三月十一日の心

     第四章 からくり糸


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 栗皮茶色というのだろうか、赤みがかった焦げ茶色の箪笥(チェスト)が目を引いた。
 重厚な光沢を放っている。文子の心を捉えて放してはくれなかった。
 文子が和真のベッドから起き上がったのは、八時を過ぎた頃だった。朝の冷え込みが緩むのをベッドのなかで待っていたからだ。その間、文子は家具のことばかり考えていた。
 同じおもむきと形をした家具に見覚えがあった。
 父の香坂直道が、松本民芸家具だと言っていたのを思い出した。
 直道は長野県の佐久市の出身で、信州大学を卒業したのちに、高校の教師になった。が、教師になって直ぐに、公募した大手出版社の新人賞をとって作家になった。そして、しばらくは二足のわらじをはいていた。
 文子が中学二年の早春に、松本から練馬に引っ越したのだったが、そういえば練馬の家にはその家具がなかった。引っ越しの際に処分したのだろう。が、なぜか文子は引っかかった。和真の部屋の箪笥(チェスト)と結びついているような気がしてならなかった。
 和真の部屋はさっぱりとしていた。
 ベッドと箪笥と格納机だけだった。格納机も松本民芸家具にまちがいなかった。
 書棚はなかった。文造の書斎を兼用していたのだろう。
 箪笥の上に飾ってある、二つの写真立てが気になった。そして、格納されていない机に、明らかな作為があった。ふつうなら風変わりなチェストとしか思えないはずが、机の台が剥き出しになっているから、奥に隠れてみえないはずの本立てまでが剥き出しになっていた。何冊かの本がみえた。机の上にも数冊の本が置かれてある。明らかに、文子に読めといっているとしか思えなかった。からくりの糸で、文子を操るつもりなのだろう。
 苦笑した文子が、ベッドを離れて服を着た。
 カーテンを開けた。
 朝日を背にした逢生山の姿が目に飛び込んできた。和真の部屋も文造の部屋と同じく東向きだった。窓も書斎と同じく出窓だった。
 朝のやわらかな日差しが部屋に流れ込んできた。何の木なのだろう、床は無垢の板だった。落ち着いた雰囲気を部屋に醸し出していた。壁は漆喰だった。
 家具と床と壁が調和していた。誰のセンスなのだろうと思った。直ぐに、百合子の顔が浮かんできた。百合子にちがいないと思えた。
 箪笥に飾られた二つの写真立ての中の人物をみたかった。文子を操るからくりの糸だとすれば、写真立ての中にあるのは風景や草花ではなく、人物に違いなかった。
 箪笥まで歩いて行った。背丈が一メートル六〇センチの文子の胸の辺りの高さで、横長の箪笥だった。
 一つ目の写真立てに目をやった。
 初めてみる女がいた。三五六才なのだろうか、文子よりも年上にみえた。四才くらいの男の子を膝に抱っこしていた。男の子が和真なのだろう。そして、抱っこしている女は、和真を産んだ佐由理にちがいなかった。
 この女(ひと)が、愛しい和真を産んだ女(ひと)なんだ、と文子は心に刻みつけた。そして、父の直道の最初の妻であり、直道との間に生まれた子が和真になるのだろう。文子はその想いを拒絶した。和真が二つ年上の腹違いの兄という想いは、からくりの糸を断ち切ってしまう鋏のようなものだからだ。
 からくりの糸が切れてしまえば、愛しい和真が絡繰り屋敷に仕組んだ企みも意味をなさなくなってしまう。和真が仕組んだ企みこそが、からくりの糸だからだ。文子は和真のからくりの糸に操られたかった。和真の企みに操られることで、もっと和真を知りたかった。文子がこれからどこへ行けばいいのか、旅の行き先をからくりの糸が導いてくれるはずだった。そして、からくりの糸が文子を、愛しい和真と結びつける赤い糸だと思えた。
 二つ目の写真立てに目を移した。
 文造と百合子と和真がいた。それも、繭玉の世界を共に生きたときの和真だった。まちがいなく十二才の和真にちがいなかった。文造と百合子も逢生山でみた文造と百合子そのままだった。
 箪笥の抽斗を開けたい誘惑に駆られた。が、どうにか文子は思いとどまった。
 同じ壁に面して置かれた格納机に目をやった。
 和真はあの本をすべて読めとでもいうのだろうか。そうなると一週間くらいは、からくり屋敷にとどまることになる。
 溜息をつくと同時に、民子が話してくれた和真からの伝言を思い出した。気に入った本があれば、何冊でも持っていくように、との伝言を頼まれたと民子が話してくれた。和真が操るからくりの糸は、文子にこの絡繰り屋敷でどの本を読ませ、どの本を旅路の友にもっていけばいいのか、指示するはずだと思えた。
 格納机まで移動すると、奥の本立てに並べられた本の背表紙を一つずつ目で読んでいった。
 ユングと西欧近代主義に関する書物だった。厳選したのだろうか、文造の書斎から持ってきたにちがいない。その目的は文子に読ませる以外にあるはずがなかった。数えてみると十冊ある。どれも内容が難しそうだった。文子が読んでもすんなりと頭に入ってくるとは思えなかった。
 文子は立教大学の日本文学科を卒業していたし、高校の国語の教師だったから、小説は読み慣れているが、哲学書と思想書はそれほど読んではいなかった。文学に関するものはしかたなく読んではいるが、哲学書と思想書は、文子の知的好奇心の垣根の外にあった。
 文子はまた、溜息をついた。が、和真が文子に読ませたいのだから、和真と文子で共に生きた、曼荼羅の森を越えて辿り着いた繭玉の世界と、筋湯温泉のめくるめく夜の世界との意味を教えてくれるはずだと思えた。
 そして、文子がこれまでに生きて体験した、三つのセックスの世界の意味をも解き明かしてくれると思えた。
 それだけではない。和真は文子が二〇一一年三月十一日を生きたから、二十一年の時を経て繭玉の世界へと帰ってくると信じていた。信じていたから、この絡繰り屋敷に文子がやってくると信じて疑わなかったのだろう。そうだとすれば、二〇一一年三月十一日が和真にとって重要な意味があるはずだった。その意味が、繭玉の世界の意味と、筋湯温泉のめくるめく夜の世界の意味とに、つながっていないはずがなかった。だから、二〇一一年三月十一日を生きた文子が繭玉の世界へと帰ってくるという答えを、和真は導き出したのだろう。
 バラバラに置かれた机の上の三冊の本の表紙に目を落とした。
 題名と著者とを確認した。
 ジョルジュ・バタイユの『エロティシズム』と、湯浅泰雄の『身体論』と、吉野裕子の『祭りの原理』だった。
 文子はバタイユの『エロティシズム』だけは読んでいた。読んではいたが、何をいっているのか、正直分からなかった。繭玉の世界と、筋湯温泉のめくるめく夜の世界を生きた文子だから、読み直せば、バタイユが『エロティシズム』で訴えたかったものがみえてくるのだろうか。和真のからくりの糸に操られている文子だから、読む以外には選択肢はなかった。
 吉野裕子の『祭りの原理』に、文子が「はっ」と息をのんだ。
 愛染堂での和真と交わした会話がはっきりとした姿でよみがえってきた。
 筋湯温泉のめくるめく夜の世界を生きた文子と和真が翌日に、川端康成の小説『波千鳥』のヒロインである文子の心の故郷、豊後竹田を訪れて、愛染堂で交わした会話だった。
 泰典との不倫の性の世界をなぞった後で思い起こした、愛染堂での和真の会話の一部始終がよみがえってきたのだった。和真が操るからくりの糸がつれてきたにちがいなかった。
「文子はセックスに貪欲だった。妥協がなかった。だから、俺をめくるめく世界へと導いて行けた」と言い、「文子は淫らだった。でもその淫らさは清らかで美しく、それでいて炎のように妖しくて熱いものだった。俺は、文子のその淫らさがたまらなく愛しい」と言った和真は、吉野裕子の『祭りの原理』を話してくれたのだった。
 吉野裕子の『祭りの原理』を手に取った。
 めくろうとして、付箋代わりなのだろうか、挟まれた紙のようなものが、文子の目にとまった。何だろうと思って、そのページを開いた。挟まれていたのは写真だった。愛染堂の前で、文子と和真がぴったりと肩を寄せ合って写っていた。
 おせっかいな中年の夫婦連れの夫が、和真が手にしていた一眼レフのカメラをみたのだろう、記念に撮ってあげるといって、文子と和真を愛染堂の前に立たせたのだった。代わりにと和真も、夫婦のカメラで写真を撮ったのを思い出した。
 七年前の筋湯温泉のめくるめく夜を共に生きた和真が、二十一年前に繭玉の世界を共に生きた男の子だと、文子の中で不動のものになっていたが、この写真で動かしようがない事実になったといえた。
 が、和真が二才年上の腹違いの兄だという想いは、今は邪魔でしかない。無理に文子が、頭の中から振り払った。
 写真が挟んであったページに、マーカーペンで塗られた箇所があった。目で追っていくと、和真が愛染堂で暗唱してみせてくれた箇所だと気づいた。 
 と同時に、愛染堂での吉野裕子の『祭りの原理』をめぐる会話が鮮やかによみがえってきた。

 愛染堂は豊後竹田の北の外れの高台にあった。
 南に向かっては眺望を遮るものはなかった。
 かといって高い峰の頂きにあるというのではないから、背後の北側は眺望が閉ざされていた。
 文子は愛染堂から見下ろした景観にびっくりした。
 豊後竹田の街のほぼ全景が俯瞰できたからだ。そのあまりの小ささに驚いた。そして、街のあり方に目を見張った。
 文子は、川端康成の『波千鳥』のヒロインである文子の旅をなぞって、湯布院を訪れていた。湯布院も豊後竹田と同じ盆地だった。湯布院もそれほど大きな盆地ではない。
 が、豊後竹田はまったく様相が違った。
 松本盆地、甲府盆地など、文子は数限りない盆地を見てきたが、それまでの盆地の概念を根底からくつがえすほどに、文子の目には、豊後竹田の街の姿が異様に映った。
 盆地とは四方を山に囲まれたくぼんだ土地をいうが、だからといって、いずれかの方向に開放された空間をもっていた。
 盆地を流れる川に沿ってだったり、谷が巨大な切り通しとなったりとおもむきは異なっていても、必ず盆地からの空間的な抜け道があった。
 が、豊後竹田の街はその抜け道が完全に塞がれていた。
 四方は断崖ともいうべき山で塞がれている。
 唯一北西側から侵入する稲葉川があった。が、稲葉川は街の北側の縁をなぞりながら、山にぶつかるとほぼ直角に南へと折れ曲がり、今度は街の東側の縁に沿って流れ下っていた。稲葉川が豊後竹田の街に侵入する際に、開放された空間を連想させるようなものをつれてくるとは思えなかった。急流となって街に注ぎ込んでいるからだ。
 歴史という時間の落葉が幾重にも堆積した由緒ある古い街だ。
 四方は断崖となった山によって完全に囲われ、その断崖で幽閉された狭い空間が生きていくよすがなのだから、街はぎっしりと家並みで覆い尽くされていた。そして、さほど広くない道路が、碁盤の目状に縦横に走っていた。
 街を眺めていると直ぐに気づくのは、高いビルがないことだった。そして、神社仏閣らしき姿があちらこちらに点在することだった。
 文子は、竹田市観光ツーリズム協会でもらった「たけた城下町散歩」というB4版ほどの大きさの絵地図を確かめた。やはり至る所に神社仏閣が記されてあった。
 おどろいたのは、豊後竹田の街から外へと抜ける道路には、稲葉川が侵入する箇所以外は、すべてトンネルを抜けなくてはならないということだった。
 何という街なのだろうか、と文子は思った。
 街は外へと膨張していくことはできない。この狭い空間で生きていく以外にないと思えた。
 この狭い空間を生きるからこそ、豊後竹田の精神ともいうべきものが内面に深く沈潜し、内省的になるのではないか。それだけではない。希望としての想いは、断崖絶壁に囲われた山の彼方へとかけていくことはなく、唯一開かれた空間である天空へと向かっていくのではないだろうか。天空への高みを目指す想いは、内省的な精神と対になっているのかもしれなかった。そんなことを文子は思っていた。そして、その風土が育んだ精神性のようなものに想いを馳せたのだった。
 豊後竹田の街を見下ろしながら、文子でさえそんなことを思ったりしたのだから、和真が思わないはずがなかった。
 筋湯温泉のめくるめく夜を二人で生きたばかりなのに、在野の民俗学者の吉野裕子について和真が語り出したのは、豊後竹田の街のもつ精神性にほだされたからなのかもしれなかった。
 和真は豊後竹田の街を眺めながら、吉野祐子の『祭りの原理』の中の数行を暗唱してみせた。
「『性』が日本の祭り・信仰をはじめ民俗事象の全般にわたって顔をのぞかせる現象は、稲作民族としての日本人の豊穣への類観呪術としてのみとらえられてきた。こうした解釈は、『性』が信仰の主流ではなく、いわば傍流におかれていたことを示す。しかし『性』は日本人の信仰の中枢にあるものであって、この位置において、『性』を見なければ日本の古代信仰の本質は把握できないと私は考える」
 文子は、民俗学者である柳田国男の名前くらいは知っていたが、吉野祐子という民俗学者は初めて耳にするものだった。そして、民俗学に関連する書物は、大学の教材だった柳田国男の『遠野物語』くらいしか読んだことがなかった。
 民俗学に興味はなかったが、筋湯温泉のめくるめく夜の世界を、和真と共に生きた文子だから、和眞が語りたかったのだと思えた。
 黙ってしまった和真に文子が、「ねえ、つづきを話して」と言った。
「少し長くなるけど、いいかい」と訊いたから、文子は「うん、いいよ」と答えた。
「吉野祐子は、日本の古代人の性、つまりセックスを祭りの中核を成すものとみていた。それはセックスが新たな生命を生み出す根源であり、また死もセックスとの関連でみていたからだと思う。
 新たな生命を生み出す母である女の胎を重視しているともいっている。生と死とが胎を介してなされているという古代人の考えを突き詰めた先につかんだものなんだろうと、俺は思っている。 
 日本の古代人においてはセックスとは神聖なものであり、また神秘なものだった。セックスのなかで生を感じ、死を感じられるから、新たな明日を生きる自分という命の再生がなされたんだろうな。
 太陽が夜になって死を迎え、朝になって新しくよみがるように、セックスによって、自分の中に新しい命と精神とをよみがえらせるんだと捉えていたんじゃないのかな。 
 俺はセックスの復権とは、感覚の復権だと考えているんだ。感覚の復権なくしては、セックスの復権はあり得ないと思う。セックスのなかで、新しい命の息吹を生き、死を生きられるのは、瑞々しい感覚がなくてはなし得ないと思ってるんだ。
 でも感覚の解放だけでは駄目だ。昨日の夜のめくるめく世界には入っていけない。
 文子、俺はセックスは命の再生であり、命の浄化であり、倫理の再生であり、倫理の浄化だと思ったりしてるんだ」
 和真が話を切ると、顔だけ横を向いて文子をみた。
 筋湯温泉のめくるめく夜の世界とは真逆の殺伐とした話をし出したから、文子が嫌がっていないか確かめようと、恐る恐る盗み見たような怯えた顔だった。
 文子がやわらかに、そして甘噛みするようにして視線を絡め、和真の怯えた心に視線の口づけをしてやった。
 和眞が「文子は、縄文土器をどう思う」と訊いてきた。視線で和真の心に唇を押しつけてやったからだろう、和真の声が裏返っていた。
 文子が甘く視線を絡めて、和真の心に口づけした訳を、和真は分かっていないと文子は思った。「文子」と裸の名で呼ばれたからだ。きっと和真は、気づかないで「文子」と裸の名で呼んでいたにちがいなかった。
 和真に答えなくてはならなかった。
 文子が、日本史の教科書で見た縄文土器の写真を想い起こしながら考えていると、「考えては駄目だよ。感じたままを言えばいい」と和眞にたしなめられた。文子が「炎に見える」と感じたままを口にした。
「やっぱり文子は、俺をめくるめく世界へと導いて行ってくれた女だ」と、和眞が訳の分からないことを言った。
 そして、「俺も炎に見える。ほとばしる炎となったセックスの魂に見える。女は炎の神を持っているんだ。だから縄文土器は、火炎の文様と形をしているんだと思う。文子という女も炎の神を持っていた。 文子の炎の神が、俺をめくるめく世界へと連れて行ってくれたんだよ」
 和眞が強く手を握ってきた。
 濡れていた。
 文子が握り返した。
「吉野裕子は蛇がとぐろを撒いている姿を、古代人は女性器と見ていたのではないか、と言っている。縄文土器は炎であり神である女性器なんだ。文子は筋湯温泉の夜に、炎となり、蛇となり、神となって、俺の魂を妖しげにうごめきながら、ぬらぬらと締めつけてきた。そして俺を、めくるめく世界へと連れて行ってくれた」
 和眞の視線が痛かった。
「文子」と裸の名前で呼んだ。ときめく胸が、「うん?」と溜息のような声を漏らした。
「セックスに貪欲だった。妥協がなかった。だから、俺をめくるめく世界へと導いて行けた」
 セックスに貪欲という言葉が批難の言葉でないことは、引き寄せられていく和眞の目を見れば分かった。文子という女の性を賞賛している目だった。それでも確かめたかった。喘ぐようにして「わたしって淫らってこと?」と声にした。
「文子は淫らだ。でもその淫らさは清らかで美しく、それでいて炎のように妖しくて熱いものだった」
「縄文土器のような?」
「そうだよ、文子。筋湯温泉の夜の文子は俺にとって、炎であり、蛇であり、神である、縄文土器そのものだった」
「淫らな文子は嫌い?」
「好きだ。おれは文子が好きだ」と言うと同時だった。
 文子は和眞に抱き寄せられていた。
 そして、唇を奪われていた。
 いや、奪われたのではなかった。
 惜しみなく奪い合ったのだった。完全に二人だけの世界だった。人の姿は視界からも意識からも消えていた。


 ※
昨日は、わたしの認識の世界の理性があまりにうるさいので、しかたなく畑に出向いて、ジャガイモの種芋の植え付けの準備で、畑を耕してきた。
集合的無意識の世界をふるちんで駆けずり回っていた、もうひとりのわたしも、さすがに疲れたのだろう、理性に反抗しなかった。
そして、昨日は小説の絡繰り屋敷の間取りと、古民家をリフォームした外観と、各部屋の景観、家具等々を考えてたり、ネットで調べたりしたので更新はできなかった。
今日も午前中は用事があって、小説どころではなかったが、どうにか更新できそうだ。
そんな訳で、推敲などもってのほかで、再読もしない。誤字脱字があったら、読者にお任せする(笑)
前回(№20)は凄まじかった。再読して赤面した。ちょっと手直ししたが、折を見てしっかりと手直しする必要がある。

だあーれもコメントしてもらえなかったが、何と大学の先輩が読んでいてくれたではないか。
それもありがたいコメントまでいただいた。
大学の先輩と言っても、大学時代はおろか、数年前までは没交渉で、草刈りの肉体労働でたまたまご一緒になり、先輩は半年でやめたが、その後も交流があるということなのだ。
先輩は理系だ。が、わたしの電子書籍の小説をすべて読んでいただいた。
これはもう奇跡に近く、絶滅危惧種をはるかにしのぐ貴重な生き物であり、希少価値のある読者だといえる。
どうも明治大学出身者は、私を含めて普通じゃないお方が多く、我が先輩は、70過ぎて槍ヶ岳に単独登攀している。その目的たるや満点の星の撮影だというんだから恐れ入る。
何と先輩は奥穂高岳から北穂高岳までの縦走を企てており、わたしは槍から西穂高岳を二回ほどやっており、前穂と奥穂は何度もやっているので、わたしに助言をこうたので、「やめなはれ」と即答したのだが、どうもやめる気はなさそうだ(笑)
わたしが槍から西穂まで縦走したのは20代だ。わたしは今年5月で67になるが、奥穂の先にあるジャンダルムを越えて西穂までやれと言われたら、1億円くれれば考えるが、断る。
ナイフエッジ、ロバの耳、ジャンダルムは越えられても、天狗のコルから西穂の独標の中間辺りで滑落するだろう。ジャンダルムはそんなでもない。が、天狗のコルからの方が難路続きだ。岩が逆層だったり、岩がゴロゴロで浮き石がおおく、尖った岩山の連続でアップダウンが多く、体力を消耗する。
先輩はこのコースはやらないようだが、先輩は山をはじめて間もない。
先輩の夢だから、かなえさせたいが、無謀ちゃ、無謀なんでなんともはや……。
でも、槍から穂高をやるなら、外国人のいない今が絶好の機会かもしれない。何せ、外人が多いの多いの。安倍晋三の大馬鹿が、外人が落とす金目当てにインバウンド政策なんて、貧乏国の短絡的な金儲けを企んだりするから、円の価値まで下げて喜ぶ亡国ぶりのおかげで、三年前に蝶が岳から常念岳へ妻と縦走したときには、横尾はうじゃうじゃ人の群れ。渋谷の喧噪そのままに、ここ北アルプスなんですよね、ともう少しで横尾小屋の親父に訊くとこだった。
が、うじゃうじゃの人の群れは、槍沢に向かうのが10の2。涸沢へ向かうのが10の8。
蝶が岳に向かったのは、私と妻のたった二人(笑)
槍と穂高には登る気はあーりません。

で、何をかいているのだろう?
そうだった。
どなたか、70を過ぎてから、北穂から奥穂でもいいし、その逆コースでもいいですから、やった方いらしたなら、先輩にアドバイスしてくれませんか。
先輩は岳沢から奥穂経由で奥穂高岳山荘コースを考えていたから、そこはきついからやめなはれ。前穂の吊り尾根あたりでうごけなくなりまっせ、と言ったのですが……。

先輩にあやまらなくてはなりません。
スマホからラインのアイコンが消えており、先輩のメッセージを開いておりませんでした。
もう、ラインは使っておりまへん。申し訳ありません。今日、返信したします。
先輩は、10階建てのビルの階段を何往復もして足腰を鍛えているようです。
凄い猛者です。敬服します。

ということで、本日も 横内正『穂高よ、さらば』
先輩に捧げます。
https://www.youtube.com/watch?v=QXb4CTiv4wQ
オマケ
https://www.youtube.com/watch?v=zumrGJS8skY
オマケのオマケ
https://www.youtube.com/watch?v=P_7HO1ogkF0