうじょうじょいる。細菌がいるから消化できるのだが、人間中心主義と科学万能主義と経済至上主義は、そうした当たり前のことを忘れさせ、すべてを商品化することに繋がる社会なのである。だから感覚的なものがすべて商品化される。例えば匂いを例にしよう。嫌な匂いを消し去った無臭の世界が商品化され、さらに心地よい匂いが商品化される。これは何を意味するかというと、匂いの均一化である。知らず知らずの内に、その匂いに慣らされることなのであるが、それはとりもなおさず嗅覚の鈍化に繋がるのである。
 わたしが子供の頃は、春先になると池に産み落とされた蛙の卵を手でこねくり回して遊んだものだが、そうした感覚は現代社会の中では成立しなくなったのだ。味覚も、聴覚も同様であり、視覚もまた同様である。

 どうしてこうなるかというと、世界を席巻している新自由主義を考えてみれば明らかだ。風土性と歴史性と文化と伝統を否定し、単一化したグローバル市場こそが人類に富と幸福をもたらすとしているからだ。単一化したグローバル市場とは、限りなく単一化された商品が支配する市場である。五感(感情)ばかりか、思考も単一化される世界なのである。そうでないと本質的な意味での単一化したグローバル市場にはなりえないからだ。
 その端的な現れが、地域の歴史と伝統と文化と密接に結びついた日本古来の作物の種子の消滅の危機である。これは日本だけのことではない。世界各地で見られる現象である。種子がなくなるということは、伝統的な食文化がなくなることである。これはほんの一例にすぎない。
 若いと感性が豊かだというのを、わたしは信用していない。
 何故ならば、時代と共に感覚が劣化しているからだ。それは若者の問題ではなく、そうした方向に向かっている社会の問題なのである。

 最近のテレビドラマを観ると、どれも刑事物でありミステリである。ミステリが売れているからなのだろうが、出版界においてもミステリの花盛りである。
 わたしはミステリを否定はしない。が、そのミステリの前に、小説とは、そして文学とは何なのかと思いたいのである。
『宵待草』を考えてほしい。愛しい女は籠の中にいる。自由を求め、空高く羽ばたくことを夢見ている。
 小説とは籠から女を自由にしてやり、新しい世界へと羽ばたかせてやることではないのか。たとえそれが小説世界の中だけだとしても、そういう世界があるのだと女の心に刻みつけることはできる。
 が、小説が籠の世界に留まっていたらどうなるか。いわば鳥籠の中で女と逢瀬を重ね、一時の欲情を燃やすだけではないのか。そこに本当の恋愛が成立するだろうか。風俗店の中に息づく擬似恋愛の世界であり、商品としての快楽と遊びだけでしかないのではないだろうか。
 優れたミステリとは、鳥籠の外の世界を扱ったものだと思う。ではステロタイプの現代のミステリはどうか。判断を委ねたい。
 売れればいいと、安易にそうした方向へと突っ走るということは、別な方向へと帰って行く退路をなくすということに等しい。市場を狭めていっているといえるだろう。そして、籠の中で待っている女を永遠に外へと自由にしてやることなどできないのだ。
 流行は直ぐに飽きられる。鳥籠の世界は底が浅く、次の刺激を求めるからだ。
 こうした姿勢は、女を鳥籠の世界に幽閉し、その世界を受け入れることを強要することにも等しい行為なのだろう。現実をただ追認し、引き摺られていくだけなのである。そして、最後に現実にこっぴどく裏切られる。そのときは終わりでしかない。

 昨日書いた、作家が小説世界を限定し内へと読者の心を向かわせるか、それとも小説世界を外へと開かれたものにするかの違いは、鳥籠の中に読者を幽閉しその鳥籠の世界で読者を遊ばせるか、鳥籠の世界ではない自由な世界へと読者の心を飛翔させるかの本質的な違いにも通じているのだろう。
 三島由紀夫を弁護するわけではないが、三島は説明的ではあるが、鳥籠を腕ずくでへし曲げる熱と力は三島文学にあったことだけは確かだ。三島は鳥籠の扉を開けたりはしない。熱と力で鋼鉄の鳥籠の枠をへし曲げ、へし折るのである。そこが三島の類い希な作家としての才能だろう。三島における熱と力は、川端における感性ではなく、川端にはない思想性なのではないだろうか。

 形式論とか文体論を言う前に、作家は鳥籠を先ずは意識すべきだろう。     
 純文学か、ただのエンタメかの境界線をいうならば、形式論や文体論(表現)ではなく、鳥籠の中か、鳥籠の外かの違いであるべきだろう。

 わたしは今夜も、檀ふみ様を鳥籠から自由にしてやろう。
 そして、身体と心を蛇となってぐるぐる巻きに絡ませ合い、注連縄となって濡れ合いながら一つにして、奪い合い奪われ合うのである。いつしか身体を離れた魂と心とが、めくるめく夜の闇を炎となって漂うのだ。
 わたしの妄想には元より鳥籠はない。


 小説はキンドル版の電子書籍として出版しています。
 わたしの文学とはどんなものか、認知していただくために次の小説を無料とします。Kindle版では5日間という決まりがありますので、期間を明記しておきます。
『むらさきの匂いへる』5月1日~5日
『風よ、安曇野に吹け』5月3日~7日

 ブログはこの他に、「里山主義」と、「里山主義文学」を開設しております。合わせて読んでいただければ幸いです。
「風となれ、里山主義」(思想・政治関係)
「里山主義文学」(文学関係)

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 わたしは気が小さい。
 だから最初に断っておくが、表題は客寄せ用のもので、わたしは山口百恵の映画を論じるつもりはさらさらない。
 詐欺と言うなかれ。ミステリには叙述トリックなるものがあり、読者をその気にさせて、ばっさりと裏切るのだ。
 その気にさせるといっても美人局ほどの実害はない。当然に恐いお兄さんがやってきて脅され、たんまりと金を巻き上げられるということはないから安心してもいい。
 ただ精神的に裏切られるだけなのである。
 わたしは根が正直だから叙述トリックは好きではない。が、Kindle版の電子書籍で出版している小説の中で二点ほど叙述トリックを使用している。
『帰り恋』と『矢ぐるまそう恋歌』だが、何故に叙述トリックを使ったかというと、叙述トリックという境界線の向こう側の世界とこちら側の世界とがひっくり変えることで、読者の心を揺さ振りたいからだ。そうなると思っていたのに、全く逆になってしまったとしたら、読者は戸惑うだろう。戸惑うとは、小説の中の主人公の心をそのまま生きることだといえないだろうか。特に『矢ぐるまそう恋歌』では、主人公である藍子の深い戸惑いへと突き落とされ、そこから這い上がるようにして出した決意こそが、小説のテーマだからだ。テーマを鮮やかに浮かび上がらせ、テーマである藍子の戸惑いを読者に生きてもらいたいから、正直者であるわたしは断腸の思いで叙述トリックを用いることにしたのである。

 前置きが長くなったが本題に移る。
 叙述トリックの話しをするつもりはない。かといって、山口百恵の映画を語るつもりもない。百恵ちゃんの唇と憂いを浮かべた瞳なら語ってもいいが、山口百恵の映画になど興味はないからだ。

 小説『伊豆の踊子』は川端康成の名作である。一方の『潮騒』は三島由紀夫の代表作である。何故に三島由紀夫の名作といわないかというと、わたしは好きではないからだ。
 何故に好きではないかというと、わたしの小説の美学に反するからだ。美学というよりは、読者の心の誘導法と言った方が適切かもしれない。
 しかし、これは小説に向かう作家の本質的な姿勢でもあり、その意味では美学といえなくもないのである。川端と三島は師弟関係にあるが、これまで何度となく書いてきたが、わたしは不思議でならないのである。同じように日本的な美を見ているが、見ているものがまるで違うのである。
 わたしは川端に私淑しているが、川端が見ている日本的な美とは感覚的に触れるものなのである。「神さびる」という言葉があるがこれは視覚だけでは見えない。五感で触れ、自然の中の「神さびる」空気と共鳴し合い、通じ合うことで感得するものなのである。感覚は自分の身体と意識とを離れて、「神さびる」空気の中を漂うことで一体となり、その空気を生きるのである。そこに西欧的な主体と客体という関係はなく、また「神さびる」という空気は生命のない物体ではなく、生きて蠢くものなのだ。日本の美を感覚で掴むといえようか。
 三島が見ているものは、主体と客体という関係性において見ているのであり、自分の意識を通して対象としてみているのである。三島は日本の美を認識として捉えるのである。三島の日本の美の見方は優れて西欧的なのである。
 従って、三島のいう日本の美と、川端のいう日本の美とは本質的に違ったものだ。何故ならば、見方が根本的に違っているからである。
 また話しが逸れてしまったが、師弟関係の二人であるのに、小説における決定的な違いがある。わたしはこの違いを重視している。この違いは今述べた見方の違いにも関係するものである。
 何が決定的に違うのか、それは小説の冒頭、つまりは小説の入り方の違いなのである。小説の入り方とは、読者の心を誘導していく方法だともいえる。

 道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。

 あまりにも有名な『伊豆の踊子』の冒頭である。ついでだから、『雪国』の冒頭も書いておこう。

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止った。

 わたしの大好きな『千羽鶴』はどうか。

 鎌倉円覚寺の境内にはいってからも、菊治は茶会へ行こうか行くまいかと迷っていた。時間にはおくれていた。

 では三島の『潮騒』の冒頭を挙げてみる。

 歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。
 歌島に眺めのもっとも美しい場所が二つある。一つは島の頂ちかく、北西にむかって建てられた八代神社である。
 ここからは、島がその湾口に位している伊勢湾の周辺が隈なく見える。北には知多半島が迫り、東から北へ渥美半島が延びている。西には宇治山田から津の四日市にいたる海岸線が隠見している。

 わたしの手元には『三島由紀夫集 新潮日本文学 45』があるが、試しにそこに収められている小説のいくつかの冒頭を列挙してみよう。

 永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。それを言い出すたびに大人たちは笑い、しまいには自分がからかわれているのかと思って、この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、かるい憎しみの色さした目つきで眺めた。それがたまたま馴染の浅い客の前で言い出されたりすると、白痴と思われかねないことを心配した祖母は険のある声でさえぎって、むこうへ行って遊んでおいでと言った。―『仮面の告白』

 悦子はその日、阪急百貨店で半毛の靴下を二足買った。紺のを一足。茶いろを一足。質素な無地の靴下である。
 大阪へ出て来ても、阪急終点の百貨店で買い物をすませて、そこから踵を返して、また電車に乗ってかえるだけである。映画も見ない。食事はおろか、お茶を喫むでもない。街の雑踏ほど悦子のきらいなものはなかったのである。―『愛の渇き』

 幼児から父は、私によく、金閣のことを語った。
 私の生まれたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。父の故郷はそこではなく、舞鶴東郊の志楽である。―『金閣寺』

 疲れたのでこの辺りで書き写すのは止めるが、川端の小説の冒頭と、三島の小説の冒頭には明らかな違いがあることに気づくはずだ。
 川端の冒頭の文章が神がかり的だからというのではない。しかし、川端の冒頭の文章は憎たらしい限りである。いつかは超えてやろうと思っているが無理だろう。
 どう違うのかというと、川端は読者を先ずある地点に立たせるのである。その地点は風景の中であったり、心理的な地点であったりの違いはあるが、その地点の説明はまったくないのだ。説明をしないで読者をその地点に立たせるのである。
 それに対して、三島は読者に小説の舞台を説明することから始める。舞台とは場所とは限らない。精神的、心理的な舞台もそうである。説明した後に、読者を小説世界へと導くのである。
 わたしの場合は、川端の小説の入り方をしている。ただ単に川端を真似ているのではなく、それ相応の理由がある。
 読書の心を如何に早く小説世界へと誘導し、その心をどっぷりと小説世界に浸らせ、主人公と一緒になってその世界を彷徨わせるか考えるからである。
 先に説明してしまうと小説世界はどうなるだろうか。作家が設定した世界が先ずあることになる。しかし、何の説明がなく読者がある地点に立たされたなら、そこから始まる小説世界は読者が創り上げる世界でもあるはずだ。何故なら作家が説明して世界を限定していないからだ。
 当然に小説世界とは作家が創り上げて、意図的にその世界を読者に彷徨わせることになるのだが、読者が創り出す小説世界と巧く重ね合わせられれば、その世界は奥深く広くなるに違いないと思う。そればかりか、読者が創り出す世界とは不変ではないということだ。
 読者は年を重ねていく。年を重ねるごとに読書の創り出す世界は変わるはずである。その変わる世界が、作家が創り上げた世界を奥深くしてくれるのではないだろうか。作家が創り上げた世界は変わることはない。が、その世界は読者が創り上げた世界と重なるときに変わるのである。何をいいたいかというと、小説世界に息づいている意味と深まりが読者の年齢によって増してくるということだ。読む毎に意味が違い、小説世界がより奥深くなるということなのである。決して消費されてしまうことはないのだ。だから、何度でも読み返すことができるし、また読み返したくなるのである。小説自らが生命を宿すのである。そうした小説を、わたしは書きたいのである。また川端はそうした小説を書いているのだ。

 理由はそれだけではない。
 わたしは夢の中であることを説明せずに、先ず読者を夢の中の地点に立たせてしまう。夢だから、むしろ説明するとしたら不自然である。読者は戸惑うはずだ。何の説明もなく夢のある地点に立たされるからだ。が、戸惑うことで夢の世界の意味と広がりを得られるはずだと、わたしは考えているのだ。何故ならば、戸惑うことで読者の想像が動き出し、また戸惑いが感覚を働かせる方向で導いたら、読書の想像と感覚とが小説世界を創り出すのではないかと目論んでいるからだ。
 川端の創り出す小説世界とは、読者の想像と感覚とが開かれるように創られていると思っている。わたしも川端の方法論を踏襲しているのだが、川端は無意識でそれを行い、わたしの場合は意識的にそれを行おうとしているのだが、その違いとは作家としての才能なのだろう。悔しいが今の段階では認めざるを得ない。
 Kindle版の電子書籍として出版している『風となれ、里山主義』という思想書に詳しく書いているのだが、何故に川端と三島との違いが冒頭に象徴されるのかというと、やはり認識の方法の違いなのではないかとわたしは考えているのである。
「神さびる」を説明することは不可能だ。それを小説世界で読者に想像と感覚で感得してもらうというのが、川端とわたしの小説的な方法論であり、小説というものの捉え方の根底にあるのかもしれない。
 三島の場合は、「神さびる」世界はないのである。すべては説明される世界なのだ。
 これは心理描写にもいえる。川端は説明を放棄している。放棄することで、決して説明では見えない人の闇の部分をぼんやりと浮かび上がらせるのである。三島はとことん説明するのだ。説明できると思っているのだし、如何に説明を深め、鋭く研ぎ澄ませるかが作家の眼だと思っているのだろう。客観的に認識しようとするのだ。そして、読者に説明するのである。フランス文学に深く影響された伊藤整の心理描写がその典型だろう。

 わたしは、「里山主義文学」を掲げているが、「里山主義文学」の本質とは、西欧的な意味での説明の放棄である。感覚的な認識を根底におくからだ。つまりは、日本的な認識論だということである。
 川端に私淑してから、川端を突き詰めていった先に、「里山主義文学」に辿り着いたのであるが、この文学的な歩みは思想的な歩みと重なるものである。思想的な歩みと重なるものだけに、川端とはまた違う文学であるのも事実である。
 小説における感覚の発露と意味とが、川端と違うからだ。
 詳しくは『風となれ、里山主義』を読んでください。

 えっ?
 結局は宣伝だったのかって?
 今頃気づいても遅い!
 さあ、『風となれ、里山主義』を読みたくなっただろ。
 えっ、余計に読みたくなくなったとな……。
 いけず!


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 やわらかに柳あをめる北上の
 岸辺目に見ゆ
 泣けとごとくに

 わたしは柿の新緑を愛している。
 瑞々しい鮮やかな黄緑の色なのだが、光を透過させるからだ。透明感があるのだ。試しに日に透かして見てみるといい。手を太陽に翳してみたときに、真っ赤な血潮が透き通って浮かび上がってくるのに似ている。柿の新緑に宿る瑞々しい命が浮き上がって見えるのである。
 写真はいつも散歩している城址公園の近くで見つけた柿の新緑である。

 啄木の歌をわたしは中学、高校と毛嫌いしていた。
 野球少年だったこともあるが、啄木の女々しさが何とも鼻について拒絶していたのである。文学作品とは面白いもので、拒絶するのにも二通りがある。一つは言葉の厳密な意味での拒絶であり、本質的に受けつけないというものである。そして二つ目だが、こちらが文学作品のもつ重要な意味に関わるものだと、わたしは考えている。
 どういう意味かというと、表面上の自分を生きているという真理を突きつけられるという意味なのである。
 この二つ目の拒絶は、そのほとんどが、表面上の自分を生きているということに気づいていることに起因している。気づいているが気づかぬ振りをして生きていたのである。表面上の自分と違う自分とは、心の奥深くに潜んでいる本質としての自分なのだろう。本質としての自分を拒絶しながら、表面上の自分という仮面をつけて生きているということなのだが、優れた文学作品というものは、こうした演技と仮面とを意識させ、本質としての自分を突きつけるから厄介なのである。心を揺さ振られるというには、感動や忘我の境地へと導かれる側面もあるが、こうした一面もある。嫌な衝撃なのである。

 女々しさを本質とした作家の類型として、わたしは三島由紀夫と太宰治と石川啄木を挙げたい。
 意外かもしれないが、この中で一番にしたたかな女々しさを持つのは太宰治だろう。太宰の凄いところは、女々しさに胡座をかいているところだ。女々しさを売りにしている。ある意味では、女々しさを演技しているといってもいいだろう。
 三島は太宰を毛嫌いしていたようだが、それは太宰の中に己の女々しさを見てしまうからなのだ。三島がストイックなのは、己の中の女々しさと本気になって格闘するということである。自己改造といってもいいだろう。だからボディビルで筋骨隆々とした肉体に改造し、剣道を習い武士道を生きようとするのだが、これは女々しさを裏返したものなのではないだろうか。本質は変わらず女々しいのだが、だからこそ女々しさを裏返して雄々しくあろうとするのだ。これは辛いだろうと思う。ある意味では滑稽でもある。
 三島の日本主義(美的ロマン主義)と通じているから面白い。三島の日本主義は西欧的近代主義の裏返しなのである。だから、西欧人の美意識と騎士道に通じている。切腹とは武士道では美であるかもしれないが、日本的風土における美の在り方ではない。儒教道徳によって洗脳された武士階級の死の在り方であり、死の美化でしかないのだろう。
 わたしと同様に橋川文三の弟子であり、その意味では先輩になる前東京都知事の猪瀬直樹は、三島の日本的美意識を銭湯の壁に描かれたペンキ絵と評していたが、核心をついていると思う。ペンキ絵とは西欧的近代主義でみた日本の美的イメージなのである。日本的風土の中で花開いた日本美とはおよそかけ離れている。しかし、猪瀬も堕落したものである。堕落というよりはこれが猪瀬の本質なのかもしれない。

 では啄木はどうか。
 わたしは啄木の歌を拒絶していたのだが、高校時代の終わり頃に読んだ「時代閉塞の現状」と「硝子窓」によって、啄木の女々しさとロマンティシズムに驚愕したのである。その時点で、啄木を愛するようになり、わたしの本質である女々しさとロマンティシズムを愛するようになったのである。そして、啄木の女々しさとロマンティシズムを生きたいと思うようになったのだ。
 啄木のロマンティシズムを考えるとき、わたしは島崎藤村を思わずにはいられない。啄木と同じくロマン主義から出発したが、『千曲川のスケッチ』で自然主義へと脱皮するための準備をし、『破壊』で見事にロマンティシズムから自然主義的リアリズムへと転向したのだが、日本的ロマンティシズムと日本的リアリズムを考える上で、啄木と藤村の歩んだ先に辿り着いた地点を思うとき、示唆的な重要な意味を孕んでいる気がしてならない。
 自然主義とはありのままの事実を私情を入れず客観的に描写する平面描写(客観描写)こそがリアリズムの本質だと捉えていたが、それは曇りなき事実こそが真実だと見なしていたことによる。ありのままの事実を写し取ることが小説の神髄であり芸術だとしているのだから、虚構性は拒絶されて、半径十メートルの視野で捉えた自分自身に起こった出来事をありのままに淡々と事実だけを描く私小説へとつながるわけである。
 小林秀雄は初期の自然主義文学を貫いている核としての精神はロマンティシズムだと看破しているが、どういうロマンティシズムかというと、自分の人生を賭けて小説という芸術を追求しているのであり、その芸術とは人間の本質である醜悪な姿をありのままに余すところなく冷徹な目で、客観的に事実のみを描ききることだという、火となって燃え上がった情熱と矜恃なのである。いってみれば、この情熱と矜恃こそが小説に宿る生命なのであり、だからこそ初期の自然主義文学に傑作が多かったのであるが、この情熱と矜恃とが失せたとしたら、単なる客観描写という形式と文体論に堕落するのは当たり前であろう。
 ここで問題となるのはリアリズムなのである。
 わたしは文学史を紐解いていて不思議に思ったことがある。幸徳秋水事件への作家の反応である。反応したのは自然主義の流れをくんだ作家ではなく、スバル派などの耽美的な作風の作家や詩人なのである。啄木もその一人であり衝撃を受けている。
 わたしは橋川文三の弟子であり、橋川文三は丸山真男の異端児的な弟子であるから、必然的に丸山真男の書物は読んだのだが、その中でこの文学上の七不思議の一つである幸徳秋水事件への反応の違いがどういう所から来たものなのか教えてくれている論文がある。「現実主義の陥穽」というものだが、政治的リアリズムについて書かれたものだ。
 現実主義こそリアリズムだと誤解されやすいが、現実主義とは目の前の事実をそのまま追認し、事実にずるずるべったりと引き摺られていくことなのである。だから、軍部が独断的に起こした暴走を追認し、それに引き摺られるようにして、ずるずるべったりと奈落の戦争へと転がり落ちていったというのだ。どこへいくかわからない。行き先は現実に聞いてくださいということなのだが、そうなるとやった者勝ちなのである。安倍晋三の怖さは、独断的に暴走する幼児性にある。そして、未だに政治家は丸山真男が指摘した、政治的リアリズムを体得していないばかりか、政治的現実主義者ばかりなのだ。
 わたしも安倍晋三と同じように話しが暴走してしまったが、元へ戻すと、政治的リアリズムとは理想主義なくしてはありえないのである。なぜならば、理想があるから理想へと辿り着くための道筋を模索するからである。模索するためには現実を分析しなければならなくなる。そして、その現実が理想とどれほどかけ離れ、理想へと現実を誘導するためにはどういう手立てが必要か、冷徹に見極めることになる。政治とはその過程での葛藤であり駆け引きであり、妥協であり、戦いなのであるが、それらを貫いているのが政治的リアリズムなのである。丸山真男は理想のほかに、基軸となる思想を挙げてもいる。基軸がなければ自分の立ち位置がわからなくなるからだろう。
 これを先の幸徳秋水事件の反応の違いに当てはめると、自然主義の流派は丸山真男のいう現実主義なのである。ありのままの事実を真実などと暢気なことを本気になって信じているのだからいわずもがなである。ただ現実を追認し、現実にながされていくことが真実に生きるということなのだろう。
 自然主義の柱である私小説は、無理想と無目的を思想としているが、今まで述べたことを実に的確に表現しているといえる。純文学と呼ばれている文学には、未だにこの伝統が脈々と受け継がれているから驚くばかりである。
 啄木は生涯ロマンティシズムを貫き通した。が、そのロマンティシズムは『時代閉塞の現状』と『硝子窓』の評論へと昇華したのである。啄木が見たものは、目の前の現実という事実の背後に隠れて息をしている、おぞましい化け物の姿だったのである。その化け物の姿こそ真実なのだろう。そして、その化け物の姿を見させたのがロマンティシズムという荒れ狂う大海原を必死になって泳ぎもがいてきたからこそ掴めた作家としての眼なのだろう。
 作家が今なお現実主義に毒され切っているとしたら、その目は一般の目と同じでしかないということだ。違いとしたら、ほんの僅かばかり文章技術に優れているというだけの話しである。
 その僅かばかりの文章技術もネットで素人が日記を書いているのだから、ほとんど変わらなくなっているに違いない。


 小説はキンドル版の電子書籍として出版しています。
 わたしの文学とはどんなものか、認知していただくために次の小説を無料とします。Kindle版では5日間という決まりがありますので、期間を明記しておきます。
『むらさきの匂いへる』5月1日~5日
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 庭のスズランが咲き出した。
 都忘れの花がどことなく涼しげで清楚だ。
 スズランの花というと可憐なイメージがあるが、我が家の猫の額ほどの庭で繰り広げられているスズランと都忘れとの攻防戦は、スズランの圧倒的な勝利なのである。スズランは竹のように地下茎で増えていく。都忘れが年々少なくなっていると思っていたら、スズランに浸食されていたからだ。
 数日前に、菌糸状に延びたスズランの根を引っこ抜いて、どうにか都忘れの繁殖地を確保したのである。我が家にあるのは薄紫とピンクの花を咲かせる都忘れだが、わたしは薄紫の花が好きだ。
 都忘れには思い出がある。
 一昨日にラブレター中毒症の顛末記を書いたが、実は都忘れの花による恋占いをラブレターで書いたのである。
 都忘れの薄紫の花びらを一枚、一枚ちぎっていって恋占いをするというストーリーなのだが、最後の一枚を青い空に投げ上げて締めくくるのだが、もちろん恋占いをするのはわたしではなく、旅先で出逢った女なのだ。
 都忘れの花による恋占いはまだ小説の中で使ってはいないが、そのうちに使うつもりである。というわけで、わたしのラブレター中毒症も全くの徒労ではなかったということになろう。小説のなかで生きているのだ。
 最後の推敲中であり、数日中にはKindle版の電子書籍として出版する『矢ぐるまそう恋歌』(既に出版済みです)にも、ラブレター中毒症の手紙が息づいている。
 どんなものか、また宣伝を兼ねてその箇所を抜粋するが、実際の手紙では、曇った硝子に書くのは「好き」という文字なのだが、小説では「帰らないで」とした。
 読みやすい小説だと思う。
 では、お読みください。


 藍子がまた向かいに座った。
 炬燵の上に置いてあった二本の長い編棒を手にした。さっきと同じようにまた毛糸の編物を始めた。周平と尚哉が勉強を始めると直ぐに、藍子は編物をやり始めたのだった。
 頬杖をついて周平が藍子を見つめた。
 長い髪をアップにして、水色の髪留めで後ろで留めていた。白い襟足が眩しい。紺の絣の着物に映えていた。細く白い指が動いている。長い二本の編棒を器用に駆使しては、何かを編んでいた。
 ―何だろう……。セーターかな。
 藍子が編物を始めてから、ずっとそのことが気になって仕方がなかった。甘酸っぱい期待が周平の心をくすぐった。
「何、編んでるの」と訊いた。
「ナ・イ・ショ」と、悪戯っぽい目をして藍子が笑った。その顔が周平の期待を裏切ってはいないことを教えてくれていた。嬉しさを顔に出さないように、周平はそっと噛み殺した。
 時間が溶けて無くなったようだった。
 静まり返って動かなかった。
 さっきから時間の感覚を失ってしまったような錯覚を周平は覚えていた。二人を包む部屋が現実からスポイルされて、どこかこの世とは異質の空間を浮遊しているかのような感覚だった。尚哉の規則的な寝息だけが、流れていく時間の存在を微かに知らせてくれていた。
 目で編棒の動きを追いながら、「周平」と藍子が言った。
「うん?」
「剥いて、みかん」
 炬燵のテーブルの真中に籠に入ったみかんが置かれてあった。
 籠からみかんを一つ取ると、周平が皮を剥き始めた。丹念に渋を取った。
「剥いたよ」
「口に入れて」
 藍子の視線は尚も編棒に向けられたままだった。一房のみかんを親指と人差し指で摘んだ。身を乗り出して、藍子の赤い唇に押し当てた。藍子が指ごと口に含んだ。唇の内側の滑々とした肉の感触が指に残った。しっとりと濡れた舌の感触も生々しく残っていた。
「ありがとう」
 藍子がみかんの房を噛んでいる。
 編棒に注がれていた視線が、周平の顔に移動した。根を詰めていたからか、瞳が青く潤んでいた。瞳に吸い込まれるように、周平が藍子を見つめ返した。「セーター編んでるんだろ、俺の」と訊いてみた。
「だから、ひ、み、つ」
 藍子の瞳が、「うん、そうよ」と囁いていた。周平はその音のしない言葉だけで満足だった。愉しそうに笑った藍子の視線が、また二本の細い竹の編棒に戻っていった。また頬杖をつくと、編物をする藍子の姿をじっと見つめ続けた。
 どれほどのときが経ったのだろう。
 編物に熱中していた藍子の手が急に止まった。熱く注がれている周平の視線に気づいたのだろうか。「うん?」と周平に微笑み掛けてきた。
「きれいだよ」
「なにが」
「着物姿の藍子」
 ほんのりと頬を紅に染めた藍子が、「バカ……」と言って微笑んだ。そして、「うれしい」と俯きかげんで呟いた。
「静かだな」
「静か?」
「何だか、音が消えて無くなったみたいだ。いつもと違う」
 藍子が耳をそばだてている。
「そう言われると、そんな感じがする」
 編みかけのセーターを炬燵のテーブルに置くと、藍子が立ち上がった。浅黄色のカーテンが引かれた窓際に歩み寄った。藍子がカーテンをそっと引いた。室内の暖気でガラス窓が曇っていた。掌で拭うと、藍子がガラス窓に顔を近づけた。暗い空を見上げている。
「ねえ、周平。来て!」
 藍子が少女のようにはしゃいだ声を響かせた。周平が近づいていった。背後から、寄り添うようにして、藍子の両肩に軽く両手を置いた。
「周平、見て。雪よ、雪!」
 曇りが拭い去られたガラス窓から外が見えた。真暗な空を見上げた。白い花びらとなって雪が舞い落ちていた。二人が頬を寄せ合った。藍子のぬくもりが周平の肌に、揺らめきながら沁み込んできた。二人は黙ったままでいた。暗い空から落ちてくる雪を見つめていた。
 暫くして、「雪だったのか」と周平が呟いた。
「だから静かだったのね」と囁くように言った藍子が、「ねえ、積もるかしら」と訊いた。
「どうかな」
「積もるわよ、きっと」
 曇ったガラスを藍子がまた掌で拭った。窓から見える外の世界が広がった。
「藪椿が真っ白」
 アパートの敷地の端に生い茂った藪椿の老木が、外灯の淡い光に浮かんでいた。光に照らし出された幻想的な空間を、無数の細かな雪片が静かに舞ながら落ちていた。
 藍子が、「もう帰れないわね……、周平」と囁いた。
「そうかな」
 葉に白い雪を積もらせた藪椿を二人は見つめ続けた。
「明日は日曜なんだし、泊まっていきなさいね」
 藍子の細い人差し指が、曇ったガラス窓に触れた。ゆっくりと動いていく。曇ったガラス窓に、「帰らないで」という文字が浮かび上がった。
 ふと甲府の座忘庵でのことが甦ってきた。女の肩に手を載せて、窓越しに見える甲府の夜景を、ふたりして眺めていたのだった。
「どうしたの」
「ううん、なんでもない」
 両肩に載せていた手で、背後から藍子をそっと抱きしめた。
 白い襟足に唇を押し当てた。
 着物の奥に篭っていた藍子の匂いがした。藪椿を被った白い雪となって、柔らかく包み込むようにして周平の中に入ってきた。
 外灯の光の中を、無数の雪片が舞い落ちていた。
 藍子の匂いが外灯の光に浮かび上がった真白な雪となって、淡い幻想の世界へと周平を誘っていった。



 ブログはこの他に、「里山主義」と、「里山主義文学」を開設しております。合わせて読んでいただければ幸いです。
「風となれ、里山主義」(思想・政治関係)
「里山主義文学」(文学関係)

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 大学時代から二十代の後半まで、わたしはこの厄介な病気を患っていたのである。
 有り難いことにその当時は携帯電話はなく、備え付けの家庭用の電話だった。ファックスもなければ、当然にメールもなかったので、電話での会話以外に相手に気持ちを伝えるとすれば手紙しかなかったのである。
 ラブレター中毒症の患者にとっては、よき時代だったといえよう。
 では、どうしてわたしはラブレター中毒症などという病に取り憑かれてしまったのか。
 それは多情多感であり、惚れやすいということが最大の要因なのだろうが、よくよく考えてみるとどうもそうではないような気がしてならない。
 今想うと、わたしなりの文学的な欲求だったような気がする。
 文学的な欲求なら小説を書けばいいと思うだろうが、ラブレターは読者を限定でき、それも読者が心を色めかせて読むだろうという不届きな魂胆があったのである。
 そういうわけだから、わたしのラブレターは長い。便せんで二十枚か、それ以上になる。驚くなかれ、中には短篇小説のようなものまであるではないか。恐らく、受け取った本人は驚愕しただろう。
 わたしがラブレターを出す相手は、多くは旅先で知り合った女である。多情多感であったし、旅がその多情多感に拍車をかけたからだろう、出逢ったばかりの女に話しかけ住所を聞き出すという暴挙に出るのである。不思議なことにほぼその目的は達成できた。今は老いぼれて見るも無惨な姿ではあるが、若い頃は北杜夫など屁でもないほどの美青年だったのである。従って、出逢ったばかりの女と喫茶店に一緒に入ったりもしたのだ。
 何を隠そうわたしは自意識過剰である。
 特に女の前に出るともう駄目なのだ。話せなくなるのである。だから、先ずは住所を聞き出すことを最優先する。住所を聞き出すと、苦痛だけしかなくなる。早く別れてしまいたくなるのだ。女の唇や乳房や、柔肌や……に触れたいという思いはないはずがない。が、それよりもラブレターをその女に書きたいという想いの方が強いのである。だから病気なのだ。
 女とは早々に別れ、家に帰ってきてから、長い長いラブレターを書くのだ。ラブレターというような生易しいものではない。ほとんど小説である。さもなくば論文だ。
 いつぞやは、師である橋川文三の「日本浪漫派批判序説」における石川啄木の「時代閉塞の現状」について書いたものまであったのである。長々と論じたあとで、だから俺は君を愛している、とたった一行恋心を綴ったものまであった。
 ラブレター中毒症は、どんどんと悪化の一途を辿っていった。
 より激しい刺激を求めるということだ。
 より激しい刺激とは肉体的ではなく精神的なものである。
 高校時代の友人と初めて北岳に登ったときに、北岳山荘で女に一目惚れしたのだが、翌朝に声を掛けようと思っていたら、朝目覚めるとその女の姿がないではないか。追いかけたが再び巡り合うことはできなかったのである。
 が、悪化したラブレター中毒症はだからこそ燃え上がるのである。
 北岳山荘は芦安村の村営だったので、役場に電話をして女の名前を聞き出すという暴挙に出たのだ。女の二人連れであり、部屋がはっきりしているので、宿帳から割り出すのは容易いはずであった。
 おいそれと教えてくれるはずはない。その頃は個人情報保護法などなかったが、どんな魂胆があるかしれたものではない。しかし、わたしのラブレター中毒症に白旗をあげたのだ。教えるから役場まできてくれというのだった。
 ラブレター中毒症のわたしは出掛けていったのである。そして、ラブレターを書いて返事がないときには諦めるという確約書をかかされたのだったが、三十才くらいの男の担当者の方は山好きであり、わたしと意気投合して山の話しを一時間くらいしたのだった。
 これほどまでして住所を聞き出したのだ。わたしのラブレター中毒症が爆発しないはずはない。便箋にして三十枚は書いただろうか。

 えっ?
 返事はもらえたかって?
 考えてみてください。見たことすらない男から突然に手紙がきて、その手紙も通常のラブレターならまだしも、小説もどきの手紙だったとしたら、あなたは返事を書きますか?
 もし、わたしにラブレターを書いて欲しい方がいたら(女限定)、水着写真同封の上(裸体写真ならなお可)、住所、氏名、年齢を書いてメールしてください。まだラブレター中毒症の余韻がありますから書いてあげます。
 山口百恵様、檀ふみ様、鶴田真由様、中谷美紀様ならば、長編小説にしたラブレターをお出しします。もちろんヒロインです。

 このブログを書くために、雑誌「太陽」の手紙特集を見つけたのだが、どこかに雲隠れしてしまったようだ。立原道造が水戸部アサイに宛てた手紙が載っていたのだが、美しいものだった。
 ナプキンに書いたり、スケッチブックを引きちぎって色鉛筆で書いたものまであった。
 その中で、わたしの好きな手紙がある。小説「僕の夏よさようなら」の中でも使ったものだ。立原道造もラブレター中毒症だったのだろうか。

 二十七日には待ってゐるよ
 どの汽車で来る?
 五時四十分の汽車で来ると
 十時まへに 油屋に着く
 あの道は まっくらかも知れないが
 知らせてくれたら
 迎ひに行かう
 ちいさい 提灯をつけて……

※写真は水戸部アサイと立原道造


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